3 / 57
第1章
1-3
しおりを挟む
辺りはすっかり暗くなっていた。
街道を逸れてから、すでに何時間も草の中を歩き続けている。
一面の草原には木々が林立し、遠くには森が姿を見せ始めた。
もっとも、それもしばらく前のことで、今は真っ暗で何も見えない。
三人はいよいよ緊張を露にして歩いていた。
エリシアの言う「強い魔力」が、リスターやルシアにも感じ取れるほどに近付いてきたからだ。
その魔力のせいでか、辺りは虫の声もなく静まり返っている。
さらに歩くと、やがて遠くにぼんやりと淡い光が見えてきた。
「あれが……魔法陣でしょうか」
エリシアが震える声で呟くと、その後ろでルシアが小さく息を呑んだ。
二人とも魔法にはまるで耐性がないから仕方ないだろう。目にしたのすらごくわずかのはずだ。
「恐らくな」
二人を安心させるように、できるだけはっきりそう答えて、リスターはもう一度前を見た。
何者かが隠れていないか、罠が張られていないか、周囲に気を配りながら三人は慎重に歩を進める。
やがて彼らの前に現れたのは、人が10人ほど手を繋いで輪になったほどの大きさの、半透明のドーム状の膜だった。
もちろん通常の物質で構成されていないのは明らかで、表面が淡く発光している。
「どうやら、魔法陣だけみたいだな」
リスターが声を漏らすと、ルシアが大きな声を上げた。
「あ! リスター、中に女の子がいる!」
思わず飛び出そうとしたルシアの手を取り、リスターは厳しい語調でたしなめた。
「不用意に近付くな」
「あ、うん……」
ルシアは真剣な目で頷いた。注意されて反省はしても、やすやすと拗ねるような娘ではない。
もう一度魔法陣に目を遣ると、なるほどルシアの言う通り、中に女の子が倒れていた。簡素な貫頭衣を一枚まとっただけの格好だ。
もう少し近付くと、少女の肩が小さく上下しているのが見えた。
歳はルシアと同じくらいだろうか。幼い顔にはあからさまな疲れと涙の跡が見て取れた。
魔法陣の中には、少女の他には何一つ置いていない。まるで少女という餌の置かれた巨大なネズミ捕りのようである。
「これは、何でしょうか……」
エリシアが露骨に不愉快そうな声を上げた。日頃おっとりしているだけに、尋常ならざる怒りが声だけで伝わってくる。
リスターが何かを言うより早く、ルシアが震える声を洩らした。
「そ、それより、あれは……?」
彼女が指差す方向に、人型の真っ黒な物体が2つ横たわっていた。あまりのグロテスクさに、目にしたエリシアが思わず口元を押さえる。
近くに落ちてたものから察するに、偶然魔法陣に気が付いて近付いた物盗りか何かだろう。
「この魔法陣に触った人間だろうな」
「さ、触ってたら、あたしもああなってたの……?」
ルシアの質問に、リスターは静かに頷いた。ルシアが小さく息を飲む。
「どうやら強力な結界魔法のようだな。けれど、この子を守るためにあるとは思えないし、なんでこんなところにあるのかは、さっぱりわからんが」
彼の言う通り、少女はひどく衰弱していた。放っておけば餓死するのは必至だ。
「リスター。助けられないのか?」
ルシアが泣きそうな顔をした。
正義感の強い娘だ。自分と同じくらいの年の少女が、今にも死んでしまいそうにやつれて倒れているのがたまらなく苦しいのだろう。
もちろんそれは、リスターやエリシアとて同じことだった。
リスターは無言で魔法陣の周りを一周し、内部に描かれた陣形を見た。
それから、疲れたように息を吐いて笑った。
「大丈夫。これなら解除できる」
姉妹は安心したように顔を見合わせて笑った。
リスターは魔法に詳しい。その彼が大丈夫だと言うなら大丈夫なのだろう。
邪魔にならないように一歩下がった二人を見てから、リスターは足元の石を拾い上げた。
「この魔法陣は生き物しか拒まない」
指で弾かれた石は、小さな弧を描いて、ごく当たり前のように魔法陣の中を転がった。
それだけ見ると炭化した二つの死体の方が信じられなく思えるが、魔法に不慣れな姉妹には、事実目の前に発光する膜が存在するにも関わらず、石が通り抜けていったという事実の方が衝撃的に思えた。
投げ込まれた石で目を覚ましたのか、少女が数度瞬きしてから身体を起こした。
そしてリスターの姿を見つけ、駆け寄ろうとする。
「あっ!」
少女が膜に触れた瞬間、ルシアが両手で口元を押さえた。
けれど、彼女の心配は杞憂に終わった。結界は内側から触っても大丈夫なようになっていたのだ。
もっとも、見た目通り少女はこの魔法陣を通り抜けることができないようで、まるで壁に寄りかかるように膜にすがった。
それからはっと思い出したように炭化した死体を指差して、必死に両手を振る。リスターに来てはいけないと忠告してくれているのだ。
リスターは健気な少女に笑いかけて、少し下がっているよう手で指図した。
それから腰に帯びた剣を抜き、それを膜の中に突き入れる。
生物でないリスターの剣は、彼が言った通り膜を素通りし、陣の描かれている地面に刺さった。
「魔法陣は普通に消しても消えないが、正しく手順を踏めば消すことができる」
二人に背を向けたまま説明して、リスターは剣の先でガリガリと地面を削った。
一時間ほどかけ、何度も場所を変えては地面を削る内に、やがて魔法陣はスッと音もなく消え去った。
「リスター!」
感極まって姉妹がリスターの方に駆け寄ってくる。
彼は得意げに笑ってから、そっと少女の方に手を差し伸べた。
「さ、もう大丈夫だぞ」
少女は一度嬉しそうに微笑んだが、極度の緊張から解放されたからか、リスターの手を握った途端に気を失って倒れてしまった。
ひっそりと静まっていた周囲に、虫たちの鳴き声が響き始めた。
街道を逸れてから、すでに何時間も草の中を歩き続けている。
一面の草原には木々が林立し、遠くには森が姿を見せ始めた。
もっとも、それもしばらく前のことで、今は真っ暗で何も見えない。
三人はいよいよ緊張を露にして歩いていた。
エリシアの言う「強い魔力」が、リスターやルシアにも感じ取れるほどに近付いてきたからだ。
その魔力のせいでか、辺りは虫の声もなく静まり返っている。
さらに歩くと、やがて遠くにぼんやりと淡い光が見えてきた。
「あれが……魔法陣でしょうか」
エリシアが震える声で呟くと、その後ろでルシアが小さく息を呑んだ。
二人とも魔法にはまるで耐性がないから仕方ないだろう。目にしたのすらごくわずかのはずだ。
「恐らくな」
二人を安心させるように、できるだけはっきりそう答えて、リスターはもう一度前を見た。
何者かが隠れていないか、罠が張られていないか、周囲に気を配りながら三人は慎重に歩を進める。
やがて彼らの前に現れたのは、人が10人ほど手を繋いで輪になったほどの大きさの、半透明のドーム状の膜だった。
もちろん通常の物質で構成されていないのは明らかで、表面が淡く発光している。
「どうやら、魔法陣だけみたいだな」
リスターが声を漏らすと、ルシアが大きな声を上げた。
「あ! リスター、中に女の子がいる!」
思わず飛び出そうとしたルシアの手を取り、リスターは厳しい語調でたしなめた。
「不用意に近付くな」
「あ、うん……」
ルシアは真剣な目で頷いた。注意されて反省はしても、やすやすと拗ねるような娘ではない。
もう一度魔法陣に目を遣ると、なるほどルシアの言う通り、中に女の子が倒れていた。簡素な貫頭衣を一枚まとっただけの格好だ。
もう少し近付くと、少女の肩が小さく上下しているのが見えた。
歳はルシアと同じくらいだろうか。幼い顔にはあからさまな疲れと涙の跡が見て取れた。
魔法陣の中には、少女の他には何一つ置いていない。まるで少女という餌の置かれた巨大なネズミ捕りのようである。
「これは、何でしょうか……」
エリシアが露骨に不愉快そうな声を上げた。日頃おっとりしているだけに、尋常ならざる怒りが声だけで伝わってくる。
リスターが何かを言うより早く、ルシアが震える声を洩らした。
「そ、それより、あれは……?」
彼女が指差す方向に、人型の真っ黒な物体が2つ横たわっていた。あまりのグロテスクさに、目にしたエリシアが思わず口元を押さえる。
近くに落ちてたものから察するに、偶然魔法陣に気が付いて近付いた物盗りか何かだろう。
「この魔法陣に触った人間だろうな」
「さ、触ってたら、あたしもああなってたの……?」
ルシアの質問に、リスターは静かに頷いた。ルシアが小さく息を飲む。
「どうやら強力な結界魔法のようだな。けれど、この子を守るためにあるとは思えないし、なんでこんなところにあるのかは、さっぱりわからんが」
彼の言う通り、少女はひどく衰弱していた。放っておけば餓死するのは必至だ。
「リスター。助けられないのか?」
ルシアが泣きそうな顔をした。
正義感の強い娘だ。自分と同じくらいの年の少女が、今にも死んでしまいそうにやつれて倒れているのがたまらなく苦しいのだろう。
もちろんそれは、リスターやエリシアとて同じことだった。
リスターは無言で魔法陣の周りを一周し、内部に描かれた陣形を見た。
それから、疲れたように息を吐いて笑った。
「大丈夫。これなら解除できる」
姉妹は安心したように顔を見合わせて笑った。
リスターは魔法に詳しい。その彼が大丈夫だと言うなら大丈夫なのだろう。
邪魔にならないように一歩下がった二人を見てから、リスターは足元の石を拾い上げた。
「この魔法陣は生き物しか拒まない」
指で弾かれた石は、小さな弧を描いて、ごく当たり前のように魔法陣の中を転がった。
それだけ見ると炭化した二つの死体の方が信じられなく思えるが、魔法に不慣れな姉妹には、事実目の前に発光する膜が存在するにも関わらず、石が通り抜けていったという事実の方が衝撃的に思えた。
投げ込まれた石で目を覚ましたのか、少女が数度瞬きしてから身体を起こした。
そしてリスターの姿を見つけ、駆け寄ろうとする。
「あっ!」
少女が膜に触れた瞬間、ルシアが両手で口元を押さえた。
けれど、彼女の心配は杞憂に終わった。結界は内側から触っても大丈夫なようになっていたのだ。
もっとも、見た目通り少女はこの魔法陣を通り抜けることができないようで、まるで壁に寄りかかるように膜にすがった。
それからはっと思い出したように炭化した死体を指差して、必死に両手を振る。リスターに来てはいけないと忠告してくれているのだ。
リスターは健気な少女に笑いかけて、少し下がっているよう手で指図した。
それから腰に帯びた剣を抜き、それを膜の中に突き入れる。
生物でないリスターの剣は、彼が言った通り膜を素通りし、陣の描かれている地面に刺さった。
「魔法陣は普通に消しても消えないが、正しく手順を踏めば消すことができる」
二人に背を向けたまま説明して、リスターは剣の先でガリガリと地面を削った。
一時間ほどかけ、何度も場所を変えては地面を削る内に、やがて魔法陣はスッと音もなく消え去った。
「リスター!」
感極まって姉妹がリスターの方に駆け寄ってくる。
彼は得意げに笑ってから、そっと少女の方に手を差し伸べた。
「さ、もう大丈夫だぞ」
少女は一度嬉しそうに微笑んだが、極度の緊張から解放されたからか、リスターの手を握った途端に気を失って倒れてしまった。
ひっそりと静まっていた周囲に、虫たちの鳴き声が響き始めた。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
王国の女王即位を巡るレイラとカンナの双子王女姉妹バトル
ヒロワークス
ファンタジー
豊かな大国アピル国の国王は、自らの跡継ぎに悩んでいた。長男がおらず、2人の双子姉妹しかいないからだ。
しかも、その双子姉妹レイラとカンナは、2人とも王妃の美貌を引き継ぎ、学問にも武術にも優れている。
甲乙つけがたい実力を持つ2人に、国王は、相談してどちらが女王になるか決めるよう命じる。
2人の相談は決裂し、体を使った激しいバトルで決着を図ろうとするのだった。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

魔喰のゴブリン~最弱から始まる復讐譚~
岡本剛也
ファンタジー
駆け出しの冒険者であるシルヴァ・ベルハイスは、ダンジョン都市フェルミでダンジョン攻略を生業としていた。
順風満帆とはいかないものの、着実に力をつけてシルバーランク昇格。
そしてついに一つの壁とも言われる十階層の突破を成し遂げた。
仲間との絆も深まり、ここから冒険者としての明るい未来が待っていると確信した矢先——とある依頼が舞い込んできた。
その依頼とは勇者パーティの荷物持ちの依頼。
勇者の戦闘を近くで見られることができ、高い報酬ということもあって引き受けたのだが、この一回の依頼がシルヴァを地獄の底に叩き落されることとなった。
ダンジョン内で勇者達からゴミのような扱いを受け、信頼していた仲間にからも見放され……ダンジョンの奥地に放置されたシルヴァは、匂いに釣られてやってきた魔物に襲われた。
魔物に食われながら、シルヴァが心の底から願ったのは勇者への復讐。
そんな願いが叶ったのか、それとも叶わなかったのか。
事実のほどは神のみぞ知るが、シルヴァは記憶を持ったままとある魔物に転生した。
その魔物とは、最弱と名高いゴブリン。
追い打ちをかけるような最悪な状況に常人なら心が折れてもおかしくない中、シルヴァは折れることなく勇者への復讐を掲げた。
これは最弱のゴブリンに転生したシルヴァが、最強である勇者への復讐を果たす物語。

【完結】悪役令嬢の反撃の日々
くも
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。
「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。
お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。
「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。
処刑された王女は隣国に転生して聖女となる
空飛ぶひよこ
恋愛
旧題:魔女として処刑された王女は、隣国に転生し聖女となる
生まれ持った「癒し」の力を、民の為に惜しみなく使って来た王女アシュリナ。
しかし、その人気を妬む腹違いの兄ルイスに疎まれ、彼が連れてきたアシュリナと同じ「癒し」の力を持つ聖女ユーリアの謀略により、魔女のレッテルを貼られ処刑されてしまう。
同じ力を持ったまま、隣国にディアナという名で転生した彼女は、6歳の頃に全てを思い出す。
「ーーこの力を、誰にも知られてはいけない」
しかし、森で倒れている王子を見過ごせずに、力を使って助けたことにより、ディアナの人生は一変する。
「どうか、この国で聖女になってくれませんか。貴女の力が必要なんです」
これは、理不尽に生涯を終わらされた一人の少女が、生まれ変わって幸福を掴む物語。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる