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3話 息をすることはとても苦しい(前編)
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帝国陸軍洗濯部隊所属であり、ミカエラの同居人である、ソフィー=ミネルヴァがその手紙を受け取ったのはそれから一日後の任務直前のことだった。手紙を見た瞬間、彼女の青い瞳に光が無くなり、手紙をしばらく見ていたが、唇を薔薇色の血が滴る程噛むと、ぐしゃぐしゃと手紙を鞄にしまい、愛用しているリボルバー銃を手にした。そして、「これでいいんだ」と呟くと、宝石箱をひっくり返したように煌めく夜空の下を、月光のような美しい金髪をなびかせて駆けていった。
「やっほ~!アンさん元気~? 」
それから二日後。長期任務から急いで帰ってきたソフィーは、軍病院の二階の一室にいた。ソフィーは、お気に入りの、水色の可愛らしいポンチョとドレスに薄桃色の艶のある肌、水色の髪を胸の辺りで切りそろえてあり、顔立ちは派手では無いものの、石畳の隙間に健気に咲く花のような、シンプルだけど可愛らしい顔立ちと雰囲気を持ち合わせている。
本当ならば任務終了後すぐに駆けつけたかったが、任務地が遠く、移動に一日ほどかかってしまった。
「馬鹿!戦場から帰ってきてまだ四日後だぞ。何が『やっほ~元気~』だ……のわけあるか!しかも、こっちはクソ大佐からまた、仕事増やされたんだよ!」
「というかソフィー、お前も任務終了直後なんだから休めよ!」
ソフィーの上司でもある、アンドリューは、青色の髪を掻きむしる。それから、薄ら疲れが浮かぶ仏頂面で、腕を組んだ姿勢のまま呆れたような声を出した。
「……本当はそれくらい知っていますよ!……いつも無理ばっかりして!アンドリューさんは、もっと自分の身体を大事にしてください……さっさと逝かれると困るんです」
「それに私は休みましたよ……列車のなかで十分……」
ソフィーは檸檬色の瞳を細め、ふわりと笑いながら言うと、アンドリューは一瞬俯き「ああ」とだけ言った。
「あ、それとソフィー!また窓から入りやがったな!窓はドアじゃないと何回言えば分かるんだ! 」
病院だからか、アンドリューはいつもよりは静かに叱るが、それに加わる威圧感はいつもの数倍はあり、更に顔面が怖くなっている。
「窓は私の身体が入るし、なんか……ほら、動くからドアーだと思います!」
ソフィーはドヤ顔をしながら窓をパタパタと開け閉めすると、窓の外へ出ようとした。
この窓は防犯面、安全面に特化した窓で、簡単に開けることは出来ない。
「あーー止めろ!怪我されると困る! 」
アンドリューが必死に止めると、ソフィーは窓に出る直前で停止し、イタズラぽい笑顔でニコリと笑った。
「それで、俺は窓から侵入したことを叱る為にここに呼んだんじゃない。何か分かるよな?」
アンドリューが目を伏せて静かに言うと、ソフィーの先程の笑顔が崩れ、青菜に塩を振ったような顔になってから、瞳を大きく見開き、思わずアンドリューの服を握りしめる。
「ミカエラが撃たれたですよね……?!……アンさん彼は……?ミカエラは無事ですか……?ねぇ、元気って言ってくださいよぉ……」
ソフィーは前半は叫ぶような少し甲高い声だったが、後半になるにつれ今にも消えそうな低い声で言う。
先程開けた窓からは春なのに冷たい空気が入ってくる。
「……大丈夫に決まっているだろ!言わせるな!……というか、お前の能力千里眼だろ?ここからでも見れるから見ろよ?」
アンドリューはソフィーに言うというより、まるで自分自身に言い聞かせるように言った。
「……怖いから見たくないんです。この網膜に映るまで、それが現実とは認めたくないんです」
ソフィーは俯きながら、いつもとは違う弱弱しい声で言った。アンドリューは、それを聞くと「だと思った」と言い、小さくため息ついてから、自分に着いてくるように言った。
病室に向かう途中、いつもはなんとも思わない廊下が長く、暗く感じる。
何故か自分の一つ一つの挙動が、こんな時にだけ信じてる神に見張られてる気がする。そして、何か気に入らないことをすると、神罰として部屋に入った瞬間、ミカエラが死ぬような気がした。
自分の部屋と変わらない普通の木製のドアを開けると、そこにはソフィーがよく知る人が死人のように青白い顔で横たわっていた。
よく似た別人だったら、いいのに……と、いう願いのような希望で目を擦ったり、見開いたりするが変わらない。少数民族の特徴である、黄緑色の髪に、白磁のような白い肌、長いまつ毛。間違いなくミカエラだった。
ソフィーは湿った声で小さく嘆声漏らすと、震えながらゆっくりとベットに近づいた。包帯とガーゼだらけの顔と身体には、腫れてるせいか、面影がうっすらあるのみで、更に身体中に様々な管が付けられ、痛苦しいのか、顔を歪ませ、なんとか機械に助けられながら、呼吸をしている。
「ミカエラ……!ミカエラ……! 」
ソフィーは必死に呼びかけたが、ミカエラの瞼はピクリとも動かない。布団からチラッと出ていた手をそっと握ると、真冬の水を触った直後のように冷えていて、触れた瞬間、ソフィーは思わず手を引っ込めた。
「……ァ……ンさん……!こぉ…れ……どういった状態ですか……手がし、死人みたいに冷たい……」
ソフィーは冷静に喋ろうと努力をするが、声が微かに震え、言葉が乱れ、息が上がっている。自分自身に落ち着け、大丈夫だと言い聞かせるが、身体がいうことを聞かない。おかしい、いつもなら……そう、初めて人を殺した時だって……こんな何も考えられない程、ぐちゃぐちゃな感情にはならなかった。
「俺も見ていないから詳しく言えんが、腕と腹と足を撃たれ、左半分の顔と首を鋭利なもの……おそらくナイフで切られたらしい……」
「あと……すまん……救命の為にちょっと……肋骨が数本折れた……」
ソフィーは、なんで肋骨が骨折するんだよ言いかけたが、大体経緯は薄々分かる。それに聞いてしまったら余計ショックを受ける気がして、言葉を飲み込んだ。
「それにしてもこれは本当に酷いよな……よく耐えたなミカ……偉いぞ……」
アンドリューは仏頂面を崩さずに腕組みを解き、ミカエラの傷だらけの頬そっとを撫でる。
「さっき切られたと言っただろ?どうやら切られた直後に焼かれて……止血されているらしい」
「見つけた医者とかがやったんじゃないですか?ほら……ショウネツキキャクホウ?みたいなやつあったじゃないですか!」
すると、アンドリューは目を伏せ静かに首を振った。
「残念ながら焼却止血法《ショウキャクシケツホウ》は今の医学では傷を余計に酷くして『危険』と言われているからやらない」
「それに、ここに所属している軍医達に聞いて回ったが、誰もやっていないみたいだし、一番最初に俺が発見した時は、もう既にやられていた」
ソフィーはミカエラの包帯が巻かれている顔左目周辺をそっと撫でながら「嘘でしょ……」と呟いた。ほんの包帯の隙間からは、溶けかかった雪のような色白く澄んだ肌色の顔半分とは異なり、赤黒く砂漠のように乾燥してボコボコとした凸凹の肌が見えている。
「何故いちいちそんなことを……もしかして……わざとだったりってことは……?」
「意図は知らんが、わざわざ火傷している部分である顔半分を切り、その直後に炎で止血している辺りを考えると、ミカエラの弱点を知っていた可能性が高い」
「普通だった、そんなめんどくさいことやらないからな」
アンドリューは眉間に皺を寄せ不愉快そうな顔で傷口を見る。
ソフィーも不愉快そうに顔を歪ませてから、拳を握りしめ「ぶっ殺してやる」と、小さな声だが、殺意がこもった声音で呟いた。
「……それにしても前よりも火傷を酷くさせてしまったな……ここの部分は神経を損傷して痛覚を感じないといえ、心が痛いだろうな……すまない」
アンドリューは、陰りがある表情でミカエラを見つめてから少し目を伏せて、包帯が巻かれた頭をそっと撫でた。
「首にも傷が出来てしまいましたからね……顔に火傷が出来た時に相当落ち込んで気にしていたから、今回もミカエラ相当気にするだろうな……」
ミカエラの左目周辺は、数年前に大火傷を負ってしまったせいで、神経が損傷して感覚を失い、表情筋や皮膚も損傷した為、上手く表情を浮かべることすら出来なく、ずっと無表情のままだ。
そして、それ以来ミカエラは火や、それに関連するものを見る度に、極度に怯えたような表情を浮かべ、咳き込みらせながら、息を乱し、時には嘔吐するので、自分の能力さえ戦場以外ではまともに出せない。
また、火傷を人に見られたくないのか、前髪と包帯の二重で隠し、自室以外では絶対に火傷跡を見せないようにしている。
「ソフィー、あー悪りぃ……これから少しやることがある から……一旦帰るな。また来る」
アンドリューは、ふと思い出したような表情を浮かべると、目を伏せてから「また来るな」と言い、ミカエラの髪をいつものように、わしゃわしゃと撫でた。
「ソフィー!さっき俺に休めと言っていたけどお前もな!無理せずきちんと休めよ!」
「お前が体調くずしたら元も子もないからな!」
ドアが閉まる直前、アンドリューが思い出したように後ろを振り向くと、少し心配そうな顰めっ面で言った。
入れ替わり入ってきたのは、ロイヤルブルーの艶がある髪を後ろで一つに縛り、深緑色の軍服の上に白衣を着た上品な男性とワインレッドの髪にエメラルドのような瞳に、目の下には青い星の刺青が掘られたミカエラ達と同じくらいの歳の青年だった。
「こんにちはソフィーちゃん。僕は彼の主治医になった、ヴァルト・ツヴァルト=ウェルトヒェン。こっちの赤髪の子は、僕の息子で研修医のネオ=ウェルトヒェン」
青髪の男性はそう言うと、ニッコリと笑い、丁寧にお辞儀をした。それに続いて赤髪の青年もお辞儀をして、ニッカリと八重歯を見せて笑った。
ヴェルトヒェン……軍や帝都にいるものならば一度は聞いたことある。貴族であり、帝都の医療を支え続けた一族の名前だ。先代の軍医総監も、このヴェルトヒェン一族で、ヴァルトの父にあたる人だ。
残念ながら先代は、数年前の北部ヒンメル奪還時に、野戦病院ごと爆破され命を落としている。ソフィーも過去に治療して貰ったことあるが、とても温厚で技術が高い人だった。
「どうして、軍医総監様がこんな所にいらっしゃるのですか……?お仕事は……?」
ソフィーは一礼をして、敬礼をしながら、怪訝そうな顔でヴァルトを見つめた。例え“少佐 ”という比較的上の階級であっても、主治医に着く医者が軍医総監なんてそうそう無い。
「いや、これもきちんとした仕事だよ。それに後輩のアンドリュー君にどうしてもって、頼まれてね……」
「それと『様』っていうのは堅苦しいから、呼び捨てか、さん付けでいいよ」
ヴェルトは笑いながら、鞄から医療器具を取り出し、布団を退かすと、ミカエラの服のボタンを丁寧な手つき外し、診察を始めた。
「あの……ミカエラは大丈夫なんですか……」
ソフィーは目を伏せ、先程から寒くないようにと、さすり続けている青白く、力がない手を握りしめながら小さな声でぽつりと言う。
「んーまあ、とりあえず峠は超えたよ。言えることはそれしかないけど、彼の回復力を信じよう。彼は峠を超えたられたんだから」
「本当に二、三日前はどうなるかと思ったよ」
続けてヴェルトは、少し驚いたような表情と声で、ソフィーの火傷だらけの手を見た。
「ソフィーちゃん!その手どうしたんだい?大丈夫かい?」
「あー……いや、小さい頃に炎に手を突っ込んでしまいまして……馬鹿ですよね?それよりミカエラはどういった状態ですか?」
所々、火傷で茶色く変色している手を隠すように、ポケットから黒いレースの手袋を出すと、急いで身につけて、笑って誤魔化した。
「うーん……今のところ見てる限りだと、失血が酷い……あとは、脳機能は正常だけど、呼吸器系が結構不安定かな……とりあえず意識が戻ってみないと、まだなんとも言えないから……とにかく目が覚めたらこっちに知らせてね」
ヴェルトは、ミカエラの手を布団から取り出し抓ると、一瞬ピクリと手が動いた。
「ほらね。最悪な自体は免れた」
と言ってから、鞄に使っていた医療器具を消毒してから、しまうと「それじゃお大事に」と、手を振り部屋を出て行った。
暗くて寂しい部屋には呼吸の音だけ響いている。
「苦しいよね……」
もちろん返事は無い。それでもソフィーは、ミカエラの冷たい頬をそっと撫でながら話しかけ続ける。
「……うん、でも……なんとか約束守ってくれたんだね」
「本当にありがとう……」
布団をかけ直しながらソフィーは、深く降り積もった雪さえ熱く溶けてしまいそうな眼差しでミカエラを見た。
「まさか『行ってらっしゃい。無事生きて帰ってきてね』って会話が最後に交わした言葉なんてそれじゃ悲しいもん……」
ソフィーはそっと左耳に髪をかけると、太陽のイヤリングがキラリと揺れる。
それからミカエラの冷たい手を握り、手を頭に乗せた。手はするりと力なく滑り落ちた。 いつもなら撫でてくれる色白く華奢な手は、いつの間にか病人のか細く青白い手に変わっていた。
「嗚呼……こんなになるまで戦って……本当に馬鹿!馬鹿……大馬鹿!」
「私を……もう一人にしないでよぅ……置いていかないでよぅ……ひとりぼっちは、さみしいんだから」
ソフィーは冷たい手が少し温かくなるように、撫でるように頬擦りしながら、湿った声で呟いた。
「やっほ~!アンさん元気~? 」
それから二日後。長期任務から急いで帰ってきたソフィーは、軍病院の二階の一室にいた。ソフィーは、お気に入りの、水色の可愛らしいポンチョとドレスに薄桃色の艶のある肌、水色の髪を胸の辺りで切りそろえてあり、顔立ちは派手では無いものの、石畳の隙間に健気に咲く花のような、シンプルだけど可愛らしい顔立ちと雰囲気を持ち合わせている。
本当ならば任務終了後すぐに駆けつけたかったが、任務地が遠く、移動に一日ほどかかってしまった。
「馬鹿!戦場から帰ってきてまだ四日後だぞ。何が『やっほ~元気~』だ……のわけあるか!しかも、こっちはクソ大佐からまた、仕事増やされたんだよ!」
「というかソフィー、お前も任務終了直後なんだから休めよ!」
ソフィーの上司でもある、アンドリューは、青色の髪を掻きむしる。それから、薄ら疲れが浮かぶ仏頂面で、腕を組んだ姿勢のまま呆れたような声を出した。
「……本当はそれくらい知っていますよ!……いつも無理ばっかりして!アンドリューさんは、もっと自分の身体を大事にしてください……さっさと逝かれると困るんです」
「それに私は休みましたよ……列車のなかで十分……」
ソフィーは檸檬色の瞳を細め、ふわりと笑いながら言うと、アンドリューは一瞬俯き「ああ」とだけ言った。
「あ、それとソフィー!また窓から入りやがったな!窓はドアじゃないと何回言えば分かるんだ! 」
病院だからか、アンドリューはいつもよりは静かに叱るが、それに加わる威圧感はいつもの数倍はあり、更に顔面が怖くなっている。
「窓は私の身体が入るし、なんか……ほら、動くからドアーだと思います!」
ソフィーはドヤ顔をしながら窓をパタパタと開け閉めすると、窓の外へ出ようとした。
この窓は防犯面、安全面に特化した窓で、簡単に開けることは出来ない。
「あーー止めろ!怪我されると困る! 」
アンドリューが必死に止めると、ソフィーは窓に出る直前で停止し、イタズラぽい笑顔でニコリと笑った。
「それで、俺は窓から侵入したことを叱る為にここに呼んだんじゃない。何か分かるよな?」
アンドリューが目を伏せて静かに言うと、ソフィーの先程の笑顔が崩れ、青菜に塩を振ったような顔になってから、瞳を大きく見開き、思わずアンドリューの服を握りしめる。
「ミカエラが撃たれたですよね……?!……アンさん彼は……?ミカエラは無事ですか……?ねぇ、元気って言ってくださいよぉ……」
ソフィーは前半は叫ぶような少し甲高い声だったが、後半になるにつれ今にも消えそうな低い声で言う。
先程開けた窓からは春なのに冷たい空気が入ってくる。
「……大丈夫に決まっているだろ!言わせるな!……というか、お前の能力千里眼だろ?ここからでも見れるから見ろよ?」
アンドリューはソフィーに言うというより、まるで自分自身に言い聞かせるように言った。
「……怖いから見たくないんです。この網膜に映るまで、それが現実とは認めたくないんです」
ソフィーは俯きながら、いつもとは違う弱弱しい声で言った。アンドリューは、それを聞くと「だと思った」と言い、小さくため息ついてから、自分に着いてくるように言った。
病室に向かう途中、いつもはなんとも思わない廊下が長く、暗く感じる。
何故か自分の一つ一つの挙動が、こんな時にだけ信じてる神に見張られてる気がする。そして、何か気に入らないことをすると、神罰として部屋に入った瞬間、ミカエラが死ぬような気がした。
自分の部屋と変わらない普通の木製のドアを開けると、そこにはソフィーがよく知る人が死人のように青白い顔で横たわっていた。
よく似た別人だったら、いいのに……と、いう願いのような希望で目を擦ったり、見開いたりするが変わらない。少数民族の特徴である、黄緑色の髪に、白磁のような白い肌、長いまつ毛。間違いなくミカエラだった。
ソフィーは湿った声で小さく嘆声漏らすと、震えながらゆっくりとベットに近づいた。包帯とガーゼだらけの顔と身体には、腫れてるせいか、面影がうっすらあるのみで、更に身体中に様々な管が付けられ、痛苦しいのか、顔を歪ませ、なんとか機械に助けられながら、呼吸をしている。
「ミカエラ……!ミカエラ……! 」
ソフィーは必死に呼びかけたが、ミカエラの瞼はピクリとも動かない。布団からチラッと出ていた手をそっと握ると、真冬の水を触った直後のように冷えていて、触れた瞬間、ソフィーは思わず手を引っ込めた。
「……ァ……ンさん……!こぉ…れ……どういった状態ですか……手がし、死人みたいに冷たい……」
ソフィーは冷静に喋ろうと努力をするが、声が微かに震え、言葉が乱れ、息が上がっている。自分自身に落ち着け、大丈夫だと言い聞かせるが、身体がいうことを聞かない。おかしい、いつもなら……そう、初めて人を殺した時だって……こんな何も考えられない程、ぐちゃぐちゃな感情にはならなかった。
「俺も見ていないから詳しく言えんが、腕と腹と足を撃たれ、左半分の顔と首を鋭利なもの……おそらくナイフで切られたらしい……」
「あと……すまん……救命の為にちょっと……肋骨が数本折れた……」
ソフィーは、なんで肋骨が骨折するんだよ言いかけたが、大体経緯は薄々分かる。それに聞いてしまったら余計ショックを受ける気がして、言葉を飲み込んだ。
「それにしてもこれは本当に酷いよな……よく耐えたなミカ……偉いぞ……」
アンドリューは仏頂面を崩さずに腕組みを解き、ミカエラの傷だらけの頬そっとを撫でる。
「さっき切られたと言っただろ?どうやら切られた直後に焼かれて……止血されているらしい」
「見つけた医者とかがやったんじゃないですか?ほら……ショウネツキキャクホウ?みたいなやつあったじゃないですか!」
すると、アンドリューは目を伏せ静かに首を振った。
「残念ながら焼却止血法《ショウキャクシケツホウ》は今の医学では傷を余計に酷くして『危険』と言われているからやらない」
「それに、ここに所属している軍医達に聞いて回ったが、誰もやっていないみたいだし、一番最初に俺が発見した時は、もう既にやられていた」
ソフィーはミカエラの包帯が巻かれている顔左目周辺をそっと撫でながら「嘘でしょ……」と呟いた。ほんの包帯の隙間からは、溶けかかった雪のような色白く澄んだ肌色の顔半分とは異なり、赤黒く砂漠のように乾燥してボコボコとした凸凹の肌が見えている。
「何故いちいちそんなことを……もしかして……わざとだったりってことは……?」
「意図は知らんが、わざわざ火傷している部分である顔半分を切り、その直後に炎で止血している辺りを考えると、ミカエラの弱点を知っていた可能性が高い」
「普通だった、そんなめんどくさいことやらないからな」
アンドリューは眉間に皺を寄せ不愉快そうな顔で傷口を見る。
ソフィーも不愉快そうに顔を歪ませてから、拳を握りしめ「ぶっ殺してやる」と、小さな声だが、殺意がこもった声音で呟いた。
「……それにしても前よりも火傷を酷くさせてしまったな……ここの部分は神経を損傷して痛覚を感じないといえ、心が痛いだろうな……すまない」
アンドリューは、陰りがある表情でミカエラを見つめてから少し目を伏せて、包帯が巻かれた頭をそっと撫でた。
「首にも傷が出来てしまいましたからね……顔に火傷が出来た時に相当落ち込んで気にしていたから、今回もミカエラ相当気にするだろうな……」
ミカエラの左目周辺は、数年前に大火傷を負ってしまったせいで、神経が損傷して感覚を失い、表情筋や皮膚も損傷した為、上手く表情を浮かべることすら出来なく、ずっと無表情のままだ。
そして、それ以来ミカエラは火や、それに関連するものを見る度に、極度に怯えたような表情を浮かべ、咳き込みらせながら、息を乱し、時には嘔吐するので、自分の能力さえ戦場以外ではまともに出せない。
また、火傷を人に見られたくないのか、前髪と包帯の二重で隠し、自室以外では絶対に火傷跡を見せないようにしている。
「ソフィー、あー悪りぃ……これから少しやることがある から……一旦帰るな。また来る」
アンドリューは、ふと思い出したような表情を浮かべると、目を伏せてから「また来るな」と言い、ミカエラの髪をいつものように、わしゃわしゃと撫でた。
「ソフィー!さっき俺に休めと言っていたけどお前もな!無理せずきちんと休めよ!」
「お前が体調くずしたら元も子もないからな!」
ドアが閉まる直前、アンドリューが思い出したように後ろを振り向くと、少し心配そうな顰めっ面で言った。
入れ替わり入ってきたのは、ロイヤルブルーの艶がある髪を後ろで一つに縛り、深緑色の軍服の上に白衣を着た上品な男性とワインレッドの髪にエメラルドのような瞳に、目の下には青い星の刺青が掘られたミカエラ達と同じくらいの歳の青年だった。
「こんにちはソフィーちゃん。僕は彼の主治医になった、ヴァルト・ツヴァルト=ウェルトヒェン。こっちの赤髪の子は、僕の息子で研修医のネオ=ウェルトヒェン」
青髪の男性はそう言うと、ニッコリと笑い、丁寧にお辞儀をした。それに続いて赤髪の青年もお辞儀をして、ニッカリと八重歯を見せて笑った。
ヴェルトヒェン……軍や帝都にいるものならば一度は聞いたことある。貴族であり、帝都の医療を支え続けた一族の名前だ。先代の軍医総監も、このヴェルトヒェン一族で、ヴァルトの父にあたる人だ。
残念ながら先代は、数年前の北部ヒンメル奪還時に、野戦病院ごと爆破され命を落としている。ソフィーも過去に治療して貰ったことあるが、とても温厚で技術が高い人だった。
「どうして、軍医総監様がこんな所にいらっしゃるのですか……?お仕事は……?」
ソフィーは一礼をして、敬礼をしながら、怪訝そうな顔でヴァルトを見つめた。例え“少佐 ”という比較的上の階級であっても、主治医に着く医者が軍医総監なんてそうそう無い。
「いや、これもきちんとした仕事だよ。それに後輩のアンドリュー君にどうしてもって、頼まれてね……」
「それと『様』っていうのは堅苦しいから、呼び捨てか、さん付けでいいよ」
ヴェルトは笑いながら、鞄から医療器具を取り出し、布団を退かすと、ミカエラの服のボタンを丁寧な手つき外し、診察を始めた。
「あの……ミカエラは大丈夫なんですか……」
ソフィーは目を伏せ、先程から寒くないようにと、さすり続けている青白く、力がない手を握りしめながら小さな声でぽつりと言う。
「んーまあ、とりあえず峠は超えたよ。言えることはそれしかないけど、彼の回復力を信じよう。彼は峠を超えたられたんだから」
「本当に二、三日前はどうなるかと思ったよ」
続けてヴェルトは、少し驚いたような表情と声で、ソフィーの火傷だらけの手を見た。
「ソフィーちゃん!その手どうしたんだい?大丈夫かい?」
「あー……いや、小さい頃に炎に手を突っ込んでしまいまして……馬鹿ですよね?それよりミカエラはどういった状態ですか?」
所々、火傷で茶色く変色している手を隠すように、ポケットから黒いレースの手袋を出すと、急いで身につけて、笑って誤魔化した。
「うーん……今のところ見てる限りだと、失血が酷い……あとは、脳機能は正常だけど、呼吸器系が結構不安定かな……とりあえず意識が戻ってみないと、まだなんとも言えないから……とにかく目が覚めたらこっちに知らせてね」
ヴェルトは、ミカエラの手を布団から取り出し抓ると、一瞬ピクリと手が動いた。
「ほらね。最悪な自体は免れた」
と言ってから、鞄に使っていた医療器具を消毒してから、しまうと「それじゃお大事に」と、手を振り部屋を出て行った。
暗くて寂しい部屋には呼吸の音だけ響いている。
「苦しいよね……」
もちろん返事は無い。それでもソフィーは、ミカエラの冷たい頬をそっと撫でながら話しかけ続ける。
「……うん、でも……なんとか約束守ってくれたんだね」
「本当にありがとう……」
布団をかけ直しながらソフィーは、深く降り積もった雪さえ熱く溶けてしまいそうな眼差しでミカエラを見た。
「まさか『行ってらっしゃい。無事生きて帰ってきてね』って会話が最後に交わした言葉なんてそれじゃ悲しいもん……」
ソフィーはそっと左耳に髪をかけると、太陽のイヤリングがキラリと揺れる。
それからミカエラの冷たい手を握り、手を頭に乗せた。手はするりと力なく滑り落ちた。 いつもなら撫でてくれる色白く華奢な手は、いつの間にか病人のか細く青白い手に変わっていた。
「嗚呼……こんなになるまで戦って……本当に馬鹿!馬鹿……大馬鹿!」
「私を……もう一人にしないでよぅ……置いていかないでよぅ……ひとりぼっちは、さみしいんだから」
ソフィーは冷たい手が少し温かくなるように、撫でるように頬擦りしながら、湿った声で呟いた。
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