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第4-20話 三娘の姉
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廃寺院は焼失した。
朽ちた姿が偽りだったと思えるほど暴力的な炎が踊った。旅人である岩男と髭男が酒に酔いつぶれたあげくに火の不始末で失火して焼け死んだのだ──というていの細工をほどこしていた。
三娘が空を飛んだ道具、三角翼滑翔機も一緒に燃やした。三娘がたびたび『飛んだ』のはこれかと思ったが、三角翼滑翔機は標高の高い場所から低い位置に滑空するための道具で、低地から高地に上昇するのは別らしい。
詳しく聞きたかったが、はばかられた。
三娘はずっと虚無の顔をしていたからだ。
「ぼくのせいだ……」
あのとき、沢蓮至が不思議そうな顔で「自分は石栄ではありません。彼は道観で死にました」と衝撃の事実を伝えると、三娘は困惑の表情で照勇を振り返った。
「……本当か?」
三娘のあの表情は忘れられない。
「うん……」もう終わりだ。「道観で死んでいた宦官は、三娘がずっと捜していた、石英……だったんだ」
三娘の手が緩み、蓮至は地面に尻餅をつく。
「なぜ……」
三娘は誰もいないほうを向いて目をつむった。
言い訳はいくらでも言えると思った。なにせ自分の命がかかっていたのだ。三娘に出会ったときには石英はすでに死んでいた。照勇にできることはなにもなかった。
騙していてごめんなさい。
そのたった一言が言えなかった。
三娘の背が謝罪の言葉をも拒絶しているように見えたからだ。
「三娘、あの……」
「黙れ」
「はい、でもあの……」
「屁理屈も言い訳も聞きたくない」
ぴしゃりと言いきられてしまった。
しゅんとうなだれた照勇を見かねたのか、蓮至が口を挟んだ。
「石英とは二年ほど生活を共にしました。なにげない話も懐かしい宮城の話もよくしていました。三娘どのの姉上とはどなたのことでしょうか。わたしが耳にしているかもしれません」
三娘はくるりと振り返った。
「三年ほど前、皇帝に死を賜った宮女の話を聞いたことがあるか」
「……珍しくない話ですね。石英は事件に関わっていたのでしょうか」
「宮女の世話係だったそうだ。一部始終を目撃していたかもしれない」
「なぜ死を賜ったのか、理由を知りたいのですか?」
ここで三娘は黙った。蓮至が続ける。
「死を賜ったのならば不義不忠、または呪詛など大罪を犯したからではないでしょうか。ちなみに姉上のお名前は」
「不義……そう噂された。だがわたしは誰かに謀られたと思っている。名前は……勝手に変えられた。だから中での名前は知らない」
「そうですか。残念ながら、宮女や宦官の命は灰よりもなお軽いのです」
細かく黒い灰が空を舞っている。焼けた紙が気流に煽られているのだ。
「おそらく彼は話題に出したことはなかったと思います。人を陥れることも、宮城ではあまりにありふれているだけに、口にしなかったのかもしれません」
あるいは、意識して口をつぐんでいたのかもしれない。不義を疑われて死んだ宮女。もし三娘が言うように、誰かに謀られたのだとしたらなおさらだ。
照勇にとって、二人の会話は容易に飲み下すことができなかった。
照勇の祖父が三娘の姉を殺した、そう言ったのだ。その事実は指先を凍えさせた。
むろん、皇帝は絶対的な権力者である。三娘の姉が大罪を犯し、相応の罰を受けただけという可能性もある。だとしても三娘との縁がこの忌まわしい一件でつながっているというのがつらかった。
しかも照勇はずっと三娘に嘘をつき続けてきたのだ。憎まれてもおかしくない。
「そうか」
三娘は無表情でつぶやいた。感情を隠しているのか、感情を失ったのか、もともと地味な造作は仮面のように精気を欠いていた。
世話係がついていたとなると、三娘の姉はただの宮女ではあるまい。相応の高い位階についていたのではないか。つまり、皇帝から寵愛を受ける妃嬪の一人だったのだ。
三娘の……姉が?
三娘の容貌を見ても想像が追いつかない。
照勇のことを『女装が似合う』とからかったり、『ぜんぜん似ていない姉妹もいる』と強調したりしていたことを考えると姉は美人だったのだろう。
「死の真相を暴くのが無理でも、姉がどのような暮らしを送っていたのか、それだけでも聞きたかった」
三娘は空に視線を向けた。もうこの世にはいない姉を空に描いているようだ。
「三娘、ごめんなさい!」
照勇は三娘の前に膝をついた。
「ウソを言ってごめんなさい! ずっと三娘をだましてごめんなさい!」
「照勇、屁理屈や言い訳はいらないと言っただろう」
「うん、だから、ただ謝りたいんだ」
「謝罪もいらない」
「三娘……」
今日何度目の絶望だろう。体の中が空っぽになった気がした。
「命がかかっていたら当然のことだ。わたしがおまえの立場だったら、同じことをする」
「え」
「だから気に病むことはない。しかし、これで手掛かりはすべて失ったことになる。かくなるうえは別の方法をとるしかない」
朽ちた姿が偽りだったと思えるほど暴力的な炎が踊った。旅人である岩男と髭男が酒に酔いつぶれたあげくに火の不始末で失火して焼け死んだのだ──というていの細工をほどこしていた。
三娘が空を飛んだ道具、三角翼滑翔機も一緒に燃やした。三娘がたびたび『飛んだ』のはこれかと思ったが、三角翼滑翔機は標高の高い場所から低い位置に滑空するための道具で、低地から高地に上昇するのは別らしい。
詳しく聞きたかったが、はばかられた。
三娘はずっと虚無の顔をしていたからだ。
「ぼくのせいだ……」
あのとき、沢蓮至が不思議そうな顔で「自分は石栄ではありません。彼は道観で死にました」と衝撃の事実を伝えると、三娘は困惑の表情で照勇を振り返った。
「……本当か?」
三娘のあの表情は忘れられない。
「うん……」もう終わりだ。「道観で死んでいた宦官は、三娘がずっと捜していた、石英……だったんだ」
三娘の手が緩み、蓮至は地面に尻餅をつく。
「なぜ……」
三娘は誰もいないほうを向いて目をつむった。
言い訳はいくらでも言えると思った。なにせ自分の命がかかっていたのだ。三娘に出会ったときには石英はすでに死んでいた。照勇にできることはなにもなかった。
騙していてごめんなさい。
そのたった一言が言えなかった。
三娘の背が謝罪の言葉をも拒絶しているように見えたからだ。
「三娘、あの……」
「黙れ」
「はい、でもあの……」
「屁理屈も言い訳も聞きたくない」
ぴしゃりと言いきられてしまった。
しゅんとうなだれた照勇を見かねたのか、蓮至が口を挟んだ。
「石英とは二年ほど生活を共にしました。なにげない話も懐かしい宮城の話もよくしていました。三娘どのの姉上とはどなたのことでしょうか。わたしが耳にしているかもしれません」
三娘はくるりと振り返った。
「三年ほど前、皇帝に死を賜った宮女の話を聞いたことがあるか」
「……珍しくない話ですね。石英は事件に関わっていたのでしょうか」
「宮女の世話係だったそうだ。一部始終を目撃していたかもしれない」
「なぜ死を賜ったのか、理由を知りたいのですか?」
ここで三娘は黙った。蓮至が続ける。
「死を賜ったのならば不義不忠、または呪詛など大罪を犯したからではないでしょうか。ちなみに姉上のお名前は」
「不義……そう噂された。だがわたしは誰かに謀られたと思っている。名前は……勝手に変えられた。だから中での名前は知らない」
「そうですか。残念ながら、宮女や宦官の命は灰よりもなお軽いのです」
細かく黒い灰が空を舞っている。焼けた紙が気流に煽られているのだ。
「おそらく彼は話題に出したことはなかったと思います。人を陥れることも、宮城ではあまりにありふれているだけに、口にしなかったのかもしれません」
あるいは、意識して口をつぐんでいたのかもしれない。不義を疑われて死んだ宮女。もし三娘が言うように、誰かに謀られたのだとしたらなおさらだ。
照勇にとって、二人の会話は容易に飲み下すことができなかった。
照勇の祖父が三娘の姉を殺した、そう言ったのだ。その事実は指先を凍えさせた。
むろん、皇帝は絶対的な権力者である。三娘の姉が大罪を犯し、相応の罰を受けただけという可能性もある。だとしても三娘との縁がこの忌まわしい一件でつながっているというのがつらかった。
しかも照勇はずっと三娘に嘘をつき続けてきたのだ。憎まれてもおかしくない。
「そうか」
三娘は無表情でつぶやいた。感情を隠しているのか、感情を失ったのか、もともと地味な造作は仮面のように精気を欠いていた。
世話係がついていたとなると、三娘の姉はただの宮女ではあるまい。相応の高い位階についていたのではないか。つまり、皇帝から寵愛を受ける妃嬪の一人だったのだ。
三娘の……姉が?
三娘の容貌を見ても想像が追いつかない。
照勇のことを『女装が似合う』とからかったり、『ぜんぜん似ていない姉妹もいる』と強調したりしていたことを考えると姉は美人だったのだろう。
「死の真相を暴くのが無理でも、姉がどのような暮らしを送っていたのか、それだけでも聞きたかった」
三娘は空に視線を向けた。もうこの世にはいない姉を空に描いているようだ。
「三娘、ごめんなさい!」
照勇は三娘の前に膝をついた。
「ウソを言ってごめんなさい! ずっと三娘をだましてごめんなさい!」
「照勇、屁理屈や言い訳はいらないと言っただろう」
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「三娘……」
今日何度目の絶望だろう。体の中が空っぽになった気がした。
「命がかかっていたら当然のことだ。わたしがおまえの立場だったら、同じことをする」
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