長編小説

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第27巻 ある男の物語

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18時20分。


 幸桜苑のロビーには既に師匠が着いていた。
 18時15分くらいには着くと連絡が入っていた。
 雨が降っていたから、幸桜苑のすぐ目の前にあるバス停から中に入っている様にとも伝えたが誰も居ない。
 初老のご夫婦がチェックインして部屋の説明を受けて浴衣を受け取っているのを横目で見ながら、バスの到着時間をフロントで確認した。
 時間からご夫婦と同じバスで来るはずだが居ない。間違えて降りた可能性が高い。

 チェックインした夫婦に声をかけて、女性が乗っていなかったか聞いた。


「ぁあ、若い女の人なら金田で降りてたよ。ここの1つ前のバス停だよ。とても慌てていたから覚えているよ」


 ありがとうございますと言って別れた。

 この旅館は街から来る、道と山の反対側から来る道の一本しか道がない。
 
 フロントに金田のバス停の場所を聞くと、薄気味悪く街灯が1つバス停を照らしているだけで、横を通った時もバス停があるなんて気が付かないくらいだそうだ。
 住民はほとんど人が住んで居らす、近々バス停をずらす予定だとも言っていた。
 言葉を続けようとしていたが、途中で別のフロント係に止められて続きは聞けなかったが、場所さえ聞ければ十分だった。


 バカめ。寝てて聞き間違えでもしたのだろう。

 鈴にすぐ電話をしたが、コールがずっと鳴っている。もう少しで切れてしまうのではないかと思うくらい長く鳴った。


「……い゛。……ぁ」
「おい!今どこにいる」


 やっと出たと思えば、電波が悪いのか声が途切れ途切れで聞こえる。


「バス停で待ってろ!」


 声が聞こえないので、こちらの用件だけ伝えて電話を切った。切る直前、女の笑い声が微かに聞こえたのは聞き間違えじゃないだろう。

 フロントに預けた車の鍵をもらい、急いで車に乗り込み来た道を戻ろうと車を敷地から出すと、そこにはずぶ濡れの鈴はいた。
 傘もささずに覚束ない足取りで、足元ばかり見ている。方に唐牛でかかったバックをかけなおす素振りもない。引きずる足は、目的地にしっかりと歩みを進めていた。車に乗せようとしたが、駐車場からの距離を考えると歩かせても同じくらい。



 間違いなく、何か入ったな。



 鈴を避けて、すぐさまバックをして旅館の前に車を止めた。案内係に鍵を渡して、駐車場に車を置いてもらうように頼んだ。入り口に戻って来ると、鈴は中に入らずに俯いたまま入り口の前で立ち止まっていた。ボソボソと何か呟いている。


「おい、入るぞ。びしょ濡れじゃないか」


 返事もない鈴を無理やり手を引いて中に連れて行った。受付の人がびしょ濡れの鈴を見て、驚いてバスタオルを持ってきてくれた。


「おい。部屋に行くぞ」
『……ぇ、ぁ』


 バスタオルで頭をガシガシと乱暴に拭いて、声をかけるとまだ虚ではあるが誘導すると従った。

 ここの幸桜苑は山の上に建てられており、山の神聖な気が多く集まる場所である。
 入り口から入らなかったのは神気が強くて尻込みしていたからだろう。何やら呟いていたのも、今では静かになった。


 面倒だな。と思いながら、長い旅館の廊下を抜けて、離れについた。
 藤の間と書かれた部屋は本館を抜けた先にあり、部屋に露天風呂が付いていた。
 部屋の入口に立たせて、濡れたまま部屋に上げる訳にも行かずバスタオルを風呂場から持って来る。突っ立ったまま動かない鈴の後ろに回って、パンプスに手をかけてやった。
 もう一度、上がれと強めに言うとゆっくりとした動作で一歩先のバスタオルを引いた所へ上がった。

 そこへノックと共に女の人の声がドア越しに響いた。


「大木様、失礼いたします。追加のバスタオルをお持ちいたしました」


 扉を開けると、美しく髪を結った着物の女性が立っていた。手にはカゴに入ったバスタオルを持っていた。


「本日は当、幸桜苑をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。私、女将を務めさせていただいております。本来ですと、お食事をお持ちする際にご挨拶にお伺いいたしますが、お連れ様が雨に濡れてしまったとフロントの者から聞きまして。急いで馳せ参じた次第でございます」
「いや、気にしなくて良い。タオルも助かった」


 タオルを預かって鈴に向き直ると、また何やらぶつぶつ言い始めた。


「お連れ様のお召し物もお預かりいたしますが」
『……ぁ、ぁ゛、ぁ、、ご、ろして、やる』


 え? と口元を隠して驚く女将。
 殺してやるとはっきり言葉を話したかと思ったら、体を大きく震わせて女将に飛びかかった。
 女将を押し倒して、殺してやると何度も何度も呟いた。女将も必死に抵抗していたが、首を掴まれてしまった。


『こ゛ろ、し゛、てやる、と゛ろぼ、う』


 首をギチギチに締められて、女将は顔を苦しそうに歪めた。

 俺も首を掴んでいる腕を離しにかかるが、相当な馬鹿力でびくともしない。
 諦めて霊力を鈴の身体に流した。
 首を締めていた手が緩んだ隙に後ろに引き、羽尾いじめにする。
 殺す、殺す、泥棒と何度も何度も叫び、女将を鬼の形相で睨んだ。


「急いで、日本酒を。交じりの無い純米だ。1番良いやつを持ってきてくれ」


 咳き込む女将を見送って、羽尾いじめにしている鈴を見やる。今だに殺す、殺すと煩い。霊力を使って今動きを封じているが、俺が直接鈴の中に力を送り込んで霊を引き剥がすとダメージが残る可能性がある。鈴自体の意識も浮上していない状況下ではまず無理だ。
 小さく、縛、と呟くと鈴の身体がギュッと硬直した。濡れたスーツも気せず、硬直した鈴を小脇にが付いて、露天風呂まで運んで露店風呂に投げ入れた。
 ザパーンと音と共に、動けなくなっていた束縛は解けて、放り込まれた鈴は急いで水面から顔を出した。
 あっ、あっ、と身体についた温泉を攘う。温泉から這い出ようとしている体を、押すとまた温泉の中へ倒れ込んだ。




 扉の前から、お酒お持ちしましたと女将の声が聞こえた。
 温泉の縁に立ったまま中に入ってきてくれと声を張ると、そっと中の様子を伺いながら入ってきた。女将の首にはスカーフが巻かれ、間からはくっきりと指の跡が見える。

 女将の目に映ったのは、服を着たまま露天風呂の中で暴れる女性を何度も鎮める男だった。女将はとても恐ろしいくなり、急いで部屋を出ようとした。


「何かに憑かれた」


 苦しもがき、暴れる鈴を捕まえ、お盆に乗せられた日本酒を口いっぱいに含んで、口移しで飲ませた。
 断末魔のような叫びを残して気を失う鈴。体から黒いモヤが飛び抜けていったのが見えた。

 恐怖から体を震わせて、顔を真っ青にしている女将に、容赦無く鈴の着替えを手伝わせて布団に寝かせた。
 
 自分も濡れたスーツを着替えている。女将にこの部屋の担当をするから現場に戻るのが遅くなると、フロント電話するように促した。
 先ほどの説明もすると補足して。
 




「こいつは、霊に取り憑かれていた。入り口からここまで女将を見るまでは、何にも興味を示さなかった。霊の狙いは貴女で間違いないはずだが、心当たりは?」
「ゆ、幽霊なんて馬鹿げた話、あり得ませんっ。警察に通報します」


 突然、客に殺すと言われ首を絞められ殺されそうになった女将の反応はごもっともであった。くっきり付いた首の跡も、酒を取りに行く際に誰かに指摘されて隠したのか、それとも見つかる前に自分で隠したのか。


「突然首を絞められて、殺人未遂です!お客様であろうと、これは通報させていただきます」


 恐怖と憤怒。感情がごちゃごちゃしているようであった。
 俺はわかったよ。と手を挙げた。ただ、その前に話をしてから通報して欲しいと願い出た。



「信じなくても、信じてもどうでも良いが、これだけは聞きたい。こいつに入っていた霊は、多分金田のバス停付近でくっつけてきたやつだ。焼け爛れた女の霊だ。強い憎悪があり、また他の奴に入ってここに来るぞ。今までも変な事があったはずだ」


 焼け爛れた女の霊と聞いた聞いた女将が、一瞬息を飲んだのがわかった。


「例えば、入り口の前でたたずんで、なかなか中に入ってこない客とか。温泉に入ると暴れる客とか」


 女将は正座をしたまま、俯いてしまった。
 か細い声で、以前もありましたと話し始めた。


「除霊をするしかないぞ。今回は乗り移った器がしっかりしていたからあそこまで暴れたんだ。今後もある程度の器の奴に入れれば、また襲われるだろうね」
「それは嫌です!もう、こんな怖い思いしたくありません……」
「じゃあ、もし俺が除霊できたら、通報は無しにしてもらえるかな?」


 女将は泣きながら承諾した。
 名刺を渡して、素性をあける。
 天斗の名前を出すと、以前テレビに出演していたせいか信じてもらえた様子だった。


「改めて、天斗と申します。霊は間違いなく祓いますのでご安心ください。そして謝罪が遅くなって申し訳ありません。弟子が憑依されたとはいえ、女性に怖い思いと怪我をさせてしまった」


 部下の失敗の責任を取るのも、師匠の勤めだ。
 誠心誠意頭を下げた。


 幸いなことに、従業員には首の跡は見られておらず湿布や化粧でどうにか隠せそうだと言う。
 依頼料は今回は無しにした。
 そして、もし今後除霊しきれておらず、同じような現象が出た場合は無料で駆けつける旨と、やはり騙されたと思った場合はいつでも通報して良いと伝えるとなんとか信頼を獲得できたようで、とり憑いていた霊の心当たりを話してもらえた。




 鈴が起きたら、お仕置きだ。


「まずは、霊の話をお伺いいたします」



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