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第17話 海 6

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 翌朝はのんびりと起床した。素泊まりで朝食もないので、チェックアウトまで部屋でくだを巻く予定だ。
 涼夏が大人しくなってからはぐっすり眠れたが、体の節々が痛い。海の疲れか、涼夏が抱き付いていたせいかはわからない。布団の中にはまだ涼夏がいて、私にしがみついている。熱くて柔らかくていい匂いがする。
 顔を上げて両隣を見ると、奈都は布団の中でスマホをいじっており、絢音はうっとりした顔で私たちを見つめていた。
「おはよ」
 目が合うと、絢音がにっこりと微笑んだ。朝から嬉しそうだ。
「おはよ。いい夢でも見た? 楽しそうだけど」
「私は涼夏と千紗都を見てるだけで幸せになれるから。今度二人のポスター作りたい」
 朝から変な子だ。奈都がスマホを見ながら、「チサのポスターかー」と呟いた。涼夏が私の肩に顔をうずめながら、「私も欲しい」と囁く。起きていたらしい。私が起きたから遠慮なくというように涼夏が私の胸を揉み始めたので、冷静にその手を握ってやめさせると、もう片方の手で涼夏の背中を抱き寄せた。涼夏が顔を上げて、数センチの距離で私を見つめた。
「昨日はよく寝れた?」
「うん。私、隣に人がいた方が落ち着くかも」
「照れるなぁ」
 涼夏が微笑みながらわざとらしく頭を掻く。「別に涼夏じゃなくてもいいけど」と冷静に突っ込むと、涼夏ががっくりと肩を落とした。隣の布団で奈都がくすっと笑った。
「それにしても、二人とも息遣いがエッチしてるみたいだったよ?」
 奈都がからかうようにそう言って、涼夏が恥ずかしそうに私の肩に顔を押し付けた。朝から無邪気になかなかの台詞を投下してくる。
「そうなんだ。エッチしてる声とか聞いたことがないからわかんないや」
 授業を受けるような顔でそう言うと、奈都が慌てた様子で体を起こして、大きく首を振った。
「私もないから! 知らないから!」
「奈都が言ったんじゃん」
「想像だよ!」
「そういう想像、よくするの?」
「しないよ!」
 奈都が悲鳴を上げる。反対側の布団で、絢音が枕を抱きながら笑い転げている。朝から愉快な人たちだ。涼夏の髪を撫でながら、私はやれやれと息を吐いた。

 チェックアウトを済ませると、お腹が空いて死にそうだったので、昨日のコンビニまで歩くことにした。どうせまだバスが来るまで時間があるし、コンビニは次のバス停から近い。
 太陽はすでに高く、日向は焦げるように暑い。今日も泳いだら気持ち良さそうだが、予定通り街に戻って涼しい場所で遊ぶことにした。
「千紗都、初めての海はどうだった?」
 涼夏が陽気にそう聞きながら、いたずらっぽく笑った。今日はメイクをしていて、いつもの圧倒的に可愛い涼夏である。東京にいたらスカウトでもされるのではないかというくらい可愛いが、私は人民に涼夏のことを知られたくない。
「私は涼夏を、もっと私たちだけのものにしたい」
 真っ直ぐ目を見つめてそう言うと、涼夏が半眼で私を睨んだ。
「私の質問は聞いてた?」
「あー、うん。海、楽しかった。また来年も来ようね」
「よろしい。ナッちゃんはグアムと比べたら大したことなくて、昨日もずっとオージービーフを思い出してたよね」
 涼夏が切ないため息をつくと、奈都が大きく手を振った。
「思い出してないから! 楽しかったってば!」
「千紗都とキスもしたしね。っていうか、きっと思い出はそれだけだよね」
「それはもういいから! 海も花火も楽しかった!」
 慌てる奈都もからかう涼夏も可愛い。絢音と一緒にくすくす笑うと、奈都が「もうっ!」と顔を赤くして唇を尖らせた。
 コンビニのおにぎりを買って、食べながらバスを待つ。絢音がまた、おにぎりも美味しいと嬉しそうに言って、涼夏が哀れみの眼差しを向けた。
「絢音、家であんまりいいもの食べてないの? お母さんのご飯が美味しくないとか」
「そんなことはないよ。何でも美味しいだけ」
 絢音が微笑んで、涼夏が胸を撫で下ろした。
「何でも美味しく食べてくれる人はいいね。私、絢音と結婚する」
 涼夏がそう言ってギュッと絢音の手を握ったので、私は慌てて涼夏の腕を掴んだ。
「私とじゃなかったの? 私も涼夏のご飯、好きだから!」
「何? 嫉妬?」
「失って初めて、その大切さを知った」
 胸を押さえて首を振ると、涼夏が呆れたように苦笑いを浮かべた。実にくだらない会話だ。
 やがてやってきたバスに乗って、稲浪海岸に別れを告げる。奈都の肩越しにしんみりと車窓を眺めていたら、奈都が恥ずかしそうに俯いた。
「そんなに見つめられると恥ずかしいんだけど」
「いや、どう考えても外を見てた」
「私、そんなに容姿に自信がないから」
「奈都は可愛いけど、今は外を見てた」
 なるべく冷静にそう告げると、前のシートで帰宅部員が楽しそうに笑い声を立てた。
「千紗都とナッちゃんの会話、面白いよね」
 涼夏の言葉に、奈都が前のシートに手をかけて身を乗り出した。
「涼夏とチサの会話の方が面白いと思う」
「まだコンビ組んだばかりだから。ナッちゃんは年季が違う」
「帰宅部辞めて、漫才クラブでも作ったら? 5人集めたら部にできるよ」
「後一人が無理ゲー」
「私は入らないから」
 奈都がしれっとかわして、涼夏が無念そうにため息をついた。この二人も、この旅行で前より仲良くなった気がする。きっと私がキスをして、奈都の嫉妬の心が薄らいだからだろう。つまり、私のおかげだ。
 レッドライナーで中央駅に戻ると、街は拍子抜けするほどいつも通りで、あっという間に日常が戻ってきた。水着を持っていなければ、ついさっきまで海にいたのが嘘のようだ。
 それなりに荷物があるので、中央駅近くのカラオケで交流を図り、絢音が塾があるので夕方に解散した。絢音は自分のことは気にせずにと言ったが、さすがに疲れていたし、明日からまたバイトがあるのでお開きにした。もっとも、奈都は家が近いので、少し寄りたいと言ってついてきた。どうせ親は夜まで帰って来ないし、大歓迎だ。
「奈都は疲れてないの?」
 マンションのエレベーターを待ちながら聞くと、奈都は「誰かと違ってよく寝たし」と笑った。私も十分寝たはずだが、何故か疲れが取れなかった。やはり自宅のベッドとは違うからだと言うと、奈都が呆れたように言った。
「涼夏が上に乗ってたからでしょ」
「自宅だと、奈都と寝てもぐっすりだった」
「私は上に乗ってないから」
 部屋に戻ると、とりあえず服や水着を洗濯かごに放り込んだ。エアコンを入れて、掛け布団の上からベッドに横たわると、瞼が重くてそのまま落ちそうになった。これは今夜はよく寝られそうだ。
 静かにウトウトしていると、奈都が私の隣に寝転がって、片腕を私の体にかけてきた。腕に押し付けられる柔らかな重みが心地よい。
「どうしたの?」
「私もチサの上で寝てみようと思って」
 奈都っぽくない発言だが、涼夏を見ていて何か思うことがあったのかもしれない。両腕で抱きしめて上に乗せると、奈都も両手を私の背中と肩に添えた。呼吸に合わせて奈都の胸が上下する。薄い布越しに奈都の鼓動や体温が伝わってくる。体重は涼夏と同じくらいだが、奈都の方が背が高くて肩幅も広いので、覆い被さられている感じが強い。
 しばらく身を擦り寄せていると、奈都が耳元で囁いた。
「海、楽しかったよ」
「私も」
「行く前に、チサが私に甘え過ぎてるって話をしてたけど、あれは逆だった。私がチサに甘えてた」
 そういえば、奈都と小さな喧嘩をしたのを思い出した。私が奈都に甘えて、奈都を放っぽり出しているせいで、奈都が寂しい思いをしている。私がもう一度その考えを伝えると、奈都は小さく首を振った。
「中学の時、私は多分無意識に、この子は私が何をしたって私が必要で、私のそばを離れないって思ってたんだと思う。友達だから対等なはずなのに、私は勝手にチサを上から目線で見てた気がする」
 その言葉に、私は首を傾げた。今さら何を言っているのだろう。私は昔から一度も、奈都と対等だなどと思ったことはない。惚れた弱みではないが、奈都も私のことが好きだとわかった今では、少しは対等になったと思えるが、中学の時はずっと、奈都は私が憐れだから一緒にいてくれるだけだと思っていた。
 そう伝えると、奈都は顔を上げて寂しそうに眉をゆがめた。
「私は昔からずっとチサが好きだったけど」
「そうだったかも。でも、私は人に好かれる自信がなかった。結構孤独だったし」
「安心して放置したのは、私が子供だったからだと思う。それに、好きって言って嫌われるのも怖かった」
 奈都の好きは、友達のそれより重い。今でこそ偏見がないが、もし中学の頃に言われていたらわからない。あの頃は、事件のせいもあって、恋愛そのものに対する拒否感が強かった。高校に入ってもし変わったとしたら、それはあの二人の影響だ。そう言うと、奈都は私の顔に触れながら、困ったように笑った。
「二人には感謝してる。いっぱい感謝してる。チサとキスができる日が来るなんて、夢でくらいしか思わなかった」
 そう言って、奈都は私の頬に手を添えたまま唇を塞いだ。しっかりと抱き合いながら互いの唇を吸ったり舐めたりしていると、奈都がくすっと笑った。
「昨日、チサに独占してどうするのって言われた時、私、この子は一体何を言ってるんだろうって思った」
「そう? そんなに変だった?」
「普通、お付き合いって、一人としない?」
 それは確かにそうかもしれない。ただ、どうせこの国では、女同士では結婚できない。それなら、仲良しで集まってコミュニティーを形成した方がいい。
 部屋にわずかに潮の香りがする。さっき水着やタオルを出したせいだろう。初めての海水浴は本当に楽しかった。それでも、涼夏が奈都をからかっていた通り、一番の思い出は奈都とキスしたことかもしれない。あれはあれで印象的なファーストキスだったと思うが、奈都はどう感じただろう。
 昨日はあんなにも恥ずかしがっていたのに、今日はもうゼロ距離で私の唇をむさぼっている。もしかしたら、私とキスする妄想を日常的にしているのかもしれない。だとしたらとても嬉しいし、愛おしい。
「奈都、美味しい」
 うわ言のようにそう言うと、奈都が「バカ」と恥ずかしそうに頬を染めた。
 帰宅部の関係を壊すことなく、奈都との仲を深められた。絢音のボディータッチ計画のように、私も自分の理想をコミュニティー計画と名付けよう。みんなの愛と理解のおかげで、私の我が儘な計画は順調に進んでいる。
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