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第50話 金欠(4)
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それからは、ぐだぐだとウィンドウショッピングをして過ごした。以前と比べると、絢音もだいぶ買わない買い物への抵抗が薄れたようだ。
そう聞いてみると、絢音は私と涼夏なら手に取らないような派手なシャツを広げながら笑った。
「バイトして、買える可能性が生まれたからね。前は、どうしても欲しくても買える可能性がなかったから、もどかしい思いをするだけだった」
「一理あるな。私は絶対に買えないような高級品をただ眺めるのも好きだけど」
涼夏が共感を示す。私も涼夏寄りかもしれない。買う買い物と見る買い物は別物だ。
色々試着したり、似合うとか似合わないとか言い合ったり、絢音のためにコスメ教室を開いたりしてから、疲れたのでマックに入った。本当ならオシャレなカフェでケーキでも食べたいところだが、それは今日のコンセプトにそぐわない。
シェイクを飲みながら卒業旅行の話を振ってみると、涼夏がストローをくわえながら言った。
「千紗都がグアムがいいならグアムでいいぞ? むしろグアムだな」
「でも、涼夏がどうしてもドバイに行きたいなら、私も嫌ってわけじゃない」
「私、大してドバイに興味ないけど」
あっさり涼夏がそう言って、隣で絢音が人目を集めるくらい派手に笑った。久しぶりに意味のわからない展開だ。
「涼夏、よくドバイの話をしてるから」
「ドバイっていう言葉の響きが好きなだけで、グアムの方が百倍くらい行きたいけど」
「言葉の響きはあるね。私はスカンジナビア半島とか好きだよ?」
絢音が共感を示すようにそう言ったが、涼夏に「それはわからん」と秒で返されて、また笑っていた。楽しそうだ。
そもそも何故グアムかと言うと、奈都が行ったことがあるからだ。小さい頃らしく、案内の戦力になるわけではないが、なんとなく帰宅部内で経験を揃えたいというムードになっている。
「綺麗な海は気分を陽気にするねぇ」
涼夏がテーブルに置いたスマホで、グアムの画像を指で弾いた。青い海に白い砂浜、南国の樹々。沖縄に酷似しているが、どこか異国を感じるのは、異国だと知った上で見ているからだろうか。
検索ボックスに「アクティビティ」を追加すると、パラセーリングやダイビング、様々な形のボートの画像が表示された。どれも楽しそうだが、沖縄でも出来るものばかりだ。
もちろん、それをグアムですることに意味があるし、見える景色も違うだろう。
だいぶ気が早いが、卒業旅行の話で盛り上がっていたら、涼夏のスマホに奈都からのメッセージが表示された。グループに投下した化石の写真へのリプだ。
奈都も見たいとのことだが、どうしたものだろう。3人で顔を見合わせたが、奈都の反応が知りたいという結論で一致した。
バイトが終わったようなので席を立って、一旦カラオケ店で奈都と合流する。地上は相変わらずの気温だったが、命の危険を感じるほどではなくなっていた。
「今日は化石探ししてたんだ。帰宅部、本当に色々思い付くね」
合流した早々、奈都がそう言って目を輝かせた。バイトの日は化粧っ気があっていつもより美人だ。面倒くさがっていた奈都も絢音も、こうして少しずつメイクを覚えて大人になっていくのだろう。
穏やかな瞳で見つめていると、奈都に気味悪がられた。ひどい女だ。
「あれには太古の営みを感じたね」
「化石はロマンそのもの」
「もっと評価されるべき」
心にもないことを口々に言いながら奈都をデパートに連れて行き、いよいよあのなんとも言えない化石と対面すると、奈都は顔を近付けてまじまじと見ながら、「へー」と感心するように呟いた。
「確かにロマンを感じるね。だって、1億年前とか、そういうのでしょ?」
「あー、うん」
奈都に弾む声で同意を求められて、涼夏が困ったように頷いた。絢音はいつものように笑っている。
「ここは枠が付いてるけど、一面の壁から探すのとか、楽しそうだね。どこか他の場所も行ったの?」
奈都が純粋な瞳で私たちを見つめたが、生憎どこにも行っていない。そもそも奈都のこの反応が予想外だ。
しばらく奈都のロマンに付き合ってから外に出ると、奈都が「カフェでも入る?」と聞きながら首を傾けた。女の子っぽい仕草だ。
ついさっきまでマックにいたし、そろそろ絢音は帰る時間だ。それに、ここまで来たら今日のコンセプトを貫き通したい。今日は会ってからまだ600円しか使っていない。
今日はお金を使わない遊びを追求していると伝えると、奈都はなるほどと頷いた。
「バイトってすごいよね。今日だけでひと月のお小遣いを超えたし、なんかあんまりお金のこと、気にしなくなった」
「ナツは物欲も少なそうだし。私はあったら際限なく使いそうだから、これくらい制限があった方がいいのかも知れない」
絢音が小さくため息を落とす。たぶん、ないから使いたくなるのだと思うが、高校時代に自由に出来なかった反動で、大学生になって使い過ぎる人もいるらしい。
「アヤはもっとストイックな女だ」
奈都が励ますようにそう言うと、絢音は「みんな私を過大評価してるよ」と苦笑いを浮かべた。あまり期待されると幻滅されないか怖いというのは、私もよくわかる。未だにこの3人が私のどこがいいのかよくわからず、何か私ではない私を見ているのではないかと不安になることがある。
「まあ、沖縄でお金を使い過ぎたから、お金を使わない遊びも追求しないとね」
ブラブラと歩きながら、涼夏が明るい声で言った。奈都がふむと思案げに頷く。
「私、沖縄の旅費、ほとんど全部、上の者たちに出してもらったんだよね」
「それはすごいね!」
絢音が驚いたように声を上げた。親にお金を出してもらうどころか、話したら反対すらされそうだからと、友達から借りた絢音からすると、さぞ羨ましい状況だろう。
ちなみに「親」と言わなかったのは、私と同じように祖父母にも援助を要請したからだ。私は事前にそれを聞いていたが、「上の者たち」という表現で、涼夏も絢音も十分理解できるだろう。
「さすが、親ガチャ大当たりの今澤さんは違いますな」
涼夏が楽しそうに笑った。悪意はまったくないようだが、言葉に棘を感じなくもない。奈都が一瞬表情を消したので、変なしこりが残る前に言った。
「涼夏、今のはちょっと言葉が良くないかな」
「ん? ああ、皮肉を言うつもりはなかったけど、そう聞こえたなら表現が悪かった。ごめん」
涼夏が秒で謝ったからか、奈都が慌てたように手を振った。
「いや、別に良くて、その、まあ、あんまり言われて嬉しい言葉じゃないけど、涼夏の境遇は理解してるし、涼夏ならいいっていうか、しょうがない的な?」
「まあ、もしかしたらうちも頼めばもらえたかも知れないけど、そもそも頼んでないからなぁ」
「そういうとこ、すごい自立してるよね。超越した16歳だと思う」
奈都が大きく縦に2回首を振った。関係性を考えても、ここは私は奈都側についておいた方が良さそうだ。
「私も半分以上親に出してもらったから、当たりの方かも。SRくらい?」
「じゃあ、チサも余裕じゃん!」
せっかく助け船を出してあげたのに、何故か奈都が矛先を私に向けてきた。まあ、涼夏と奈都の間に禍根が残らないなら何でもいい。
奈都には私と涼夏で絢音の旅費を持ったことを言っていない。二人がそれを承知の上なのもわかっているので、とりあえず「実は余裕」と笑っておいた。
隠し事はしたくないが、奈都に自分だけ払っていないことに罪悪感を抱かせたくないし、払ってもらっても重い。絢音と奈都の仲はかなりいいが、それでも友達の延長だ。大きなお金の貸し借りはしない方がいいだろう。
そろそろいい時間になったので、いつものようにハグをして別れた。夏だし薄着だし、絢音の温もりや柔らかさがダイレクトに伝わってきてドキドキした。
次の駅で涼夏と別れた後、奈都が私の耳に顔を寄せながら言った。
「アヤとハグした時、胸がときめいた」
「だんだんクセになるよ」
「チサの頭がおかしくなるわけだ」
奈都が一人で納得するように頷いたが、頭がおかしくなった覚えはない。むしろ奈都の方こそ、私とのスキンシップが増えてから言動がおかしくなった。
家の最寄り駅を出ると、なんとなく話し足りなくて適当な場所に腰を下ろした。まだ親は帰ってないだろうから、私の家まで来てもらってもよかったが、逆方向だし、奈都もバイトで疲れているだろう。
「涼夏の話ね、私も私なりに家で苦労してることはあるんだけど、でもまあ涼夏と比べたら全然大したことなくて、涼夏を見ながら私って恵まれてるなって思うこともよくある」
一息でそう言って、反応を窺うように私を見た。目の周りのメイクが少し濃いのは、初心者のやりがちな失敗だが、変というほどでもない。
人目がなかったのでいきなり口づけすると、奈都が目を見開いて顔を赤くした。
「いきなり何するの!?」
「別に。あんまり同情しなくていいよ。涼夏、さっきのも本当にただの冗談で、言うほど自分の境遇を悪いと思ってないから」
「そうなの?」
「好き勝手メイクできるし、自分で稼いだお金は何に使っても怒られないし、どこに行っても止められないし、好きな物作って食べれるし、自由は素晴らしいって言ってた」
その辺りは、絢音とは正反対だ。お小遣いは増えない。かと言ってバイトにも難色を示される。成績が上がっても褒められないし、色々なところで高校生には早いと言われる。
その結果、親には何も話さないし、卒業したらさっさと家を出たいという子になってしまった。絢音はそのことに罪悪感があるのか、「いい子ではない」と表現しているが、私から見ると親が悪い。絢音はいい子だ。
私の言葉に、奈都はうーんと唸って眉根を寄せた。
「チサは、その言葉を文字通りに受け取ったの? 悲観しても境遇は変わらないから、無理矢理明るく捉えてるだけな気がする」
「無理矢理じゃないんじゃないかな。元々割とポジティブな人種だと思うよ?」
人種という言葉がウケたのか、奈都が声を立てて笑った。
いずれにせよ、奈都が言った通り、涼夏が私たちの中で一番自立しているのは確かだ。そういう涼夏の大人な部分が、頼もしくもあり、時に怖くもある。
「涼夏と絢音は大人で、私は子供で、奈都はオタクだね」
話を締め括るようにそう言うと、奈都が「おかしいから!」と声を荒げた。わかりやすい反応が好ましい。
金欠のための組曲第3番。今日はもちろんいつも通り楽しかったが、やはりお金がなくて色々我慢したし、それでも600円使った。涼夏と絢音は千円近く使っているし、10日遊べばそれだけでもう、絢音のふた月分のお小遣いになる。
お金を使わない遊びもいいが、やはりたくさん稼いでたくさん使うことを考えた方が景気が良い。
遊ぶ時は遊んで、働く時は働いて、勉強する時は勉強する。学生らしくメリハリをつけて、残りの夏休みも満喫したい。
そう聞いてみると、絢音は私と涼夏なら手に取らないような派手なシャツを広げながら笑った。
「バイトして、買える可能性が生まれたからね。前は、どうしても欲しくても買える可能性がなかったから、もどかしい思いをするだけだった」
「一理あるな。私は絶対に買えないような高級品をただ眺めるのも好きだけど」
涼夏が共感を示す。私も涼夏寄りかもしれない。買う買い物と見る買い物は別物だ。
色々試着したり、似合うとか似合わないとか言い合ったり、絢音のためにコスメ教室を開いたりしてから、疲れたのでマックに入った。本当ならオシャレなカフェでケーキでも食べたいところだが、それは今日のコンセプトにそぐわない。
シェイクを飲みながら卒業旅行の話を振ってみると、涼夏がストローをくわえながら言った。
「千紗都がグアムがいいならグアムでいいぞ? むしろグアムだな」
「でも、涼夏がどうしてもドバイに行きたいなら、私も嫌ってわけじゃない」
「私、大してドバイに興味ないけど」
あっさり涼夏がそう言って、隣で絢音が人目を集めるくらい派手に笑った。久しぶりに意味のわからない展開だ。
「涼夏、よくドバイの話をしてるから」
「ドバイっていう言葉の響きが好きなだけで、グアムの方が百倍くらい行きたいけど」
「言葉の響きはあるね。私はスカンジナビア半島とか好きだよ?」
絢音が共感を示すようにそう言ったが、涼夏に「それはわからん」と秒で返されて、また笑っていた。楽しそうだ。
そもそも何故グアムかと言うと、奈都が行ったことがあるからだ。小さい頃らしく、案内の戦力になるわけではないが、なんとなく帰宅部内で経験を揃えたいというムードになっている。
「綺麗な海は気分を陽気にするねぇ」
涼夏がテーブルに置いたスマホで、グアムの画像を指で弾いた。青い海に白い砂浜、南国の樹々。沖縄に酷似しているが、どこか異国を感じるのは、異国だと知った上で見ているからだろうか。
検索ボックスに「アクティビティ」を追加すると、パラセーリングやダイビング、様々な形のボートの画像が表示された。どれも楽しそうだが、沖縄でも出来るものばかりだ。
もちろん、それをグアムですることに意味があるし、見える景色も違うだろう。
だいぶ気が早いが、卒業旅行の話で盛り上がっていたら、涼夏のスマホに奈都からのメッセージが表示された。グループに投下した化石の写真へのリプだ。
奈都も見たいとのことだが、どうしたものだろう。3人で顔を見合わせたが、奈都の反応が知りたいという結論で一致した。
バイトが終わったようなので席を立って、一旦カラオケ店で奈都と合流する。地上は相変わらずの気温だったが、命の危険を感じるほどではなくなっていた。
「今日は化石探ししてたんだ。帰宅部、本当に色々思い付くね」
合流した早々、奈都がそう言って目を輝かせた。バイトの日は化粧っ気があっていつもより美人だ。面倒くさがっていた奈都も絢音も、こうして少しずつメイクを覚えて大人になっていくのだろう。
穏やかな瞳で見つめていると、奈都に気味悪がられた。ひどい女だ。
「あれには太古の営みを感じたね」
「化石はロマンそのもの」
「もっと評価されるべき」
心にもないことを口々に言いながら奈都をデパートに連れて行き、いよいよあのなんとも言えない化石と対面すると、奈都は顔を近付けてまじまじと見ながら、「へー」と感心するように呟いた。
「確かにロマンを感じるね。だって、1億年前とか、そういうのでしょ?」
「あー、うん」
奈都に弾む声で同意を求められて、涼夏が困ったように頷いた。絢音はいつものように笑っている。
「ここは枠が付いてるけど、一面の壁から探すのとか、楽しそうだね。どこか他の場所も行ったの?」
奈都が純粋な瞳で私たちを見つめたが、生憎どこにも行っていない。そもそも奈都のこの反応が予想外だ。
しばらく奈都のロマンに付き合ってから外に出ると、奈都が「カフェでも入る?」と聞きながら首を傾けた。女の子っぽい仕草だ。
ついさっきまでマックにいたし、そろそろ絢音は帰る時間だ。それに、ここまで来たら今日のコンセプトを貫き通したい。今日は会ってからまだ600円しか使っていない。
今日はお金を使わない遊びを追求していると伝えると、奈都はなるほどと頷いた。
「バイトってすごいよね。今日だけでひと月のお小遣いを超えたし、なんかあんまりお金のこと、気にしなくなった」
「ナツは物欲も少なそうだし。私はあったら際限なく使いそうだから、これくらい制限があった方がいいのかも知れない」
絢音が小さくため息を落とす。たぶん、ないから使いたくなるのだと思うが、高校時代に自由に出来なかった反動で、大学生になって使い過ぎる人もいるらしい。
「アヤはもっとストイックな女だ」
奈都が励ますようにそう言うと、絢音は「みんな私を過大評価してるよ」と苦笑いを浮かべた。あまり期待されると幻滅されないか怖いというのは、私もよくわかる。未だにこの3人が私のどこがいいのかよくわからず、何か私ではない私を見ているのではないかと不安になることがある。
「まあ、沖縄でお金を使い過ぎたから、お金を使わない遊びも追求しないとね」
ブラブラと歩きながら、涼夏が明るい声で言った。奈都がふむと思案げに頷く。
「私、沖縄の旅費、ほとんど全部、上の者たちに出してもらったんだよね」
「それはすごいね!」
絢音が驚いたように声を上げた。親にお金を出してもらうどころか、話したら反対すらされそうだからと、友達から借りた絢音からすると、さぞ羨ましい状況だろう。
ちなみに「親」と言わなかったのは、私と同じように祖父母にも援助を要請したからだ。私は事前にそれを聞いていたが、「上の者たち」という表現で、涼夏も絢音も十分理解できるだろう。
「さすが、親ガチャ大当たりの今澤さんは違いますな」
涼夏が楽しそうに笑った。悪意はまったくないようだが、言葉に棘を感じなくもない。奈都が一瞬表情を消したので、変なしこりが残る前に言った。
「涼夏、今のはちょっと言葉が良くないかな」
「ん? ああ、皮肉を言うつもりはなかったけど、そう聞こえたなら表現が悪かった。ごめん」
涼夏が秒で謝ったからか、奈都が慌てたように手を振った。
「いや、別に良くて、その、まあ、あんまり言われて嬉しい言葉じゃないけど、涼夏の境遇は理解してるし、涼夏ならいいっていうか、しょうがない的な?」
「まあ、もしかしたらうちも頼めばもらえたかも知れないけど、そもそも頼んでないからなぁ」
「そういうとこ、すごい自立してるよね。超越した16歳だと思う」
奈都が大きく縦に2回首を振った。関係性を考えても、ここは私は奈都側についておいた方が良さそうだ。
「私も半分以上親に出してもらったから、当たりの方かも。SRくらい?」
「じゃあ、チサも余裕じゃん!」
せっかく助け船を出してあげたのに、何故か奈都が矛先を私に向けてきた。まあ、涼夏と奈都の間に禍根が残らないなら何でもいい。
奈都には私と涼夏で絢音の旅費を持ったことを言っていない。二人がそれを承知の上なのもわかっているので、とりあえず「実は余裕」と笑っておいた。
隠し事はしたくないが、奈都に自分だけ払っていないことに罪悪感を抱かせたくないし、払ってもらっても重い。絢音と奈都の仲はかなりいいが、それでも友達の延長だ。大きなお金の貸し借りはしない方がいいだろう。
そろそろいい時間になったので、いつものようにハグをして別れた。夏だし薄着だし、絢音の温もりや柔らかさがダイレクトに伝わってきてドキドキした。
次の駅で涼夏と別れた後、奈都が私の耳に顔を寄せながら言った。
「アヤとハグした時、胸がときめいた」
「だんだんクセになるよ」
「チサの頭がおかしくなるわけだ」
奈都が一人で納得するように頷いたが、頭がおかしくなった覚えはない。むしろ奈都の方こそ、私とのスキンシップが増えてから言動がおかしくなった。
家の最寄り駅を出ると、なんとなく話し足りなくて適当な場所に腰を下ろした。まだ親は帰ってないだろうから、私の家まで来てもらってもよかったが、逆方向だし、奈都もバイトで疲れているだろう。
「涼夏の話ね、私も私なりに家で苦労してることはあるんだけど、でもまあ涼夏と比べたら全然大したことなくて、涼夏を見ながら私って恵まれてるなって思うこともよくある」
一息でそう言って、反応を窺うように私を見た。目の周りのメイクが少し濃いのは、初心者のやりがちな失敗だが、変というほどでもない。
人目がなかったのでいきなり口づけすると、奈都が目を見開いて顔を赤くした。
「いきなり何するの!?」
「別に。あんまり同情しなくていいよ。涼夏、さっきのも本当にただの冗談で、言うほど自分の境遇を悪いと思ってないから」
「そうなの?」
「好き勝手メイクできるし、自分で稼いだお金は何に使っても怒られないし、どこに行っても止められないし、好きな物作って食べれるし、自由は素晴らしいって言ってた」
その辺りは、絢音とは正反対だ。お小遣いは増えない。かと言ってバイトにも難色を示される。成績が上がっても褒められないし、色々なところで高校生には早いと言われる。
その結果、親には何も話さないし、卒業したらさっさと家を出たいという子になってしまった。絢音はそのことに罪悪感があるのか、「いい子ではない」と表現しているが、私から見ると親が悪い。絢音はいい子だ。
私の言葉に、奈都はうーんと唸って眉根を寄せた。
「チサは、その言葉を文字通りに受け取ったの? 悲観しても境遇は変わらないから、無理矢理明るく捉えてるだけな気がする」
「無理矢理じゃないんじゃないかな。元々割とポジティブな人種だと思うよ?」
人種という言葉がウケたのか、奈都が声を立てて笑った。
いずれにせよ、奈都が言った通り、涼夏が私たちの中で一番自立しているのは確かだ。そういう涼夏の大人な部分が、頼もしくもあり、時に怖くもある。
「涼夏と絢音は大人で、私は子供で、奈都はオタクだね」
話を締め括るようにそう言うと、奈都が「おかしいから!」と声を荒げた。わかりやすい反応が好ましい。
金欠のための組曲第3番。今日はもちろんいつも通り楽しかったが、やはりお金がなくて色々我慢したし、それでも600円使った。涼夏と絢音は千円近く使っているし、10日遊べばそれだけでもう、絢音のふた月分のお小遣いになる。
お金を使わない遊びもいいが、やはりたくさん稼いでたくさん使うことを考えた方が景気が良い。
遊ぶ時は遊んで、働く時は働いて、勉強する時は勉強する。学生らしくメリハリをつけて、残りの夏休みも満喫したい。
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