魔都フクイ

笹野にゃん吉

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第二部 恐竜母胎カツヤマ

三三、天使の梯子

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「ブジュウウウウウウウウウ!」
「クソ、来やがった!」

 バンダナの悪態は、事態が最悪の方向へ転がりだしたことを示唆していた。
 階段にカニ人間の姿はない。
 廊下にまろびでた影が、それなのだ!

「撃ち落とせェ!」

 兵たちはリーダーの号令に応えた!
 各自引金をひき、弾幕を展開!

「ジュジュアッ!」

 ところが異形の影は、壁を蹴り、天井にハサミを突きたて、さらに天井を蹴って、およそ尋常の人間では不可能な挙動で弾幕をかいくぐる!

「……」

 マスナガは見ていることしかできなかった。
 距離が遠すぎるのだ。
 どのみち命中したところで、拳銃では大したダメージも見込めない。

 では、自分になにができる?

 マスナガは自問する。

 ここにいる意味はなんだ?

 ひたすらに問いかける。
 抗い続けることでしか、未来に道を築くことはできない。
 諦念に敗北すれば、死に追いつかれるのは確実でも。
 抗った先に何が待ち受けているかは誰にもわからないのだ。

「ブジュウウウウウウウウウ!」
「……」

 その時、マスナガは暫定的な答えを見出し、メガネに手をやった。
 意識を集中させ、己の頭に巣くう寄生虫に呼びかけた。

 俺の寿命をくれてやる……だから力を貸せ!

 マスナガは目を見開き、両手で拳銃のグリップを握り直した。

 キュイイイイィィィイィイイィィ!

 その目許からかすかに機械音が洩れだす!
 動画を撮影しているのだ!
 映像はたちまち専用のストレージに叩きこまれ、必要な情報だけをピックアップし解析をはじめる!

 敵の軌道。
 仲間の弾道。
 複雑なパターンを絞り込む。
 メガネフレームが高速で点滅し、熱を発し始める!

 どこだ、どこに来る……?

 マスナガにとって、その体験は霞む地平目がけて泥沼を這い進むような、遅々として過酷な時間だった。
 焦燥が己を急きたてていた。
 緊張は喉の渇きとなり、手の震えを呼び、次第に失敗に対する恐怖心をも生みだしていく。

「うわぁッ!」

 その時、折悪しくバンダナのアサルトライフルがコックオフを起こした。
 一つ射線が失われ、攻防パターンに変化が生じた。

「ブジュアッ!」

 ここぞとばかりにカニ人間が踏みこんだ。
 彼我の距離が三十メートルを――切る。
 もう幾許の猶予もない。
 が、メガネが割りだした予測パターンには、まだ幾つかの候補が残されていた。

「……やってやる」

 にもかかわらず、却って焦りは鎮まっていった。
 凪いだ水面のうえに立っているような、超然とした心象の中に、マスナガは立っていた。

 俺は生き残る。自分の道を、仲間とともに進むと決めた。

 そして、水面に散らばるカードを一枚摘まみ上げた。
 それが、そのまま引金をひく指先の動きとなる。

「ッ!」

 拳銃が火を噴いた。
 膨大な、しかし数少ないデータの中から割り出した、暫定的な致命の一矢が、闇を一直線に切り裂いた。
 壁を蹴り、斜めに地上へ降りたったカニ人間の許へ、それはまっすぐに飛翔した。

 カカカッ!

 ところが、命中したのは頭部のふちだ。
 おぼろげな火花を散らし、銃弾は闇のなかへ消える。
 残る二発の銃声も虚しく闇を震わせ、カカ、カカとおなじ個所で火花を散らした。
 殺戮の悦びに、カニ人間の眼が眼窩からせりあがった。
 しかし、地を蹴るその瞬間、悦びはたちまち焦りに転じた。

「ジュッ……!」

 前へとび出していくはずの身体が、後ろによろめいたのだ。
 計算され尽くした三発の弾丸――その衝撃がカニ人間の重心を狂わせたのである。

「あそこだッ!」

 その一瞬の隙を、兵たちが見逃すはずもなかった。
 縦横に虚空を穿ち続けてきた無数の弾丸が、いま一つの場所でいま交わった。

「ブジ、ジュジュジュ、ババババババッ!」

 カニ人間は不格好なダンスを踊った。
 甲羅が、眼が、カニみそがあたりに飛び散った!

「ハァ……! ハァ……!」

 無論、勝利の代償は大きかった。
 マスナガは両膝をつき頭を抱えた。

『フクイを守れ!』
『フクイのために!』
『フクイ万歳!』

 頭のなかで声が暴れていた。
 一音ごとに自我をさいなむ爆撃のようだった。

「フクイ、ッ、万歳……」
「おい、なに言ってんだ!」

 無数の声の中に、バンダナの叫びが浮上する。

「どうした!」

 背中を叩く痛みが、マスナガの自我を細いほそい糸となって繋ぎとめる。
 マスナガはそれを太く紡ぎあげるべく、これまで経験してきた、数々の痛みを呼び起こす。

 皮肉にもそれはモリヤマから受けた苛烈な暴力をも反芻させたが、痛みの熱は、より安らかな温もりを求め、マスナガの両脇に顔のないふたりの存在を浮かび上がらせた。

 まだだ、こんなところで……消えてたまるかッ!

 マスナガは不明瞭なふたりの感覚に手を伸ばした。
 その顔が、ハシモトとアサクラの笑みとなって輝いた。
 ふたりから差し伸べられる手を、そして掴んだ。

「――とか言えよ! マスナガぁ!」

 自分を呼ぶ声が、頭の芯を叩きつけた。
 マスナガはきつく閉じていた瞼を、こじ開けた。
 震えながら相手を見返した。
 ブロックで組み立てた人形か、あるいはドット絵のような姿が、目の前にあった。

「ンッ! ンッ! ンンッ……!」

 マスナガはこめかみをくり返し殴りつけ、かろうじて繋がった自我を刺激した。

「なにやってんだよ!」

 狼狽したバンダナは、その腕を掴んだ。

「バカ野郎!」

 荒っぽい憂俱の声は、メガネ移植者の耳にクリアに響いた。
 マスナガは二度、三度と瞬き頭を振った。
 暗視ゴーグル越しの視界は、依然ノイズ混じりのドット絵のようだったが、

「……うるさいぞ」

 目を凝らしてみれば、次第にその輪郭は明瞭になっていった。
 マスナガは立ちあがりながら、遥か遠い県知事システムに囁きかけた。

 俺は、まだ、ここにいさせてもらう……。

 そして自我に突き刺さる電子の糸を、今度こそ断ち切った。

「大丈夫なのか、お前」
「大丈夫だ。気にするな」
「いや、いきなり自分のこと殴りだす奴とか放っておけるか」
「問題ない。とりあえず助かった」
「なんだ、それってどういう」
「ヒエアアアアアアアアア!」

 チンピラの叫びがふたりの会話を遮った。
 階下で足音が反響した。
 床に得物を打ち付ける音が、そこに重なった。

「クソッ! 悠長に話してる場合じゃねぇか!」
「らしいな」

 マスナガたちは、階段側へとって返した。
 補給兵たちは、すでに階段に空薬莢を放出していた。

「ヒエ、あっ、ちょ、ああああああああああ!」

 踊り場に出現したチンピラ三人組が、薬莢に足をとられ転げ落ちる! 無論、それは敵の先駆けに過ぎない!

「ホアアアアアアアアア!」
「ピュキイイイイイイイ!」

 転がる三人を踏み台に、ケミカルライトを手にしたチンピラの群れが、階段を駆け上がってきたのだ!

「てえェ!」

 マスナガたちは鉛玉で応戦した!
 銃火とともにチンピラの血液が弾け、ケミカルライトがいっそう色づいた。

「クソッ! ジャムりやがった!」

 しかし連続する戦闘によって、装備も兵も疲弊していた。弾倉交換、銃身交換を強いられた手数では、隙のない弾幕を展開するのは不可能だ。

「ブジュウウウウウウウウウ!」

 間が悪く、そこにカニ人間まで現れる!
 両バサミに殺害した兵を吊り下げ、それを盾に階段を駆け上がってくる!
 もはやマスナガたちに選択肢は残されていない。
 ハシモトと老兵を待っている余裕はない。

「総員退避! 総員退避ィ!」

 敵襲へ牽制射を見舞いながら、彼らはただちに階段を駆け上がった。
 叩きつけるように鉄扉を開け放ち、屋上へまろび出た。

「ガガアアアアアッ!」

 どこからか響いた正体不明の鳴き声が、彼らを迎えた。
 いや、それ以上に絶望的な光景が。

「ジュジュ?」

 崩れ落ちた幌、無惨に油揚げの実が散らばった屋上に、二体のカニ人間がいた。
 一体が嘲笑うように兵士を踏み付け、もう一体が串刺しにした死体を屋上から投げ捨てた。

 痛みに悶え、項垂れ、戦慄する兵たちの手に、もはや武器はなかった。そこここに転がり沈黙し、切り裂かれた草花とともに雨と濡れるばかり。
 ふり返ったハシモトの赤く腫れあがった目が、マスナガを見た。

「ッ」

 マスナガはなおも銃を構えた。

「ブジュウウウウウウウウウ!」

 それも泡によって弾かれた。

「ブジュ」

 鉄扉の向こうから、追手のカニ人間がぬっと姿を現した。
 バチンと威圧的にハサミを鳴らせば、その傍らから、ニヤついたチンピラたちが屋上に進みでた。

「……どうやら、ここまでみたいだね」

 血の滲んだ肩口を押さえ、呟いたのはハツだった。
 それは残酷な宣告だったが、同時に、同志たちへの慰めでもあった。
 自ら負けを認める苦しみを、ハツは肩代わりしたのである。

 ぴちゃん。

 その時、マスナガの足許に雨粒が落ちてきた。
 最後の雨粒だった。
 雨は止み、屋上を鳥の影絵が横切った。
 その行方を目で追った。
 ほんの少し前まで、〈オオノ〉へ向かっていたことを思い出しながら。

「ガガアアアアアッ!」

 鳥の影は大きく弧を描いて、間もなく戻ってきた。風になびく翼は、思いの外大きかった。

「……いや」

 大きいはずだ。
 それは、鳥ではないのだから。
 辺りを旋回する奇妙な影に、正面の二体のカニ人間も訝しんで顔を見合わせた。

 バサッ、バサッ、バタタタタ。

 羽音が重なっていく。
 マスナガは空をふり仰いだ。

「「「ガガアアアアアッ!」」」

 刹那、影が空を埋めつくした。意思をもって襲来した夜のごとくに。

「ジュジュ……ッ?」

 影はやはり弧を描いて戻ってくる。
 中央で分かれ、空に一筋の道をつくる。
 と同時に、遠く雲が裂け、天使の梯子が降りてきた。
 その光を負うように一羽の影が、ぐんと舞い上がった。
 ピンクのプテラノドンだった。
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