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05. 文章力のなさに嫌気が差してくる
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お久しぶりです。五月雨乱です。
お待たせしすぎたのかもしれません。
いや、そんなに待ってくれるファンはいないか。
というわけで、少しずつ、ほんの少しずつ執筆を進めているのですが、いかんせんモチベーションが低いというわけです。
こう、面倒くさいというわけでもなく、ただ単純に腰が重いといった感じ。
それでもと頑張っているわけですが。
少しずつやっていく中で二章が書き終わり、今現在推敲作業をしているのですが、まあ文章力がないと思ってしまうわけです。
文章力とは何ぞやみたいな話もありますが、まあ文章力がないといった感想になってしまうみたいな文章です。
一応、てにをはに関しては明確なミスはありません。
30,000文字書いたら一か二個ほどあるかくらいですね。
基本的に本執筆中に気が付いて修正しています。
いわゆる重文や同一表現の頻出もあまりないです。
じゃあ何でなやんでいるかというと描写力ですね。
友人知り合い各所に確認はしてもらいましたが、明確に描写力がないというわけではないようです。
不幸中の幸いですね。
ただ、それは描写力の総合評価が及第点にあるだけであり、細分化してみたときにひどい項目があるということらしいです。
まあ、自覚はあるのですが。
個人的に優れていると思う描写力の最低限は、突出した一項目の描写力と、高水準のバランスのとれた他項目の描写力だと思っています。
すべてがバランス良くですと、一流の領域までたどり着かないと特質のない文章になってしまうと考えており、他に埋もれないためにも突出した一項目は必要という考えです。
まあ、創作家としてのオリジナリティとしては当然のことですが。
ただ、一つが突き抜けていても他が才能なしでは意味がない。
どれだけデッサン能力が高くとも構図選びやテーマ訴求力といったものがないと凡夫の絵になってしまうように、しっかりとした土台があるからこそ突出した描写力が活きると思っています。
さて、少し話が逸れましたが私の話をしたいと思います。
私が力を入れている描写が感情表現です。
喜怒哀楽といった感情を小説内にどう描写していくかということですね。
芥川龍之介のような感情を景色で描写するみたいな到達点に至れればモーマンタイですが、それに挑戦できる才能が今あればライトノベルじゃなくて文学を書きます。
残念ながら今の私にその境地まで至れる能力がないので、もう少しだけカジュアルなことを行っています。
それが、感情を直接描写しないということです。
どういうことだってばよというと。喜怒哀楽と直接書かないということですね。
喜んだ、起こった、悲しんだ、楽しんだみたいな直接的な感情を指す言葉ということです。
じゃあどうやって感情を描写していくかということですが、外的ないし内的感覚――仕草を描写してその人物の感情を読者に伝えていっています。
例を挙げるとすれば、口角を上げたや眉間に皺を寄せたといったやつですね。
前後文からの読み解きも必要となりますが、基本的に口角を上げる場合は喜び、眉間に皺を寄せる場合は悲しみを覚えた際の身体にでる反応になります。
こういう形で感情を描写していっているわけですよ。
個人的には明確に感情を決めつけてしまう直接的表現よりも、外的ないし内的感覚による描写のほうが、感情を揺れ動かされた事柄に対する度合いを把握できるので、より物語に没入できると考えております。
ようするに、私のこだわりってやつですね。
ただ、こういうことをする反面、おろそかになってしまっている部分もあるわけで。
残念ながら、私の小説では映像描写がおろそかになりがちなわけです。
もちろん、今どこにいるかといった基本的なものは出来ていると思っています。
ただ問題は、そこがどういう作りになっていて、登場人物との距離感はどのような感じかが希薄ということです。
抽象的なものの描写は出来ています。
ただ、キッチンだとすれば、そこはアイランドキッチンなのかカウンターキッチンなのか壁に沿っているキッチンなのか。
大きさはどれくらいで右と左のどちらにシンクがあり、どちらに冷蔵庫があるのか。
IHなのかRHなのかガスなのか。
主人公がヒロインと話しているが、主人公の右にヒロインがいるのか、左にヒロインがいるのか、真正面にヒロインがいるのかといった情報は不足しやすいわけです。
もちろん、意識しているときは主人公が右を向いたタイミングでヒロインの姿が映るようにし、ヒロインが右にいることを描写します。
ですが、これは意識しているときにできることで、意識をしなくなるとできなくなっているわけですよ。
これがもう大ピンチなわけです。
現在の舞台である空間の描写はある程度行っています。
ただ、その空間のどこにだれがいて、誰との距離はどのくらいなのかが抜けるため、読者の想像に頼る形になっているわけです。
これはいけない。
というわけで、現在推敲作業に追われているわけです。
前回は三章の二重構造の話を次回できればいいなとか抜かしてましたが、こんな状況で何言ってんだといった話ですね。
実はあと一つ別の問題点がありますが、これはまた次回話せればと思います。
では、またのご精読をお待ちしております。
五月雨乱でした。
お待たせしすぎたのかもしれません。
いや、そんなに待ってくれるファンはいないか。
というわけで、少しずつ、ほんの少しずつ執筆を進めているのですが、いかんせんモチベーションが低いというわけです。
こう、面倒くさいというわけでもなく、ただ単純に腰が重いといった感じ。
それでもと頑張っているわけですが。
少しずつやっていく中で二章が書き終わり、今現在推敲作業をしているのですが、まあ文章力がないと思ってしまうわけです。
文章力とは何ぞやみたいな話もありますが、まあ文章力がないといった感想になってしまうみたいな文章です。
一応、てにをはに関しては明確なミスはありません。
30,000文字書いたら一か二個ほどあるかくらいですね。
基本的に本執筆中に気が付いて修正しています。
いわゆる重文や同一表現の頻出もあまりないです。
じゃあ何でなやんでいるかというと描写力ですね。
友人知り合い各所に確認はしてもらいましたが、明確に描写力がないというわけではないようです。
不幸中の幸いですね。
ただ、それは描写力の総合評価が及第点にあるだけであり、細分化してみたときにひどい項目があるということらしいです。
まあ、自覚はあるのですが。
個人的に優れていると思う描写力の最低限は、突出した一項目の描写力と、高水準のバランスのとれた他項目の描写力だと思っています。
すべてがバランス良くですと、一流の領域までたどり着かないと特質のない文章になってしまうと考えており、他に埋もれないためにも突出した一項目は必要という考えです。
まあ、創作家としてのオリジナリティとしては当然のことですが。
ただ、一つが突き抜けていても他が才能なしでは意味がない。
どれだけデッサン能力が高くとも構図選びやテーマ訴求力といったものがないと凡夫の絵になってしまうように、しっかりとした土台があるからこそ突出した描写力が活きると思っています。
さて、少し話が逸れましたが私の話をしたいと思います。
私が力を入れている描写が感情表現です。
喜怒哀楽といった感情を小説内にどう描写していくかということですね。
芥川龍之介のような感情を景色で描写するみたいな到達点に至れればモーマンタイですが、それに挑戦できる才能が今あればライトノベルじゃなくて文学を書きます。
残念ながら今の私にその境地まで至れる能力がないので、もう少しだけカジュアルなことを行っています。
それが、感情を直接描写しないということです。
どういうことだってばよというと。喜怒哀楽と直接書かないということですね。
喜んだ、起こった、悲しんだ、楽しんだみたいな直接的な感情を指す言葉ということです。
じゃあどうやって感情を描写していくかということですが、外的ないし内的感覚――仕草を描写してその人物の感情を読者に伝えていっています。
例を挙げるとすれば、口角を上げたや眉間に皺を寄せたといったやつですね。
前後文からの読み解きも必要となりますが、基本的に口角を上げる場合は喜び、眉間に皺を寄せる場合は悲しみを覚えた際の身体にでる反応になります。
こういう形で感情を描写していっているわけですよ。
個人的には明確に感情を決めつけてしまう直接的表現よりも、外的ないし内的感覚による描写のほうが、感情を揺れ動かされた事柄に対する度合いを把握できるので、より物語に没入できると考えております。
ようするに、私のこだわりってやつですね。
ただ、こういうことをする反面、おろそかになってしまっている部分もあるわけで。
残念ながら、私の小説では映像描写がおろそかになりがちなわけです。
もちろん、今どこにいるかといった基本的なものは出来ていると思っています。
ただ問題は、そこがどういう作りになっていて、登場人物との距離感はどのような感じかが希薄ということです。
抽象的なものの描写は出来ています。
ただ、キッチンだとすれば、そこはアイランドキッチンなのかカウンターキッチンなのか壁に沿っているキッチンなのか。
大きさはどれくらいで右と左のどちらにシンクがあり、どちらに冷蔵庫があるのか。
IHなのかRHなのかガスなのか。
主人公がヒロインと話しているが、主人公の右にヒロインがいるのか、左にヒロインがいるのか、真正面にヒロインがいるのかといった情報は不足しやすいわけです。
もちろん、意識しているときは主人公が右を向いたタイミングでヒロインの姿が映るようにし、ヒロインが右にいることを描写します。
ですが、これは意識しているときにできることで、意識をしなくなるとできなくなっているわけですよ。
これがもう大ピンチなわけです。
現在の舞台である空間の描写はある程度行っています。
ただ、その空間のどこにだれがいて、誰との距離はどのくらいなのかが抜けるため、読者の想像に頼る形になっているわけです。
これはいけない。
というわけで、現在推敲作業に追われているわけです。
前回は三章の二重構造の話を次回できればいいなとか抜かしてましたが、こんな状況で何言ってんだといった話ですね。
実はあと一つ別の問題点がありますが、これはまた次回話せればと思います。
では、またのご精読をお待ちしております。
五月雨乱でした。
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