15 / 31
十四章 手綱
しおりを挟む
ウェイグが話している間中、ラーナはずっと固唾を呑んで男たちを見守っていた。
ハガーにとっての賊はトラウマであり、ウェイグにとっての過去もまた大きな傷らしかった。
幸いにして、ハガーが気を取り乱した様子はなかった。
「……それで、どうなったんだ?」
と訊ねたのはハガーだった。
深刻なのは、ウェイグのほうだった。
一度黙り俯いてしまうと、彼はなかなか顔を上げなかった。木の棒で炎の中の薪をかき回し続けているうち、辺りはすっかり闇に覆われていた。
三人の旅人の眼前に火の粉が散った。
そこで、ようやくウェイグの眉がぴくりと動いた。
僅かに顎を上げたかと思えば、また俯いてしまったが、燃え始めた棒を炎の中へ投げると、重たげに口を開いた。
「……俺にもよく分からないんです。彼女、急に走りだして行って」
「それは何と言うか妙だな……。この森に入ったのは間違いないのか?」
「ええ、それは間違いありません。とび込んでいくのを見ましたから」
ラーナとハガーは一瞥を交わした。
「もしかして、折れ枝を追ってきた?」
ラーナの問いに、ウェイグは頷いた。
ラーナはふたたびハガーを見た。
二人は眉を寄せ合った。
奇妙だった。
ここへ至るまでに確認できた足跡は二つだ。
一方は、ウェイグのものと見て間違いないだろう。
とすれば、もう一方は彼のパートナーという事になる。
しかしあの足跡は、中途で途切れていた。
ラーナは地面に指を当ててみた。しっとりと湿った赤土だった。泥というほど柔らかくはないにしても、踏めば確実に跡が残るはずだ。
「樹上を移動したのかな……?」
ラーナは自身のパートナーへ囁きかけた。
折れ枝には擦過痕があった。てっきりロープをかけた痕だと思っていた。だが、あれはブーツを擦った痕だったのではないか。付着していた血のようなものは、この森の赤土と考えれば辻褄が合う。
「だが、何のために?」
問いの答えは、すぐに浮上した。
〈ガラスの靴〉だ。
目的地を目の前にして、富の独占を考えたとしても不思議ではない。
「……」
しかし目の前の冒険者に、それを告げるのは憚られた。彼の双肩は、孤独に沈んでしまっている。裏切りの痛みを、ラーナは知っている。
きっと、大切な人だったんだろうな……。
ラーナはパートナーの横顔を盗み見た。
もしもハガーが突然姿を消してしまったら、と想像をめぐらせた。
別れには慣れている。
裏切りなら、なおさら。
それなのに、胸の奥に冷たい風が過ぎる。
微かな痛みがある。
そうか……。
それを自覚した瞬間、豁然と思い知らされた気がした。
別れにも裏切りにでも、ただ慣れただけなのだと。
傷は消えたわけではない。痛みを感じなくなったとしても残り続けている。慣れや暗示によって隠すことができても、それは己の自覚しかねるところで心を蝕み続けている。
だが、こうも思えた。
その純真な部分は、絶望的な苦痛である一方、自分が自分であるための命綱ではないかと。
足を踏み外してしまっても、かろうじて自身を保ち続けてくれる、最後の希望ではないかと。
それすらも断ち切ってしまった者こそが、真にバケモノと呼ぶに相応しい存在へと堕したものではないかとも。
ラーナはメイプルの林で、ハガーと再会した瞬間を思い出す。
あの時の自分は、正しく最後の手綱を手離そうとしていた。
『……消えろ、バケモノめ!』
ハガーに出逢えていなければ、本当のバケモノになっていたかもしれない。
「……捜そう」
人には、誰かが必要なのだ。
出会ってしまえば、いつかは別れ。
裏切られるのも、裏切るのも怖く。
でも、まだ信じたくて。
まだ愛したいと思えるうちは。
差し伸べられた手をとり、誰かに手を差し伸べていくべきなのだ。
「一緒に捜そう」
ラーナは立ちあがり、孤独な冒険者に熱心な眼差しを注いだ。
どんな結末が待つにせよ、この人の心に寄り添いたかった。
ウェイグの眼差しが返る。
初めて、視線が交わったような気がした。
……ビョウ!
それを風の音が引き裂いた。
「ぐあぁッ!」
そして悲鳴が。
ハガーが倒木の上から転げ落ちた。
「ハガーさん!」
ラーナはとっさに、その身体を抱きかかえた。
弾かれたようにウェイグが立ちあがり、剣を抜き放った。
「これは……!」
ラーナはハガーを見下ろした。
その肩に短剣が突き刺さっていた。柄には血塗られたロープが結ばれていた。
それが今、ビクビクと蛇のごとく蠢動した!
「な、なんだ……?」
刃がずぷりと肉から抜け落ちた。
引きずられるように離れていく。
木々の薄暗い間隙の中へ。
「ッ!」
と同時、闇の中に火花。
ウェイグの剣が何かを弾いた。
宙にはね上がったそれもまたロープに結ばれた短剣だった。
「……外したか」
くぐもった声は、ロープの先から聞こえた。
木々の間隙から、ぬっと人影が姿を現した。
「次は外さん」
それは一見すれば旅人のようだった。
しかし一目で、冒険者の刺客でないと判る。
尋常な冒険者とは、決定的に違った部分がある。
「こ、こいつ」
覆われているのだ。
頭が。
「〈ウズマキ〉だ!」
目許にそれぞれ渦を巻いた、赤い仮面に。
ハガーにとっての賊はトラウマであり、ウェイグにとっての過去もまた大きな傷らしかった。
幸いにして、ハガーが気を取り乱した様子はなかった。
「……それで、どうなったんだ?」
と訊ねたのはハガーだった。
深刻なのは、ウェイグのほうだった。
一度黙り俯いてしまうと、彼はなかなか顔を上げなかった。木の棒で炎の中の薪をかき回し続けているうち、辺りはすっかり闇に覆われていた。
三人の旅人の眼前に火の粉が散った。
そこで、ようやくウェイグの眉がぴくりと動いた。
僅かに顎を上げたかと思えば、また俯いてしまったが、燃え始めた棒を炎の中へ投げると、重たげに口を開いた。
「……俺にもよく分からないんです。彼女、急に走りだして行って」
「それは何と言うか妙だな……。この森に入ったのは間違いないのか?」
「ええ、それは間違いありません。とび込んでいくのを見ましたから」
ラーナとハガーは一瞥を交わした。
「もしかして、折れ枝を追ってきた?」
ラーナの問いに、ウェイグは頷いた。
ラーナはふたたびハガーを見た。
二人は眉を寄せ合った。
奇妙だった。
ここへ至るまでに確認できた足跡は二つだ。
一方は、ウェイグのものと見て間違いないだろう。
とすれば、もう一方は彼のパートナーという事になる。
しかしあの足跡は、中途で途切れていた。
ラーナは地面に指を当ててみた。しっとりと湿った赤土だった。泥というほど柔らかくはないにしても、踏めば確実に跡が残るはずだ。
「樹上を移動したのかな……?」
ラーナは自身のパートナーへ囁きかけた。
折れ枝には擦過痕があった。てっきりロープをかけた痕だと思っていた。だが、あれはブーツを擦った痕だったのではないか。付着していた血のようなものは、この森の赤土と考えれば辻褄が合う。
「だが、何のために?」
問いの答えは、すぐに浮上した。
〈ガラスの靴〉だ。
目的地を目の前にして、富の独占を考えたとしても不思議ではない。
「……」
しかし目の前の冒険者に、それを告げるのは憚られた。彼の双肩は、孤独に沈んでしまっている。裏切りの痛みを、ラーナは知っている。
きっと、大切な人だったんだろうな……。
ラーナはパートナーの横顔を盗み見た。
もしもハガーが突然姿を消してしまったら、と想像をめぐらせた。
別れには慣れている。
裏切りなら、なおさら。
それなのに、胸の奥に冷たい風が過ぎる。
微かな痛みがある。
そうか……。
それを自覚した瞬間、豁然と思い知らされた気がした。
別れにも裏切りにでも、ただ慣れただけなのだと。
傷は消えたわけではない。痛みを感じなくなったとしても残り続けている。慣れや暗示によって隠すことができても、それは己の自覚しかねるところで心を蝕み続けている。
だが、こうも思えた。
その純真な部分は、絶望的な苦痛である一方、自分が自分であるための命綱ではないかと。
足を踏み外してしまっても、かろうじて自身を保ち続けてくれる、最後の希望ではないかと。
それすらも断ち切ってしまった者こそが、真にバケモノと呼ぶに相応しい存在へと堕したものではないかとも。
ラーナはメイプルの林で、ハガーと再会した瞬間を思い出す。
あの時の自分は、正しく最後の手綱を手離そうとしていた。
『……消えろ、バケモノめ!』
ハガーに出逢えていなければ、本当のバケモノになっていたかもしれない。
「……捜そう」
人には、誰かが必要なのだ。
出会ってしまえば、いつかは別れ。
裏切られるのも、裏切るのも怖く。
でも、まだ信じたくて。
まだ愛したいと思えるうちは。
差し伸べられた手をとり、誰かに手を差し伸べていくべきなのだ。
「一緒に捜そう」
ラーナは立ちあがり、孤独な冒険者に熱心な眼差しを注いだ。
どんな結末が待つにせよ、この人の心に寄り添いたかった。
ウェイグの眼差しが返る。
初めて、視線が交わったような気がした。
……ビョウ!
それを風の音が引き裂いた。
「ぐあぁッ!」
そして悲鳴が。
ハガーが倒木の上から転げ落ちた。
「ハガーさん!」
ラーナはとっさに、その身体を抱きかかえた。
弾かれたようにウェイグが立ちあがり、剣を抜き放った。
「これは……!」
ラーナはハガーを見下ろした。
その肩に短剣が突き刺さっていた。柄には血塗られたロープが結ばれていた。
それが今、ビクビクと蛇のごとく蠢動した!
「な、なんだ……?」
刃がずぷりと肉から抜け落ちた。
引きずられるように離れていく。
木々の薄暗い間隙の中へ。
「ッ!」
と同時、闇の中に火花。
ウェイグの剣が何かを弾いた。
宙にはね上がったそれもまたロープに結ばれた短剣だった。
「……外したか」
くぐもった声は、ロープの先から聞こえた。
木々の間隙から、ぬっと人影が姿を現した。
「次は外さん」
それは一見すれば旅人のようだった。
しかし一目で、冒険者の刺客でないと判る。
尋常な冒険者とは、決定的に違った部分がある。
「こ、こいつ」
覆われているのだ。
頭が。
「〈ウズマキ〉だ!」
目許にそれぞれ渦を巻いた、赤い仮面に。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説

異世界に追放されました。二度目の人生は辺境貴族の長男です。
ファンタスティック小説家
ファンタジー
科学者・伊介天成(いかい てんせい)はある日、自分の勤める巨大企業『イセカイテック』が、転移装置開発プロジェクトの遅延を世間にたいして隠蔽していたことを知る。モルモットですら実験をしてないのに「有人転移成功!」とうそぶいていたのだ。急進的にすすむ異世界開発事業において、優位性を保つために、『イセカイテック』は計画を無理に進めようとしていた。たとえ、試験段階の転移装置にいきなり人間を乗せようとも──。
実験の無謀さを指摘した伊介天成は『イセカイテック』に邪魔者とみなされ、転移装置の実験という名目でこの世界から追放されてしまう。
無茶すぎる転移をさせられ死を覚悟する伊介天成。だが、次に目が覚めた時──彼は剣と魔法の異世界に転生していた。
辺境貴族アルドレア家の長男アーカムとして生まれかわった伊介天成は、異世界での二度目の人生をゼロからスタートさせる。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
少年神官系勇者―異世界から帰還する―
mono-zo
ファンタジー
幼くして異世界に消えた主人公、帰ってきたがそこは日本、家なし・金なし・免許なし・職歴なし・常識なし・そもそも未成年、無い無い尽くしでどう生きる?
別サイトにて無名から投稿開始して100日以内に100万PV達成感謝✨
この作品は「カクヨム」にも掲載しています。(先行)
この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。
この作品は「ノベルアップ+」にも掲載しています。
この作品は「エブリスタ」にも掲載しています。
この作品は「pixiv」にも掲載しています。
異世界へ誤召喚されちゃいました~女神の加護でほのぼのスローライフ送ります~
モーリー
ファンタジー
⭐︎第4回次世代ファンタジーカップ16位⭐︎
飛行機事故で両親が他界してしまい、社会人の長男、高校生の長女、幼稚園児の次女で生きることになった御剣家。
保険金目当てで寄ってくる奴らに嫌気がさしながらも、3人で支え合いながら生活を送る日々。
そんな矢先に、3人揃って異世界に召喚されてしまった。
召喚特典として女神たちが加護やチート能力を与え、異世界でも生き抜けるようにしてくれた。
強制的に放り込まれた異世界。
知らない土地、知らない人、知らない世界。
不安をはねのけながら、時に怖い目に遭いながら、3人で異世界を生き抜き、平穏なスローライフを送る。
そんなほのぼのとした物語。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
貴族家三男の成り上がりライフ 生まれてすぐに人外認定された少年は異世界を満喫する
美原風香
ファンタジー
「残念ながらあなたはお亡くなりになりました」
御山聖夜はトラックに轢かれそうになった少女を助け、代わりに死んでしまう。しかし、聖夜の心の内の一言を聴いた女神から気に入られ、多くの能力を貰って異世界へ転生した。
ーけれども、彼は知らなかった。数多の神から愛された彼は生まれた時点で人外の能力を持っていたことを。表では貴族として、裏では神々の使徒として、異世界のヒエラルキーを駆け上っていく!これは生まれてすぐに人外認定された少年の最強に無双していく、そんなお話。
✳︎不定期更新です。
21/12/17 1巻発売!
22/05/25 2巻発売!
コミカライズ決定!
20/11/19 HOTランキング1位
ありがとうございます!
旦那様には愛人がいますが気にしません。
りつ
恋愛
イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。
異世界召喚されました……断る!
K1-M
ファンタジー
【第3巻 令和3年12月31日】
【第2巻 令和3年 8月25日】
【書籍化 令和3年 3月25日】
会社を辞めて絶賛無職中のおっさん。気が付いたら知らない空間に。空間の主、女神の説明によると、とある異世界の国の召喚魔法によりおっさんが喚ばれてしまったとの事。お約束通りチートをもらって若返ったおっさんの冒険が今始ま『断るっ!』
※ステータスの毎回表記は序盤のみです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる