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笹野にゃん吉

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No.3 そして明日はやって来る

7.ドアを叩いたのは

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 ピュン!

「まったく、よくこんな荒っぽい仕事で殺し屋なんて務まるなぁ」

 最後の守衛を撃ち殺したバレルは、ポケットから優雅にハンカチーフをとり出す。それで薬莢をつまみとると、傍らで震えを押しころす少年へ視線を落とした。

「怖いかい?」
「こ、コワくなんかねぇよ……」
「立派だねぇ。度胸のある男は大成するよ」

 バレルはにんまりと笑うと、少年の手を握りこんだ。
 マロウは弾かれたように、メッセンジャーを見上げる。
 その手に、おもい鋼鉄の感触があったからだ。

「こ、これ……」
「興奮するだろ? 男って好きなんだよね、銃。ボクもつい熱くなっちゃうんだよなぁ」
「そうじゃなくて……」
「君はさ、人を殺す覚悟ある?」

 バレルはあくまで笑顔を崩さない。しかしそこには、濃い影をおとす妖しい色気が立ちこめる。

 マロウは愕然とするより、茫洋として色男を見た。

 鋼鉄の感触が燃えるように熱かった。まぎれもなく人を殺す道具だ。膂力では勝てなくとも、これが火を噴けば人など簡単に殺せるのだ。この色男が実際にやってのけたように。あのクソったれの大人たちも、この手で地獄へ叩きおとすことができる。

「殺し屋も独りじゃなかなか務まらないんだ。特に彼の仕事はこの通り、荒っぽいしね。でも、ボクは飽きちゃってさ。そろそろ退職したいんだ。だから君にもしその気があるなら、死神の使いになってみない?」

 マロウはバレルと銃を交互に見つめる。
 死神の使い。メッセンジャー。
 依頼人と殺し屋をつなぎ、ときに自らも人を殺める悪魔となる者。

 その暗い邪道が眼前にある。

 けれど、それは果たして邪道だろうか。苦しむ者のために執行する殺しもあるはずだ。憎む者から逃れられず、苦しみに耐えるしかない弱者の気持ちを、マロウは嫌というほど知っている。

「……オレにもやれるのか?」
「テストに合格すればね」
「テスト?」
「そのための銃さ。やると決めたら即行動だよ」

 銃は重い。
 この男や死神が、息でもするように使っていたものとは思えないほど。
 けれど子どもの自分にだって、狙いを定めることくらいできる。引き金をひくことくらいできる。人を殺すことくらい――できる。

「幸い、今回のテストは簡単だ。ここにいる連中は、憎い奴ばかりだろう?」

 そうだ。ここにいる連中はみんなクズだ。子どもを殴り、唾を吐きかけ、女子なら蹂躙して――。死んで然るべきクズしかいない。殺すなんて簡単だ。

「……ああ、やってやる」

「よく言った。それでこそ男さ。まだパーティは終わってないはず。死神さんも、一人分のランチくらい分けてくれるよ」

                ◆◆◆◆◆

「な、なんなんだ……! なんなんだ、お前はァ!」

 食堂には赤いスープが散らばっている。人の口にはあわない鉄臭いスープだ。
 肉の調理も、こいつでいよいよ最後。首を落とされる前のブタはよく吼える。

 死屍累々の食堂で、それでも声を殺して縮こまるガキどものほうが、よほど物分かりがよく殊勝だ。ハッと我にかえって、仲間たちを抱きよせに行った少女など、きっとイイ女になるだろう。

「死神、って呼ばれることが多いな。歩けば人が死ぬんでね」

 死神と名乗るその男は、最後の職員へ歩みよりながら引き金の指をしぼりこんだ。

「あんたは天国と地獄、どっちへ行きたい?」

 訊ねると、男はひきつった顔でかぶりを振りながら後ずさった。

「イヤだ、どっちも! 死んでたまるか! ここが俺の楽園だッ!」

 男は目を血走らせると、懐へ手を押しこんだ。間もなく現れたのは、冗談みたいに小さな拳銃だった。ガキは脅せても死神は動じない。

 ドム!

「あがあああッ!」

 銃声とともに拳銃がはじき飛ばされ、その手は醜いジュレへと変わった。男は床の上をのたうち回る。

「質問が聞こえなかったか? 天国か地獄。AかBだ。Cはねぇ」
「あ、ああぁ……いだい、いだいよぉ」

 男は相当に頭が悪いらしい。またも質問に答えなかった。ルールを守れない奴には罰が必要だ。

 残った手へ銃口を定め、

「アアアアアアアァッ!」

 しかし戸口から轟いた咆哮へ向きなおった。

 駆け出してくるのは見知ったガキだった。その手にはサプレッサー付きの拳銃がある。一目見ただけでバレルのものと判った。銃口は大きくブレながら、けれど男へ狙いを定めようとしていた。

「オレにやらせろォ! そいつは、オレがぶっ殺してやる!」

 死神は薄く笑って、戸口にもたれかかるバレルを見た。
 感心する。ずいぶん大胆な退職届だ。

「好きにしな。デザートくらい分けてやる」

 道をあけると、鼻息あらくマロウが職員の前に立った。その目がブタの痛みもだえ苦しむ様を睥睨した。震える手で狙いをさだめながら。

「オレたちは、ずっと痛かったんだ……! お前が今苦しんでるよりもヒドく! お前が失ったその手より、オレたちはたくさんのものを失った! 奪われた!」

 男は少年を見上げ、痛みのあまり涙を流した。そしてこれ以上の痛みがあるはずなどないと思った。

「その償いを、地獄でしやがれ……。地獄の一番深いところで、光なんか射さない場所で……一生悔いて苦しみやがれ……!」

 男は呻きながら忙しなくかぶりを振った。
 マロウの中の炎が爆ぜた。暗いくらい絶望と怒りの炎が。

 そして引き金はひかれた。

 ガチ。

「えっ……?」

 しかし弾は発射されなかった。

 ガチ、ガチガチ。 

「おい、おい……。なんでだよ!」

 マロウは糺すようにバレルをふり返った。しかし色男は眼鏡を押しあげ、小さく肩をすくめるだけだ。

 代わりに答えたのは、死神のほうだった。

「……ジャムったな」
「え……?」
「お前に死神の使いなんざ務まらねぇってことだよ」

 ドム!

 死神は無感情に引き金をひいた。無論、リボルバーにジャミングは起こらなかった。彼は死に愛されていた。男の頭はすでに潰れたトマト同然、悲鳴のひとつも上げないクズと化している。

「なんでだよ……。なんで……」

 マロウはその場にくずおれた。虚しさと屈辱に唇を噛みながら。
 死神はその傍らで、ふっと硝煙をとばす。

「お前はどうしたかった?」
「なんだよ……?」
「自分たちを虐げてきたクズどもを、満足いくまでいたぶりたかったか?」
「当たり前だ……」
「そうかい」

 死神はそう言うと、不意に子どもたちへ歩み寄った。
 床が苦しげに軋んだ。
 すると、子どもたちはみな震えあがり後ずさった。泣きだした子どもも少なくなかった。中には失禁してしまった子どももいた。

 死神は無感情にふり返った。

「お前はこうなりたかったのか?」

 マロウは俯いた顔をあげ、死神が床を踏むたびに怯える義兄弟きょうだいたちを見た。皆が、縋るようにこちらを見返していた。その震える指先を伸ばしながら、義兄あにを求めていた。

 マロウはハッと息を呑んだ。

 あの時、銃が火を噴いていたら。
 オレもこうなってた……?
 あいつらを、この手で苦しめたら。
 オレもあいつらと同じになってたのか……?

 マロウは震える足で立ち上がり、義兄弟たちの許へ歩み寄った。
 みんなその様を見ていた。かすかに怯えがあるけれど。
 決して後ずさりはせずに、その様を見ていた。

「みんな……」

 そしてマロウは、守りたかった者たちの許へたどり着く。本当に視線を交わし合うべき者たちの許へと、温かな肩を寄せ合い、今ふたたび交わった。

「みんな、遅くなってゴメン……!」

 マロウは義兄弟たちの肩を抱く。
 サヘラが真っ先に「ホントに遅い!」と歓喜の涙を流した。「コワかった!」と義弟おとうとの声がして。「兄ちゃんだ!」と別の声がある。
 頬と頬が触れあい、温もりがたしかにあって、絶望が晴れていく感触を味わっていた。

 そこへ遠慮がちに触れる小さな手があった。
 マロウはそれを掴み、痛々しい相貌を見て顔をしかめた。

「おニイちゃん……おかえり」
「ああ……ただいま」

 ただ子どもたちは泣き崩れた。再会を喜び、解放を祝う想いだけがあった。
 マロウはしかし、もう一つだけ祝わねばならないことを思い出す。
 傷ついた義妹いもうとの手をとって、ポケットから解れたそれをとり出した。

「一日遅れだけど、誕生日プレゼントだ」

 毛玉だった。まだ何物にも編まれていない、ただのピンクの毛玉だった。
 マロウには、プレゼントを用意する時間も金もなかった。だから、せめてできることと言ったら、バレルに頭を下げて、こんなつまらないものを譲ってもらう、それだけだったのだ。

 けれど彼女は欠けた歯をみせて、笑うように泣いた。
 マロウは彼女をぎゅっと抱きしめた。その小さな肩が失ったたくさんのものについて思いを巡らせた。

 遅すぎた。遅すぎた。あまりにも遅すぎた。
 けれど、これで地獄は終わったのだ。その達成の証が、守りたかったものの存在が、こんなにも温かかった。

「……マロウ」

 しかし温もりはすぐに、刃のような声に凍える。
 しわがれた死神の声だった。

「これで依頼は達成した。そうだな?」
「ああ……」
「解ってるとは思うが、俺は哀れなガキどものためにタダ働きするほど優しくねぇ」
「それが解らないほどバカじゃねぇさ……」

 マロウは仲間たちに微笑み、意を決して立ちあがった。
 死神は殺しの代償を、対価を求める。
 魂を刈りつくした今、それを支払うときがやって来たのだ。

「なんでもくれてやる。オレの眼でも耳でも、心臓でもいいぜ」

 マロウは強いて胸を叩いた。
 死神は残忍にわらった。

「イイ覚悟だ。人殺しなんかより、よほど立派だぜ」

 ブーツの足音。その巨躯に床が悲鳴をあげる。
 灰のロングコート。それがすぐそこにまで迫って。
 弾けそうな心臓の絶叫を置いたまま、マロウの傍らを通りすぎた。

「ああっ……!」

 そして無数の悲鳴があった。
 マロウは咄嗟に振り返った。
 死神の冷徹な視線と交わった。

「俺はお前の大切なモンを貰う」
「おニイちゃん……!」
「――!」

 義妹を呼ぶ声は、声にならなかった。
 ただ死神の抱きあげた、可愛いかわいい義妹の姿が絶望的だった。自分の命を投げうってでも守りたいと思った家族が、もう手の届かない場所にいた。

「いいんですか? それだけで」

 戸口からバレルの問いかけがある。
 死神は「充分だ」と頷いた。

「お前も文句ねぇよな? 覚悟決めた男ならよ」

 マロウは義妹を見上げ、はっきりとその姿を、涙にゆがむ視界にきざんだ。大きな目、頬骨のうえに浮いたそばかす。小動物のような愛らしい鼻筋に、欠けた前歯まで。

「クソっ……」

 逡巡の末、しかしマロウは震える顎をひいた。

 地獄の終わりは旅の始まりだ。子どもたちの居場所はなくなり、ゆえに立ち止まることはできなくなる。果てしなく続く光の世界は、あるいはこれまで以上に険しい試練の始まりかもしれない。

 死神の道は、暗くふかい陰鬱なところだろうけれど。
 マロウに死神と争う力はなく、無限の地上を生き残る術もないのだった。

「……結局、オレには何の力もなかった」

 しょせん、子どもだ。誰かに頼らなければ生きていけない。独りでは何もできない子どもだった。ありふれた善意を信じられるだけの。後先なんか考えられない、バカな子どもに過ぎなかった。

 そして死神はわかりきったことを言う。

「ガキに力なんかあるはずがねぇ」

 と。

 もはや怒りも湧かなかった。あるのは、胸のなかを灰へと変えていく悔しさばかりだった。

「だがな、死神のドアを叩いたのは、お前だ」

 マロウはハッとして偉丈夫を見上げた。ウエスタンハットのツバの下から、その鋭い双眸が、はっきりとこちらを見下ろしているのが判った。

「報酬は大事にするさ」

 それが死神の残した最後の言葉だった。

 逞しい腕に抱かれ、愛しい彼女が遠ざかってゆく。
 涙に濡れた双眸を揺らし、マロウたちへと手を伸ばしながら。

 マロウたちも、逡巡や辛苦のなかで手を伸ばした。

 しかしそれらは、決して触れあうことがなく。
 彼らの叫びは、ひとつとして言葉にならなかった。
 誰もがこうするしかないと、すべてを理解し。
 濁流のように押しよせる感情が、涙と嗚咽ばかりを吐きだしてゆく。

 その中で。
 ふいに一人の少女が立ちあがった。少女は死神に挑むような眼差しを向けると、すぐに義妹へ視線を移した。瞳に様々な感情がよぎり、滴となって流れ落ちた。かすれた吐息は声にならなかった。

 それでも少女は、少女にできる最善を尽くした。

「エヘヘ」

 笑ったのだ。
 悲しみが胸を裂き表情を歪ませても、少女は努めて笑い続けた。

 マロウたちはその様に悟らされた。
 義妹の門出に、これ以上相応しい祝福はないと。

 そして皆が長女に倣った。
 満面の笑みを浮かべたのだった。

 たとえそれが今は悲しい偽物だとしても。
 いつか本物になることを信じて。
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