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20章 変質
頼み事
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建物の外へと出た二人は、静かな場所を探し彷徨っていた。屈強な戦士に麗しの女。並んで歩くその姿を何も知らぬ者らが見れば、それは恋仲のように見えたかもしれないが……当然二人はそんな甘い関係ではない。
場所は大きく変わる。二人の足は先の礼拝堂とは正反対の区画にあるジェシーの研究所へと向かっていた。
集落の中はある程度の区画整備までなされており、各種似たような役割を担う建物が集まっている。つまり、彼らが向かう先はそういう場所なのだ。
ジェシーの先導の下、二人は一つの建物についた。こじんまりとした一戸建て。ジェシーは立ち止まることもせずに戸を開く。
中はとても散らかっていた。そこでは主に魔法人形の研究がなされているようで、部屋のいたるところに魔法人形の一部が転がっている。おまけに数式やら文字やらが羅列された用紙に模型、終いには恐らく魔法人形の素材となるであろう土塊なんかも転がっていた。もとは大きな一つの部屋だったようだが、ジェシーが羽織る白いローブと同じ、真っ白の布で幾つかの小部屋に仕切られているようだ。
思いもよらぬ景色に、少々物珍し気に辺りを見渡すガンフ。するとジェシーは、ぶっきらぼうに忠告する。
「ちょっと。仮にも女性の部屋を、あんまりまじまじと見ないで頂戴」
「あ、ああ、すまない。あまりにも想像と違ったもので……それで、早速だがここまで足を運ばせた理由とはなんだ?」
「まぁ落ち着きなさいな。とりあえずお茶でも……」
言い難い事なのか、ジェシーは来客の為に飲み物を入れ始めた。
入れられた飲み物は独特な香りを発していて、酷く鼻につく。それでも嫌な臭いではなく、ガンフは自然と茶の入ったカップに手を伸ばす。
味は可もなく不可もなく、茶であるから少々渋みは感じるが、まずいというわけではない。
「……さて、一息ついたところで本題に移りましょうか」
ガンフがカップに口を付けたところを見て、いよいよジェシーが話を始めた。
「先の戦いについては、大体の話を聞いたわ。とても大変な思いをしたようね。……あの子も、相当つらかったでしょうに」
ジェシーは、片腕を無くしたリエントを思い出し少しだけ表情を曇らせる。
すると、それを見たガンフは内心で驚いていた。
錬金術師であり魔法使いである彼女は、生来他人に対し関心を殆ど持たなかった。彼女が興味を示すのは、魔法人形とそれに関する技術のみであり、極端な話だが、それらを持たない者は皆、路傍に転がる石ころ程度の価値しかなかった。
かつて敵対関係にあったローゼリエッタが、矛を合わせた結果友好的な関係を作ることが出来たのも、その傀儡技術が魔法人形に流用できる可能性があったからこそ叶った物なのだ。
いうなればジェシーはこれまで、利用できる相手にのみ愛想よく接していたのだが、短くない時間を共に過ごしたことによって、遂にジェシーの中に感情の変化が現れたのだった。
ガンフは思った。ジェシーは、リエントの痛々しい姿を見たくないが為に場所を移したのではないか、と。尤も他人に聞かれたくないという理由が大半を占めていただろうが、それに拍車をかける程度には、ジェシーの中でリエントの存在が大きくなっていたのではないか、と。でなければ、今こうして表情を崩す必要もないのだから。
少々気落ちするジェシーを見て、ガンフは柄にもなく優しい声をかける。
「あの子はあれでもしっかり者だ。それに強い。力だけでなく心までもな」
「そう……ごめんなさい。それじゃあお願いなのだけど、その黒い化け物を何体か、捕獲してきてくれないかしら?」
唐突に始まった思いもよらぬ頼みごとに、ガンフは言葉を無くした。
彼の脳裏によぎるのは、地を埋め尽くす黒い影。それが一斉にこちらへ駆けてくる悪夢のような光景だ。
脂汗と共に背筋に悪寒が走る。大群が駆ける幻聴まで聞こえた気がして、ガンフは軽く頭を振るう。
「ねぇ、大丈夫?」
「ああ大丈夫……大丈夫だ。しかし、一体どうしてそんなことを」
「まずはどんな生き物なのか調べてみたいのよ。うまくいけば弱点とか習性とか……いろいろ分かるかもしれない。そうなれば今後の為になるかもしれないでしょう?」
ここまで聞いて、ガンフは漸く得心がいった。
「成程な。とても君らしい理由だ。……分かった。安全な領域を確保しつつ近くを散策し、可能であるのならば捕獲してこよう」
ガンフが頷くのを見て、ジェシーは僅かに表情を和らげる。
「ああよかった。断られる可能性も考えていたんだけど杞憂だったようね」
「なに、理不尽な理由だったら断るさ。それよりも、話はそれで終わりか?」
「ええ」
後に言葉が続かぬことを確認し、ガンフは部屋の戸を開ける。
ガンフが部屋から一歩、外へ出ようとしたその時。ジェシーは思い出したように声を上げた。
「あ、そうだった。このことはローゼリエッタには内緒でお願いするわ」
ガンフは背後からかけられた声に疑問で返す。
「ん? それは何故だ?」
特に深い考えも無く、口から付いて出た疑問の声。それに対しジェシーは呆れたように答えた。
「あのね……あれだけの被害を出した敵よ? いくら弱い個体もいるからって、そんなものを探す、ましてや捕獲しようだなんて言ったら、あの子、心配するに決まってるわ」
それは一種の気遣いであった。当初は革命軍の指導者であるローゼリエッタであっても、ジェシーにとっては魔法人形を強化する技術を持っていただけの存在だ。だがリエントと同様、短くない時間を共に過ごしたことで、ローゼリエッタは彼女にとって無視できない存在になっていた。
出会った当初の彼女からは思いもよらぬ言葉を聞き、ガンフは思わず口を緩める。
「ははぁん。お前さんも少しずつ変わっていたということか」
馬鹿にしているわけではない。その変化をガンフは嬉しいと思っている。だがそれをいいように思わないのは、ジェシー本人だ。少しすねたように横を向き、語気荒く言い放った。
「……何とでもいえばいいわ。兎も角! 宜しくお願いね!」
こうして、ガンフは一つ大きな仕事を抱えることになった。
来客がいなくなった部屋の中は、物音一つしない程静まり返っている。付近には研究施設しかない為か、部屋の外からも殆ど音は聞こえない。
暫くして、ジェシーが呟いた。
「変わった……ね……確かに、変わったのかもしれないわね、ふふふ」
口元に微笑みを湛え、ジェシーは壁に掛けられた布を払った。
その布の奥から現れたのは、人間を象った大きな大きな人体図。至る所にびっしりと文字が書き連ねてあり、どこか異様な雰囲気を醸し出している。
現れた巨大な図を見て、ジェシーは一人体を震わせた。
「クフフフ……楽しみね。すごく楽しみ……あははは!」
その声に先までの冷静な様子はなく、どこか狂気を孕んでいるように感じられた。
場所は大きく変わる。二人の足は先の礼拝堂とは正反対の区画にあるジェシーの研究所へと向かっていた。
集落の中はある程度の区画整備までなされており、各種似たような役割を担う建物が集まっている。つまり、彼らが向かう先はそういう場所なのだ。
ジェシーの先導の下、二人は一つの建物についた。こじんまりとした一戸建て。ジェシーは立ち止まることもせずに戸を開く。
中はとても散らかっていた。そこでは主に魔法人形の研究がなされているようで、部屋のいたるところに魔法人形の一部が転がっている。おまけに数式やら文字やらが羅列された用紙に模型、終いには恐らく魔法人形の素材となるであろう土塊なんかも転がっていた。もとは大きな一つの部屋だったようだが、ジェシーが羽織る白いローブと同じ、真っ白の布で幾つかの小部屋に仕切られているようだ。
思いもよらぬ景色に、少々物珍し気に辺りを見渡すガンフ。するとジェシーは、ぶっきらぼうに忠告する。
「ちょっと。仮にも女性の部屋を、あんまりまじまじと見ないで頂戴」
「あ、ああ、すまない。あまりにも想像と違ったもので……それで、早速だがここまで足を運ばせた理由とはなんだ?」
「まぁ落ち着きなさいな。とりあえずお茶でも……」
言い難い事なのか、ジェシーは来客の為に飲み物を入れ始めた。
入れられた飲み物は独特な香りを発していて、酷く鼻につく。それでも嫌な臭いではなく、ガンフは自然と茶の入ったカップに手を伸ばす。
味は可もなく不可もなく、茶であるから少々渋みは感じるが、まずいというわけではない。
「……さて、一息ついたところで本題に移りましょうか」
ガンフがカップに口を付けたところを見て、いよいよジェシーが話を始めた。
「先の戦いについては、大体の話を聞いたわ。とても大変な思いをしたようね。……あの子も、相当つらかったでしょうに」
ジェシーは、片腕を無くしたリエントを思い出し少しだけ表情を曇らせる。
すると、それを見たガンフは内心で驚いていた。
錬金術師であり魔法使いである彼女は、生来他人に対し関心を殆ど持たなかった。彼女が興味を示すのは、魔法人形とそれに関する技術のみであり、極端な話だが、それらを持たない者は皆、路傍に転がる石ころ程度の価値しかなかった。
かつて敵対関係にあったローゼリエッタが、矛を合わせた結果友好的な関係を作ることが出来たのも、その傀儡技術が魔法人形に流用できる可能性があったからこそ叶った物なのだ。
いうなればジェシーはこれまで、利用できる相手にのみ愛想よく接していたのだが、短くない時間を共に過ごしたことによって、遂にジェシーの中に感情の変化が現れたのだった。
ガンフは思った。ジェシーは、リエントの痛々しい姿を見たくないが為に場所を移したのではないか、と。尤も他人に聞かれたくないという理由が大半を占めていただろうが、それに拍車をかける程度には、ジェシーの中でリエントの存在が大きくなっていたのではないか、と。でなければ、今こうして表情を崩す必要もないのだから。
少々気落ちするジェシーを見て、ガンフは柄にもなく優しい声をかける。
「あの子はあれでもしっかり者だ。それに強い。力だけでなく心までもな」
「そう……ごめんなさい。それじゃあお願いなのだけど、その黒い化け物を何体か、捕獲してきてくれないかしら?」
唐突に始まった思いもよらぬ頼みごとに、ガンフは言葉を無くした。
彼の脳裏によぎるのは、地を埋め尽くす黒い影。それが一斉にこちらへ駆けてくる悪夢のような光景だ。
脂汗と共に背筋に悪寒が走る。大群が駆ける幻聴まで聞こえた気がして、ガンフは軽く頭を振るう。
「ねぇ、大丈夫?」
「ああ大丈夫……大丈夫だ。しかし、一体どうしてそんなことを」
「まずはどんな生き物なのか調べてみたいのよ。うまくいけば弱点とか習性とか……いろいろ分かるかもしれない。そうなれば今後の為になるかもしれないでしょう?」
ここまで聞いて、ガンフは漸く得心がいった。
「成程な。とても君らしい理由だ。……分かった。安全な領域を確保しつつ近くを散策し、可能であるのならば捕獲してこよう」
ガンフが頷くのを見て、ジェシーは僅かに表情を和らげる。
「ああよかった。断られる可能性も考えていたんだけど杞憂だったようね」
「なに、理不尽な理由だったら断るさ。それよりも、話はそれで終わりか?」
「ええ」
後に言葉が続かぬことを確認し、ガンフは部屋の戸を開ける。
ガンフが部屋から一歩、外へ出ようとしたその時。ジェシーは思い出したように声を上げた。
「あ、そうだった。このことはローゼリエッタには内緒でお願いするわ」
ガンフは背後からかけられた声に疑問で返す。
「ん? それは何故だ?」
特に深い考えも無く、口から付いて出た疑問の声。それに対しジェシーは呆れたように答えた。
「あのね……あれだけの被害を出した敵よ? いくら弱い個体もいるからって、そんなものを探す、ましてや捕獲しようだなんて言ったら、あの子、心配するに決まってるわ」
それは一種の気遣いであった。当初は革命軍の指導者であるローゼリエッタであっても、ジェシーにとっては魔法人形を強化する技術を持っていただけの存在だ。だがリエントと同様、短くない時間を共に過ごしたことで、ローゼリエッタは彼女にとって無視できない存在になっていた。
出会った当初の彼女からは思いもよらぬ言葉を聞き、ガンフは思わず口を緩める。
「ははぁん。お前さんも少しずつ変わっていたということか」
馬鹿にしているわけではない。その変化をガンフは嬉しいと思っている。だがそれをいいように思わないのは、ジェシー本人だ。少しすねたように横を向き、語気荒く言い放った。
「……何とでもいえばいいわ。兎も角! 宜しくお願いね!」
こうして、ガンフは一つ大きな仕事を抱えることになった。
来客がいなくなった部屋の中は、物音一つしない程静まり返っている。付近には研究施設しかない為か、部屋の外からも殆ど音は聞こえない。
暫くして、ジェシーが呟いた。
「変わった……ね……確かに、変わったのかもしれないわね、ふふふ」
口元に微笑みを湛え、ジェシーは壁に掛けられた布を払った。
その布の奥から現れたのは、人間を象った大きな大きな人体図。至る所にびっしりと文字が書き連ねてあり、どこか異様な雰囲気を醸し出している。
現れた巨大な図を見て、ジェシーは一人体を震わせた。
「クフフフ……楽しみね。すごく楽しみ……あははは!」
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