反魂の傀儡使い

菅原

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22章 旅の終結

無人の集落

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 ローゼリエッタがスフィロニアを旅立って、十と三日が過ぎ去った。
 度重なる魔物との戦闘で、少女の疲労は限界に達している。道は変わらず舗装され歩きやすくはあるものの、進む速度は頗る鈍い。
 空は今も胸の透く様な青色を湛えていたが、少女の心はそれに反して暗く淀んでいた。

 魔物が変化する事実を知っていて、その理由までをも知るローゼリエッタは、魔物が姿を現す度に一つ心を病む。
 魔物の元の姿は漆黒の狼であり、人型の物は須らく人間を食らって変化した物である。故に、ローゼリエッタの目の前に人型の魔物が姿を現したのならば、それに比例した人間が食い殺されているということになるのだ。
 それは他の種でも同じことが言え、牛や羊、猫や犬といった、誰かの寵愛を受けた家族同然の動物たちが、幾匹も食い殺されてきた事になる。
 更にはそれらを自らの手で葬ることにさえも、優しき少女の心は悲鳴を上げた。

 
 時刻は昼下がり。昼食を取り終えたローゼリエッタは周囲を警戒しながら街道をゆく。
 すると街道の前方で、小さな子供程度の体格をした魔物が十体、賑やかに屯っているのが見えた。
 この旅が始まってから幾度となく戦ってきた魔物、『ゴブリン』だ。
 変化した姿を持つ魔物の中では、一際力が弱く、一際数が多い魔物となる。

 ローゼリエッタに与えられた選択肢は二つ。一つは大きく遠回りをし、敵との戦闘を避ける案。もう一つは、この魔物の群れを殺し、このまま街道を進む案だ。
 少女は以前同じような状況に陥った際に、前者の案を採用したことがあった。ところがその結果は最悪で、別の徘徊していた魔物に見つかって戦闘に陥り、その騒ぎを聞きつけた避ける予定だった魔物までもが合流してしまった。結局少女は、それら全てを皆殺しにし、再び街道に戻る羽目になったのだ。

 そんな経験を経たせいか、魔物の群れを見つけた少女の行動は早かった。即座に道具袋から槍を引き抜くとパンドラに手渡し、傀儡の操作を始める。
 今だこちらに気付かぬ魔物の群れに向かって駆け出すパンドラとローゼリエッタ。
 見晴らしの良い街道であるため程なくして見つかってしまうが、そんなことは一切関係ない。

 敵の接近に気付いたゴブリンらは、最も近くに迫るパンドラに見向きもせず、叫び声を上げながらローゼリエッタに向かって走り出した。
『ガァアア! ガアアア!』
 重なる威嚇咆哮。俄かに周囲が騒がしくなる。
 だが気丈にもローゼリエッタは少しも怯むことはなく、主の指示のもとパンドラが一匹のゴブリンに向かって槍を突き出した。
 槍は緑の皮膚を貫き、脳天を串刺しにする。飛び散る内容物と血飛沫。穂先は血で真っ黒に染まり、凄惨な光景が広がった。
 それすらも気に掛けることはせず、パンドラはすかさず槍を引き抜くと、次のゴブリン目掛けて槍を突き出す。

 ゴブリンは、いとも呆気なく死んでいった。パンドラの槍捌きは見事の一言に尽き、一つ突く度に一つ命を奪っていく。
 やがて六体目のゴブリンが殺される頃、残りのゴブリンは初めてパンドラに視線を向けた。だがそれでは遅い。直後にパンドラが放った薙ぎ払いにより、槍の穂先が三体のゴブリンの腕、腹、首を切り裂く。
『ギィィィイ!! ギャアアア!!』
 耳を覆いたくなる断末魔。体格が子供に近いためか、ローゼリエッタにはどうしても人の悲鳴に聞こえてしまう。
 その悲鳴を聞く度にローゼリエッタは、力一杯歯を噛みしめ、どうにか耐えながら次の指令をパンドラに下す。

 十体いたゴブリンは程なくして皆絶命した。周囲に漂う血の臭いはどこか人間の物に近く感じ、嫌でも意識してしまう。
「……うぷっ……うえっ」
 込み上げる吐き気を抑え、ローゼリエッタは一目散にその場を駆けだした。兎も角死体の見えないところへ。兎も角匂いの届かぬところへ。この時ばかりは警戒心の欠片も無く、ただただ黙って駆けるのみ。
 命を奪うという行為は、幾ら経験しても慣れることはない。否、慣れてはいけないのだ。慣れてしまっては最後、それは狂人と同じなのだ。だからその場から逃げ出した少女の反応はある意味で正しい。
 だが実際には、その死体を放置することで、魔物を呼び寄せることになる。尤も今のローゼリエッタの精神は、そのことに気が付ける程の余裕を持ち合わせてはいない。少し考えれば思い至ることですら思いつかぬほどに、少女の精神は追い込まれていた。


 更に二日の時が過ぎた。ローゼリエッタは、街道に面した最後の町にて、王国に一番近い町『スリズ』に辿り着く。
 少女はこれまでにも幾つかの町を経由してここまで来たのだが、どこもかしこもスリズ同様、人間は一人もいなかった。逃げ出したのか、食われたのかは定かではないが、どこも等しく廃墟と化している。
 それでも乱立する家屋のおかげで、街道に設けられた休憩所よりかは、安全な夜を明かすことが出来た。また、治癒の魔法薬や衣服類、食料に至るまである程度の貯えがあるので、それを拝借することで、旅で消耗した道具を補充することも出来た。
「ふぅ……ふぅ……漸く町についた……ここはきっと……『スリズ』の町ね。あと少し……あと少しで……」
 既に少女には独り言を語る元気も無い。まずは気を張らなくても済むようにと、地図を指でなぞりながら安全そうな家屋を選び一息つける部屋を探す。

 前もっての備蓄品と、人がいるかもしれないという淡い期待を込めて、ローゼリエッタは一つの宿泊施設を選んだ。三階建ての立派な建物で、店構えから以前の盛況さが伺える大きな宿だ。
 ゆっくりと戸を開け、その隙間から中の様子を伺う。
 建物の中は案外綺麗なままで、物は多少散乱してはいるが建物自体に損傷はない。
「まずは誰かいないか確認してみないと」
 そういってローゼリエッタは、宿の裏方、客室と探索を始めた。
「すみませーん。誰かいませんかー?」
 魔物の存在からあまり大きな声は出せない。それでも呟き程度では聞こえないから、普通に語る程度の声でいるかもしれない人へと呼びかける。しかし……
「……やっぱりいないか……仕方ないわね」
 やはり建物内は無人で、少女の呼びかけに返ってくるのは床のきしむ音ばかり。
 淡い期待を打ち砕かれ、ローゼリエッタは暫し放心した後、先ずは食事をと、一階にある厨房へ向かった。

 厨房には様々な食材が保存されていた。
 尤も大半が腐りかけていたため、実際に用意できた食事は何時も食べる保存食に毛が生えた程度の物だ。それでもローゼリエッタにとってその食事は、間違いなく至福の時間で、たっぷりの時間をかけて楽しむに値する時間だった。

 食事後もまた、待ち遠しかった数日ぶりの湯あみ。それが終わると引き続きパンドラの整備を始める。だが少女の体力は既に限界で、身を清め腹も膨れ、直ぐにでも寝台に飛び込んで眠ってしまいたい衝動に駆られる。
「ふあぁ……頑張るのよ、ローゼリエッタ。整備が終わったら眠れるんだから……」
 叶うことなら眠ってしまいたい。だがしかし、この先ローゼリエッタが生き残る為にはパンドラの力が不可欠なこの状況で、眠気を理由に整備不良など起こしていられない。
 ローゼリエッタは欠伸を噛み殺しながら、少々傷ついた人形の表面を布で磨き、ため息交じりに呟いた。
「それにしてもエルフさんたちには感謝しないと。普通の木じゃこれまでの戦闘にとても耐え切れなかったわ」
 改めて、世界樹の苗木の性能に驚くローゼリエッタ。だが一方で、予備として持ってきていた傀儡糸の在庫が切れかけていることに、一抹の不安を覚える。
「もう次の交換分はなさそうだなぁ……どうしよう」
 全ての作業を終え、作業道具をしまうローゼリエッタは落胆した表情を浮かべていた。


 傀儡師が扱う糸は、通常の物とは違う特殊な糸を使う。というのも、傀儡師は人形を操る際、糸に魔力を通して人形を操作するのだが、これに耐え得る為に、それ相応の強度と、魔力との親和性が必要となるのだ。これの製法は各傀儡師の家系に口伝されるので、一般では流通しない希少素材とされている。
 一方、特殊な糸を使う傀儡師らの中でも、パンドラに扱われている糸はさらに特殊な糸が用いられていた。これはローゼリエッタの傀儡操作技術に、糸の力を使って操作する技術が含まれているためだ。
 また人の魂が封じ込められた結晶体の影響により、更なる魔法的耐性が必要となる。これらの問題を解決する為に、少女が使う傀儡糸には、魔法物質である『精霊石パラディウム』と高硬度結晶である『精白銀ミスリル』を併用して紡がれた『魔法合金糸クリスタリウム』が使われていた。この糸は、物理耐久、魔法耐久に優れ、よく魔力を通す性質を持つ糸で、ドワーフの技術をもってしても少量しか作られない超希少素材である。
 そんな代物が、人間界の一般的な街に出回っている筈が無い。つまりその糸が尽きる時こそ、ローゼリエッタが魔物に抵抗する手段が失われる時だ。


 ローゼリエッタは、人形の整備を終えると客室の一間を狩り睡眠をとることに決めた。
 数日ぶりの寝台は少女を瞬く間に夢の世界へ引きずり込む。身体的な疲労と精神的な疲労により、少女は本能の赴くままに惰眠を貪る。
 夜が明ければまた旅が始まる。だが残された行程は極僅か。ついに、少女の旅の終わりが見え始めた。
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