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十章 生かしてくれる人
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〈悪魔の手〉までの道程は遠い。軽装のレイラも、いよいよ疲れを感じ始めてきたところだ。
不気味な丘陵を突破した二人は、休息の間もなく街を縦断し、ひたすら南下の一途を辿っていた。
陽が昇り、月が沈んだ。あるいは陽が沈み、月が昇った。
『今が誤った過去になったとしても、また新しい今を歩んでいく糧になるさ』
その度に、レイラはウェイグの言葉を思い出すのだった。
利用するために、辿り着くべきところへ辿り着くために、結んだ絆のはずが。
何故か今は、本物の繋がりのように胸に根付いている。
そして、ウェイグと旅に出てから四日目の夜。
窓の向こうに佇む白銀の月を眺めながら、レイラはまた、いつかの言葉を反芻している。
「……あ」
ふと我に返り、パートナーの存在をふり払う。
やたら低いベッドの上、むき出しの脹脛に目を落とす。
レイラはいつの間にか止めていた、足のマッサージを再開する。
「旅人さぁけ?」
すると、対面のベッドに腰かけた女が声をかけてきた。壮年の華奢な女だった。
ここは宿屋。女同士の相部屋。四つのベッドがほとんどの面積を占めた狭い一室だ。他の二人は挨拶もそこそこに外出し、今は二人きりだった。
「ええ、旅の最中です」
「ほぉけ。〈ガラスの靴〉探してんのか?」
女は退屈に飽かしてか、質問を投げかけてくる。
レイラとて沈黙は息苦しいが、あまり詮索されるのも好ましくなかった。
曖昧な笑みを返すに留めると、どうやら女は察してくれたようだ。「若て別嬪さんだに、大変やなぁ」と肩をすくめてみせた。
「そちらも旅を?」
「んや、そぉに大層なもんでねぇ。ケエネから来た」
訛りの所為で「ケエネ」に聞こえるが、おそらくケーヌ州のことだ。
レイラは愕然と瞬いた。
「ふぇっ、それは随分と遠くから! すごいじゃないですか!」
ケーヌ州はベルターナ州と隣接した北方の州だが、州境からここまででも実に二百マイル以上の距離がある。
「途中まで馬車乗せっもらっちから、大すたこぉねぇよ」
「それでもすごいです! 冬が来る前に下ってきたんですか?」
「ん。あっつのほうざな、雪降ってから動いたっちゃ凍ぉて春には死体なっつまう」
そう言って女が大口あけて笑うものだから、レイラもつられて笑ってしまった。
だが北方の冬は、現地の人々にとっては笑い事でなく死活問題だ。炭を切らせば本当に凍え死ぬし、作物もろくに育たないので貯えがなければ餓死してしまう。家畜を失い経済的に困窮する者もあれば、物資調達、除雪作業等の事故によって命を落とす者も決して珍しくはない。
レイラは小さく咳払いし「どちらまで?」と話題を改めた。
「こっからちと東ん行った、メンサっつう街だ。親戚筋のもんさおって、この時季んなっと春まで泊めてもらう」
「この辺りなんですね」
「ん、もう幾らもねぇ。こぉが最後の宿んなんな。旅人さぁは、どこまで?」
「ずっと南へ。山脈が途切れるくらいは行こうかと」
「はぁ、山脈て臥竜山脈っちゃろ? まだ百マイル以上あんな」
「そうなんです。大変ですけど、頑張ります」
「んあ。身体気付けろ」
「ええ、ありがとうございます。そちらもお気を付けて」
「あんがとなぁ」
女が腰を叩いて微笑んだ。
その目は暗に、もう寝ましょうかと告げていた。
「あ、あのっ!」
しかしベッドの中へ潜ろうとする女を、レイラは引き留めた。
だらだらと四方山話を続けるつもりはなかった。
「実は、お訊ねしたいことがあって」
「んだ?」
「アタシ、人を捜してるんです」
「はぁ、どんな?」
レイラがあの女と初めて出会ったのは、今から七年前。
村を逃げ出した、あの日のことだった。
命からがら森の池にたどり着き、たらふく水を飲んだ直後。
……ちゃぽん。
音に気付いて顔をあげると、あの女はいた――。
「とても綺麗な声の女性で、よく好んで深い緑色の装束を着てました。あとお帽子も。ベールのついた」
痩せた女は、呆けたようにぽかんと口を開けた。
「ベールついたお帽子……。貴族様か?」
レイラは頷かず、微笑を返した。
女はそれを肯定と受けとったようだった。
「んなら、名前聞けば分かぁかもな。なんつぅんだ?」
「ジュスティーヌと」
女は顎に手をあて考える仕種を見せたが、ややあって返ってきたのは嘆息だった。
「わかんねぇな……。おれぁ田舎もんやけぇ、知っとぉ事あんまのぉて」
「そうですか……」
答えは聞くまでもなく解っていた。この縹渺とした世の中、たった一人を捜し出すのが容易であるはずがなかった。
空振りには慣れていた。
しかし落胆は無意識に吐息となっていた。
「すまねぇな」
ぺこりと頭を下げる女に、レイラは慌てて手を振った。
「いえいえ! 頭を上げてください!」
女は面を上げたが、何故かその両目は潤んでいた。
「旅人さぁ、哀せぇ目せおる。そぉな大事な人やってぇけ?」
その一言に、びくりと肩が震えた。思わず目を伏せていた。己の過去を覗かれたような気がして怖かった。
けれど、この女性には何ら悪意などないだろう。レイラが実際に体験してきた過去を知る由もない。
レイラは淡い笑みをこぼし、己だけの知る過去に、その眼差しを向けた。
「……そうですね。彼女は、アタシの人生に欠かせない人です。生きる意味を失っていたアタシに、生きる意味をくれた人なんです」
家族を失い、友を失い、故郷を失ったレイラの前に、ジュスティーヌは現れた。
彼女は水を掬い、それが落ちる様を眺めていた。敵意など微塵もなく、妖艶と微笑みながら。
涙するレイラに、こう言った。
『大丈夫よ。ワタシが傍にいてあげる』
山河のせせらぎのような麗しい声色で。
それはレイラの涸れた胸の奥に、どっと流れ込んできた。
しかし運命は、一度ならず二度までも、レイラの傍にあるものを奪った。
『ごめんなさい。もう行かなければならないわ。泣かないで。安心してね。ワタシの愛しいシンデレラ』
二人は別れなければならなかった。
レイラは抗ったが、どうする事もできなかった。
気付いたときには、また独りになっていた。
胸を引き裂かれるような思いに、涙が溢れた。
泣き叫ばずにはいられなかった。
唯一の望みは、ジュスティーヌが去り際に、こう言い残していた事だ。
『〈ガラスの靴〉を探しなさい。その旅の途中で、必ずまた会えるから』
レイラはその言葉を頼りに、今まで生きてきたのだった。
ジュスティーヌとの再会をこそ生きる標にしてきたのだった。
それ以外には、もう何も残されていないのだから。
――
朝食を断り、レイラとウェイグは日の出前に宿を出た。
空はまだ紺を残した深い色をしている。疲れの残る身には厳しい朝だが、風は夜のそれよりもさらに冷たく、夢現の意識を現へと叩きだす。
街を出ると、幾つもの馬車とすれ違った。いずれも牽き馬はラバで、険しい道が予想された。すでに街道には勾配もある。さほど急ではないにしても、往来が激しいのか地面は鉄のように硬く厄介そうだ。足許に返ってくる力が大きくなれば、膝や腰に蓄積する疲労は当然大きくなる。
特にウェイグは――。
パートナーの横顔を見上げると、ふいに罪悪感が胸を侵した。
この人は、何も知らない……。
冒険者時代の中にあって、未だ猟師のことを「人心を解さぬ狼」などと蔑む輩は後を絶たない。そのような連中は、身勝手な行動で隊を危険にさらしておきながら、猟師に責任を擦り付けるクズどもだ。
だが、ウェイグは違う。
短気な面こそあるものの、概ね穏やかで誠実な男だ。
猟師と冒険者の役割をよく理解しているし、パートナーを一人の人間として認めてくれている。
その信頼が伝わってくる。
ジュスティーヌのこと、隠したままでいいの……?
レイラは迷っていた。
相手の信頼を裏切り続けていていいのか、と自問せずにはおれなかった。
歩み寄ることは、信用することだ。
心を交わすのは虚しいことだ。
もう傷付きたくない。失望したくない。
だから、利用するだけでいい。
そう思っていたのに。
人の心とは、自らのそれさえままならない。
「どうかした?」
「え、あっ、あはは……」
ふいに真横から覗きこまれ、レイラはどぎまぎと返答に窮した。
いくらでも、この場をとり繕う言葉はあったはずだ。
それなのに何故か、意味不明な笑いを返すことしかできなかった。
「寒いねぇ」
ウェイグは、それをいちいち追究しなかった。
前から馬車がやって来ると、こちらの腰にそっと手を添えて道端へと誘導してくれた。
「……ありがとうございます」
「ううん」
会話は短く途切れる。互いに地面を踏みしめる音だけが、風の音に混じって響く。
やがて空は闇の残滓を洗い、浅葱色に染まっていく。
「なにか言いたいことがあるみたいだね?」
そう切りだしたのはウェイグだった。
「え、っと、その……」
まただ。
とっさに返答できなかった。
いつかウェイグは訊いた。
何が欲しい、と。
レイラは平凡な生活が欲しいと答えた。
嘘ではなかった。
失った幸せをとり戻したい、その思いが嘘であるはずがなかった。
だが、叶えられない事も知っていた。
そして叶えられる望みは、ずっと胸に秘めてきた。
「……べつに、何もないですよ」
レイラには、結局打ち明けられなかった。
怖かった。
真実を告げ、糾弾されることが。
もう一緒に旅はできないと踵を返されることが。
怖かったのだ。
ああ、なんで……。
ジュスティーヌ。彼女との再会だけが、生きる標だった。
それを実現できない事だけが恐怖だった。
なのに今、レイラはどうしようもなく揺らいでいた。
それを見透かしたかのように、ウェイグは言った。
「秘密があるって辛いよね」
レイラは目を瞠った。
その一言に驚いたわけではない。
ウェイグの笑みの儚さに、胸を衝かれる思いがしたのだ。
もし、この横顔を見ていることが知れたら、彼は消えてしまうかもしれない。
そう思わずにはいられない、危うい迫力があった。
レイラはとっさに、馬車に気を取られたフリをした。
「分かっちゃいますか?」
「わかるさ」
ウェイグは静かに答えると、馬車に神の加護を祈った。
その後、懺悔のごとく胸に手を当てるのだった。
「俺にも秘密があるんだ。たくさん」
「たくさん、ですか?」
意外には思わなかった。
以前から、ウェイグに隠し事があるのは明らかだった。
そもそも、最初に声をかけてきたときから胡散臭かった。
彼の言動には、時折、露骨に嘘の気配が滲み出る。
どうやら本人は気付いていないようだが。
下手な嘘は、却って正直だ。
だから、この頑なな心も、少しずつ融けていったのかもしれない。
「秘密のない人間がいると思うかい?」
レイラは、ウェイグがやったように自らの胸に手を当てた。
「いえ」
「俺もそう思うよ。人は多かれ少なかれ、秘密をもってる。何もかも打ち明けられたら楽だろうし、そんな人がいたら、きっとこっちも気持ちが好いだろう。でも、生きていれば色んなしがらみがある。その中で秘密の一つや二つ、当然生じてくるさ」
ウェイグは胸に当てた手を下ろし、佩いた剣の柄を撫でた。
「話したくないことは、話さなくていい。俺はそれを赦すよ」
だから赦してくれ。
俯いたウェイグの横顔は、暗にそう言っているように見えた。
何があったのだろう。
レイラは久しく他人に興味を抱いた。
けれど、自分が話し出さない以上、訊くこともできなかった。
生身の自分をさらけ出せない者に、生身の相手を知る資格などあるはずがない。
……やっぱり、人と交わるなんて虚しい。
レイラは逃げるように、ジュスティーヌへ想いを馳せた。
しかし逃げることはできなかった。
ウェイグに心を赦し始めてしまった今となっては、考えざるを得なかった。
もしも今、ジュスティーヌが現れたら……アタシはどっちを選ぶだろう?
レイラは暫し項垂れ、やがて胸いっぱいに冷たい空気を吸いこんだ。
そして思い出した。
いつか同じように、清涼な朝の空気を吸ったこと。
それがレイラとジュスティーヌの初めての出会いだったことを。
ああ、アタシはやっぱり……。
「――」
レイラは誰にも聞かれぬか細い声で、もしもの答えを呟いた。
不気味な丘陵を突破した二人は、休息の間もなく街を縦断し、ひたすら南下の一途を辿っていた。
陽が昇り、月が沈んだ。あるいは陽が沈み、月が昇った。
『今が誤った過去になったとしても、また新しい今を歩んでいく糧になるさ』
その度に、レイラはウェイグの言葉を思い出すのだった。
利用するために、辿り着くべきところへ辿り着くために、結んだ絆のはずが。
何故か今は、本物の繋がりのように胸に根付いている。
そして、ウェイグと旅に出てから四日目の夜。
窓の向こうに佇む白銀の月を眺めながら、レイラはまた、いつかの言葉を反芻している。
「……あ」
ふと我に返り、パートナーの存在をふり払う。
やたら低いベッドの上、むき出しの脹脛に目を落とす。
レイラはいつの間にか止めていた、足のマッサージを再開する。
「旅人さぁけ?」
すると、対面のベッドに腰かけた女が声をかけてきた。壮年の華奢な女だった。
ここは宿屋。女同士の相部屋。四つのベッドがほとんどの面積を占めた狭い一室だ。他の二人は挨拶もそこそこに外出し、今は二人きりだった。
「ええ、旅の最中です」
「ほぉけ。〈ガラスの靴〉探してんのか?」
女は退屈に飽かしてか、質問を投げかけてくる。
レイラとて沈黙は息苦しいが、あまり詮索されるのも好ましくなかった。
曖昧な笑みを返すに留めると、どうやら女は察してくれたようだ。「若て別嬪さんだに、大変やなぁ」と肩をすくめてみせた。
「そちらも旅を?」
「んや、そぉに大層なもんでねぇ。ケエネから来た」
訛りの所為で「ケエネ」に聞こえるが、おそらくケーヌ州のことだ。
レイラは愕然と瞬いた。
「ふぇっ、それは随分と遠くから! すごいじゃないですか!」
ケーヌ州はベルターナ州と隣接した北方の州だが、州境からここまででも実に二百マイル以上の距離がある。
「途中まで馬車乗せっもらっちから、大すたこぉねぇよ」
「それでもすごいです! 冬が来る前に下ってきたんですか?」
「ん。あっつのほうざな、雪降ってから動いたっちゃ凍ぉて春には死体なっつまう」
そう言って女が大口あけて笑うものだから、レイラもつられて笑ってしまった。
だが北方の冬は、現地の人々にとっては笑い事でなく死活問題だ。炭を切らせば本当に凍え死ぬし、作物もろくに育たないので貯えがなければ餓死してしまう。家畜を失い経済的に困窮する者もあれば、物資調達、除雪作業等の事故によって命を落とす者も決して珍しくはない。
レイラは小さく咳払いし「どちらまで?」と話題を改めた。
「こっからちと東ん行った、メンサっつう街だ。親戚筋のもんさおって、この時季んなっと春まで泊めてもらう」
「この辺りなんですね」
「ん、もう幾らもねぇ。こぉが最後の宿んなんな。旅人さぁは、どこまで?」
「ずっと南へ。山脈が途切れるくらいは行こうかと」
「はぁ、山脈て臥竜山脈っちゃろ? まだ百マイル以上あんな」
「そうなんです。大変ですけど、頑張ります」
「んあ。身体気付けろ」
「ええ、ありがとうございます。そちらもお気を付けて」
「あんがとなぁ」
女が腰を叩いて微笑んだ。
その目は暗に、もう寝ましょうかと告げていた。
「あ、あのっ!」
しかしベッドの中へ潜ろうとする女を、レイラは引き留めた。
だらだらと四方山話を続けるつもりはなかった。
「実は、お訊ねしたいことがあって」
「んだ?」
「アタシ、人を捜してるんです」
「はぁ、どんな?」
レイラがあの女と初めて出会ったのは、今から七年前。
村を逃げ出した、あの日のことだった。
命からがら森の池にたどり着き、たらふく水を飲んだ直後。
……ちゃぽん。
音に気付いて顔をあげると、あの女はいた――。
「とても綺麗な声の女性で、よく好んで深い緑色の装束を着てました。あとお帽子も。ベールのついた」
痩せた女は、呆けたようにぽかんと口を開けた。
「ベールついたお帽子……。貴族様か?」
レイラは頷かず、微笑を返した。
女はそれを肯定と受けとったようだった。
「んなら、名前聞けば分かぁかもな。なんつぅんだ?」
「ジュスティーヌと」
女は顎に手をあて考える仕種を見せたが、ややあって返ってきたのは嘆息だった。
「わかんねぇな……。おれぁ田舎もんやけぇ、知っとぉ事あんまのぉて」
「そうですか……」
答えは聞くまでもなく解っていた。この縹渺とした世の中、たった一人を捜し出すのが容易であるはずがなかった。
空振りには慣れていた。
しかし落胆は無意識に吐息となっていた。
「すまねぇな」
ぺこりと頭を下げる女に、レイラは慌てて手を振った。
「いえいえ! 頭を上げてください!」
女は面を上げたが、何故かその両目は潤んでいた。
「旅人さぁ、哀せぇ目せおる。そぉな大事な人やってぇけ?」
その一言に、びくりと肩が震えた。思わず目を伏せていた。己の過去を覗かれたような気がして怖かった。
けれど、この女性には何ら悪意などないだろう。レイラが実際に体験してきた過去を知る由もない。
レイラは淡い笑みをこぼし、己だけの知る過去に、その眼差しを向けた。
「……そうですね。彼女は、アタシの人生に欠かせない人です。生きる意味を失っていたアタシに、生きる意味をくれた人なんです」
家族を失い、友を失い、故郷を失ったレイラの前に、ジュスティーヌは現れた。
彼女は水を掬い、それが落ちる様を眺めていた。敵意など微塵もなく、妖艶と微笑みながら。
涙するレイラに、こう言った。
『大丈夫よ。ワタシが傍にいてあげる』
山河のせせらぎのような麗しい声色で。
それはレイラの涸れた胸の奥に、どっと流れ込んできた。
しかし運命は、一度ならず二度までも、レイラの傍にあるものを奪った。
『ごめんなさい。もう行かなければならないわ。泣かないで。安心してね。ワタシの愛しいシンデレラ』
二人は別れなければならなかった。
レイラは抗ったが、どうする事もできなかった。
気付いたときには、また独りになっていた。
胸を引き裂かれるような思いに、涙が溢れた。
泣き叫ばずにはいられなかった。
唯一の望みは、ジュスティーヌが去り際に、こう言い残していた事だ。
『〈ガラスの靴〉を探しなさい。その旅の途中で、必ずまた会えるから』
レイラはその言葉を頼りに、今まで生きてきたのだった。
ジュスティーヌとの再会をこそ生きる標にしてきたのだった。
それ以外には、もう何も残されていないのだから。
――
朝食を断り、レイラとウェイグは日の出前に宿を出た。
空はまだ紺を残した深い色をしている。疲れの残る身には厳しい朝だが、風は夜のそれよりもさらに冷たく、夢現の意識を現へと叩きだす。
街を出ると、幾つもの馬車とすれ違った。いずれも牽き馬はラバで、険しい道が予想された。すでに街道には勾配もある。さほど急ではないにしても、往来が激しいのか地面は鉄のように硬く厄介そうだ。足許に返ってくる力が大きくなれば、膝や腰に蓄積する疲労は当然大きくなる。
特にウェイグは――。
パートナーの横顔を見上げると、ふいに罪悪感が胸を侵した。
この人は、何も知らない……。
冒険者時代の中にあって、未だ猟師のことを「人心を解さぬ狼」などと蔑む輩は後を絶たない。そのような連中は、身勝手な行動で隊を危険にさらしておきながら、猟師に責任を擦り付けるクズどもだ。
だが、ウェイグは違う。
短気な面こそあるものの、概ね穏やかで誠実な男だ。
猟師と冒険者の役割をよく理解しているし、パートナーを一人の人間として認めてくれている。
その信頼が伝わってくる。
ジュスティーヌのこと、隠したままでいいの……?
レイラは迷っていた。
相手の信頼を裏切り続けていていいのか、と自問せずにはおれなかった。
歩み寄ることは、信用することだ。
心を交わすのは虚しいことだ。
もう傷付きたくない。失望したくない。
だから、利用するだけでいい。
そう思っていたのに。
人の心とは、自らのそれさえままならない。
「どうかした?」
「え、あっ、あはは……」
ふいに真横から覗きこまれ、レイラはどぎまぎと返答に窮した。
いくらでも、この場をとり繕う言葉はあったはずだ。
それなのに何故か、意味不明な笑いを返すことしかできなかった。
「寒いねぇ」
ウェイグは、それをいちいち追究しなかった。
前から馬車がやって来ると、こちらの腰にそっと手を添えて道端へと誘導してくれた。
「……ありがとうございます」
「ううん」
会話は短く途切れる。互いに地面を踏みしめる音だけが、風の音に混じって響く。
やがて空は闇の残滓を洗い、浅葱色に染まっていく。
「なにか言いたいことがあるみたいだね?」
そう切りだしたのはウェイグだった。
「え、っと、その……」
まただ。
とっさに返答できなかった。
いつかウェイグは訊いた。
何が欲しい、と。
レイラは平凡な生活が欲しいと答えた。
嘘ではなかった。
失った幸せをとり戻したい、その思いが嘘であるはずがなかった。
だが、叶えられない事も知っていた。
そして叶えられる望みは、ずっと胸に秘めてきた。
「……べつに、何もないですよ」
レイラには、結局打ち明けられなかった。
怖かった。
真実を告げ、糾弾されることが。
もう一緒に旅はできないと踵を返されることが。
怖かったのだ。
ああ、なんで……。
ジュスティーヌ。彼女との再会だけが、生きる標だった。
それを実現できない事だけが恐怖だった。
なのに今、レイラはどうしようもなく揺らいでいた。
それを見透かしたかのように、ウェイグは言った。
「秘密があるって辛いよね」
レイラは目を瞠った。
その一言に驚いたわけではない。
ウェイグの笑みの儚さに、胸を衝かれる思いがしたのだ。
もし、この横顔を見ていることが知れたら、彼は消えてしまうかもしれない。
そう思わずにはいられない、危うい迫力があった。
レイラはとっさに、馬車に気を取られたフリをした。
「分かっちゃいますか?」
「わかるさ」
ウェイグは静かに答えると、馬車に神の加護を祈った。
その後、懺悔のごとく胸に手を当てるのだった。
「俺にも秘密があるんだ。たくさん」
「たくさん、ですか?」
意外には思わなかった。
以前から、ウェイグに隠し事があるのは明らかだった。
そもそも、最初に声をかけてきたときから胡散臭かった。
彼の言動には、時折、露骨に嘘の気配が滲み出る。
どうやら本人は気付いていないようだが。
下手な嘘は、却って正直だ。
だから、この頑なな心も、少しずつ融けていったのかもしれない。
「秘密のない人間がいると思うかい?」
レイラは、ウェイグがやったように自らの胸に手を当てた。
「いえ」
「俺もそう思うよ。人は多かれ少なかれ、秘密をもってる。何もかも打ち明けられたら楽だろうし、そんな人がいたら、きっとこっちも気持ちが好いだろう。でも、生きていれば色んなしがらみがある。その中で秘密の一つや二つ、当然生じてくるさ」
ウェイグは胸に当てた手を下ろし、佩いた剣の柄を撫でた。
「話したくないことは、話さなくていい。俺はそれを赦すよ」
だから赦してくれ。
俯いたウェイグの横顔は、暗にそう言っているように見えた。
何があったのだろう。
レイラは久しく他人に興味を抱いた。
けれど、自分が話し出さない以上、訊くこともできなかった。
生身の自分をさらけ出せない者に、生身の相手を知る資格などあるはずがない。
……やっぱり、人と交わるなんて虚しい。
レイラは逃げるように、ジュスティーヌへ想いを馳せた。
しかし逃げることはできなかった。
ウェイグに心を赦し始めてしまった今となっては、考えざるを得なかった。
もしも今、ジュスティーヌが現れたら……アタシはどっちを選ぶだろう?
レイラは暫し項垂れ、やがて胸いっぱいに冷たい空気を吸いこんだ。
そして思い出した。
いつか同じように、清涼な朝の空気を吸ったこと。
それがレイラとジュスティーヌの初めての出会いだったことを。
ああ、アタシはやっぱり……。
「――」
レイラは誰にも聞かれぬか細い声で、もしもの答えを呟いた。
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昔やっていたゲームに、大型アップデートで追加されたソレは、小さな箱庭の様だった。
ビーチがあって、畑があって、釣り堀があって、伐採も出来れば採掘も出来る。
ビーチには人が軽く住めるくらいの広さがあって、畑は枯れず、釣りも伐採も発掘もレベルが上がれば上がる程、レアリティの高いものが取れる仕組みだった。
時折、海から流れつくアイテムは、ハズレだったり当たりだったり、クジを引いてる気分で楽しかった。
だから――。
「リディア・マルシャン様のスキルは――箱庭師です」
異世界転生したわたくし、リディアは――そんな箱庭を目指しますわ!
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小説家になろうにも上げています。
一気に更新させて頂きました。
中国でコピーされていたので自衛です。
「天安門事件」
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