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第3章
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聳えるように高い城壁を見上げると、張り出した太い木の枝の隙間に空が見えた。
どんよりとした空に星はなく、雲の薄い部分から月の光が滲んでいる。
城壁の影に隠れるように、黒い服に身を包んだユアリは、弓を手にして慎重にその枝を見つめていた。
矢の一本に、途中でいくつかの結び目の作られたロープが括り付けられている。
やがて少女は弓に矢をつがえ、軽く弦を引いた。本当に少しだけだ。
指先を離すと、矢は弧を描き、枝をかすめるようにして飛んでから地面に突き刺さった。
矢に縛り付けてあったロープは、見事に枝に引っかかっている。
ユアリは小さくガッツポーズをしてから、地面に落ちた矢を抜き、その端を手近の枝にきつく縛り付けた。
「よしっ!」
二度ほど引いてみて、しっかりと固定されているのを確認してから、ユアリはロープを登り始めた。実に身軽な動きである。
結び目を足がかりにして、少女はやがて城壁の上に辿り着いた。
注意深く周りを見てみたが、どうやら衛士はいないようである。
今ユアリがいるのは城の裏側なのだが、むしろそういう場所の方が忍び込みやすいので、見張りも強化されるものだ。
城壁に立つと、次にユアリは普通の矢を弓につがえて、先程縛り付けたロープに狙いをつけた。
なるべく証拠を残さないように、ロープを回収しておこうと思ったのだ。
その時、自分が登ってきたロープの下に男が立っているのを見て、ユアリは心臓が飛び出しそうになった。
「だ、誰っ!?」
矢の先を男に向けて、ユアリは油断なく構えた。
エリシアのような黒髪の男だ。背はリスターよりはやや低いが長身だ。歳は30くらいだろうか。
彼はユアリの剣幕に動じることなく、のんびりとした口調で言った。
「あのー、僕も登っていってもいいですか?」
歳の割に子供じみた喋り方だった。低い声だが、温和な響きがある。
ユアリは動揺を抑えながらも、少しだけ警戒を解いた。
あまり声を出したくなかったので頷いて答えると、男はたどたどしい動きで登ってきた。
そしてユアリのいるところまで辿り着くと、一度下を見て身体を震わせた。
「高いところは苦手なんですよ」
「あなたは誰?」
ユアリが声を低くすると、男は慌てて両手を振っておどけたように笑った。
「僕はジレアス。多分君と同じで、今牢に捕まっているアルボイの人たちを助けたくてね」
ジレアスの言う通り、ユアリはリスターを助け出すために忍び込んだ。
エリシアには「彼は心配ない。むしろユアリが危険だからやめなさい」と言われていたが、それでもじっとしていられなかったのだ。
きっと、父と兄を殺されたばかりだったからだろう。もうこれ以上自分の周りで、大切な人に死んで欲しくなかった。
「あなたは魔法使いなの?」
油断なくそう尋ねると、彼は心まで見透かすような瞳で言った。
「じゃあ君は魔法使いなのかい?」
「そっか……」
ユアリは首を横に振ってから安堵の息を吐いた。
基本的に彼女は魔法使いを信用していない。まったく自分たちの都合だけで父と兄を殺され、自らもセフィンの入れ物にされそうになったのだ。
いくらリスターのような魔法使いがいたとしても、彼の方を例外と考えるのが妥当だろう。
「わかった。じゃあ、一緒に行こう」
魔法使いであれば、わざわざこんな面倒なことをしなくても空から飛んで入れるはずだ。
ユアリは安心して彼とともに行動することにした。
彼女はこの城が、リスターの言うところの「よほどの魔法使い」でない限り入ることができないことなど、まったく知らなかった。
ユアリは矢で先程木の枝に縛り付けたロープを切ると、それを街壁に固定して下に降りた。
本当はそのロープも外しておきたかったが、こちらは帰りに登るために必要なのでそのままにしておいた。
城壁から建物まではおよそ200メートルほど。その間に光を遮るものは何もない。
建物には今ユアリの見えるところからは窓が2つほどあったが、いずれも人の入れる大きさではなかった。
(どこか、扉を探さないと……)
ユアリは素早く壁まで走ると、それに沿って慎重に歩き始めた。
その後ろをジレアスがついてくるが、少女の洗練された動きに比べて重苦しい印象を受ける。
ユアリは内心で小さく溜め息を吐いた。
ジレアスのせいで城の兵士に見つかってしまいそうな気がするが、かと言って無下に追い返すこともできない。
壁の端まで来ると、ユアリは身を屈めて向こう側を覗き込んだ。
ずっと続いている壁の途中に小さな扉が見える。恐らく厨房かどこかに繋がっているのだろう。
ユアリは周りに人影がないことを確認してから、素早くその扉まで走った。この際、ジレアスは気にしないことにする。
聞き耳をして扉の向こうに物音がしないことを確認したが、案の定と言うべきか扉には鍵がかかっていた。ユアリには鍵を開ける能力などない。
(困ったなぁ……)
一人で頬を膨らませていると、ジレアスがやってきてユアリの隣に立った。
「僕がやりましょう」
言うが早いか、彼は何か道具を取り出して、あっという間に鍵を開けてしまった。
「あなたは泥棒なの?」
ちらりとジレアスを見てそう言いかけたユアリだったが、すぐに口を噤んだ。
あんなのろまな動きをする泥棒などいるものか。今は彼の詮索よりも先に進むことが先決だ。
そう決意して扉を引き開けたユアリだったが、次の瞬間、日に焼けた顔を青褪めさせた。
錆付いていたのか、開けた扉が金属の擦れ合うけたたましい音を立てたのだ。
「しまった!」
思わず顔をしかめてジレアスを見た。
「考えていても仕方ないでしょう」
彼はそう言いながら、中途半端に開いていた扉を一気に引き開けた。
響き渡る音。ユアリは一瞬非難げな目で彼を見上げたが、あのまま悩んでいるよりは良かったかも知れない。
意を決して中に飛び込むと、そこは厨房ではなく、荷物か何かの搬入口のようだった。
直接通路に繋がっていたが、そこに武装をした兵士が一人立っており、すでに臨戦体勢でユアリたちを睨み付けていた。
「何者だっ!」
よく通る声で彼が言い、ユアリはひるんだ。
(どうしよう。逃げるべき!?)
一瞬の決断力にこうも欠けるとは。少女は自分の優柔不断さを呪った。
そんな彼女の横を突風が吹き抜け、驚愕に眼を開いた兵士を飲み込んだ。
(魔法っ!?)
驚いて振り向くと、ジレアスが剣を手にして立っていた。暗闇の中に、その刀身がうっすらと青く光っている。
「まさか、『青宝剣』!?」
ユアリの叫びに、ジレアスの目がすっと細まったた。
「その歳でこの剣を知っているなんて、君は一体何者だい?」
「それは私の台詞です。あなたは魔法使いなの? 何故彼を殺したの?」
負けじと言い返して、ユアリは舌打ちをして弓を手にした。もし戦闘になったら、この至近距離と狭い通路では勝ち目がない。
「何故殺したって?」
ジレアスが心底不思議そうに首を傾げた。
「なら君はどうするつもりだった? 仲間を助けるんだろ? 騒がれる前に殺す。何が間違っている?」
「そ、それはそうだけど……」
ユアリは俯き、すぐに首を上げた。
「何も殺すことはなかったでしょう。あなたはもっといい方法を選べたはず!」
「僕はこれがベストだと思ったんだ」
「それならあなたは、やっぱりあの女と変わらない!」
ユアリは矢を放った。
ジレアスはそれを魔法で避けると、温和な仮面を剥ぎ、にやりといびつな笑みを浮かべた。
「君ともこれまでのようだな」
言いながら、彼は思い切り強く『青宝剣』を振り下ろした。
素早く飛び退いたユアリの背後で、大きな爆発音が響き渡った。
どんよりとした空に星はなく、雲の薄い部分から月の光が滲んでいる。
城壁の影に隠れるように、黒い服に身を包んだユアリは、弓を手にして慎重にその枝を見つめていた。
矢の一本に、途中でいくつかの結び目の作られたロープが括り付けられている。
やがて少女は弓に矢をつがえ、軽く弦を引いた。本当に少しだけだ。
指先を離すと、矢は弧を描き、枝をかすめるようにして飛んでから地面に突き刺さった。
矢に縛り付けてあったロープは、見事に枝に引っかかっている。
ユアリは小さくガッツポーズをしてから、地面に落ちた矢を抜き、その端を手近の枝にきつく縛り付けた。
「よしっ!」
二度ほど引いてみて、しっかりと固定されているのを確認してから、ユアリはロープを登り始めた。実に身軽な動きである。
結び目を足がかりにして、少女はやがて城壁の上に辿り着いた。
注意深く周りを見てみたが、どうやら衛士はいないようである。
今ユアリがいるのは城の裏側なのだが、むしろそういう場所の方が忍び込みやすいので、見張りも強化されるものだ。
城壁に立つと、次にユアリは普通の矢を弓につがえて、先程縛り付けたロープに狙いをつけた。
なるべく証拠を残さないように、ロープを回収しておこうと思ったのだ。
その時、自分が登ってきたロープの下に男が立っているのを見て、ユアリは心臓が飛び出しそうになった。
「だ、誰っ!?」
矢の先を男に向けて、ユアリは油断なく構えた。
エリシアのような黒髪の男だ。背はリスターよりはやや低いが長身だ。歳は30くらいだろうか。
彼はユアリの剣幕に動じることなく、のんびりとした口調で言った。
「あのー、僕も登っていってもいいですか?」
歳の割に子供じみた喋り方だった。低い声だが、温和な響きがある。
ユアリは動揺を抑えながらも、少しだけ警戒を解いた。
あまり声を出したくなかったので頷いて答えると、男はたどたどしい動きで登ってきた。
そしてユアリのいるところまで辿り着くと、一度下を見て身体を震わせた。
「高いところは苦手なんですよ」
「あなたは誰?」
ユアリが声を低くすると、男は慌てて両手を振っておどけたように笑った。
「僕はジレアス。多分君と同じで、今牢に捕まっているアルボイの人たちを助けたくてね」
ジレアスの言う通り、ユアリはリスターを助け出すために忍び込んだ。
エリシアには「彼は心配ない。むしろユアリが危険だからやめなさい」と言われていたが、それでもじっとしていられなかったのだ。
きっと、父と兄を殺されたばかりだったからだろう。もうこれ以上自分の周りで、大切な人に死んで欲しくなかった。
「あなたは魔法使いなの?」
油断なくそう尋ねると、彼は心まで見透かすような瞳で言った。
「じゃあ君は魔法使いなのかい?」
「そっか……」
ユアリは首を横に振ってから安堵の息を吐いた。
基本的に彼女は魔法使いを信用していない。まったく自分たちの都合だけで父と兄を殺され、自らもセフィンの入れ物にされそうになったのだ。
いくらリスターのような魔法使いがいたとしても、彼の方を例外と考えるのが妥当だろう。
「わかった。じゃあ、一緒に行こう」
魔法使いであれば、わざわざこんな面倒なことをしなくても空から飛んで入れるはずだ。
ユアリは安心して彼とともに行動することにした。
彼女はこの城が、リスターの言うところの「よほどの魔法使い」でない限り入ることができないことなど、まったく知らなかった。
ユアリは矢で先程木の枝に縛り付けたロープを切ると、それを街壁に固定して下に降りた。
本当はそのロープも外しておきたかったが、こちらは帰りに登るために必要なのでそのままにしておいた。
城壁から建物まではおよそ200メートルほど。その間に光を遮るものは何もない。
建物には今ユアリの見えるところからは窓が2つほどあったが、いずれも人の入れる大きさではなかった。
(どこか、扉を探さないと……)
ユアリは素早く壁まで走ると、それに沿って慎重に歩き始めた。
その後ろをジレアスがついてくるが、少女の洗練された動きに比べて重苦しい印象を受ける。
ユアリは内心で小さく溜め息を吐いた。
ジレアスのせいで城の兵士に見つかってしまいそうな気がするが、かと言って無下に追い返すこともできない。
壁の端まで来ると、ユアリは身を屈めて向こう側を覗き込んだ。
ずっと続いている壁の途中に小さな扉が見える。恐らく厨房かどこかに繋がっているのだろう。
ユアリは周りに人影がないことを確認してから、素早くその扉まで走った。この際、ジレアスは気にしないことにする。
聞き耳をして扉の向こうに物音がしないことを確認したが、案の定と言うべきか扉には鍵がかかっていた。ユアリには鍵を開ける能力などない。
(困ったなぁ……)
一人で頬を膨らませていると、ジレアスがやってきてユアリの隣に立った。
「僕がやりましょう」
言うが早いか、彼は何か道具を取り出して、あっという間に鍵を開けてしまった。
「あなたは泥棒なの?」
ちらりとジレアスを見てそう言いかけたユアリだったが、すぐに口を噤んだ。
あんなのろまな動きをする泥棒などいるものか。今は彼の詮索よりも先に進むことが先決だ。
そう決意して扉を引き開けたユアリだったが、次の瞬間、日に焼けた顔を青褪めさせた。
錆付いていたのか、開けた扉が金属の擦れ合うけたたましい音を立てたのだ。
「しまった!」
思わず顔をしかめてジレアスを見た。
「考えていても仕方ないでしょう」
彼はそう言いながら、中途半端に開いていた扉を一気に引き開けた。
響き渡る音。ユアリは一瞬非難げな目で彼を見上げたが、あのまま悩んでいるよりは良かったかも知れない。
意を決して中に飛び込むと、そこは厨房ではなく、荷物か何かの搬入口のようだった。
直接通路に繋がっていたが、そこに武装をした兵士が一人立っており、すでに臨戦体勢でユアリたちを睨み付けていた。
「何者だっ!」
よく通る声で彼が言い、ユアリはひるんだ。
(どうしよう。逃げるべき!?)
一瞬の決断力にこうも欠けるとは。少女は自分の優柔不断さを呪った。
そんな彼女の横を突風が吹き抜け、驚愕に眼を開いた兵士を飲み込んだ。
(魔法っ!?)
驚いて振り向くと、ジレアスが剣を手にして立っていた。暗闇の中に、その刀身がうっすらと青く光っている。
「まさか、『青宝剣』!?」
ユアリの叫びに、ジレアスの目がすっと細まったた。
「その歳でこの剣を知っているなんて、君は一体何者だい?」
「それは私の台詞です。あなたは魔法使いなの? 何故彼を殺したの?」
負けじと言い返して、ユアリは舌打ちをして弓を手にした。もし戦闘になったら、この至近距離と狭い通路では勝ち目がない。
「何故殺したって?」
ジレアスが心底不思議そうに首を傾げた。
「なら君はどうするつもりだった? 仲間を助けるんだろ? 騒がれる前に殺す。何が間違っている?」
「そ、それはそうだけど……」
ユアリは俯き、すぐに首を上げた。
「何も殺すことはなかったでしょう。あなたはもっといい方法を選べたはず!」
「僕はこれがベストだと思ったんだ」
「それならあなたは、やっぱりあの女と変わらない!」
ユアリは矢を放った。
ジレアスはそれを魔法で避けると、温和な仮面を剥ぎ、にやりといびつな笑みを浮かべた。
「君ともこれまでのようだな」
言いながら、彼は思い切り強く『青宝剣』を振り下ろした。
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