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第67.5話・愛より偉大なもの。
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夢を、夢を見ていました。
なんだかとても長い夢を。
幼い頃に憧れた。
夢のような日々を。
その幸せは一体何なのか。
それが分かる日が、いつの日か来るのでしょうか。
子供だった私にはずっと分かりませんでした。
どうして人は、この世界で運命の人に出逢うのでしょうか。
お父さんとお母さんのように。
人を愛して、人に愛されて。
神様に祝福されるように。
女の子は純白なドレスに身を包み。
宝石と花束と抱き抱えて。
たくさんの幸せを噛み締める。
私にもそんな素敵な恋をして、人を愛し、結婚が出来るのでしょうか。
これは、とてもとても長い夢。
何度も夢見た遠い未来。
それなのに、運命は閉ざされていた。
愛に永遠はないのだから。
人はいつしか出逢い別れていく。
この日が陰る道のりに、いつの日か晴れて温かく照らされるのでしょうか。
全てを照らす光。
私も知らないものを追い求めて。
人は歩み続ける。
愛を知る為。
貴方の道を照らす為。
貴方に出逢う為に、私は生まれてきたと思えるように生きていたい。
夢を叶える為に、笑っていたい。
運命を変える人。
愛とは、最も偉大なものである。
だけど目には見えない。
……けれど、確かにそこにある。
私達の出逢いは、過去と未来を繋げていく。
我が子に受け継いだのは、遺伝子でも血でもない。
無限に広がる未来であり、愛の価値なのである。
それは、
遠い遠い未来の先で語られる物語。
この恋は始まらない
第零話・全てを照らす光の先に。
女子トーク。
これは、旅行前日のお話である。
アホやバカと呼ばれる人間は不在のまま、クラスの女の子数人で、ショッピングモールに集まっていた。
秋月麗奈に、子守萌花。
準備組の黒川さんに白石。
西野さんや真島である。
風夏達や、三馬鹿なども誘っていたが、他は仕事や部活で忙しい為に、不参加であった。
まだ現れていないが、田中さんも来る予定になっている。
住んでいる場所が遠かったが、一人だけ参加しないのは寂しいからと遅れてやってくることになった。
そんなこんなで、今は六人だけだが、あとから一人追加するかたちになった。
田中さんが来るまでは暇なので、ウィンドウショッピングを兼ねてショッピングモールを歩くことにした。
夏休みだからか、ショッピングモールはかなり混んでいる。
行き交う人は、家族連れであったり、恋人同士であったり、夏休みを謳歌していて幸せそうに歩いていた。
みんな、大切な人と一緒にいることで楽しいのだろう。
日本の未来は明るい。
夏休みに何もせずにいると、暇過ぎて死にそうだからと集まった、一部の人間の場違い感が凄まじい。
他人の幸せは、自分の不幸。
「……帰るか」
真島が不意にそう言うと、全員が全力で止めに入る。
「この後に田中さん来るからね?」
「……ああ、そうだった。本屋ちゃん来るなら待つしかないわな」
田中ミナさんと遊ぶ機会は珍しいし、大人しい人だが面白い人との前評判もある。
なんせ、田中さんは、ハジメや三馬鹿と並んでいても気後れしないのだ。
やばい奴らに絡まれていても、平然と帰還してくるあたり、歴戦のガンダムタイプだ。
本屋の魔女。
動かない大図書館だ。
本屋ちゃんは、おっとりとしたオタク系の女の子で、本や手芸が好きな引っ込み思案な性格である。
そんな性格だから、田中さんの見た目はお洒落に疎いけれど、そこがまた可愛い。
イケイケ系が多い女子の中で、高校生らしい落ち着いた雰囲気を出している。
本人は自分なんてデブでブスですと卑下していたが、男からしたらぽっちゃり系の範囲内だし、何ならその分おっぱいも大きいわけだ。
男なんて、誰しも女性にママみを感じておぎゃるものだから、優れた顔やスタイル。内面よりもまずは、おっぱいである。
この世の大体はおっぱいで解決する。
遺伝子に刻まれた記憶。
人類の長い歴史の中で培われてきた真理である。
……そんな田中さんが、海で水着になるのだ。
黒船襲来。
元々可愛い組や、他人に興味ない組には関係なかったが、白石や真島含めたクラスのヒエラルキー中堅の二軍女子は戦慄していた。
おっぱい。
おっぱいはあかんやろ。
水着イベントで三軍になってしまう。
西野さんが珍しくツッコミを入れる。
「……貴方は元々三軍でしょ」
「月子マジレスすんな」
真島、キレる。
よんいち組が一軍。
三馬鹿は、馬鹿だが顔は広いし、何だかんだ二軍。
それ以外が三軍である。
二軍女子になってからこい。
待ってるからな!
「もえちん、どうなったら一軍になれる?」
「は? しらん」
萌花はきっぱりと切り捨てる。
別に萌花は、自分が一軍に所属しているつもりはない。
風夏や冬華みたく、圧倒的な社会地位があり、自他共に認め、学校内全員が知っているような女性ならば、それも納得出来る。
だが、麗奈や萌花はそうではないのだ。
夏休みに暇している人間が、リア充とは言い難い。
二人がこうして遊んでいる間に、風夏や冬華は旅行までの間に片付けなければならない仕事や大会に専念しているだろう。
彼女達は、ちゃんと自分の責任を全うして、こちらに合流する。
そんな人間と比べた場合、人としての格が違うのだから、同列に扱われても困るのだった。
「……まあまあ。私達のクラスでは上も下もないのだから、いいじゃない」
クラスメートなのだから、気にしない気にしない。
麗奈は能天気に物申す。
こいつ、頭東山なので仕方ない。
新婚ほやほやの馬鹿女を見させられているようなものだ。
……ついこの間まで、他人の顔色を気にして生きていた人間の表情じゃない。
人生?
好きな人の為に生きて。
幸せならいいじゃないの。
人間だもの。
みんな、麗奈を殴り飛ばしたくなる感情を抑えるのだった。
「もえちん、何かあったん?」
「東っちにプレゼント貰って浮かれているんだよ、こいつは」
どやっ。
自慢げに胸元を見せてくる。
はち切れんばかりのおっぱいだ。
ぽよんぽよん。
大きく揺れ動いていた。
「は? お前、喧嘩売ってんのか??」
おっぱいが小さい人間に、豊満な胸元を見せ付ける畜生である。
麗奈が着ている夏仕様のワンピース。
胸元のボタンがちゃんと締まっていても、おっぱいがたわわで柔らかそうなのは断言出来る。
真島は思った。
奇跡に二度目はない。
チャンスは己の手で掴むものだ。
クラスで一番巨乳の女の子である秋月麗奈の胸元を見て、思ったのだ。
「え、揉んでいいの?」
こいつは馬鹿だ。
巨乳を前にして、頭がショートしていた。
「駄目に決まっているでしょ。そうじゃなくて、胸元のアクセを見てよ」
麗奈は自慢そうにアクセを見せる。
いや、だから胸の方が気になる……。
それはさておき。
麗奈の胸元で虹色に輝くその宝石は、小さいながらも美しい。
十月の誕生であるオパールだった。
幾重にも重なり、虹色に煌めく神秘の輝きは、「純真無垢」「歓喜」「希望」「幸運」「忍耐」などの意味をはらんでいる。
オパールは元々、神の石と呼ばれるだけあり、落ち着きのある素敵な女性が好むものであった。
「どれもれーなから遠く離れているやんけ。名前負けしているじゃん」
秋月麗奈の本質。
それは、石の輝きでさえも浄化出来ない負の感情。
人間の底。
深く沈んだ心の闇は、とこしえに変わることがない。
例えるならば、プリンのカラメルだ。
女の子は甘いだけではない。
可愛いだけじゃ詰まらない。
完璧な女の子より、多少メンヘラの方が可愛いものだ。
「多少じゃねえだろ……」
「もう、別にいいじゃない。……萌花だって性に合ってないでしょ」
萌花の誕生日は、四月である。
四月の誕生石はダイヤモンド。
ダイヤモンドは和名では金剛石とも呼ばれ、日本人には馴染み深いもの。
無数に存在する宝石において、ダイヤモンドは唯一結婚を象徴する。
この世で何物にも負けない、最高の輝きを放つ宝石だ。
ダイヤモンドには、「純潔」「純愛」「清浄無垢」「永遠の愛」の意味がある。
決して砕けぬ硬さを持つ。
それ故に、ダイヤモンドは恋愛にとって特別な意味を持つのだった。
その全ては、萌花には不釣り合いの言葉だ。
いや、そうでもない。
「まーねー。もえちん、東っちには乙女だもんね」
恋する女の子はいつだって一途。
ダイヤモンドの恋だ。
「……面倒臭い絡みは、アホ共だけでいいんだよ」
真島がウザ絡みをしてくるので、容赦なく殴り飛ばす。
……嘘である。
身内のアホや三馬鹿ならまだしも、ただの友達である真島を殴れるわけがない。
ただの比喩表現だ。
真島を諌めるのは、いつだって西野さんの仕事だ。
「……はぁ、子守さんに迷惑かけないでよね」
西野さんは、真島を容赦なく見放していた。
「ぶーぶー。月子はなんで助けてくれないのよ」
「え、嫌だもの」
即答した。
真島とは小学校からの親友だが、容赦なく見捨てる。
普通に考えてほしい。
嫌なことに、理由など存在しない。
ただただ、真島を助けるのが面倒で嫌だったから助けなかった。
西野月子は優等生だが、誰にでも優しいタイプの善人というわけではない。
親友ですら興味がない。
思春期を殺した少女の翼だ。
「月は、この世のものにもっと興味持って生きて」
この世界は自由だ。
色鮮やかに輝く未来が待っている。
色々と楽しいことがあるのに、他人に興味がなく、世界にも興味がないとか、夢も希望もない生き方をしている。
西野さんには、趣味の一つもない。
恋愛漫画も読まないし。
音楽も聴かない。
YOASOBIも知らない。
これが、令和を生きるアオハル真っ只中のJKか。
そう言われても、青春謳歌する気もなければ、まったく楽しいとも思わない。
それこそ、寝て起きてご飯を食べている方が楽しい。
「嘘こけ。月は、衣食住にすらあんまり表情変わらないでしょ」
……そうは言われても。
西野さんは、表情筋が他の人より少ないだけで、心は喜んでいたはずだ。
多分、そう。
人並みの感性はちゃんとある。
「……他の人が、頑張り過ぎなだけだと思うわ」
我々のクラスには凄い人がいっぱいいる。
全てを照らす太陽であり、世界一可愛い読者モデル。
メイドが好き過ぎて、狂ったように毎日絵を描き続ける同人作家。
大和撫子のお嬢様であり、天才バイオリニストのテニスプレイヤー。
それ以外にも自分より優れた人はいっぱいいる。
成功者は、才能も自信もあり、努力も挫折もしている。
そして、互いに助けが必要な時は、損得勘定など関係なく、手を取り合い生きている。
辛い時は鼓舞し合い、いつだって前を向いていられる。
人が追い求めているもの。
それが、正しさであり、愛なのである。
一軍の人間がオーバースペック過ぎる。
夢に向かって努力をし、誰にも認めてられるように正しく生きる。
普通の人からしたら、それは眩しいのだ。
それに足並みを合わせるのは難しい。
西野さんが、テストで良い点を残して、優等生になったところで、普通のままだ。
サッカー部のエース級であり、学校一のイケメンである一条ですら、最近はキャラが薄くて出番がない。
それなのに、西野さんがどんなに頑張ったところで、クラスで目立つとは思えなかった。
「だが、爪痕は残せる」
「……プラスの話をしているんだけれど?」
何で、学校で問題を起こす前提なのだ。
真島の親友をやめたい。
成功して称賛されるより、失敗して炎上させる方が簡単。
マッチポンプ上等。
名前を売るなら、炎上した方が効率的である。
「……炎上は失敗じゃないけど」
故意の過失は失敗とは言わない。
それに、よほどのことをしないと普通は炎上なんてしない。
西野さん含め、普通の人間では火種を作ることすらも難しいのだ。
「東っちはよく炎上してるけど?」
あれは、ハジメちゃんっていう生物だから例外的である。
アクセのことに話を戻して、黒川さんが話す。
「子守さんもアクセサリーを貰ったのでしょう? 今日は付けてないのですか?」
「あるで」
萌花は、ポケットから雑に取り出す。
ジャラッと音を立ててテーブルに置かれた。
放り投げないで……。
あと、持ってきているなら付けて。
もえぴのことだから、彼氏の贈り物を気に入っているのか気に入っていないのか分からねえ……。
みんな、困惑していた。
萌花が貰ったのは、ダイヤモンドの付いたネックレスで、宝石の大きさは指先で摘まめるか分からないくらいに小さい。
しかし、それは仕方がないのだ。
ダイヤモンドの価値が高過ぎるせいで、学生が買える値段ではどうしても砂粒のように小さくなってしまう。
それでも麗奈が貰ったオパールよりも値段があるわけだ。
結果的にではあるが、萌花が貰ったアクセが一番お金が掛かっていた。
たった数千円の違いだとしても、好きな人から貰ったものならば、大きな差だ。
本来ならば四人の扱いに差が生じた場合、女の子として嫉妬されても仕方ないものだが、萌花の場合は例外である。
あの風夏であっても、萌花には何も言わない。
誰も文句は言えなかった。
人は、人が貰うべき対価が対等であり、釣り合っている場合、文句を言わない。
萌花は、毎日のようにハジメをボロカスに罵倒するが、誰よりも彼の幸せを切に願っている。
純愛とは、好きな人をただ愛することではない。
自転車で倒れて泣き叫ぶ我が子を、母親が無理にでも立たせて、また乗せることが悪であろうか。
母親が、子供の頬を叩くことが許されるのは、愛があってこそである。
筋が通った親の躾であれ、暴力は親子ですら問題視される。
恋人なら、尚のこと簡単には出来ないだろう。
……嫌われてもいい。
それでも、誰かを叱ることが出来るのは愛があるからだ。
愛している人が、数年後、数十年後に誤った道を歩み、その結果怒られ嫌われるかも知れない。
そんなことになる前に、人は叱ってでも教えるのだ。
傷は浅い方がいい。
男の子を叱る役目は、本来ならば両親がすべきだが、仕方ない。
恋人同士でも、親よりも教えられることも、教わることもある。
萌花がよんいち組の中で一番魅力的で、誰よりも秀でている部分は、人を見る目である。
萌花は、全ての人間が同じ生き方をしているとは思っていない。
自分と他の人の価値観は全く違うし、それがその人間の道理になっているならば、それは正しい行動だと思っている。
人には人の人生がある。
みんな、生まれや境遇が違い。
人の価値観は、見てきたものによって決まるのだ。
この世に同じ人など居ないのに、他人を真似る必要はない。
人は、誰かの劣化になる為に産まれて生きているわけではないのだ。
明日よりも幸せな日を手に入れる為に努力をする。
それでも、他人と比べるのは人の性だが。
自分の持っているものが、他人に劣るわけがない。
彼女の良さは、それをハジメに直接言えるところだ。
ハジメに対して怒ることが大半だが、他人を真似し、今まで生きてきた信念をねじ曲げろとは絶対に言わない。
馬鹿でアホだが、男として誰かに劣っているとは思わないのだ。
それは、彼の歩んできた道を否定することになる。
東山ハジメは後先考えないし、愛があれば全てを乗り越えられると思っている馬鹿だ。
両親に愛されて育ってきた、お人好しの馬鹿だから、悪い結末を考えられないのだろう。
自分の道を信じて、突き進むだけしか出来ない人間だ。
それでも、人はいつか後悔をする。
人生とは後悔の連続だ。
悔いなき選択など、出来るわけがない。
特に野郎は小さなことで悩むものだ。
それこそ、タンスの角に小指をぶつけただけで泣き叫ぶくらいにガキである。
だから、女はその悩みを解消させ、野郎の尻を無理矢理蹴り飛ばすのが女の務めとも言える。
それを純愛と呼ばずして、何というのだろう。
この世界にこれだけの人々が生きていて多種多様な生き方があるならば、尻を蹴り上げる純愛だってあるはずだ。
萌花は、ハジメの絵のことも夢に向かう情熱も全然理解出来ないけれど、絶対に東山ハジメには後悔させないと決めていた。
それだけの為に、萌花は憎まれ役を担っていた。
ただただ、彼ピからの贈り物に一喜一憂しているアホ面女とは違うのだ。
貰うだけの女とは違うのだ。
面とおっぱいしか取り柄がない女。
アホ面して幸せそうにしていたら何でも許されている。
風夏や冬華は、仕事を支えるパートナーであり正当な対価を貰っていた。
萌花は、言わずもがな。
……だが、麗奈は違うだろうが。
令和版、愛され女子。
意味分からない生き方をするな。
「萌花は、私を批判する前に、アクセを付けなさいよ」
「……アクセ付けて、どや顔しているやつと同じにされたくないじゃん」
「幸せそうって言いなさいよ!」
「お前、ここ最近何もやってないだろうがっ! ログボだけ貰ってんじゃねえよ!!」
夏休みに喧嘩するな。
あと、ずっと付き合っていてプレゼント貰うことをログボ言うな。
麗奈と萌花は、殴り合いするレベルで喧嘩をする。
準備組が引いていた。
……ハジメが居ないと止められない。
この二人を止められる男。
ハジメちゃん、何でいないのよ。
彼が来ても、二人にぶん殴られるだけだが。
それだけでも彼は有能なのかも知れない。
みんなは、彼氏が居たことがないから恋愛はよく分からないが、付き合って長いとログインボーナスがもらえるものなのだろうか。
一ヶ月記念。
半年記念。
なんでもない日記念。
愛する人同士だと、毎日が記念日なのかな。
ハジメはそんな律儀な性格ではないが、仕事の関係でクラスメートによくお菓子をくれる。
読者モデルの仕事だと、撮影場所が渋谷以外の場合もある。
顔合わせした企業さんから、おみやげを手渡されることが多いらしい。
特にハジメは甘い物が嫌いだから、余らせるくらいならと、学校に持ってきて身内やクラスメートに渡す機会は多いのだった。
いつも勉強を頑張っているから、たまには労わないといけないからな。
そう言って、サラッと褒めてくれるあたり、一軍男子だ。
そもそもクラスメートにすら、そのレベルでくっそ優しいし、そんな人間の彼女なら激甘いのは当然だ。
悪態付いても、彼女は可愛いと思っている。
何だかんだで、麗奈や萌花の二人だけにだけではなく、風夏と冬華にもアクセを買っていた。
好きな人の喜ぶ姿が見たいからと、数千円、数万円でも気にせずに払っていた。
可愛い可愛い彼女が喜んでくれて、綺麗な宝石でドレスアップした姿が見れるなら、プライスレスだ。
好きな人の為なら、何だってするだろう。
「……一条くんはそういうことしないからね」
ウォンッ!!
黒川さん、キレる。
ご乱心である。
恋人がなんでもない日に贈り物をしてくれる。
それは普通のことのようで難しい。
ハジメだけが出来る特別なこと。
もちろん、一条は自然の流れで他人を気遣えるハイスペック男子だが、身内にそれが出来るとは限らないのだ。
秋葉原デートで回復した黒川さんの信頼はゼロになっていた。
色々あるにせよ、可愛い彼女を一ヶ月以上も放置していたら、温厚な黒川さんでもキレるのは仕方がない。
忙しくても連絡は小まめにしろ。
一日一回でも電話をしていたのならば、黒川さんは怒っていなかっただろう。
最近は、一条がサッカーの大会で忙しく、ラインもあまり出来ないのだったが……。
女の子からしたら、そんなのは関係ない。
たとえ大会前で忙しくても、毎日連絡したいし、毎日会いたいのが乙女心である。
いや、黒川さんとて、一条に望んでいることの全てをこなして欲しいとは思わないけれど、よんいち組みたいな恋がしたかった。
素敵な恋への憧れは止められねぇんだ。
鬱憤が溜まっているのか、表情に闇を帯びる黒川さん。
それをフォローするように、西野さんが話す。
「まあでも、一条くんからしたら、高校最後の大会だものね。仕方ないと思うわ」
大会に集中したい気持ちは分かる。
「……佐藤は、よく明日香ちんをカフェに誘っているみたいだよ」
真島が爆弾を投下する。
今、ここで、要らんことを言うな。
あれはあれで特殊なんだよ。
カフェに対する、モチベーションと体力無限の男を例えに出すな。
話がややこしくなる。
西野さんからしたら、穏便に事を進めたいだけであって、黒川さんや一条のどちらかの肩を持ちたいわけではないのだ。
自分の発言のせいで、二人の仲が拗れたらまずい。
彼氏への不満があり、怒っているだけなら、時が解決してくれるだろう。
西野月子は、普通の高校生だ。
恋人の気持ちは理解出来ないし、自分の意見を話すのは苦手だし、危ない橋は渡りたくはない。
ことなかれ主義なのは普通なのだ。
みんなを落ち着かせようと試みる。
「まあまあ、夏休みなのだから、楽しい話をしましょ。……そうだわ。小日向さん達は何か貰ったの?」
西野さんは、あえて誰も触れなかった話題に触れる。
目に見えた地雷。
踏んだら起爆する話題だった。
それは、SNSをあまりやらない人間なのが災いした。
ネットを見ていたら、風夏達がアクセサリーの写真を上げていたのに気付いたであろう。
しかし、時既に遅い。
風夏と冬華は、誕生石が入った綺麗な指輪を貰ったのだ。
ネックレスよりも使っている金属が少なくて安い。
というのが、第一の理由でしかなかったが、女の子からしたら、そんなものはどうだっていいのだ。
指輪をよこせ。
お店で指のサイズを調べないと指輪は買えないとか、ネックレス以上に好き嫌いが分かれるとか、理由は幾つでもあっただろうが知ったことではないのだ。
恋人において、指輪とネックレスでは、意味が違うのだ。
SNSで風夏が指輪を載せていたから、自分も同じものが貰える。
……そう思いながら、ウキウキして袋を開けたら出てきたのはネックレスだ。
は?
マジで??
は???
聖母様だって、殴り飛ばしてくるだろう。
同じような指輪をプレゼントしてくれたと思っていたら、ネックレスが出てきた。
その時の女の顔は。
麗奈は、その時のことを気にも止めずに笑っていた。
それがとてつもなく怖かった。
「あ、全然大丈夫だからね。……うんとね、そのお店がまた来週イベントに参加するらしいから、その時に買ってくれるって」
この女、買わせる気満々であった。
遠い遠い幕張まで、彼ピの首根っこ捕まえてハンドメイドフェスティバルに乗り出す。
いや、サークルのお姉さんと話を付けていて、女の子は自分で選んだ指輪しか付けないから、ちゃんと呼んできて選んでもらいなさいと言われたらしい。
だから、二人に贈ったのはネックレスだったのだ。
誰にも非はないし、筋は通っているが。
……真相は定かではない。
萌花からしたら、筋が通っていようとも、その流れになったら私達がどういう事態になるか考え付かないハジメに苛立ちを覚えていた。
あ、やばいやつや。
その空気感だけはヒシヒシと感じていた。
何でラブラブなのに、うちのクラスのカップルはいつも喧嘩をしているのか。
ずっと好きなんだったら、いつも仲良くしていたらいいのに。
恋人がいたことがない人間には恋愛はよく分からない。
永遠の謎である。
それからみんなは、ショッピングモール三階のフードコートに行って、軽食をしていた。
夏休みでどこも混んでいて全然座れなかったが、屋外のカフェテラスが空いていたのでよかった。
日除けのパラソルがあるけれど、日差しが強く、かなり暑い。
流石に暑いところは誰も座りたがらなかったらしい。
まあ、全員が座って話すとなると、外で休憩するのも仕方なしである。
それに、高校生だから多少の暑さは堪えられる。
ほどなくして、本屋ちゃんがやってくる。
「みなさん、遅れてすみません。えへへ、何だかお久しぶりですね。……えっと、みなさんは何の話をしていたんですか?」
「……クソ野郎の愚痴」
本屋ちゃんは、萌花が付けていた胸元のネックレスを見る。
「ア、スミマセン……」
何となくこの場の雰囲気を察して、帰ろうとするな。
SNSに詳しい代償を支払わされる本屋ちゃんであった。
ことの経緯を聞く。
「なるほど。一応は落ち着いたのですね。……よかったです」
切実なよかったですを口にする本屋ちゃんだった。
本屋ちゃんは、萌花のネックレスを間近で見せてもらい、手芸をよくする人間目線で感心していた。
「綺麗なネックレスですね」
「ん、ありがと」
出来た女性は多くは語らない。
本屋ちゃんは、手芸はよくするけれど、宝石は詳しくない。
しかし、ものを作る大変さは知っていた。
数千円の価値しかないものであれ、そこに込められたものは無限大である。
このアクセサリーには、製作者の気持ちを感じ取れる。
アクセサリーは、男性から女性への特別な贈り物。
特に宝石だ。
子守萌花が貰って納得するような、可愛いネックレスを選ぶのに、ハジメは悩みに悩んだのだろう。
萌花が貰ったネックレスのデザインは、シンプルなものだ。
プレートの真ん中にダイヤモンドが飾られているだけで可愛過ぎず、それでも見えないくらいの女の子らしい細かな装飾が施されていた。
ハートのイラストだ。
萌花は、自分に女の子らしい可愛さなんて望まないだろうが、可愛くいてほしい。
誰よりも貴方を愛している。
彼氏からの想い。
デザインはシンプルだが、作り手のセンスと、ものづくりの思いも感じ取れたため、大袈裟に褒めるのは野暮だと思った。
全部の想いを含めて、口にするのは綺麗だけでいい。
「私のも見て欲しいな」
麗奈のはまあ、うん。
強い意味はなさそう。
「私だけ、扱い酷くない!?」
「……お前は女性としての慎ましさを学べよ」
アクセサリーとは、自慢にならないくらいに目立たせるのが本来の役割である。
宝石は引き立て役。
あくまでメインは女性だ。
宝石が綺麗過ぎて、女性の印象を殺してしまうのはタブーである。
日本における装飾品の華やかさとは、その人の魅力の合わせた良さ。
それを後押ししてくれる美しさだ。
アクセサリーの価値が、女性の価値にはならないし、宝石に品がなければ、派手なだけのただの石だ。
あと、田中さんに見せる為に、こちらに胸を押し付けてくるのをやめろ。
麗奈は、間に座っている萌花を胸で押し退ける。
おっぱいビンタ。
畜生である。
天然のおっぱいマウントをする。
持たざる者への侵略行為。
悪意のない悪。
自分の武器を自然の流れで利用するあたり、萌花には出来ない芸当である。
今までずっと口を閉ざしていた白石が口を開いた。
「麗奈ちゃん、なにカップ?」
「え、私? ……Fだけど??」
「そう……」
おわり。
なんで問いかけた?!
白石は、数少ない出番を消費してまで聞きたいことだったのだろうか。
満足そうにして、座り直すな。
ずっと一緒のクラスなのに、白石の性格はよく分からない。
黒川さんや西野さんが、毎度のことながら大変そうな表情をしていた。
「はいはーい。れいちょむ、おっぱい大きいと肩って重くなるの?」
真島は真島で、空気を読まない。
あとれいちょむってなんだ??
「別にそこまで重いわけじゃないけど、運動する時にはちょっと邪魔な時があるわ。その時だけは、おっぱいはいらないと思うかな?」
「へぇ」
共感されないメンバー。
本屋ちゃん以外は、大体AよくてBカップ。
おっぱいに憧れることはあっても、おっぱいが要らないとは絶対には思わない。
巨乳の中の巨乳。
Fカップもある麗奈の気持ちなんて、誰も理解出来るわけがないのだった。
持たざる者への宣戦布告。
おっぱい格差社会である。
流石、麗奈。
水泳の授業の時のおっぱいの破壊力は、スクール水着であっても凄まじいのだった。
そんな人間が、夏色サマーの艶やかなビキニ姿になるのだから、旅行が楽しみで仕方がない。
オラ、ワクワクすっぞ。
……なんで悟空。
高校生最後の夏休み。
海での水着姿は、おっぱいが大きいほど魅力的に見えるものだ。
秋月麗奈は、キャラが濃いよんいち組では、あまり目立たないことが多いが、海はれいちょむの独壇場であろう。
女の武器をフル活用して、全ての男性をひれ伏させる。
麗奈めちゃモテサーガだ。
「いやいや、モテるも何も、私達以外が居ないプライベートビーチだし。あと、彼氏がいるから別にモテたくないし、興味ないわ」
「……えっ、頭おかしくなったの?」
真島、失礼。
とはいえ、その反応は正しい。
あの、他人からの評価をいつも気にしていた秋月麗奈が。
あの、他人からの評価をいつも気にしていた秋月麗奈が。
「え、何で二回も言ったのよ」
そんなことを言うとは……。
人として成長したものである。
驚愕過ぎる発言に、空からメテオが降って来ないか心配である。
イケメンならどんなに屑でも好きになりそうな女の子、第一位。
DVが似合いそうな女の子、第一位。
秋月麗奈がそんなことを言うとは。
「いや、何なのよそれは」
何で訳が分からない事を言われないといけないのか。
みんなの麗奈への扱いが、ハジメ寄りになってきていた。
クラスメートとはいえ、一軍女子の風夏や冬華にはそんな下品なことは言えないし、萌花には世話になっていたので右に同じく。
麗奈の場合はどうしても扱い易くて、対応が雑になりがちだが、その分、気兼ねなく話せるとも言える。
元々、対人関係は得意な子だったけれど、他人からの評価を気にしなくなり垢抜けたところが好かれているのだろう。
他人に向けていたキャパシティの殆どを、その分ハジメに費やしている。
……愛に上限はない。
東山の血が流れていた。
お前もママになるんだよ。
愛に目覚めた突然変異種である。
なんでママ目線なのか。
……理解不可能だ。
「……こいつに話を振ると、ろくなことがないぞ」
萌花は、冷ややかな目線を向けていた。
麗奈は、元々料理が趣味だからか、自分に出来ることが料理くらいだからか、東山家でよく料理を振る舞っていた。
純粋に好きな人に手料理を食べてもらいたい。
はたまた、私が育てた。
……意味が分からん。
何でママ目線なんだよ。
母親のように、食べてもらう人の栄養バランスを考えて、毎日の料理をするようになったら末期である。
女の子だから、好きな人への手の込んだ料理はありだが、度を越えたらなしだ。
ブイヤベースに数時間掛け始めたら、料理好きの女の子というより、狂気である。
いや、この娘は元々狂っていたか。
麗奈は、東山家秘伝の料理を着々とマスターしているのだった。
その家庭で作る定番のハンバーグやカレーだけで見ても、その家の秘伝スパイスや隠し味がある。
家の歴史は、料理の歴史だ。
どの家庭であっても、外食では食べられないその家だけの味がある。
年号が変わって令和になり、女が台所に立ち続けるのら時代錯誤だが、男が家庭の味を引き継ぐことは無理であろう。
野郎の料理は適当だから、任せるわけにはいかない。
家庭のレシピは繊細なのだ。
料理を得意とする麗奈ですら、東山家の本来の味を表現するのは難しい。
麗奈が努力をして、ハジメママほどの深みを感じさせる味を出せるようになるには、どれだけの月日が掛かるのだろうか。
それは分からない。
高校生の娘ごときでは、ハジメママの愛情を越えることは出来ないだろう。
料理の隠し味は、いつだって愛情だ。
彼女のたゆまぬ努力があったから、東山家の料理はこの時代にも生きている。
そうして、愛は受け継がれていく。
人は生きている限り、食べなければいけないから。
いいものを。
美味しいものを。
毒すらも食らえ。
故に、ママは偉大なのだ。
女の子としての大切なことは、ハジメママが教えてくれた。
麗奈には、風夏や冬華みたいな崇高な夢や志しはないし、萌花みたいな信念はない。
どこにでもいるような普通の女の子だけれども、料理だけは誰にも譲れないのだった。
「そうだわ。旅行では、私が頑張って美味しいものを作るから楽しみにしててね」
ハンバーグにカレーライス。
クラスメートに、東山家の料理を振る舞おうとする。
頭のネジが外れていた。
「お前一人で作品の性質を変えるな」
どの面下げてほざいているのだ。
この女、狂っている。
おまけ。
新幹線。
俺と小日向は、二泊三日の旅行に向けて、溜まった仕事を片付けていた。
読者モデルの仕事の大半は、完璧なレベルでスケジュールされていて、突発的なイベントはあまり発生しない。
しかしながら、他の事務所の代打として急遽、地方イベントの誘いが来る場合もある。
読者モデルの事務所同士。
会社が違えども、横の繋がりがあるのだ。
「博多の塩~♪」
小日向、ジュリねえ。俺による片道五時間の新幹線の旅が始まる。
殺して、殺して……。
何で飛行機を使わないの。
小日向というトップモデルが居ても、事務所にはお金がないのか。
すまない。
……ジュリねえは、飛行機が駄目だった。
毎日女の子をスカウトしている酒カス三十路女にも、可愛いところがあるものだ。
そのため、俺達は朝早くから新幹線に乗って、博多に向かうのであった。
夏休みに入り、学校が休みとはいえ、長時間拘束を受ける地方の仕事を取ってくるな。
小日向のマネージャーは白鳥さんだが、役職者が本社を離れるわけにはいかないので、引率者はジュリねえになった。
……アンタも役職者だろうが。
サラッと博多に行く許可が降りていることに疑問を持てよ。
遊びに行けて、幸せそうにすんな。
小日向にジュリねえ。
この二人だけで、新天地に行ったらどうなるか分かりますよね?
やむを得ず、俺も同行していた。
朝一に集合して、小日向に朝ご飯の駅弁を買い与えて、新幹線の窓際に座らせる。
小日向は、外の景色を見ながら、飯を与えている間は静かになる。
小日向がご飯を食べ終えたら、次は昼寝させていればいい。
それで博多に着く手筈だ。
まあ、最近の小日向は無茶苦茶するが聞き分けはいいし、静かな方か。
問題はジュリねえだ。
駅弁を食べながら、ポツリと呟く。
「ハジメちゃん、私はビール飲みたいぞ」
「……仕事しろよ」
「大丈夫。五時間あったら酒は完全に抜ける」
「知るか。飲むならせめて帰りの新幹線にしろよ」
一流企業のショッピングモールで開催されるイベントなのだから、緊張感を持って欲しい。
「私も長いことこの手のイベントに参加しているんだぞ。慣れているからこそ、適当でも完璧にこなせるのだ」
地方イベントに慣れているから、気を遣う部分も少なくなり疲れない。
知るか。
ちったあ、本気出せよ。
いつも全力で仕事をしろよ。
ジュリねえは語る。
「……三十越えると、心に身体が追い付かない」
心は元気なのに、体力がなくなってくる。
若い頃より、最大HPが減ったのか、回復能力が落ちたのか分からないのだ。
「……どっちもだろ」
ジュリねえ、無理しないで。
貴方は三十○歳なのよ。
心は若くても、実年齢には勝てない。
身体は正直なのだ。
三十○歳、三十○歳だから無茶しないで。
身体がそう言って、悲鳴を上げる。
昔はもっと輝けたはずなのに。
みんなからモデルとしての羨望を浴びて、世界一可愛いと、ちやほやされていたはずなのに。
今となっては、事務所の後輩に気を遣われる毎日だ。
人は老いには勝てないのだ。
切実な問題だった。
だったら精神的に成長しろよ。
夜更かしをやめたり、お酒を抑えたり、もっと自分の身体を敬え。
ジュリねえは若くはないんだから。
読者モデルの先輩として、俺達の為にずっと頑張っていたのは知っている。
だから、長生きしてくれ。
肝臓はいきなり死ぬんだぞ。
「そうだ、アルコールフリーならいけるよね!」
「てめえ、舐めてんのか!?」
代用品に頼ってんじゃねえよ。
こっちは飲むなって言っているんだよ。
本気でジュリねえを心配しているんだから、言うこと聞けよ。
「アルコール入ってないから、ジュースと同じ……」
潤んだ顔をするな。
顔だけは良いからクソだな。
こういう時だけ、女の顔をするな。
「ジュリねえ。飲み物は、ミネラルウォーターか、お茶にしてください。仕事前に一滴でも飲んだら怒りますからね」
「あははは、冗談を」
「……」
「……」
「……」
「……」
「ハジメちゃん、シュウマイ食べる?」
ジュリねえは、自分のお弁当のシュウマイを差し出してくる。
妹の陽菜みたいなことすんなよ。
食べ物一つで、人間の機嫌がよくなるわけがない。
「……崎陽軒のシュウマイは美味しいよ?」
俺のことをなんだと思っているんだよ。
シュウマイはいらないから、小日向にあげる。
小日向は、幸せそうに食べる。
崎陽軒のシュウマイは美味しいらしい。
ご機嫌である。
急遽、博多まで連れ回されて文句を言わないのだから、そこは小日向のいいところだな。
小日向は笑顔で言う。
「ハジメちゃん。博多に行ったら、なに食べよう?」
こわ。
こいつ、お弁当を腹一杯まで食べながら、食べ物のことを考えていた。
マジもんのやばいやつだ。
博多の名物といえば、水炊き。
もつ鍋やラーメン。
餃子も捨てがたい。
もちろん、スイーツも食べないと。
お前も仕事しろよ。
仕事終わりの予定が、食べ尽くしツアーになっていた。
……日帰りだぞ。
「そうだね。一日じゃ回れないし、ホテル取って帰る?」
「いや、飯食う為にホテル代払うなよ」
「やったぞ。それなら部屋で酒が飲めるな」
「……舐めんな」
ジュリねえは、歓喜するな。
「三人で泊まれるホテルってあるのかな?」
小日向は、さも当然のように三人一部屋にしようとするな。
俺は男だ。
あと、家族には、夜には帰れるって言ってあるし、晩御飯の用意をしてもらっているから却下する。
「……帰る家がある。独り身には酷な話よな」
一人で勝手に傷付きながら、寂しい気持ちで崎陽軒のシュウマイを食べる。
飯くらい、誰かに作ってもらえよ。
別に事務所のスタッフで一人暮らししている人は多いのだ。
一日くらいなら金を払ったら泊めてくれるだろう。
「ジュリちゃん、私の家に来ます?」
「風夏ちゃん優しいわぁ」
風夏ちゃん、いい子いい子していた。
いや、だから。
ジュリねえは、俺を間に挟んでやるなよ。
てめえのおっぱいに挟まれていた。
豊満なバストだが、圧倒的に興味ないから、ムカつく。
ジュリねえは、ある種の母親のようなもの。
事務所のフェアリーゴッドマザー。
読者モデルのジャンヌダルク。
渋谷の母だ。
そんな相手を異性として認識出来るわけがないのだった。
なんなら、二人一緒にユーチューブでハンター✕ハンターの解説動画を出し過ぎていて、掛け合いを続けるうちに、相棒のような一体感が生まれていた。
どんなに仲良くなっても、ジュリねえが駄目人間なのは変わらないけれど、漫画やアニメの趣味は無駄に合うのだった。
……親の年代だからかな。
昔の話題が多い。
「ハジメちゃん、失礼なことを考えたな?」
「そんなことないですよ」
勘のいい女は嫌いだ。
俺達はお弁当を食べ終えて、最終確認も兼ねた打ち合わせを軽くする。
プリントには、イベントでやる内容が掛かれていて、俺達の仕事は一時間ほどだ。
読者モデルの仕事ということで、新作ブランドの宣伝と、小日向の雑談タイムで構成されている。
元々は博多のモデルさんの仕事で、俺達はその代打ではあるが、やるからには本気でやる。
それが読者モデルだ。
……あるもの全てを、根こそぎ奪い取っていくつもりだ。
小日向は、世界一可愛い読者モデルになり、理想も名誉もあって人として満たされていて。
それでも尚、生物として餓え続けていたからこそ、読者モデルとしての頂点なのだ。
動物は餓えてこそ、孤高の存在になれる。
俺達は、侵略的外来種だ。
東京からやってきて。
全てを喰らい尽くす捕食者である。
小日向風夏はとても強い子だ。
どんなに食べても満たされない。
無限に涌き出る原動力。
いまだに成長期なのである。
弁当を二つ食べただけでは足りない。
……いや、飯の話かよ。
てめぇら。
片道五時間掛けて、博多まで飯食いに行くわけじゃねえんだよ。
仕事の話をしろよ。
教えはどうなっているんだよ、教えは。
なんだかとても長い夢を。
幼い頃に憧れた。
夢のような日々を。
その幸せは一体何なのか。
それが分かる日が、いつの日か来るのでしょうか。
子供だった私にはずっと分かりませんでした。
どうして人は、この世界で運命の人に出逢うのでしょうか。
お父さんとお母さんのように。
人を愛して、人に愛されて。
神様に祝福されるように。
女の子は純白なドレスに身を包み。
宝石と花束と抱き抱えて。
たくさんの幸せを噛み締める。
私にもそんな素敵な恋をして、人を愛し、結婚が出来るのでしょうか。
これは、とてもとても長い夢。
何度も夢見た遠い未来。
それなのに、運命は閉ざされていた。
愛に永遠はないのだから。
人はいつしか出逢い別れていく。
この日が陰る道のりに、いつの日か晴れて温かく照らされるのでしょうか。
全てを照らす光。
私も知らないものを追い求めて。
人は歩み続ける。
愛を知る為。
貴方の道を照らす為。
貴方に出逢う為に、私は生まれてきたと思えるように生きていたい。
夢を叶える為に、笑っていたい。
運命を変える人。
愛とは、最も偉大なものである。
だけど目には見えない。
……けれど、確かにそこにある。
私達の出逢いは、過去と未来を繋げていく。
我が子に受け継いだのは、遺伝子でも血でもない。
無限に広がる未来であり、愛の価値なのである。
それは、
遠い遠い未来の先で語られる物語。
この恋は始まらない
第零話・全てを照らす光の先に。
女子トーク。
これは、旅行前日のお話である。
アホやバカと呼ばれる人間は不在のまま、クラスの女の子数人で、ショッピングモールに集まっていた。
秋月麗奈に、子守萌花。
準備組の黒川さんに白石。
西野さんや真島である。
風夏達や、三馬鹿なども誘っていたが、他は仕事や部活で忙しい為に、不参加であった。
まだ現れていないが、田中さんも来る予定になっている。
住んでいる場所が遠かったが、一人だけ参加しないのは寂しいからと遅れてやってくることになった。
そんなこんなで、今は六人だけだが、あとから一人追加するかたちになった。
田中さんが来るまでは暇なので、ウィンドウショッピングを兼ねてショッピングモールを歩くことにした。
夏休みだからか、ショッピングモールはかなり混んでいる。
行き交う人は、家族連れであったり、恋人同士であったり、夏休みを謳歌していて幸せそうに歩いていた。
みんな、大切な人と一緒にいることで楽しいのだろう。
日本の未来は明るい。
夏休みに何もせずにいると、暇過ぎて死にそうだからと集まった、一部の人間の場違い感が凄まじい。
他人の幸せは、自分の不幸。
「……帰るか」
真島が不意にそう言うと、全員が全力で止めに入る。
「この後に田中さん来るからね?」
「……ああ、そうだった。本屋ちゃん来るなら待つしかないわな」
田中ミナさんと遊ぶ機会は珍しいし、大人しい人だが面白い人との前評判もある。
なんせ、田中さんは、ハジメや三馬鹿と並んでいても気後れしないのだ。
やばい奴らに絡まれていても、平然と帰還してくるあたり、歴戦のガンダムタイプだ。
本屋の魔女。
動かない大図書館だ。
本屋ちゃんは、おっとりとしたオタク系の女の子で、本や手芸が好きな引っ込み思案な性格である。
そんな性格だから、田中さんの見た目はお洒落に疎いけれど、そこがまた可愛い。
イケイケ系が多い女子の中で、高校生らしい落ち着いた雰囲気を出している。
本人は自分なんてデブでブスですと卑下していたが、男からしたらぽっちゃり系の範囲内だし、何ならその分おっぱいも大きいわけだ。
男なんて、誰しも女性にママみを感じておぎゃるものだから、優れた顔やスタイル。内面よりもまずは、おっぱいである。
この世の大体はおっぱいで解決する。
遺伝子に刻まれた記憶。
人類の長い歴史の中で培われてきた真理である。
……そんな田中さんが、海で水着になるのだ。
黒船襲来。
元々可愛い組や、他人に興味ない組には関係なかったが、白石や真島含めたクラスのヒエラルキー中堅の二軍女子は戦慄していた。
おっぱい。
おっぱいはあかんやろ。
水着イベントで三軍になってしまう。
西野さんが珍しくツッコミを入れる。
「……貴方は元々三軍でしょ」
「月子マジレスすんな」
真島、キレる。
よんいち組が一軍。
三馬鹿は、馬鹿だが顔は広いし、何だかんだ二軍。
それ以外が三軍である。
二軍女子になってからこい。
待ってるからな!
「もえちん、どうなったら一軍になれる?」
「は? しらん」
萌花はきっぱりと切り捨てる。
別に萌花は、自分が一軍に所属しているつもりはない。
風夏や冬華みたく、圧倒的な社会地位があり、自他共に認め、学校内全員が知っているような女性ならば、それも納得出来る。
だが、麗奈や萌花はそうではないのだ。
夏休みに暇している人間が、リア充とは言い難い。
二人がこうして遊んでいる間に、風夏や冬華は旅行までの間に片付けなければならない仕事や大会に専念しているだろう。
彼女達は、ちゃんと自分の責任を全うして、こちらに合流する。
そんな人間と比べた場合、人としての格が違うのだから、同列に扱われても困るのだった。
「……まあまあ。私達のクラスでは上も下もないのだから、いいじゃない」
クラスメートなのだから、気にしない気にしない。
麗奈は能天気に物申す。
こいつ、頭東山なので仕方ない。
新婚ほやほやの馬鹿女を見させられているようなものだ。
……ついこの間まで、他人の顔色を気にして生きていた人間の表情じゃない。
人生?
好きな人の為に生きて。
幸せならいいじゃないの。
人間だもの。
みんな、麗奈を殴り飛ばしたくなる感情を抑えるのだった。
「もえちん、何かあったん?」
「東っちにプレゼント貰って浮かれているんだよ、こいつは」
どやっ。
自慢げに胸元を見せてくる。
はち切れんばかりのおっぱいだ。
ぽよんぽよん。
大きく揺れ動いていた。
「は? お前、喧嘩売ってんのか??」
おっぱいが小さい人間に、豊満な胸元を見せ付ける畜生である。
麗奈が着ている夏仕様のワンピース。
胸元のボタンがちゃんと締まっていても、おっぱいがたわわで柔らかそうなのは断言出来る。
真島は思った。
奇跡に二度目はない。
チャンスは己の手で掴むものだ。
クラスで一番巨乳の女の子である秋月麗奈の胸元を見て、思ったのだ。
「え、揉んでいいの?」
こいつは馬鹿だ。
巨乳を前にして、頭がショートしていた。
「駄目に決まっているでしょ。そうじゃなくて、胸元のアクセを見てよ」
麗奈は自慢そうにアクセを見せる。
いや、だから胸の方が気になる……。
それはさておき。
麗奈の胸元で虹色に輝くその宝石は、小さいながらも美しい。
十月の誕生であるオパールだった。
幾重にも重なり、虹色に煌めく神秘の輝きは、「純真無垢」「歓喜」「希望」「幸運」「忍耐」などの意味をはらんでいる。
オパールは元々、神の石と呼ばれるだけあり、落ち着きのある素敵な女性が好むものであった。
「どれもれーなから遠く離れているやんけ。名前負けしているじゃん」
秋月麗奈の本質。
それは、石の輝きでさえも浄化出来ない負の感情。
人間の底。
深く沈んだ心の闇は、とこしえに変わることがない。
例えるならば、プリンのカラメルだ。
女の子は甘いだけではない。
可愛いだけじゃ詰まらない。
完璧な女の子より、多少メンヘラの方が可愛いものだ。
「多少じゃねえだろ……」
「もう、別にいいじゃない。……萌花だって性に合ってないでしょ」
萌花の誕生日は、四月である。
四月の誕生石はダイヤモンド。
ダイヤモンドは和名では金剛石とも呼ばれ、日本人には馴染み深いもの。
無数に存在する宝石において、ダイヤモンドは唯一結婚を象徴する。
この世で何物にも負けない、最高の輝きを放つ宝石だ。
ダイヤモンドには、「純潔」「純愛」「清浄無垢」「永遠の愛」の意味がある。
決して砕けぬ硬さを持つ。
それ故に、ダイヤモンドは恋愛にとって特別な意味を持つのだった。
その全ては、萌花には不釣り合いの言葉だ。
いや、そうでもない。
「まーねー。もえちん、東っちには乙女だもんね」
恋する女の子はいつだって一途。
ダイヤモンドの恋だ。
「……面倒臭い絡みは、アホ共だけでいいんだよ」
真島がウザ絡みをしてくるので、容赦なく殴り飛ばす。
……嘘である。
身内のアホや三馬鹿ならまだしも、ただの友達である真島を殴れるわけがない。
ただの比喩表現だ。
真島を諌めるのは、いつだって西野さんの仕事だ。
「……はぁ、子守さんに迷惑かけないでよね」
西野さんは、真島を容赦なく見放していた。
「ぶーぶー。月子はなんで助けてくれないのよ」
「え、嫌だもの」
即答した。
真島とは小学校からの親友だが、容赦なく見捨てる。
普通に考えてほしい。
嫌なことに、理由など存在しない。
ただただ、真島を助けるのが面倒で嫌だったから助けなかった。
西野月子は優等生だが、誰にでも優しいタイプの善人というわけではない。
親友ですら興味がない。
思春期を殺した少女の翼だ。
「月は、この世のものにもっと興味持って生きて」
この世界は自由だ。
色鮮やかに輝く未来が待っている。
色々と楽しいことがあるのに、他人に興味がなく、世界にも興味がないとか、夢も希望もない生き方をしている。
西野さんには、趣味の一つもない。
恋愛漫画も読まないし。
音楽も聴かない。
YOASOBIも知らない。
これが、令和を生きるアオハル真っ只中のJKか。
そう言われても、青春謳歌する気もなければ、まったく楽しいとも思わない。
それこそ、寝て起きてご飯を食べている方が楽しい。
「嘘こけ。月は、衣食住にすらあんまり表情変わらないでしょ」
……そうは言われても。
西野さんは、表情筋が他の人より少ないだけで、心は喜んでいたはずだ。
多分、そう。
人並みの感性はちゃんとある。
「……他の人が、頑張り過ぎなだけだと思うわ」
我々のクラスには凄い人がいっぱいいる。
全てを照らす太陽であり、世界一可愛い読者モデル。
メイドが好き過ぎて、狂ったように毎日絵を描き続ける同人作家。
大和撫子のお嬢様であり、天才バイオリニストのテニスプレイヤー。
それ以外にも自分より優れた人はいっぱいいる。
成功者は、才能も自信もあり、努力も挫折もしている。
そして、互いに助けが必要な時は、損得勘定など関係なく、手を取り合い生きている。
辛い時は鼓舞し合い、いつだって前を向いていられる。
人が追い求めているもの。
それが、正しさであり、愛なのである。
一軍の人間がオーバースペック過ぎる。
夢に向かって努力をし、誰にも認めてられるように正しく生きる。
普通の人からしたら、それは眩しいのだ。
それに足並みを合わせるのは難しい。
西野さんが、テストで良い点を残して、優等生になったところで、普通のままだ。
サッカー部のエース級であり、学校一のイケメンである一条ですら、最近はキャラが薄くて出番がない。
それなのに、西野さんがどんなに頑張ったところで、クラスで目立つとは思えなかった。
「だが、爪痕は残せる」
「……プラスの話をしているんだけれど?」
何で、学校で問題を起こす前提なのだ。
真島の親友をやめたい。
成功して称賛されるより、失敗して炎上させる方が簡単。
マッチポンプ上等。
名前を売るなら、炎上した方が効率的である。
「……炎上は失敗じゃないけど」
故意の過失は失敗とは言わない。
それに、よほどのことをしないと普通は炎上なんてしない。
西野さん含め、普通の人間では火種を作ることすらも難しいのだ。
「東っちはよく炎上してるけど?」
あれは、ハジメちゃんっていう生物だから例外的である。
アクセのことに話を戻して、黒川さんが話す。
「子守さんもアクセサリーを貰ったのでしょう? 今日は付けてないのですか?」
「あるで」
萌花は、ポケットから雑に取り出す。
ジャラッと音を立ててテーブルに置かれた。
放り投げないで……。
あと、持ってきているなら付けて。
もえぴのことだから、彼氏の贈り物を気に入っているのか気に入っていないのか分からねえ……。
みんな、困惑していた。
萌花が貰ったのは、ダイヤモンドの付いたネックレスで、宝石の大きさは指先で摘まめるか分からないくらいに小さい。
しかし、それは仕方がないのだ。
ダイヤモンドの価値が高過ぎるせいで、学生が買える値段ではどうしても砂粒のように小さくなってしまう。
それでも麗奈が貰ったオパールよりも値段があるわけだ。
結果的にではあるが、萌花が貰ったアクセが一番お金が掛かっていた。
たった数千円の違いだとしても、好きな人から貰ったものならば、大きな差だ。
本来ならば四人の扱いに差が生じた場合、女の子として嫉妬されても仕方ないものだが、萌花の場合は例外である。
あの風夏であっても、萌花には何も言わない。
誰も文句は言えなかった。
人は、人が貰うべき対価が対等であり、釣り合っている場合、文句を言わない。
萌花は、毎日のようにハジメをボロカスに罵倒するが、誰よりも彼の幸せを切に願っている。
純愛とは、好きな人をただ愛することではない。
自転車で倒れて泣き叫ぶ我が子を、母親が無理にでも立たせて、また乗せることが悪であろうか。
母親が、子供の頬を叩くことが許されるのは、愛があってこそである。
筋が通った親の躾であれ、暴力は親子ですら問題視される。
恋人なら、尚のこと簡単には出来ないだろう。
……嫌われてもいい。
それでも、誰かを叱ることが出来るのは愛があるからだ。
愛している人が、数年後、数十年後に誤った道を歩み、その結果怒られ嫌われるかも知れない。
そんなことになる前に、人は叱ってでも教えるのだ。
傷は浅い方がいい。
男の子を叱る役目は、本来ならば両親がすべきだが、仕方ない。
恋人同士でも、親よりも教えられることも、教わることもある。
萌花がよんいち組の中で一番魅力的で、誰よりも秀でている部分は、人を見る目である。
萌花は、全ての人間が同じ生き方をしているとは思っていない。
自分と他の人の価値観は全く違うし、それがその人間の道理になっているならば、それは正しい行動だと思っている。
人には人の人生がある。
みんな、生まれや境遇が違い。
人の価値観は、見てきたものによって決まるのだ。
この世に同じ人など居ないのに、他人を真似る必要はない。
人は、誰かの劣化になる為に産まれて生きているわけではないのだ。
明日よりも幸せな日を手に入れる為に努力をする。
それでも、他人と比べるのは人の性だが。
自分の持っているものが、他人に劣るわけがない。
彼女の良さは、それをハジメに直接言えるところだ。
ハジメに対して怒ることが大半だが、他人を真似し、今まで生きてきた信念をねじ曲げろとは絶対に言わない。
馬鹿でアホだが、男として誰かに劣っているとは思わないのだ。
それは、彼の歩んできた道を否定することになる。
東山ハジメは後先考えないし、愛があれば全てを乗り越えられると思っている馬鹿だ。
両親に愛されて育ってきた、お人好しの馬鹿だから、悪い結末を考えられないのだろう。
自分の道を信じて、突き進むだけしか出来ない人間だ。
それでも、人はいつか後悔をする。
人生とは後悔の連続だ。
悔いなき選択など、出来るわけがない。
特に野郎は小さなことで悩むものだ。
それこそ、タンスの角に小指をぶつけただけで泣き叫ぶくらいにガキである。
だから、女はその悩みを解消させ、野郎の尻を無理矢理蹴り飛ばすのが女の務めとも言える。
それを純愛と呼ばずして、何というのだろう。
この世界にこれだけの人々が生きていて多種多様な生き方があるならば、尻を蹴り上げる純愛だってあるはずだ。
萌花は、ハジメの絵のことも夢に向かう情熱も全然理解出来ないけれど、絶対に東山ハジメには後悔させないと決めていた。
それだけの為に、萌花は憎まれ役を担っていた。
ただただ、彼ピからの贈り物に一喜一憂しているアホ面女とは違うのだ。
貰うだけの女とは違うのだ。
面とおっぱいしか取り柄がない女。
アホ面して幸せそうにしていたら何でも許されている。
風夏や冬華は、仕事を支えるパートナーであり正当な対価を貰っていた。
萌花は、言わずもがな。
……だが、麗奈は違うだろうが。
令和版、愛され女子。
意味分からない生き方をするな。
「萌花は、私を批判する前に、アクセを付けなさいよ」
「……アクセ付けて、どや顔しているやつと同じにされたくないじゃん」
「幸せそうって言いなさいよ!」
「お前、ここ最近何もやってないだろうがっ! ログボだけ貰ってんじゃねえよ!!」
夏休みに喧嘩するな。
あと、ずっと付き合っていてプレゼント貰うことをログボ言うな。
麗奈と萌花は、殴り合いするレベルで喧嘩をする。
準備組が引いていた。
……ハジメが居ないと止められない。
この二人を止められる男。
ハジメちゃん、何でいないのよ。
彼が来ても、二人にぶん殴られるだけだが。
それだけでも彼は有能なのかも知れない。
みんなは、彼氏が居たことがないから恋愛はよく分からないが、付き合って長いとログインボーナスがもらえるものなのだろうか。
一ヶ月記念。
半年記念。
なんでもない日記念。
愛する人同士だと、毎日が記念日なのかな。
ハジメはそんな律儀な性格ではないが、仕事の関係でクラスメートによくお菓子をくれる。
読者モデルの仕事だと、撮影場所が渋谷以外の場合もある。
顔合わせした企業さんから、おみやげを手渡されることが多いらしい。
特にハジメは甘い物が嫌いだから、余らせるくらいならと、学校に持ってきて身内やクラスメートに渡す機会は多いのだった。
いつも勉強を頑張っているから、たまには労わないといけないからな。
そう言って、サラッと褒めてくれるあたり、一軍男子だ。
そもそもクラスメートにすら、そのレベルでくっそ優しいし、そんな人間の彼女なら激甘いのは当然だ。
悪態付いても、彼女は可愛いと思っている。
何だかんだで、麗奈や萌花の二人だけにだけではなく、風夏と冬華にもアクセを買っていた。
好きな人の喜ぶ姿が見たいからと、数千円、数万円でも気にせずに払っていた。
可愛い可愛い彼女が喜んでくれて、綺麗な宝石でドレスアップした姿が見れるなら、プライスレスだ。
好きな人の為なら、何だってするだろう。
「……一条くんはそういうことしないからね」
ウォンッ!!
黒川さん、キレる。
ご乱心である。
恋人がなんでもない日に贈り物をしてくれる。
それは普通のことのようで難しい。
ハジメだけが出来る特別なこと。
もちろん、一条は自然の流れで他人を気遣えるハイスペック男子だが、身内にそれが出来るとは限らないのだ。
秋葉原デートで回復した黒川さんの信頼はゼロになっていた。
色々あるにせよ、可愛い彼女を一ヶ月以上も放置していたら、温厚な黒川さんでもキレるのは仕方がない。
忙しくても連絡は小まめにしろ。
一日一回でも電話をしていたのならば、黒川さんは怒っていなかっただろう。
最近は、一条がサッカーの大会で忙しく、ラインもあまり出来ないのだったが……。
女の子からしたら、そんなのは関係ない。
たとえ大会前で忙しくても、毎日連絡したいし、毎日会いたいのが乙女心である。
いや、黒川さんとて、一条に望んでいることの全てをこなして欲しいとは思わないけれど、よんいち組みたいな恋がしたかった。
素敵な恋への憧れは止められねぇんだ。
鬱憤が溜まっているのか、表情に闇を帯びる黒川さん。
それをフォローするように、西野さんが話す。
「まあでも、一条くんからしたら、高校最後の大会だものね。仕方ないと思うわ」
大会に集中したい気持ちは分かる。
「……佐藤は、よく明日香ちんをカフェに誘っているみたいだよ」
真島が爆弾を投下する。
今、ここで、要らんことを言うな。
あれはあれで特殊なんだよ。
カフェに対する、モチベーションと体力無限の男を例えに出すな。
話がややこしくなる。
西野さんからしたら、穏便に事を進めたいだけであって、黒川さんや一条のどちらかの肩を持ちたいわけではないのだ。
自分の発言のせいで、二人の仲が拗れたらまずい。
彼氏への不満があり、怒っているだけなら、時が解決してくれるだろう。
西野月子は、普通の高校生だ。
恋人の気持ちは理解出来ないし、自分の意見を話すのは苦手だし、危ない橋は渡りたくはない。
ことなかれ主義なのは普通なのだ。
みんなを落ち着かせようと試みる。
「まあまあ、夏休みなのだから、楽しい話をしましょ。……そうだわ。小日向さん達は何か貰ったの?」
西野さんは、あえて誰も触れなかった話題に触れる。
目に見えた地雷。
踏んだら起爆する話題だった。
それは、SNSをあまりやらない人間なのが災いした。
ネットを見ていたら、風夏達がアクセサリーの写真を上げていたのに気付いたであろう。
しかし、時既に遅い。
風夏と冬華は、誕生石が入った綺麗な指輪を貰ったのだ。
ネックレスよりも使っている金属が少なくて安い。
というのが、第一の理由でしかなかったが、女の子からしたら、そんなものはどうだっていいのだ。
指輪をよこせ。
お店で指のサイズを調べないと指輪は買えないとか、ネックレス以上に好き嫌いが分かれるとか、理由は幾つでもあっただろうが知ったことではないのだ。
恋人において、指輪とネックレスでは、意味が違うのだ。
SNSで風夏が指輪を載せていたから、自分も同じものが貰える。
……そう思いながら、ウキウキして袋を開けたら出てきたのはネックレスだ。
は?
マジで??
は???
聖母様だって、殴り飛ばしてくるだろう。
同じような指輪をプレゼントしてくれたと思っていたら、ネックレスが出てきた。
その時の女の顔は。
麗奈は、その時のことを気にも止めずに笑っていた。
それがとてつもなく怖かった。
「あ、全然大丈夫だからね。……うんとね、そのお店がまた来週イベントに参加するらしいから、その時に買ってくれるって」
この女、買わせる気満々であった。
遠い遠い幕張まで、彼ピの首根っこ捕まえてハンドメイドフェスティバルに乗り出す。
いや、サークルのお姉さんと話を付けていて、女の子は自分で選んだ指輪しか付けないから、ちゃんと呼んできて選んでもらいなさいと言われたらしい。
だから、二人に贈ったのはネックレスだったのだ。
誰にも非はないし、筋は通っているが。
……真相は定かではない。
萌花からしたら、筋が通っていようとも、その流れになったら私達がどういう事態になるか考え付かないハジメに苛立ちを覚えていた。
あ、やばいやつや。
その空気感だけはヒシヒシと感じていた。
何でラブラブなのに、うちのクラスのカップルはいつも喧嘩をしているのか。
ずっと好きなんだったら、いつも仲良くしていたらいいのに。
恋人がいたことがない人間には恋愛はよく分からない。
永遠の謎である。
それからみんなは、ショッピングモール三階のフードコートに行って、軽食をしていた。
夏休みでどこも混んでいて全然座れなかったが、屋外のカフェテラスが空いていたのでよかった。
日除けのパラソルがあるけれど、日差しが強く、かなり暑い。
流石に暑いところは誰も座りたがらなかったらしい。
まあ、全員が座って話すとなると、外で休憩するのも仕方なしである。
それに、高校生だから多少の暑さは堪えられる。
ほどなくして、本屋ちゃんがやってくる。
「みなさん、遅れてすみません。えへへ、何だかお久しぶりですね。……えっと、みなさんは何の話をしていたんですか?」
「……クソ野郎の愚痴」
本屋ちゃんは、萌花が付けていた胸元のネックレスを見る。
「ア、スミマセン……」
何となくこの場の雰囲気を察して、帰ろうとするな。
SNSに詳しい代償を支払わされる本屋ちゃんであった。
ことの経緯を聞く。
「なるほど。一応は落ち着いたのですね。……よかったです」
切実なよかったですを口にする本屋ちゃんだった。
本屋ちゃんは、萌花のネックレスを間近で見せてもらい、手芸をよくする人間目線で感心していた。
「綺麗なネックレスですね」
「ん、ありがと」
出来た女性は多くは語らない。
本屋ちゃんは、手芸はよくするけれど、宝石は詳しくない。
しかし、ものを作る大変さは知っていた。
数千円の価値しかないものであれ、そこに込められたものは無限大である。
このアクセサリーには、製作者の気持ちを感じ取れる。
アクセサリーは、男性から女性への特別な贈り物。
特に宝石だ。
子守萌花が貰って納得するような、可愛いネックレスを選ぶのに、ハジメは悩みに悩んだのだろう。
萌花が貰ったネックレスのデザインは、シンプルなものだ。
プレートの真ん中にダイヤモンドが飾られているだけで可愛過ぎず、それでも見えないくらいの女の子らしい細かな装飾が施されていた。
ハートのイラストだ。
萌花は、自分に女の子らしい可愛さなんて望まないだろうが、可愛くいてほしい。
誰よりも貴方を愛している。
彼氏からの想い。
デザインはシンプルだが、作り手のセンスと、ものづくりの思いも感じ取れたため、大袈裟に褒めるのは野暮だと思った。
全部の想いを含めて、口にするのは綺麗だけでいい。
「私のも見て欲しいな」
麗奈のはまあ、うん。
強い意味はなさそう。
「私だけ、扱い酷くない!?」
「……お前は女性としての慎ましさを学べよ」
アクセサリーとは、自慢にならないくらいに目立たせるのが本来の役割である。
宝石は引き立て役。
あくまでメインは女性だ。
宝石が綺麗過ぎて、女性の印象を殺してしまうのはタブーである。
日本における装飾品の華やかさとは、その人の魅力の合わせた良さ。
それを後押ししてくれる美しさだ。
アクセサリーの価値が、女性の価値にはならないし、宝石に品がなければ、派手なだけのただの石だ。
あと、田中さんに見せる為に、こちらに胸を押し付けてくるのをやめろ。
麗奈は、間に座っている萌花を胸で押し退ける。
おっぱいビンタ。
畜生である。
天然のおっぱいマウントをする。
持たざる者への侵略行為。
悪意のない悪。
自分の武器を自然の流れで利用するあたり、萌花には出来ない芸当である。
今までずっと口を閉ざしていた白石が口を開いた。
「麗奈ちゃん、なにカップ?」
「え、私? ……Fだけど??」
「そう……」
おわり。
なんで問いかけた?!
白石は、数少ない出番を消費してまで聞きたいことだったのだろうか。
満足そうにして、座り直すな。
ずっと一緒のクラスなのに、白石の性格はよく分からない。
黒川さんや西野さんが、毎度のことながら大変そうな表情をしていた。
「はいはーい。れいちょむ、おっぱい大きいと肩って重くなるの?」
真島は真島で、空気を読まない。
あとれいちょむってなんだ??
「別にそこまで重いわけじゃないけど、運動する時にはちょっと邪魔な時があるわ。その時だけは、おっぱいはいらないと思うかな?」
「へぇ」
共感されないメンバー。
本屋ちゃん以外は、大体AよくてBカップ。
おっぱいに憧れることはあっても、おっぱいが要らないとは絶対には思わない。
巨乳の中の巨乳。
Fカップもある麗奈の気持ちなんて、誰も理解出来るわけがないのだった。
持たざる者への宣戦布告。
おっぱい格差社会である。
流石、麗奈。
水泳の授業の時のおっぱいの破壊力は、スクール水着であっても凄まじいのだった。
そんな人間が、夏色サマーの艶やかなビキニ姿になるのだから、旅行が楽しみで仕方がない。
オラ、ワクワクすっぞ。
……なんで悟空。
高校生最後の夏休み。
海での水着姿は、おっぱいが大きいほど魅力的に見えるものだ。
秋月麗奈は、キャラが濃いよんいち組では、あまり目立たないことが多いが、海はれいちょむの独壇場であろう。
女の武器をフル活用して、全ての男性をひれ伏させる。
麗奈めちゃモテサーガだ。
「いやいや、モテるも何も、私達以外が居ないプライベートビーチだし。あと、彼氏がいるから別にモテたくないし、興味ないわ」
「……えっ、頭おかしくなったの?」
真島、失礼。
とはいえ、その反応は正しい。
あの、他人からの評価をいつも気にしていた秋月麗奈が。
あの、他人からの評価をいつも気にしていた秋月麗奈が。
「え、何で二回も言ったのよ」
そんなことを言うとは……。
人として成長したものである。
驚愕過ぎる発言に、空からメテオが降って来ないか心配である。
イケメンならどんなに屑でも好きになりそうな女の子、第一位。
DVが似合いそうな女の子、第一位。
秋月麗奈がそんなことを言うとは。
「いや、何なのよそれは」
何で訳が分からない事を言われないといけないのか。
みんなの麗奈への扱いが、ハジメ寄りになってきていた。
クラスメートとはいえ、一軍女子の風夏や冬華にはそんな下品なことは言えないし、萌花には世話になっていたので右に同じく。
麗奈の場合はどうしても扱い易くて、対応が雑になりがちだが、その分、気兼ねなく話せるとも言える。
元々、対人関係は得意な子だったけれど、他人からの評価を気にしなくなり垢抜けたところが好かれているのだろう。
他人に向けていたキャパシティの殆どを、その分ハジメに費やしている。
……愛に上限はない。
東山の血が流れていた。
お前もママになるんだよ。
愛に目覚めた突然変異種である。
なんでママ目線なのか。
……理解不可能だ。
「……こいつに話を振ると、ろくなことがないぞ」
萌花は、冷ややかな目線を向けていた。
麗奈は、元々料理が趣味だからか、自分に出来ることが料理くらいだからか、東山家でよく料理を振る舞っていた。
純粋に好きな人に手料理を食べてもらいたい。
はたまた、私が育てた。
……意味が分からん。
何でママ目線なんだよ。
母親のように、食べてもらう人の栄養バランスを考えて、毎日の料理をするようになったら末期である。
女の子だから、好きな人への手の込んだ料理はありだが、度を越えたらなしだ。
ブイヤベースに数時間掛け始めたら、料理好きの女の子というより、狂気である。
いや、この娘は元々狂っていたか。
麗奈は、東山家秘伝の料理を着々とマスターしているのだった。
その家庭で作る定番のハンバーグやカレーだけで見ても、その家の秘伝スパイスや隠し味がある。
家の歴史は、料理の歴史だ。
どの家庭であっても、外食では食べられないその家だけの味がある。
年号が変わって令和になり、女が台所に立ち続けるのら時代錯誤だが、男が家庭の味を引き継ぐことは無理であろう。
野郎の料理は適当だから、任せるわけにはいかない。
家庭のレシピは繊細なのだ。
料理を得意とする麗奈ですら、東山家の本来の味を表現するのは難しい。
麗奈が努力をして、ハジメママほどの深みを感じさせる味を出せるようになるには、どれだけの月日が掛かるのだろうか。
それは分からない。
高校生の娘ごときでは、ハジメママの愛情を越えることは出来ないだろう。
料理の隠し味は、いつだって愛情だ。
彼女のたゆまぬ努力があったから、東山家の料理はこの時代にも生きている。
そうして、愛は受け継がれていく。
人は生きている限り、食べなければいけないから。
いいものを。
美味しいものを。
毒すらも食らえ。
故に、ママは偉大なのだ。
女の子としての大切なことは、ハジメママが教えてくれた。
麗奈には、風夏や冬華みたいな崇高な夢や志しはないし、萌花みたいな信念はない。
どこにでもいるような普通の女の子だけれども、料理だけは誰にも譲れないのだった。
「そうだわ。旅行では、私が頑張って美味しいものを作るから楽しみにしててね」
ハンバーグにカレーライス。
クラスメートに、東山家の料理を振る舞おうとする。
頭のネジが外れていた。
「お前一人で作品の性質を変えるな」
どの面下げてほざいているのだ。
この女、狂っている。
おまけ。
新幹線。
俺と小日向は、二泊三日の旅行に向けて、溜まった仕事を片付けていた。
読者モデルの仕事の大半は、完璧なレベルでスケジュールされていて、突発的なイベントはあまり発生しない。
しかしながら、他の事務所の代打として急遽、地方イベントの誘いが来る場合もある。
読者モデルの事務所同士。
会社が違えども、横の繋がりがあるのだ。
「博多の塩~♪」
小日向、ジュリねえ。俺による片道五時間の新幹線の旅が始まる。
殺して、殺して……。
何で飛行機を使わないの。
小日向というトップモデルが居ても、事務所にはお金がないのか。
すまない。
……ジュリねえは、飛行機が駄目だった。
毎日女の子をスカウトしている酒カス三十路女にも、可愛いところがあるものだ。
そのため、俺達は朝早くから新幹線に乗って、博多に向かうのであった。
夏休みに入り、学校が休みとはいえ、長時間拘束を受ける地方の仕事を取ってくるな。
小日向のマネージャーは白鳥さんだが、役職者が本社を離れるわけにはいかないので、引率者はジュリねえになった。
……アンタも役職者だろうが。
サラッと博多に行く許可が降りていることに疑問を持てよ。
遊びに行けて、幸せそうにすんな。
小日向にジュリねえ。
この二人だけで、新天地に行ったらどうなるか分かりますよね?
やむを得ず、俺も同行していた。
朝一に集合して、小日向に朝ご飯の駅弁を買い与えて、新幹線の窓際に座らせる。
小日向は、外の景色を見ながら、飯を与えている間は静かになる。
小日向がご飯を食べ終えたら、次は昼寝させていればいい。
それで博多に着く手筈だ。
まあ、最近の小日向は無茶苦茶するが聞き分けはいいし、静かな方か。
問題はジュリねえだ。
駅弁を食べながら、ポツリと呟く。
「ハジメちゃん、私はビール飲みたいぞ」
「……仕事しろよ」
「大丈夫。五時間あったら酒は完全に抜ける」
「知るか。飲むならせめて帰りの新幹線にしろよ」
一流企業のショッピングモールで開催されるイベントなのだから、緊張感を持って欲しい。
「私も長いことこの手のイベントに参加しているんだぞ。慣れているからこそ、適当でも完璧にこなせるのだ」
地方イベントに慣れているから、気を遣う部分も少なくなり疲れない。
知るか。
ちったあ、本気出せよ。
いつも全力で仕事をしろよ。
ジュリねえは語る。
「……三十越えると、心に身体が追い付かない」
心は元気なのに、体力がなくなってくる。
若い頃より、最大HPが減ったのか、回復能力が落ちたのか分からないのだ。
「……どっちもだろ」
ジュリねえ、無理しないで。
貴方は三十○歳なのよ。
心は若くても、実年齢には勝てない。
身体は正直なのだ。
三十○歳、三十○歳だから無茶しないで。
身体がそう言って、悲鳴を上げる。
昔はもっと輝けたはずなのに。
みんなからモデルとしての羨望を浴びて、世界一可愛いと、ちやほやされていたはずなのに。
今となっては、事務所の後輩に気を遣われる毎日だ。
人は老いには勝てないのだ。
切実な問題だった。
だったら精神的に成長しろよ。
夜更かしをやめたり、お酒を抑えたり、もっと自分の身体を敬え。
ジュリねえは若くはないんだから。
読者モデルの先輩として、俺達の為にずっと頑張っていたのは知っている。
だから、長生きしてくれ。
肝臓はいきなり死ぬんだぞ。
「そうだ、アルコールフリーならいけるよね!」
「てめえ、舐めてんのか!?」
代用品に頼ってんじゃねえよ。
こっちは飲むなって言っているんだよ。
本気でジュリねえを心配しているんだから、言うこと聞けよ。
「アルコール入ってないから、ジュースと同じ……」
潤んだ顔をするな。
顔だけは良いからクソだな。
こういう時だけ、女の顔をするな。
「ジュリねえ。飲み物は、ミネラルウォーターか、お茶にしてください。仕事前に一滴でも飲んだら怒りますからね」
「あははは、冗談を」
「……」
「……」
「……」
「……」
「ハジメちゃん、シュウマイ食べる?」
ジュリねえは、自分のお弁当のシュウマイを差し出してくる。
妹の陽菜みたいなことすんなよ。
食べ物一つで、人間の機嫌がよくなるわけがない。
「……崎陽軒のシュウマイは美味しいよ?」
俺のことをなんだと思っているんだよ。
シュウマイはいらないから、小日向にあげる。
小日向は、幸せそうに食べる。
崎陽軒のシュウマイは美味しいらしい。
ご機嫌である。
急遽、博多まで連れ回されて文句を言わないのだから、そこは小日向のいいところだな。
小日向は笑顔で言う。
「ハジメちゃん。博多に行ったら、なに食べよう?」
こわ。
こいつ、お弁当を腹一杯まで食べながら、食べ物のことを考えていた。
マジもんのやばいやつだ。
博多の名物といえば、水炊き。
もつ鍋やラーメン。
餃子も捨てがたい。
もちろん、スイーツも食べないと。
お前も仕事しろよ。
仕事終わりの予定が、食べ尽くしツアーになっていた。
……日帰りだぞ。
「そうだね。一日じゃ回れないし、ホテル取って帰る?」
「いや、飯食う為にホテル代払うなよ」
「やったぞ。それなら部屋で酒が飲めるな」
「……舐めんな」
ジュリねえは、歓喜するな。
「三人で泊まれるホテルってあるのかな?」
小日向は、さも当然のように三人一部屋にしようとするな。
俺は男だ。
あと、家族には、夜には帰れるって言ってあるし、晩御飯の用意をしてもらっているから却下する。
「……帰る家がある。独り身には酷な話よな」
一人で勝手に傷付きながら、寂しい気持ちで崎陽軒のシュウマイを食べる。
飯くらい、誰かに作ってもらえよ。
別に事務所のスタッフで一人暮らししている人は多いのだ。
一日くらいなら金を払ったら泊めてくれるだろう。
「ジュリちゃん、私の家に来ます?」
「風夏ちゃん優しいわぁ」
風夏ちゃん、いい子いい子していた。
いや、だから。
ジュリねえは、俺を間に挟んでやるなよ。
てめえのおっぱいに挟まれていた。
豊満なバストだが、圧倒的に興味ないから、ムカつく。
ジュリねえは、ある種の母親のようなもの。
事務所のフェアリーゴッドマザー。
読者モデルのジャンヌダルク。
渋谷の母だ。
そんな相手を異性として認識出来るわけがないのだった。
なんなら、二人一緒にユーチューブでハンター✕ハンターの解説動画を出し過ぎていて、掛け合いを続けるうちに、相棒のような一体感が生まれていた。
どんなに仲良くなっても、ジュリねえが駄目人間なのは変わらないけれど、漫画やアニメの趣味は無駄に合うのだった。
……親の年代だからかな。
昔の話題が多い。
「ハジメちゃん、失礼なことを考えたな?」
「そんなことないですよ」
勘のいい女は嫌いだ。
俺達はお弁当を食べ終えて、最終確認も兼ねた打ち合わせを軽くする。
プリントには、イベントでやる内容が掛かれていて、俺達の仕事は一時間ほどだ。
読者モデルの仕事ということで、新作ブランドの宣伝と、小日向の雑談タイムで構成されている。
元々は博多のモデルさんの仕事で、俺達はその代打ではあるが、やるからには本気でやる。
それが読者モデルだ。
……あるもの全てを、根こそぎ奪い取っていくつもりだ。
小日向は、世界一可愛い読者モデルになり、理想も名誉もあって人として満たされていて。
それでも尚、生物として餓え続けていたからこそ、読者モデルとしての頂点なのだ。
動物は餓えてこそ、孤高の存在になれる。
俺達は、侵略的外来種だ。
東京からやってきて。
全てを喰らい尽くす捕食者である。
小日向風夏はとても強い子だ。
どんなに食べても満たされない。
無限に涌き出る原動力。
いまだに成長期なのである。
弁当を二つ食べただけでは足りない。
……いや、飯の話かよ。
てめぇら。
片道五時間掛けて、博多まで飯食いに行くわけじゃねえんだよ。
仕事の話をしろよ。
教えはどうなっているんだよ、教えは。
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