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第51話 告白(1)
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涼夏が常々、バイトは楽だが仕事は仕事だと言っている。大型ショッピングモールの中で冷暖房完備、客層も悪くない。汚いものは扱わないし、もちろんトイレ掃除もない。重たいものは持たないし、走り回る仕事でもなく、疲れたらバックヤードで座って休めるし、バイトとしてはかなり楽な方だ。
それでも、時々面倒な客も来るし、ミスをすれば怒られる。レジから離れられない時もあるし、お腹が痛くても行かないといけない。どんなに楽な仕事でも、お金をもらうのは大変なのだ。
私の場合、そもそも楽ではない。夏休みのカラオケはひっきりなしに客が来るし、マナーの悪い中高年や、マナーを知らない中高生が多い。食べ物や飲み物を扱うから汚れるし、掃除もしなくてはいけない。昼間から酔っ払っている人もいて、面倒くさい絡み方をされることもある。
それに、最近はカラオケ店もただ歌うだけではなく、映画を見たりパソコンを接続して仕事をしたり楽器を繋いだり、色々な使われ方をする。それ自体はいいのだが、機器の使い方を説明しなくてはいけないことが増えたし、上手く使えずにキレられることもある。
そう考えると、仕事の大変な部分はほとんど人間絡みという気がする。
「みんなイライラしてるよね。不景気のせい?」
ある日、バイトの帰りに奈都がそんなことを言った。注文の品を持って行ったら、ドアを開けたタイミングが悪いという、理解不能な理由で怒られたらしい。裏で慰められているのは目撃したが、そんなことがあったとは知らなかった。
「私は、受付が混んでて、いつまで待たせるんだっておばさんに文句言われた」
「チサ、可哀想」
「私は別に。そっちは男の人でしょ? 普通に怖い」
世の中、最後は腕力だ。か弱い私たちに出来るのは、せいぜいバイトの男の子に応援を頼むくらいである。それも要するに、その子たちの腕力に頼っているということである。この世界は、怖い人が強い。
「結局その後、その部屋は須田さんにお願いした」
奈都が情けなく微笑む。須田さんは陽気な大学生で、痩せ型だが背が高くて日に焼けている。極めて温厚な人間だが、声も低いしパッと見はそれなりの迫力だ。私も1、2回、面倒な客を引き受けてもらった。
「なんか、このバイト、あんまり人に喜ばれないよね」
考えてみると、バイト中にありがとうと言われることがほとんどない。注文の品を持って行った時ですら、みんな部屋で歌っているから空気のような扱いだし、最悪今日の奈都のように文句すら言われる。
もっとも、短期でイベントスタッフをやった時も、大して感謝はされなかった。労働の対価はあくまでお金であって、感謝ではないのだろう。
「耐えるのが仕事だと思って頑張ろう」
私がため息混じりにそう言うと、奈都が「コールセンターみたいだね」と笑った。
「コールセンターってそうなの?」
「知らないけど、コールセンターって何かしらトラブルを抱えてる時に電話するから、みんなイライラしてる」
あくまで奈都の予想でしかないが、なかなか説得力のある推理だ。私は人の悪意や敵意を受け流せる方ではあるが、それでも3日で辞めそうだ。
その夜、いつものように絢音と涼夏と通話しながら、今日のバイトの報告をすると、絢音が憤然として言った。
『私、無理かも。言い返したくなる』
「言い返して、なるほど確かにそうだ悪かった非を認めようみたいな展開になる未来が見えない」
『それはそうなんだけどね。私も二人から我慢を学ぼう」
「それ、なんか私たちが我慢させてるみたいで嫌」
冷静にそう告げると、絢音がくすくすと笑った。確かに、絢音はあまり面倒なことはしたがらない。人間関係も最小限で生きているし、我慢するくらいなら切り捨てるタイプだ。さすがにもう、自分が切り捨てられる不安はないが、なるべく合わせたいとは思っている。
私たちの話を聞いていた涼夏が、何でもないように言った。
『私今日、50回くらいありがとうって言われた気がする。もっとかも』
「何それ。反則」
『置いてある場所を聞かれて、案内するとお礼を言われる。レジだと大半のお客さんに言われるし、まあ普通だ』
「私、自動精算機の使い方教えたら、なんか機械は難しいとかブツブツ言われて、ありがとうのあの字もなかったけど」
『客の民度、低すぎない?』
「それは否定できない」
ついでに奈都の事件も伝えると、二人とも「無理だわー」とうんざりしたように言った。
「まあでも、飲み屋のバイトとかもっと大変そうだし、だいぶましみたいな?」
自分を慰めるようにそう締め括ると、涼夏に冷静に退けられた。
『より下を見てましだって考えるのは、あんまりいい傾向じゃない』
確かにそれはそうだ。相手を見下しているようだし、より悪い状況を直視するのは精神的にも良くない。もちろん、上ばかり見て羨むのもネガティブになる。つまり、他人と比較せずに生きるのが一番ということだ。
『こうして報告出来る仲間がいるのはいいよね。明日は私、バイトだから、何かあったら聞いてね』
この夏は一人で単発バイトをしている絢音がそう言って、そろそろ寝るからと通話を切った。
明日は奈都は部活だが、私は2日連続でバイトを入れている。遊びたさもあるが、沖縄旅行ですっからかんになった財布を少しでも潤さないといけない。明日は涼夏もバイトだし、みんなのことを思いながら頑張ろう。夜の通話が楽しみだ。
それでも、時々面倒な客も来るし、ミスをすれば怒られる。レジから離れられない時もあるし、お腹が痛くても行かないといけない。どんなに楽な仕事でも、お金をもらうのは大変なのだ。
私の場合、そもそも楽ではない。夏休みのカラオケはひっきりなしに客が来るし、マナーの悪い中高年や、マナーを知らない中高生が多い。食べ物や飲み物を扱うから汚れるし、掃除もしなくてはいけない。昼間から酔っ払っている人もいて、面倒くさい絡み方をされることもある。
それに、最近はカラオケ店もただ歌うだけではなく、映画を見たりパソコンを接続して仕事をしたり楽器を繋いだり、色々な使われ方をする。それ自体はいいのだが、機器の使い方を説明しなくてはいけないことが増えたし、上手く使えずにキレられることもある。
そう考えると、仕事の大変な部分はほとんど人間絡みという気がする。
「みんなイライラしてるよね。不景気のせい?」
ある日、バイトの帰りに奈都がそんなことを言った。注文の品を持って行ったら、ドアを開けたタイミングが悪いという、理解不能な理由で怒られたらしい。裏で慰められているのは目撃したが、そんなことがあったとは知らなかった。
「私は、受付が混んでて、いつまで待たせるんだっておばさんに文句言われた」
「チサ、可哀想」
「私は別に。そっちは男の人でしょ? 普通に怖い」
世の中、最後は腕力だ。か弱い私たちに出来るのは、せいぜいバイトの男の子に応援を頼むくらいである。それも要するに、その子たちの腕力に頼っているということである。この世界は、怖い人が強い。
「結局その後、その部屋は須田さんにお願いした」
奈都が情けなく微笑む。須田さんは陽気な大学生で、痩せ型だが背が高くて日に焼けている。極めて温厚な人間だが、声も低いしパッと見はそれなりの迫力だ。私も1、2回、面倒な客を引き受けてもらった。
「なんか、このバイト、あんまり人に喜ばれないよね」
考えてみると、バイト中にありがとうと言われることがほとんどない。注文の品を持って行った時ですら、みんな部屋で歌っているから空気のような扱いだし、最悪今日の奈都のように文句すら言われる。
もっとも、短期でイベントスタッフをやった時も、大して感謝はされなかった。労働の対価はあくまでお金であって、感謝ではないのだろう。
「耐えるのが仕事だと思って頑張ろう」
私がため息混じりにそう言うと、奈都が「コールセンターみたいだね」と笑った。
「コールセンターってそうなの?」
「知らないけど、コールセンターって何かしらトラブルを抱えてる時に電話するから、みんなイライラしてる」
あくまで奈都の予想でしかないが、なかなか説得力のある推理だ。私は人の悪意や敵意を受け流せる方ではあるが、それでも3日で辞めそうだ。
その夜、いつものように絢音と涼夏と通話しながら、今日のバイトの報告をすると、絢音が憤然として言った。
『私、無理かも。言い返したくなる』
「言い返して、なるほど確かにそうだ悪かった非を認めようみたいな展開になる未来が見えない」
『それはそうなんだけどね。私も二人から我慢を学ぼう」
「それ、なんか私たちが我慢させてるみたいで嫌」
冷静にそう告げると、絢音がくすくすと笑った。確かに、絢音はあまり面倒なことはしたがらない。人間関係も最小限で生きているし、我慢するくらいなら切り捨てるタイプだ。さすがにもう、自分が切り捨てられる不安はないが、なるべく合わせたいとは思っている。
私たちの話を聞いていた涼夏が、何でもないように言った。
『私今日、50回くらいありがとうって言われた気がする。もっとかも』
「何それ。反則」
『置いてある場所を聞かれて、案内するとお礼を言われる。レジだと大半のお客さんに言われるし、まあ普通だ』
「私、自動精算機の使い方教えたら、なんか機械は難しいとかブツブツ言われて、ありがとうのあの字もなかったけど」
『客の民度、低すぎない?』
「それは否定できない」
ついでに奈都の事件も伝えると、二人とも「無理だわー」とうんざりしたように言った。
「まあでも、飲み屋のバイトとかもっと大変そうだし、だいぶましみたいな?」
自分を慰めるようにそう締め括ると、涼夏に冷静に退けられた。
『より下を見てましだって考えるのは、あんまりいい傾向じゃない』
確かにそれはそうだ。相手を見下しているようだし、より悪い状況を直視するのは精神的にも良くない。もちろん、上ばかり見て羨むのもネガティブになる。つまり、他人と比較せずに生きるのが一番ということだ。
『こうして報告出来る仲間がいるのはいいよね。明日は私、バイトだから、何かあったら聞いてね』
この夏は一人で単発バイトをしている絢音がそう言って、そろそろ寝るからと通話を切った。
明日は奈都は部活だが、私は2日連続でバイトを入れている。遊びたさもあるが、沖縄旅行ですっからかんになった財布を少しでも潤さないといけない。明日は涼夏もバイトだし、みんなのことを思いながら頑張ろう。夜の通話が楽しみだ。
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