魔都フクイ

笹野にゃん吉

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第二部 恐竜母胎カツヤマ

十七、火炎瓶とてこの原理

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「うぐぁ……ッ!」

 すぐさま床を蹴って後ろにとんだマスナガは、裂けた肩を押さえ呻いた。

「うわああああああああ!」

 ハシモトは破れかぶれにバールのようなもので攻撃した。
 無論、そんなものが通用する相手ではなかった。
 カニ人間は、目許を覆ったハサミを閃かせると、ハシモトの手から得物を弾き飛ばした。それが玉を異常排出するパチスロ台に突き刺さった。

「オオォ、アタリイ、イイッ……」

 ノイズ混じりの不明瞭な音声をたれ流し、台が沈黙する。

「ブジュウウウウ」

 雑音がなくなると、カニ人間の声はいやに大きく響いた。
 眼窩におさまっていた複眼が斜め前方に盛り上がり、扉状の口器がひらいて鉤爪のような大顎を蠢かせた。

「あ、あぁ……!」

 ハシモトは後退り、尻からくずれ落ちた。

「クソ!」

 マスナガは臆せず引金をひいた。

 カン! カン! カン!

 しかしハサミを盾にされれば、拳銃など無力に等しい。表面をわずかに凹ませはしても、絶命に至らしめる事などできようはずもない。
 万事休すかに思われた、その時だった。

「ふたりとも離れろッ!」

 カニ人間の背後から声が響いたのは!

「ブジュ!」

 カニ人間諸共、戸口を一瞥すると、そこにショットガンを構える人影があった。その腰の茹でガニのバックルが、月明かりを弾いて煌めいた。

 アサクラだ!

 ふたりは、二手に分かれる形でパチンコ台の陰にとびこんだ!

 ドム!

 たちまち重い銃声がとどろいた!
 カニ人間はとっさにハサミを振り抜いた。そこに蜘蛛の巣状のヒビが刻まれた!

「ブジュウウウウウ……!」

 しかし傷は浅かった。
 カニ人間は腰をしずめ、肉の橋の中から亡骸を掬い上げた。それだけで亡骸は錐揉み回転しながら飛んだ!

「チッ!」

 アサクラが回避を強いられ、戸口から飛び退いた!

 パン! パン! パン!

 その時マスナガは、パチンコ台から身をのり出し、無防備な敵の背中に弾丸を撃ちこんだ!

 カン! カン! カン!

 だが、それも弾かれ火花を散らした。
 破れた服の下から白い甲皮が覗いた。カニ人間の背中は、カニの部位でいうところの腹甲ふんどしによって守られていたのだ!

「ブジュウウウウウウウウウ!」

 振り向きざまの泡攻撃!
 マスナガは横転し、かろうじて躱す!
 とはいえ、一刻の猶予もない。肉薄されれば死は確実。先程は運よくアサクラの援護がはいったが、今度はそうもいかない。ショットガンの射線を逃れるべく、カニ人間はこちらに踏みこんでくるはずだ。

「つ……ッ!」

 マスナガは後退しつつ、震える手でリロードを行った。
 もはや銃に意味があるとも思えなかったが、組織の掟に反して戦い続けることが彼の矜持だった。彼の本気だった。

「ブジュ!」

 そのすべてを踏みにじらんと、圧倒的な暴力が襲いくる! 鋭利なハサミをひらき、カニ人間が駆け出したのだ!

「……」

 マスナガは後退る足をとめ、相手に銃口を定めた。
 肩のダメージが照準を狂わせた。
 撃ったところで勝てはしないと解っていた。

 それでもマスナガは抗うことに決めた。
 絶望に屈しないと心に誓った。
〈クラブラザーズ〉を裏切り、事ここに至って、自分まで裏切るつもりはなかった。
 マスナガは指先に熱い血をめぐらせた。

「……」

 ところが、銃声が響きわたることはなかった。
 その時、傍らのパチンコ台を何かが飛び越え、両者の視界を隔てたからだ。
 マスナガの目には一瞬、それが翻る赤い舌に見えた。

「ブジュ……ッ?」

 しかし、それは当然赤い舌などではなかった。

日本義ニッポンギ〉――。

 栓の燃えた瓶だった。
 それを知覚した瞬間、マスナガは自分が本のページをめくるような、ゆったりとした時間を味わっていることに気付いた。
 自分の中の何かが、超然とした何かが、この機を逃してはならないと訴えていた。

 マスナガは直感的に瓶を注視した。
 燃える栓、ラベリングされた文字、瓶のなかに揺れる液体――。
 その一つひとつを順に確かめた。
 その間にも、瓶はゆっくりと落下していた。カニ人間の眼前に、炎が揺れた。

 ドクン。

 ふいに胸が鼓動を打った。
 マスナガは確信に目を見開き、思い切り舌を噛んだ。

「ングッ!」

 鋭い痛みが脳を焼いた。
 それが腕の震えを一瞬だけ止めた。
 視界をぐっと収縮させた。
 銃口がぴったりと瓶の中央をとらえた。
 指先に力をこめたその瞬間、時が元の流れをとり戻した。

 ボム!

 瓶が割れ、小爆発をひき起こしたのだ!

「ッ!」

 引金をひくと同時、後転していたマスナガは、袖を焦がしただけですんだ。
 しかしカニ人間は、爆発に呑みこまれ頭部を燃えあがらせた!

「ブジュ! ブゴ……ッ!」

 悲鳴をあげるカニ人間! 熱によってタンパク質が分離し、茹でガニの様相を呈する!

「ブゴッ! ブゴッ!」

 蒸発する泡を吐きだし、両バサミを遮二無二ふりまわして鎮火を試みる!
 今なら、おそらくとどめを刺せる。開いたままの口に弾丸を撃ち込めば、頭の中をズタズタに引き裂くことができるはずだった。

『……フクイ万歳』

 ところがその時、折悪しくメガネの洗脳電波が、マスナガの頭の中をかき乱したのだ。こめかみに激痛が走り、手から拳銃がこぼれ落ちた。

「黙れ……ッ!」

 マスナガは頭を抱え、傍らの台に側頭部を打ち付けた。物理的な痛みを頼りに、自我の手綱を取ろうとした。

『フクイ万歳!』

 だが、声は大きくなる一方だ!
 視界が白み、背景の闇が消える。
 その無機質な色に、心が蝕まれていく。
 マスナガは恐怖した。
 それさえもフクイの大いなる意思が、にじり潰そうとした。

「やあああぁぁああああぁあああぁあ!」

 しかしその純白の魔手を、叫びがこじ開けた。
 意識を殴りつけられたマスナガは、もう一度頭を殴りつけ、今度こそ自我の手綱を掴み取り、カッと目を見開いた。
 その目が、燃えるカニ人間の背後――バールのようなものを振り下ろすハシモトを捉えた!

「ゴブボッ……!」

 棒の折れ曲がった先端部が、甲羅に突き刺さった!
 それは、ちょうど甲羅と腹甲ふんどしの付け根が接する部位。カニを食す際、甲羅と足とをひき剥がすのに力を加える部位である!

「ンン……ッ!」

 そんなことは露知らず、ハシモトはバールのようなものを下から押し上げた。てこの原理によって、甲羅がメキメキと嫌な音をたてる――!

「ジア、ババ……ッ!」

 甲羅から煮えたカニみそがこぼれる!
 ハシモトは、すかさずバールのようなものを押しこんだ。
 柄を回転させ中で先端部を上向け、

「ボボボ……」

 全体重をかけて、こじ開けた!

「ジュウウウウウウウウウウッ!」

 燃える甲羅が宙を舞う!
 カニみそがあたりに飛散し、ドル箱の日本酒に融ける! ベストマッチ!

「うまああああああああい!」

 その時、仰向け気絶していたチンピラが弾かれたように起き上がった。カニみそのうまさで意識をとり戻したのだ!

「もっと! もっとおおおッ!」

 盛大にカニみそを浴びたハシモトに食欲をそそられ、チンピラが突撃してくる! 緊張を解いたハシモトの背中は無防備極まりない!

「ボサっとするな、若造!」

 そこにしわがれた叫びが割り込んだ。

「ふんッ!」
「うぎゃあああああああああ!」

 いつの間にか近くに立っていた何者かの手から酒瓶が投げ放たれた!

「むひん……っ」

 チンピラの頭が割れ、人のなんらかのみそが飛び散る!

「ふぅ」

 グロテスクな光景に臆することなく、酒屋爺が投瓶フォームを解いた。そこに遅れて駆けつけたアサクラが、すげぇなと肩をすくめた。

「瓶つかう仕事やでの」
「物は言いようだな」

 その暢気な会話を聞いて、マスナガは溜めこんでいたものを、まとめて吐きだした。
 パチンコ台に身体をあずけ、だらりと垂れ下がった腕で、強いて拳銃をもち上げてみた。
 カニの甲羅に燻ぶる炎が、その鈍色を照らし出した。
 ずっしりとした重みは、自分が自分としてここにあることを教えてくれた。

「大丈夫、ですか?」

 そして、へたりこんだハシモトの微笑みが、アサクラたちのくだらない会話が、この鈍色の生を豊かに彩ってくれていた。

「問題ない。ちゃんと、生きている」
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