アクトレスの残痕

ぬくまろ

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「おい、中野」
「はい」
 編集長の板村が連を呼びつけた。板村のデスクの周りには原稿やゲラなどが所狭しと積み上げられていた。ノートパソコンの前後のスペースだけはデスク面がかろうじて見える。連は覗き込みようにデスクの正面に立った。
「大久保の舞台女優殺人事件の続報は?」
 板村は苛立ちを見せていた。
「被害者の弟が重要参考人として確保されたが、報道協定で規制されている。今回の確保は自殺を防ぐための保護という観点かららしいな。ブツが出たがそれだけだ。まだまだ不可解な点が多いと聞いている。かといって、ホシと見ている警察関係者もいるとのことだ。中野、取材しているんだろ、他に何かつかんでいないのか。当然、他社も追っている。こっちとしては、ネタを集めるだけ集め、協定が解除されたら一気に攻めたいんだ。何かつかんだら俺の耳に入れろ。わかっているよな。重要か重要でないかは俺が判断する」
 板村は連を下からにらみつける。
「何かつかんでんだろ?」
 獲物をとらえて離さないその目。数々のスクープを逃してきた屈辱の念が蓄積され、放つ光は常に不快で鈍い。
「藤堂剛の周辺を当たっていますが、有用な情報は今のところありません。さらに当たっているところです」
「抽象的だな。具体的なことを話してみろ」
 連は板村の目を見た。不快を醸し出す人間はいっぱいいる。本人は気づいていないが、負のエネルギーを発しているのだ。常に不機嫌。楽しいと思っていることはあるのだろうか。生き方がダイレクトに伝わってくるようで、わかりやすい人だ。時折、おかしくて吹き出しそうになることがある。家庭でもそうなのだろうか。安らぐ場所はあるのだろうか。ふっ。
「何がおかしい?」
「ちょっと思い出したことがありまして。えーと、周辺の情報ですよね。藤堂剛の親戚に会ってきました。父親の兄になります。事故後の加害者との交渉を支えた人物です。いろいろ話を伺いましたが、今回の事件に関わりがありそうなことはないように感じました。まあ、ご両親の事故と、今回の藤堂さくらの殺害事件とがつながる偶然や必然はありませんし、何かつかめたらいいかなと思い、話を伺いました」
「藤堂剛がホシなのか、そうじゃないのか。あるいは共犯か。大きな分かれ道だよな。それによって、追い方が変わる。なんでブツを所持していたのか。警察も当然調べているはずだ」
「動機がないんです。いいえ、不明と言ったほうがいいかもしれません。ブツが出たと聞いて、本人に取材していた内容を精査しましたが、動機に関する情報に触れることはできませんでした。見落としているのかもしれませんが」
 一拍間を置き
「ただ、藤堂剛がホシだとして、たった一人の身内を殺害する動機がわからないんです。あるいは、別にホシがいて、なぜ藤堂剛がブツを持っていたのか。これは大きな謎です」
 板村は顔の前で両手を組んで、パソコンの画面に視線を移した。
「ほんとうの動機なんて、他人にはわからない。公になって初めて、はっとさせられるんだよ」
「まあ」
 そうですね。と返そうと思ったが、板村のデスクに積み上げられた原稿に視線を移し、考えた。今までに、様々な人物の取材を通して、その人なりを見てきたつもりである。警察ではないので、疑いの目で人を見ることはない。取材内容が人物に関することではない場合は、対象物に関することを調べてから当たる。人物に関すること、特に取材する人物が本人の場合はより慎重になる。既に出ている情報についてはインプットしてから、慎重に対応する。デリケートな部分については対峙する姿勢で臨むこともある。真摯に向き合い会話を重ねていくと、その人物が見えてくることがある。自分に対して表層を語っているのか、深層を吐露しているのか、信頼関係とは別に、その人物の本音、本性が垣間見えることがある。藤堂剛の場合はどうだ。どんな感触だったのか。思い出しても、よくわからないといった印象だ。嘘をついているようには見えないが、真実をすべて語っているとも限らない。
「おいっ! どうした?」
 長い間、沈黙していたようだ。板村が呆れたような顔をして、見上げている。
「警察ではブツを所持していたことを追及しているようですが、ポストに入っていたとの供述しか得られていないみたいですね。なぜ、そこにこだわるのか。それは、ブツがほんとうにポストに入っていたからということです。だから、そう供述するしかないのです。そうなると、誰がポストに投函したのか、なぜ投函したのかということになります。しかし、もし嘘をついていたとしたら、なぜポストの入っていたと言ったのか。そもそも、ブツを処分しないで手元に置いておく心理は理解できません。ホシならどこかに捨てるはずです。それをしなかった理由はなんなのか」
 連は板村から視線を外し、虚空を見上げた。
「おいっ! どうした?」
 また長い間、沈黙していたようだ。
「既視感が起こりました」
「なにっ! 既視感? なんだそりゃ」
 突然のフラッシュバックだ。連の頭の中で何かが弾けた。正体はわからない。見えそうになってきた手前で爆発した。思い出そうとしても、輪郭がぼやけている。当然、中身は見えない。こんなことはある時期から起こるようになった。千葉の女性から受け取った、加害者の画像を改めて見たときだった。理由はわからないが、既視感が起こったのだ。その後、何かと何かを結び付けようと、我流の瞑想を試みたが集中力は持続しなかった。まあ、勘違いの現象がそれだったということもあったので、今回もそれかもしれない。
「中野。疲れてんだな。反応が鈍いぞ。芸能担当から警察担当になってから間もないということもあるか。でもな、煮詰まったら、さらに煮詰めろ。沸騰してこそ、閃くもんだ」
「はい。それは」
 当然わかっています。煮詰まりのない記事なんて面白くない。読者もそれを感じているはず。だからこそ、自ら煮詰めるのだ。
「犯人は顔見知りの可能性が高いよな。部屋の奥で一刺し。争った形跡もない。相当絞り込めるはずだ。女性の一人暮らし。部屋に上り込めるのは親しい人間だ。男性ならかなり親しい人物だ」
 板村は連を一瞥し
「当初は、恋人の劇団員が確保されると思っていたが、ブツは弟宅から出てきた。となると、共犯の可能性はどうだ。劇団員をかばっているってことは考えられないか」
「きょ、共犯?」
 連は素っ頓狂な声を出した。
「共犯ですか? 状況から推測すると考えられないことではないかもしれませんが、藤堂剛を取材した者として、推察してみましたが想像できないんですよ」
「想像力が足りてねえってことはないか」
「想像力が足りない? いいえ、想像力をかなり働かせていますよ。それでも、背景が見えてきません」
「事実は小説よりも奇なりっていうだろ。盲点があるんだよ」
「そうですね。盲点があるんです。だから、霧が晴れないんです」
 連は自席に戻り、取材して書き起こした原稿を見返しながら、つぶやく
「争った形跡がない。これに尽きるよな。警察もその線で追っているはずだ」
 原稿を置き、スマホを手に取った。加害者の画像を呼び出した。気になるのだ。物理的にはあり得ない。でも、気になるのだ。
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