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No.3 そして明日はやって来る
7.ドアを叩いたのは
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ピュン!
「まったく、よくこんな荒っぽい仕事で殺し屋なんて務まるなぁ」
最後の守衛を撃ち殺したバレルは、ポケットから優雅にハンカチーフをとり出す。それで薬莢をつまみとると、傍らで震えを押しころす少年へ視線を落とした。
「怖いかい?」
「こ、コワくなんかねぇよ……」
「立派だねぇ。度胸のある男は大成するよ」
バレルはにんまりと笑うと、少年の手を握りこんだ。
マロウは弾かれたように、メッセンジャーを見上げる。
その手に、おもい鋼鉄の感触があったからだ。
「こ、これ……」
「興奮するだろ? 男って好きなんだよね、銃。ボクもつい熱くなっちゃうんだよなぁ」
「そうじゃなくて……」
「君はさ、人を殺す覚悟ある?」
バレルはあくまで笑顔を崩さない。しかしそこには、濃い影をおとす妖しい色気が立ちこめる。
マロウは愕然とするより、茫洋として色男を見た。
鋼鉄の感触が燃えるように熱かった。まぎれもなく人を殺す道具だ。膂力では勝てなくとも、これが火を噴けば人など簡単に殺せるのだ。この色男が実際にやってのけたように。あのクソったれの大人たちも、この手で地獄へ叩きおとすことができる。
「殺し屋も独りじゃなかなか務まらないんだ。特に彼の仕事はこの通り、荒っぽいしね。でも、ボクは飽きちゃってさ。そろそろ退職したいんだ。だから君にもしその気があるなら、死神の使いになってみない?」
マロウはバレルと銃を交互に見つめる。
死神の使い。メッセンジャー。
依頼人と殺し屋をつなぎ、ときに自らも人を殺める悪魔となる者。
その暗い邪道が眼前にある。
けれど、それは果たして邪道だろうか。苦しむ者のために執行する殺しもあるはずだ。憎む者から逃れられず、苦しみに耐えるしかない弱者の気持ちを、マロウは嫌というほど知っている。
「……オレにもやれるのか?」
「テストに合格すればね」
「テスト?」
「そのための銃さ。やると決めたら即行動だよ」
銃は重い。
この男や死神が、息でもするように使っていたものとは思えないほど。
けれど子どもの自分にだって、狙いを定めることくらいできる。引き金をひくことくらいできる。人を殺すことくらい――できる。
「幸い、今回のテストは簡単だ。ここにいる連中は、憎い奴ばかりだろう?」
そうだ。ここにいる連中はみんなクズだ。子どもを殴り、唾を吐きかけ、女子なら蹂躙して――。死んで然るべきクズしかいない。殺すなんて簡単だ。
「……ああ、やってやる」
「よく言った。それでこそ男さ。まだパーティは終わってないはず。死神さんも、一人分の魂くらい分けてくれるよ」
◆◆◆◆◆
「な、なんなんだ……! なんなんだ、お前はァ!」
食堂には赤いスープが散らばっている。人の口にはあわない鉄臭いスープだ。
肉の調理も、こいつでいよいよ最後。首を落とされる前のブタはよく吼える。
死屍累々の食堂で、それでも声を殺して縮こまるガキどものほうが、よほど物分かりがよく殊勝だ。ハッと我にかえって、仲間たちを抱きよせに行った少女など、きっとイイ女になるだろう。
「死神、って呼ばれることが多いな。歩けば人が死ぬんでね」
死神と名乗るその男は、最後の職員へ歩みよりながら引き金の指をしぼりこんだ。
「あんたは天国と地獄、どっちへ行きたい?」
訊ねると、男はひきつった顔でかぶりを振りながら後ずさった。
「イヤだ、どっちも! 死んでたまるか! ここが俺の楽園だッ!」
男は目を血走らせると、懐へ手を押しこんだ。間もなく現れたのは、冗談みたいに小さな拳銃だった。ガキは脅せても死神は動じない。
ドム!
「あがあああッ!」
銃声とともに拳銃がはじき飛ばされ、その手は醜いジュレへと変わった。男は床の上をのたうち回る。
「質問が聞こえなかったか? 天国か地獄。AかBだ。Cはねぇ」
「あ、ああぁ……いだい、いだいよぉ」
男は相当に頭が悪いらしい。またも質問に答えなかった。ルールを守れない奴には罰が必要だ。
残った手へ銃口を定め、
「アアアアアアアァッ!」
しかし戸口から轟いた咆哮へ向きなおった。
駆け出してくるのは見知ったガキだった。その手にはサプレッサー付きの拳銃がある。一目見ただけでバレルのものと判った。銃口は大きくブレながら、けれど男へ狙いを定めようとしていた。
「オレにやらせろォ! そいつは、オレがぶっ殺してやる!」
死神は薄く笑って、戸口にもたれかかるバレルを見た。
感心する。ずいぶん大胆な退職届だ。
「好きにしな。デザートくらい分けてやる」
道をあけると、鼻息あらくマロウが職員の前に立った。その目がブタの痛みもだえ苦しむ様を睥睨した。震える手で狙いをさだめながら。
「オレたちは、ずっと痛かったんだ……! お前が今苦しんでるよりもヒドく! お前が失ったその手より、オレたちはたくさんのものを失った! 奪われた!」
男は少年を見上げ、痛みのあまり涙を流した。そしてこれ以上の痛みがあるはずなどないと思った。
「その償いを、地獄でしやがれ……。地獄の一番深いところで、光なんか射さない場所で……一生悔いて苦しみやがれ……!」
男は呻きながら忙しなくかぶりを振った。
マロウの中の炎が爆ぜた。暗いくらい絶望と怒りの炎が。
そして引き金はひかれた。
ガチ。
「えっ……?」
しかし弾は発射されなかった。
ガチ、ガチガチ。
「おい、おい……。なんでだよ!」
マロウは糺すようにバレルをふり返った。しかし色男は眼鏡を押しあげ、小さく肩をすくめるだけだ。
代わりに答えたのは、死神のほうだった。
「……ジャムったな」
「え……?」
「お前に死神の使いなんざ務まらねぇってことだよ」
ドム!
死神は無感情に引き金をひいた。無論、リボルバーにジャミングは起こらなかった。彼は死に愛されていた。男の頭はすでに潰れたトマト同然、悲鳴のひとつも上げないクズと化している。
「なんでだよ……。なんで……」
マロウはその場にくずおれた。虚しさと屈辱に唇を噛みながら。
死神はその傍らで、ふっと硝煙をとばす。
「お前はどうしたかった?」
「なんだよ……?」
「自分たちを虐げてきたクズどもを、満足いくまでいたぶりたかったか?」
「当たり前だ……」
「そうかい」
死神はそう言うと、不意に子どもたちへ歩み寄った。
床が苦しげに軋んだ。
すると、子どもたちはみな震えあがり後ずさった。泣きだした子どもも少なくなかった。中には失禁してしまった子どももいた。
死神は無感情にふり返った。
「お前はこうなりたかったのか?」
マロウは俯いた顔をあげ、死神が床を踏むたびに怯える義兄弟たちを見た。皆が、縋るようにこちらを見返していた。その震える指先を伸ばしながら、義兄を求めていた。
マロウはハッと息を呑んだ。
あの時、銃が火を噴いていたら。
オレもこうなってた……?
あいつらを、この手で苦しめたら。
オレもあいつらと同じになってたのか……?
マロウは震える足で立ち上がり、義兄弟たちの許へ歩み寄った。
みんなその様を見ていた。かすかに怯えがあるけれど。
決して後ずさりはせずに、その様を見ていた。
「みんな……」
そしてマロウは、守りたかった者たちの許へたどり着く。本当に視線を交わし合うべき者たちの許へと、温かな肩を寄せ合い、今ふたたび交わった。
「みんな、遅くなってゴメン……!」
マロウは義兄弟たちの肩を抱く。
サヘラが真っ先に「ホントに遅い!」と歓喜の涙を流した。「コワかった!」と義弟の声がして。「兄ちゃんだ!」と別の声がある。
頬と頬が触れあい、温もりがたしかにあって、絶望が晴れていく感触を味わっていた。
そこへ遠慮がちに触れる小さな手があった。
マロウはそれを掴み、痛々しい相貌を見て顔をしかめた。
「おニイちゃん……おかえり」
「ああ……ただいま」
ただ子どもたちは泣き崩れた。再会を喜び、解放を祝う想いだけがあった。
マロウはしかし、もう一つだけ祝わねばならないことを思い出す。
傷ついた義妹の手をとって、ポケットから解れたそれをとり出した。
「一日遅れだけど、誕生日プレゼントだ」
毛玉だった。まだ何物にも編まれていない、ただのピンクの毛玉だった。
マロウには、プレゼントを用意する時間も金もなかった。だから、せめてできることと言ったら、バレルに頭を下げて、こんなつまらないものを譲ってもらう、それだけだったのだ。
けれど彼女は欠けた歯をみせて、笑うように泣いた。
マロウは彼女をぎゅっと抱きしめた。その小さな肩が失ったたくさんのものについて思いを巡らせた。
遅すぎた。遅すぎた。あまりにも遅すぎた。
けれど、これで地獄は終わったのだ。その達成の証が、守りたかったものの存在が、こんなにも温かかった。
「……マロウ」
しかし温もりはすぐに、刃のような声に凍える。
しわがれた死神の声だった。
「これで依頼は達成した。そうだな?」
「ああ……」
「解ってるとは思うが、俺は哀れなガキどものためにタダ働きするほど優しくねぇ」
「それが解らないほどバカじゃねぇさ……」
マロウは仲間たちに微笑み、意を決して立ちあがった。
死神は殺しの代償を、対価を求める。
魂を刈りつくした今、それを支払うときがやって来たのだ。
「なんでもくれてやる。オレの眼でも耳でも、心臓でもいいぜ」
マロウは強いて胸を叩いた。
死神は残忍にわらった。
「イイ覚悟だ。人殺しなんかより、よほど立派だぜ」
ブーツの足音。その巨躯に床が悲鳴をあげる。
灰のロングコート。それがすぐそこにまで迫って。
弾けそうな心臓の絶叫を置いたまま、マロウの傍らを通りすぎた。
「ああっ……!」
そして無数の悲鳴があった。
マロウは咄嗟に振り返った。
死神の冷徹な視線と交わった。
「俺はお前の大切なモンを貰う」
「おニイちゃん……!」
「――!」
義妹を呼ぶ声は、声にならなかった。
ただ死神の抱きあげた、可愛いかわいい義妹の姿が絶望的だった。自分の命を投げうってでも守りたいと思った家族が、もう手の届かない場所にいた。
「いいんですか? それだけで」
戸口からバレルの問いかけがある。
死神は「充分だ」と頷いた。
「お前も文句ねぇよな? 覚悟決めた男ならよ」
マロウは義妹を見上げ、はっきりとその姿を、涙にゆがむ視界にきざんだ。大きな目、頬骨のうえに浮いたそばかす。小動物のような愛らしい鼻筋に、欠けた前歯まで。
「クソっ……」
逡巡の末、しかしマロウは震える顎をひいた。
地獄の終わりは旅の始まりだ。子どもたちの居場所はなくなり、ゆえに立ち止まることはできなくなる。果てしなく続く光の世界は、あるいはこれまで以上に険しい試練の始まりかもしれない。
死神の道は、暗くふかい陰鬱なところだろうけれど。
マロウに死神と争う力はなく、無限の地上を生き残る術もないのだった。
「……結局、オレには何の力もなかった」
しょせん、子どもだ。誰かに頼らなければ生きていけない。独りでは何もできない子どもだった。ありふれた善意を信じられるだけの。後先なんか考えられない、バカな子どもに過ぎなかった。
そして死神はわかりきったことを言う。
「ガキに力なんかあるはずがねぇ」
と。
もはや怒りも湧かなかった。あるのは、胸のなかを灰へと変えていく悔しさばかりだった。
「だがな、死神のドアを叩いたのは、お前だ」
マロウはハッとして偉丈夫を見上げた。ウエスタンハットのツバの下から、その鋭い双眸が、はっきりとこちらを見下ろしているのが判った。
「報酬は大事にするさ」
それが死神の残した最後の言葉だった。
逞しい腕に抱かれ、愛しい彼女が遠ざかってゆく。
涙に濡れた双眸を揺らし、マロウたちへと手を伸ばしながら。
マロウたちも、逡巡や辛苦のなかで手を伸ばした。
しかしそれらは、決して触れあうことがなく。
彼らの叫びは、ひとつとして言葉にならなかった。
誰もがこうするしかないと、すべてを理解し。
濁流のように押しよせる感情が、涙と嗚咽ばかりを吐きだしてゆく。
その中で。
ふいに一人の少女が立ちあがった。少女は死神に挑むような眼差しを向けると、すぐに義妹へ視線を移した。瞳に様々な感情がよぎり、滴となって流れ落ちた。かすれた吐息は声にならなかった。
それでも少女は、少女にできる最善を尽くした。
「エヘヘ」
笑ったのだ。
悲しみが胸を裂き表情を歪ませても、少女は努めて笑い続けた。
マロウたちはその様に悟らされた。
義妹の門出に、これ以上相応しい祝福はないと。
そして皆が長女に倣った。
満面の笑みを浮かべたのだった。
たとえそれが今は悲しい偽物だとしても。
いつか本物になることを信じて。
「まったく、よくこんな荒っぽい仕事で殺し屋なんて務まるなぁ」
最後の守衛を撃ち殺したバレルは、ポケットから優雅にハンカチーフをとり出す。それで薬莢をつまみとると、傍らで震えを押しころす少年へ視線を落とした。
「怖いかい?」
「こ、コワくなんかねぇよ……」
「立派だねぇ。度胸のある男は大成するよ」
バレルはにんまりと笑うと、少年の手を握りこんだ。
マロウは弾かれたように、メッセンジャーを見上げる。
その手に、おもい鋼鉄の感触があったからだ。
「こ、これ……」
「興奮するだろ? 男って好きなんだよね、銃。ボクもつい熱くなっちゃうんだよなぁ」
「そうじゃなくて……」
「君はさ、人を殺す覚悟ある?」
バレルはあくまで笑顔を崩さない。しかしそこには、濃い影をおとす妖しい色気が立ちこめる。
マロウは愕然とするより、茫洋として色男を見た。
鋼鉄の感触が燃えるように熱かった。まぎれもなく人を殺す道具だ。膂力では勝てなくとも、これが火を噴けば人など簡単に殺せるのだ。この色男が実際にやってのけたように。あのクソったれの大人たちも、この手で地獄へ叩きおとすことができる。
「殺し屋も独りじゃなかなか務まらないんだ。特に彼の仕事はこの通り、荒っぽいしね。でも、ボクは飽きちゃってさ。そろそろ退職したいんだ。だから君にもしその気があるなら、死神の使いになってみない?」
マロウはバレルと銃を交互に見つめる。
死神の使い。メッセンジャー。
依頼人と殺し屋をつなぎ、ときに自らも人を殺める悪魔となる者。
その暗い邪道が眼前にある。
けれど、それは果たして邪道だろうか。苦しむ者のために執行する殺しもあるはずだ。憎む者から逃れられず、苦しみに耐えるしかない弱者の気持ちを、マロウは嫌というほど知っている。
「……オレにもやれるのか?」
「テストに合格すればね」
「テスト?」
「そのための銃さ。やると決めたら即行動だよ」
銃は重い。
この男や死神が、息でもするように使っていたものとは思えないほど。
けれど子どもの自分にだって、狙いを定めることくらいできる。引き金をひくことくらいできる。人を殺すことくらい――できる。
「幸い、今回のテストは簡単だ。ここにいる連中は、憎い奴ばかりだろう?」
そうだ。ここにいる連中はみんなクズだ。子どもを殴り、唾を吐きかけ、女子なら蹂躙して――。死んで然るべきクズしかいない。殺すなんて簡単だ。
「……ああ、やってやる」
「よく言った。それでこそ男さ。まだパーティは終わってないはず。死神さんも、一人分の魂くらい分けてくれるよ」
◆◆◆◆◆
「な、なんなんだ……! なんなんだ、お前はァ!」
食堂には赤いスープが散らばっている。人の口にはあわない鉄臭いスープだ。
肉の調理も、こいつでいよいよ最後。首を落とされる前のブタはよく吼える。
死屍累々の食堂で、それでも声を殺して縮こまるガキどものほうが、よほど物分かりがよく殊勝だ。ハッと我にかえって、仲間たちを抱きよせに行った少女など、きっとイイ女になるだろう。
「死神、って呼ばれることが多いな。歩けば人が死ぬんでね」
死神と名乗るその男は、最後の職員へ歩みよりながら引き金の指をしぼりこんだ。
「あんたは天国と地獄、どっちへ行きたい?」
訊ねると、男はひきつった顔でかぶりを振りながら後ずさった。
「イヤだ、どっちも! 死んでたまるか! ここが俺の楽園だッ!」
男は目を血走らせると、懐へ手を押しこんだ。間もなく現れたのは、冗談みたいに小さな拳銃だった。ガキは脅せても死神は動じない。
ドム!
「あがあああッ!」
銃声とともに拳銃がはじき飛ばされ、その手は醜いジュレへと変わった。男は床の上をのたうち回る。
「質問が聞こえなかったか? 天国か地獄。AかBだ。Cはねぇ」
「あ、ああぁ……いだい、いだいよぉ」
男は相当に頭が悪いらしい。またも質問に答えなかった。ルールを守れない奴には罰が必要だ。
残った手へ銃口を定め、
「アアアアアアアァッ!」
しかし戸口から轟いた咆哮へ向きなおった。
駆け出してくるのは見知ったガキだった。その手にはサプレッサー付きの拳銃がある。一目見ただけでバレルのものと判った。銃口は大きくブレながら、けれど男へ狙いを定めようとしていた。
「オレにやらせろォ! そいつは、オレがぶっ殺してやる!」
死神は薄く笑って、戸口にもたれかかるバレルを見た。
感心する。ずいぶん大胆な退職届だ。
「好きにしな。デザートくらい分けてやる」
道をあけると、鼻息あらくマロウが職員の前に立った。その目がブタの痛みもだえ苦しむ様を睥睨した。震える手で狙いをさだめながら。
「オレたちは、ずっと痛かったんだ……! お前が今苦しんでるよりもヒドく! お前が失ったその手より、オレたちはたくさんのものを失った! 奪われた!」
男は少年を見上げ、痛みのあまり涙を流した。そしてこれ以上の痛みがあるはずなどないと思った。
「その償いを、地獄でしやがれ……。地獄の一番深いところで、光なんか射さない場所で……一生悔いて苦しみやがれ……!」
男は呻きながら忙しなくかぶりを振った。
マロウの中の炎が爆ぜた。暗いくらい絶望と怒りの炎が。
そして引き金はひかれた。
ガチ。
「えっ……?」
しかし弾は発射されなかった。
ガチ、ガチガチ。
「おい、おい……。なんでだよ!」
マロウは糺すようにバレルをふり返った。しかし色男は眼鏡を押しあげ、小さく肩をすくめるだけだ。
代わりに答えたのは、死神のほうだった。
「……ジャムったな」
「え……?」
「お前に死神の使いなんざ務まらねぇってことだよ」
ドム!
死神は無感情に引き金をひいた。無論、リボルバーにジャミングは起こらなかった。彼は死に愛されていた。男の頭はすでに潰れたトマト同然、悲鳴のひとつも上げないクズと化している。
「なんでだよ……。なんで……」
マロウはその場にくずおれた。虚しさと屈辱に唇を噛みながら。
死神はその傍らで、ふっと硝煙をとばす。
「お前はどうしたかった?」
「なんだよ……?」
「自分たちを虐げてきたクズどもを、満足いくまでいたぶりたかったか?」
「当たり前だ……」
「そうかい」
死神はそう言うと、不意に子どもたちへ歩み寄った。
床が苦しげに軋んだ。
すると、子どもたちはみな震えあがり後ずさった。泣きだした子どもも少なくなかった。中には失禁してしまった子どももいた。
死神は無感情にふり返った。
「お前はこうなりたかったのか?」
マロウは俯いた顔をあげ、死神が床を踏むたびに怯える義兄弟たちを見た。皆が、縋るようにこちらを見返していた。その震える指先を伸ばしながら、義兄を求めていた。
マロウはハッと息を呑んだ。
あの時、銃が火を噴いていたら。
オレもこうなってた……?
あいつらを、この手で苦しめたら。
オレもあいつらと同じになってたのか……?
マロウは震える足で立ち上がり、義兄弟たちの許へ歩み寄った。
みんなその様を見ていた。かすかに怯えがあるけれど。
決して後ずさりはせずに、その様を見ていた。
「みんな……」
そしてマロウは、守りたかった者たちの許へたどり着く。本当に視線を交わし合うべき者たちの許へと、温かな肩を寄せ合い、今ふたたび交わった。
「みんな、遅くなってゴメン……!」
マロウは義兄弟たちの肩を抱く。
サヘラが真っ先に「ホントに遅い!」と歓喜の涙を流した。「コワかった!」と義弟の声がして。「兄ちゃんだ!」と別の声がある。
頬と頬が触れあい、温もりがたしかにあって、絶望が晴れていく感触を味わっていた。
そこへ遠慮がちに触れる小さな手があった。
マロウはそれを掴み、痛々しい相貌を見て顔をしかめた。
「おニイちゃん……おかえり」
「ああ……ただいま」
ただ子どもたちは泣き崩れた。再会を喜び、解放を祝う想いだけがあった。
マロウはしかし、もう一つだけ祝わねばならないことを思い出す。
傷ついた義妹の手をとって、ポケットから解れたそれをとり出した。
「一日遅れだけど、誕生日プレゼントだ」
毛玉だった。まだ何物にも編まれていない、ただのピンクの毛玉だった。
マロウには、プレゼントを用意する時間も金もなかった。だから、せめてできることと言ったら、バレルに頭を下げて、こんなつまらないものを譲ってもらう、それだけだったのだ。
けれど彼女は欠けた歯をみせて、笑うように泣いた。
マロウは彼女をぎゅっと抱きしめた。その小さな肩が失ったたくさんのものについて思いを巡らせた。
遅すぎた。遅すぎた。あまりにも遅すぎた。
けれど、これで地獄は終わったのだ。その達成の証が、守りたかったものの存在が、こんなにも温かかった。
「……マロウ」
しかし温もりはすぐに、刃のような声に凍える。
しわがれた死神の声だった。
「これで依頼は達成した。そうだな?」
「ああ……」
「解ってるとは思うが、俺は哀れなガキどものためにタダ働きするほど優しくねぇ」
「それが解らないほどバカじゃねぇさ……」
マロウは仲間たちに微笑み、意を決して立ちあがった。
死神は殺しの代償を、対価を求める。
魂を刈りつくした今、それを支払うときがやって来たのだ。
「なんでもくれてやる。オレの眼でも耳でも、心臓でもいいぜ」
マロウは強いて胸を叩いた。
死神は残忍にわらった。
「イイ覚悟だ。人殺しなんかより、よほど立派だぜ」
ブーツの足音。その巨躯に床が悲鳴をあげる。
灰のロングコート。それがすぐそこにまで迫って。
弾けそうな心臓の絶叫を置いたまま、マロウの傍らを通りすぎた。
「ああっ……!」
そして無数の悲鳴があった。
マロウは咄嗟に振り返った。
死神の冷徹な視線と交わった。
「俺はお前の大切なモンを貰う」
「おニイちゃん……!」
「――!」
義妹を呼ぶ声は、声にならなかった。
ただ死神の抱きあげた、可愛いかわいい義妹の姿が絶望的だった。自分の命を投げうってでも守りたいと思った家族が、もう手の届かない場所にいた。
「いいんですか? それだけで」
戸口からバレルの問いかけがある。
死神は「充分だ」と頷いた。
「お前も文句ねぇよな? 覚悟決めた男ならよ」
マロウは義妹を見上げ、はっきりとその姿を、涙にゆがむ視界にきざんだ。大きな目、頬骨のうえに浮いたそばかす。小動物のような愛らしい鼻筋に、欠けた前歯まで。
「クソっ……」
逡巡の末、しかしマロウは震える顎をひいた。
地獄の終わりは旅の始まりだ。子どもたちの居場所はなくなり、ゆえに立ち止まることはできなくなる。果てしなく続く光の世界は、あるいはこれまで以上に険しい試練の始まりかもしれない。
死神の道は、暗くふかい陰鬱なところだろうけれど。
マロウに死神と争う力はなく、無限の地上を生き残る術もないのだった。
「……結局、オレには何の力もなかった」
しょせん、子どもだ。誰かに頼らなければ生きていけない。独りでは何もできない子どもだった。ありふれた善意を信じられるだけの。後先なんか考えられない、バカな子どもに過ぎなかった。
そして死神はわかりきったことを言う。
「ガキに力なんかあるはずがねぇ」
と。
もはや怒りも湧かなかった。あるのは、胸のなかを灰へと変えていく悔しさばかりだった。
「だがな、死神のドアを叩いたのは、お前だ」
マロウはハッとして偉丈夫を見上げた。ウエスタンハットのツバの下から、その鋭い双眸が、はっきりとこちらを見下ろしているのが判った。
「報酬は大事にするさ」
それが死神の残した最後の言葉だった。
逞しい腕に抱かれ、愛しい彼女が遠ざかってゆく。
涙に濡れた双眸を揺らし、マロウたちへと手を伸ばしながら。
マロウたちも、逡巡や辛苦のなかで手を伸ばした。
しかしそれらは、決して触れあうことがなく。
彼らの叫びは、ひとつとして言葉にならなかった。
誰もがこうするしかないと、すべてを理解し。
濁流のように押しよせる感情が、涙と嗚咽ばかりを吐きだしてゆく。
その中で。
ふいに一人の少女が立ちあがった。少女は死神に挑むような眼差しを向けると、すぐに義妹へ視線を移した。瞳に様々な感情がよぎり、滴となって流れ落ちた。かすれた吐息は声にならなかった。
それでも少女は、少女にできる最善を尽くした。
「エヘヘ」
笑ったのだ。
悲しみが胸を裂き表情を歪ませても、少女は努めて笑い続けた。
マロウたちはその様に悟らされた。
義妹の門出に、これ以上相応しい祝福はないと。
そして皆が長女に倣った。
満面の笑みを浮かべたのだった。
たとえそれが今は悲しい偽物だとしても。
いつか本物になることを信じて。
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