アクトレスの残痕

ぬくまろ

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〈ピンポーン〉
 二人はぎくりとして、同時に視線を玄関ドアに向けた。
 豊島区西巣鴨二丁目に建つ藤堂剛の自宅である。折りたたみテーブルを挟んで、二人が向き合って座っていた。藤堂剛の前にいるのは、浦辺だ。藤堂剛が立ち上がろうとするも、浦辺がそれを制し、ゆっくり立ち上がった。足音を消すかのように忍び足で玄関に近づく。ドアスコープを覗くと、ぎくり、目が合った。向こうものぞいていたようだった。
〈ピンポーン〉
 浦辺は振り返り、確認するように藤堂剛に視線を送った。藤堂剛は強張った表情を見せながらもゆっくりうなずいた。
「どなたですか」
「藤堂さん?」
 ドア越しでも声が違うのがわかったのだろう。
「いいえ」
「藤堂剛さんはいらっしゃいますか」
「どなたですか」
「警察です。藤堂剛さんとお話がしたいのですが」
 浦辺は振り返り「警察みたい」とつぶやくように言ったとき、藤堂剛は微かにおびえた表情を浮かべていた。
〈トン、トン〉
「お願いします。開けてください」
 二度うなずいた藤堂剛を確認した浦辺は、ゆっくりうなずき返し、ドアのほうに向き直り、ドアノブに触れた。
「失礼します」
 細井に続き、木村が三和土に入ってきた。
「用件は?」
 浦辺がぶっきらぼうな態度で二人を迎えた。
「はい。藤堂さんに確認したいことがあるんです」
 細井は浦辺をにらむように見た後、奥に視線を移し、再び浦辺をにらむ。
「僕がじゃまだと?」
 浦辺が細井をにらみ返す。居心地の悪い沈黙が訪れる。
「まあ、いいでしょう。あなたが一緒でもかまいませんよ。関連があるかもしれないし」
 木村の口調は穏やかであったが、目に宿った光は鋭かった。浦辺は気圧されたようだ。視線を落とした。木村はドアを後ろ手に閉め、靴を脱いだ。
 木村と細井は部屋に入り、床の空いたスペースに腰を下ろした。
「お二人の時間を中断させてしまい申し訳ありません」
 細井は軽く頭を下げたが、視線は藤堂剛をとらえていた。口元を引き締め、背筋を伸ばした。
「事件は未だ解決していません。今、多くの情報を得て、一つひとつを確認しながら捜査を進めています。ご協力をお願いします」
 細井は意図的に沈黙をつくり、藤堂剛と浦辺を交互に見た後、藤堂剛に視線を移した。
「藤堂さん、あなたは現場に何度も足を運んでいらっしゃる。何かを確認されているのでしょうか。亡くなられた家族の方が暮らしていた場所ですから、ご遺族の方が訪れることはあるでしょうし、不思議でもありません。ただ気になっていることがありまして、それを確認するために本日お伺いしたわけです。藤堂さんが何回も訪れていることは確認されています。ただ、気になっているのは、そのときの仕草と表情なんです」
「やめてくれっ!」
 細井が仕草と表情を再現した直後、藤堂剛が突然叫んだ。細井が再現したのは、突き刺すような仕草と強張った表情だ。浦辺が細井をにらむ。木村は強い光が宿った視線を送っている。
「ふう」
 藤堂剛の反応に虚を突かれたようだ。細井は大きく呼吸をし、微かに身を引いた。
「刑事さん。説明してよ。どういうことだ。これ、いじめだよ。暴力だよ」
 浦辺の口調は穏やかだったが、怒りのマグマが体の中でふつふつと沸き、噴火寸前であることが口元と腕の震えで伝わる。
「いえ、そういうつもりではありません。私たちは……」
「心配しているんです」
 木村は細井の話を遮り、さらに
「剛さんの心身を案じているんですよ。このところ様子がおかしいと周りの方々が異口同音に話されています。もちろん、大切な身内をああいう形で亡くされたわけですから受けたショックは相当なものであったはずで、心身とも衰弱していることは想像できます。ただ、それとは違う、ある時期から挙動不審の色が強くなっているとの印象を受けたと複数の声が上がっているのです。その要因が何なのか、私たちは知りたいんです」
「事件とは関係ないことをなんで警察が調べるの? それに周りの方が異口同音に話されているって? 周りの方って、誰なんですか?」
 浦辺は不快感を露わにし、木村をにらんだ。
「事件と関係があるかないかは、調べてみないとわかりません。周りの方々とは、星成塾の劇団員の方々のことです」
 劇団員という言葉を聞いた瞬間、浦辺の目が大きく見開かれた。
「どうされました? 何か気づいたことでもありますか?」
 木村が詰問した。浦辺は虚空をにらみながら
「誰だ?」
 とつぶやいた後、にらみを保ったまま視線を木村に移した。木村は口角を上げ、二度うなずいた後、ふっと息を吐き
「あなたは星成塾の劇団員、浦辺さんですよね」
「ん?」
 俺のことを知っているはずだ。なぜ、わざとらしく聞く? 浦辺は視線をロックしまま、訝しげな表情を浮かべた。
「浦辺さんですよね」
 木村は浦辺を見据える。
「ああ。そうですが」
 木村の目に敵意の光が宿る。
「私たちは藤堂さくらさんの無念を晴らしたい。強い気持ちで捜査に臨んでいます。抵抗する暇もなく殺されました。犯人は藤堂さくらさんと顔見知りの可能性がかなり高いと考えています。早期の解決のためには関係者のご協力が必要なんです。不快感を与えてしまうこともありますが、一つでも多くの情報を集め、真実に迫りたい。それが捜査員たちの姿勢です」
 木村は言い終えた後、浦辺と藤堂剛を交互に見た。二人とも目を逸らした。沈黙が訪れたが、十秒ほどの沈黙を破り、二人の声を上げさせたのは、木村の一言だった。
「既に犯人に会っているかもしれません」
「げっ!」
「えっ!」
 三つの視線は木村に集まった。細井は木村を一瞥した後、浦辺、そして藤堂剛に視線を移した。浦辺と藤堂剛は目を見開き、息を呑んだ。
「藤堂さくらさんは犯人をしっかり見ています。それを伝えたいとどこかで強く願っているでしょう。でも、この世へ伝える術がない。歯がゆい思いであの世へも行けない。成仏できない状態で私たちを見ていると思います。声にならない声を拾うため……」
「もうやめろっ! もう耐えきれない」
 藤堂剛の叫びが木村の言葉を遮った。
 テーブルに突っ伏し突然泣き出した。
〈ドン〉
「なんで追い詰めるんだよ。こんなやり方あるのかよ」
 浦辺は拳で床をたたき、木村と細井を交互ににらんだ後、藤堂剛に視線を移した。
「耐えられないよ」
 泣き続ける。
 木村は細井に目配せし
「おじゃましました。改めてお伺いします。今日のところは……」
「待ってくれ。もういいよ」
 藤堂剛が泣き顔を向けてきた。
 そして、目に涙をいっぱいためて、過呼吸のような大きな呼吸を繰り返す。
「刑事さんよ。剛は遺族なんだよ。体調をずっと崩しているんだよ。彼をつぶす気かよ。やり過ぎなんだよ」
 浦辺が木村と細井をにらみ続ける。
 呼吸が落ち着いたようだ。藤堂剛がゆっくり立ち上がった。夢遊病者のようにふらふらしている。前かがみになりながらの一歩一歩が弱々しい。三つ並んでいるキャビネットの左端の前で立ち止まり、へたり込んだ。震える手で扉を開け、茶封筒を取り出した。中央が膨れている。書類ではなさそうだ。二重に折り返されていた封筒の開け口から何かを取り出した。それは黒いビニール袋に包まれていた。下半身が重いのか、上体を捻って、右手に持ったそれを木村と細井の前に差し出した。強度な震えで今にも落としそうだ。木村が細井に素早く目配せし、細井が受け取った。細井は軽く握った後、一旦テーブルに置き、手袋をはめた。何か硬い物が黒いビニール袋で巻かれている。ビニール袋をゆっくりめくっていく。口が開いた。口を広げ、木村と細井が覗き込む。確認した後、木村はビニール袋の口を閉じた。
 立ち上がりかけた浦辺を細井が制した。
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