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疑惑
孤児院院長の話 2
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アンは食堂に隣接した小部屋から、水の入ったグラスを二つ持ってくる。
それを大きな机に置くと、改めて椅子に腰かけ再び語り始めた。
「カインは捨て子でした。今から七年前、この孤児院の戸の前に置き去りにされたのです。幼かったためか、大して抵抗も無く溶け込むことも出来、他の子たちとも仲良くなれました。それなのに……つい先日の事です。夕食の材料を買い忘れてしまって、お使いを頼んだんですがそれに出かけたっきり、夜になっても戻ってくることはありませんでした」
アンは悲し気な表情を浮かべると、エプロンのポケットから小さな丸い木片を取り出した。
「それは……?」
「これは、あの子が大事にしていたバッジです。いつも大事にしていたのですが……」
カインがいなくなってから、いつ帰ってきても良いように常備しているのだと、アンは語った。
「あの子がこれを置いていくなんて……それに挨拶もせずになんて……考えられません」
ジンにとっては、判断できかねる話ではあった。カインという少年を見たことも無く、アンとカインがどれほど親しく幸せに暮らしてきたのかもわからない。だがそれでも、アンの今の様子を見見るだけで彼女の言う言葉が真実なのだと思えた。
ジンは腕を組んで背もたれに身を預ける。ぎしりと椅子が軋んだ。
「だから皇国軍の兵士に相談した、と。それで適当にあしらわれたわけですか」
「適当だなんて、そんなこと思っていません。もしかしたら本当に新しい親の元へ旅立っていったのかもしれませんし……でも……」
「『でも』、それが事実だとはどうしても思えない」
アンは何かを言いたげに口を開いたが、声を出すことなく閉じると、静かに頷いた。
ジンは出されたグラスに手を伸ばす。余り冷えてはいないが少し乾いた喉を潤すには十分だった。
「私は今、皇国が犯罪を握り潰しているかもしれない、という疑惑を晴らす為に行動している。もしこの疑惑が事実であれば……もしかしたらカイン君は、何らかの事件に巻き込まれてしまったのかもしれない」
「事件……? そんな……皇国は大陸一平和な国の筈でしょう!?」
皇国で暮らす住民たちは、そのことをよく知っていた。周囲の国からやってくる行商人や、移り住んでくる人らの口から洩れる声が、彼らの耳元まで流れてくるのだ。殊、治安に至っては大陸随一である、と誰もが口々に語る。皇国に住む者達にとってはその称賛の声が誉れであり、誇れる箇所であった……筈なのだ。
驚嘆するアンを宥めようと、ジンは口を挟む。
「その通り。皇国は、大陸で一番平和な国だ。それを揺るぎないものにする為に、私はこうして話を聞いて回っている」
その結果はあまり芳しくない。これまでも三者三様の話を聞いてきたが、どれも潔白と判断できるような話では無かった。端的に言えば『疑惑は深まるばかり』といったところだろうか。勿論今この場で、そのことを口に出すことはしないが。
ジンはその後、更に詳しくアンに質問を投げかけた。
カインの年や背格好から始まり、習慣やどのような生活を送っていたのか、自由に行動できる範囲で、どのような場所によく行くのか等々……質問は多岐に渡った。
そして最後に、ジンはこう問いかけた。
「そういえば……貴女が相談したという兵士を覚えていますか? もしそれがわかれば、こちらの方で話を聞きに行くことも出来るのですが」
アンは眉を顰める。
「い、いえ、兵士様はご自身の名を語ることはありませんでしたので……」
「そうですか……特徴か何かだけでも覚えていませんか? 年とか、背の高さとか」
「ええと……髪は金色で、ホムエルシン様よりも大分若い方でいらっしゃいました。それと……ああそうだ。胸のこのあたりに、金色の羽のバッジをつけていました!」
アンのその言葉に、ジンは愕然とした。
金色の髪をした若い兵士。更に胸には金色羽の徽章。その特徴が当てはまる人物は、彼が知る限り唯一人だけ。
(まさか……スィックルが関わっている?)
予期せぬ形で訪れた、思いもよらぬ人物の登場に、ジンは言葉を失くす。それを訝しむアン。怪訝な表情を見せるアンに気付いたジンは、急いでその場を取り繕う。
「あ、いや失礼。大体の話は飲み込めました。私の方でも幾つか調べてみますので、どうかご心配なさらずに。何か分かり次第追ってお知らせします」
少々強引ではあったが、その言葉をもって会談を締めくくる。次の手掛かりが見つかった今、ゆっくりしている場合ではない。
ジンは孤児院を後にする。空を見上げれば星が瞬いており、月が煌々と輝いていた。
「ふぅ……ややこしい話になってきたものだ」
暫し思考を停止し、一頻り夜空を楽しむと待たせていた馬車に乗り込む。
動き出す馬車。その帰る道すがら、ジンは再び手帳を引っ張り出しては忙しなくペンを走らせる。
(兎も角、スィックルに話を聞かねばならないか……)
書いた字を読み直し、手帳をしまったジンは、小窓から外を覗き込んでそう考えた。
それを大きな机に置くと、改めて椅子に腰かけ再び語り始めた。
「カインは捨て子でした。今から七年前、この孤児院の戸の前に置き去りにされたのです。幼かったためか、大して抵抗も無く溶け込むことも出来、他の子たちとも仲良くなれました。それなのに……つい先日の事です。夕食の材料を買い忘れてしまって、お使いを頼んだんですがそれに出かけたっきり、夜になっても戻ってくることはありませんでした」
アンは悲し気な表情を浮かべると、エプロンのポケットから小さな丸い木片を取り出した。
「それは……?」
「これは、あの子が大事にしていたバッジです。いつも大事にしていたのですが……」
カインがいなくなってから、いつ帰ってきても良いように常備しているのだと、アンは語った。
「あの子がこれを置いていくなんて……それに挨拶もせずになんて……考えられません」
ジンにとっては、判断できかねる話ではあった。カインという少年を見たことも無く、アンとカインがどれほど親しく幸せに暮らしてきたのかもわからない。だがそれでも、アンの今の様子を見見るだけで彼女の言う言葉が真実なのだと思えた。
ジンは腕を組んで背もたれに身を預ける。ぎしりと椅子が軋んだ。
「だから皇国軍の兵士に相談した、と。それで適当にあしらわれたわけですか」
「適当だなんて、そんなこと思っていません。もしかしたら本当に新しい親の元へ旅立っていったのかもしれませんし……でも……」
「『でも』、それが事実だとはどうしても思えない」
アンは何かを言いたげに口を開いたが、声を出すことなく閉じると、静かに頷いた。
ジンは出されたグラスに手を伸ばす。余り冷えてはいないが少し乾いた喉を潤すには十分だった。
「私は今、皇国が犯罪を握り潰しているかもしれない、という疑惑を晴らす為に行動している。もしこの疑惑が事実であれば……もしかしたらカイン君は、何らかの事件に巻き込まれてしまったのかもしれない」
「事件……? そんな……皇国は大陸一平和な国の筈でしょう!?」
皇国で暮らす住民たちは、そのことをよく知っていた。周囲の国からやってくる行商人や、移り住んでくる人らの口から洩れる声が、彼らの耳元まで流れてくるのだ。殊、治安に至っては大陸随一である、と誰もが口々に語る。皇国に住む者達にとってはその称賛の声が誉れであり、誇れる箇所であった……筈なのだ。
驚嘆するアンを宥めようと、ジンは口を挟む。
「その通り。皇国は、大陸で一番平和な国だ。それを揺るぎないものにする為に、私はこうして話を聞いて回っている」
その結果はあまり芳しくない。これまでも三者三様の話を聞いてきたが、どれも潔白と判断できるような話では無かった。端的に言えば『疑惑は深まるばかり』といったところだろうか。勿論今この場で、そのことを口に出すことはしないが。
ジンはその後、更に詳しくアンに質問を投げかけた。
カインの年や背格好から始まり、習慣やどのような生活を送っていたのか、自由に行動できる範囲で、どのような場所によく行くのか等々……質問は多岐に渡った。
そして最後に、ジンはこう問いかけた。
「そういえば……貴女が相談したという兵士を覚えていますか? もしそれがわかれば、こちらの方で話を聞きに行くことも出来るのですが」
アンは眉を顰める。
「い、いえ、兵士様はご自身の名を語ることはありませんでしたので……」
「そうですか……特徴か何かだけでも覚えていませんか? 年とか、背の高さとか」
「ええと……髪は金色で、ホムエルシン様よりも大分若い方でいらっしゃいました。それと……ああそうだ。胸のこのあたりに、金色の羽のバッジをつけていました!」
アンのその言葉に、ジンは愕然とした。
金色の髪をした若い兵士。更に胸には金色羽の徽章。その特徴が当てはまる人物は、彼が知る限り唯一人だけ。
(まさか……スィックルが関わっている?)
予期せぬ形で訪れた、思いもよらぬ人物の登場に、ジンは言葉を失くす。それを訝しむアン。怪訝な表情を見せるアンに気付いたジンは、急いでその場を取り繕う。
「あ、いや失礼。大体の話は飲み込めました。私の方でも幾つか調べてみますので、どうかご心配なさらずに。何か分かり次第追ってお知らせします」
少々強引ではあったが、その言葉をもって会談を締めくくる。次の手掛かりが見つかった今、ゆっくりしている場合ではない。
ジンは孤児院を後にする。空を見上げれば星が瞬いており、月が煌々と輝いていた。
「ふぅ……ややこしい話になってきたものだ」
暫し思考を停止し、一頻り夜空を楽しむと待たせていた馬車に乗り込む。
動き出す馬車。その帰る道すがら、ジンは再び手帳を引っ張り出しては忙しなくペンを走らせる。
(兎も角、スィックルに話を聞かねばならないか……)
書いた字を読み直し、手帳をしまったジンは、小窓から外を覗き込んでそう考えた。
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