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第4-15話 蓮至
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やってみたいこと──
三娘にも将来を考えておくように言われていた。道観に引き籠もりたいと思っていたのがもう昔のことのようだ。
武術をやりたいと言ったとき、三娘に軽くあしらわれた。ならば面白い物語を作るのはどうだろうか。
「元帥の衣鉢を継ごうなんて考えるなよ。詐欺師はやめとけ」
李高が釘を刺す。詐欺師に注意されるとは思わなかった。
「もっとまっとうな道を目指せ」
「まっとうな道なら厨師とかいいよね。美味しい料理はみんな大好きだもん。もちろんぼくも大好き。楽師にも憧れるな。琵琶練習しようかな。公爵みたいに絵師にも憧れるなあ。好きなことができたらいいよね。書物をたくさん扱う書肆の店主になれたら最高かも」
口に出しているうちにだんだんと気分が高揚してきた。未来を夢想できることは幸せなことなのだ。
「道士や寺僧になったら人を救えるのかな……あ、そうだ。丁知事に言われた『代言師』という職はどうだろう」
代言師は裁判において容疑者の代わりに弁護できる。さっきも弁明はしたけれど身びいきの域でしかなかったと思う。もっと法律の知識を身につけなきゃいけない。そしてもっと人間を知らないといけない。もっともっと大人にならないといけない。
官から見れば厄介ものだが民から見たら強い味方になれるのが代言師だ。代言師になれれば自分には価値があると自信が持てるはずだ。
「おい、まさか、元帥の裁判にしゃしゃり出てあいつを弁護しようなんて考えてないだろうな。やめておけ。あいつのことだ、嘘八百を並べ立てておまえに罪をなすりつけることだってやりかねないぞ」
「そこまでひどい人じゃないよ」
元帥は根っからの悪人じゃない。世の中に不信感を抱いているだけだ。
この世には善意や良心を持つ人間なんかいない、そう見えていたとしても偽善者にすぎない。本当の正邪善悪は自分が暴かねばならない。元帥とその仲間は、そう思い込んでいる。人間不信に陥っている。どこにでもいる傷ついた人たちなのだ。
ぼくは違う。善意や良心の力を信じている。
「信じていられるのはきっと李高さんや三娘のおかげだ」
元帥を弁護したいという気持ちはある。だが元帥は快く思わないだろう。ぼくのことを未熟な子供だと見下していた。ぼくが善意や良心を説いたら、より彼を傷つける気がする。
「だからできない」
「ふうん。ま、元帥に取って代わろうなんて思わなきゃなんでもいいさ」
「ぼくは……江湖の英雄になりたい!」
「そりゃいい。江湖の英雄なら国中が待ち望んでいる」
李高は手を叩いて笑った。
軽妙な仕草で装っているが李高の気遣いや励ましは十分伝わってきた。
夢幻の未来を夢見ることができるのは幸せなことだと思う。
自分はいま幸せなのか。
ふわりと頬が緩んだのは、ようやく感情が思考に追いついたせいだろう。こぼれる笑みを自覚すると、今度は目頭が熱くなってきた。
「そうだ、笑え。笑い飛ばしちまえ」
笑声でごまかそうとしたそのとき、パキと小枝を踏み折る音が耳に届いた。枯れ草を踏む音が続き、金属の煌めく光が視野を侵した。
「誰だ」
三娘が帰ってきたのかと思った。だが黒い人影は、三娘より背が高く肩幅もあった。
「見つけた」
その声は男にしてはやや高い。木立からうっそりと現れたのは、全身黒装束、右手には抜き身の剣を持つ男。その男の顔が星明かりであらわになった。
一瞬にして心臓が凍りつく。
なぜ沢蓮至がここにいるのか。
「抵抗はするな。苦しめたくはない」
身じろぎひとつできぬ間に、沢蓮至は目の前に立ちはだかった。
「おい、おまえ誰だ。物騒なもんを持って近づくな」
李高は立ち上がって蓮至を遠ざけようとしたが、
「うっ……」
腹部を蹴られてくずおれた。
「なぜ……」
なぜぼくを殺すの。
照勇は立ち上がって沢蓮至を至近で見上げた。
「妓楼で会ったのは運命の導きだったのでしょう。この国のために、死んでください」
淀みのない澄んだ目。髭の剃りあとがないきれいな肌。感情をおさえた声。
記憶にあるとおりの慈父のごとき沢蓮至だった。ぼくを殺すことが蓮至の正義なのだ。
蓮至は剣を照勇の首筋にあてた。
「いやだよ」
照勇は身をかがめ、さっきまで座っていた木桶を手に取り、蓮至に叩きつけた。蓮至は一瞬怯んだものの、すぐに左手で照勇の首をつかみ、力をこめた。
蓮至の正義と照勇の正義は、相容れないのだ。
屈してなるものか。暴力でねじ伏せようとする蓮至に、照勇は生まれて初めて憎悪を抱いた。
「怖い思いをさせて申し訳ない。だがあなたが死ねば丸く収まるのです」
気道が塞がれ視界が狭くなった。
「なぜ……蓮……至……?」
わけもわからずに殺されてたまるか。
「! どうしてわたしの名を……!?」
手の力がわずかに弱まったのを好機に手を振り払ったが、今度は胸元をつかまれた。その握りこぶしに思いきり噛みついてやった。
「いっ……!」
前歯が蓮至の人差し指と中指に食い込む。皮膚が破けて、赤い飛沫が照勇の顔を汚す。
このまま食いちぎってやろうか。
三娘にも将来を考えておくように言われていた。道観に引き籠もりたいと思っていたのがもう昔のことのようだ。
武術をやりたいと言ったとき、三娘に軽くあしらわれた。ならば面白い物語を作るのはどうだろうか。
「元帥の衣鉢を継ごうなんて考えるなよ。詐欺師はやめとけ」
李高が釘を刺す。詐欺師に注意されるとは思わなかった。
「もっとまっとうな道を目指せ」
「まっとうな道なら厨師とかいいよね。美味しい料理はみんな大好きだもん。もちろんぼくも大好き。楽師にも憧れるな。琵琶練習しようかな。公爵みたいに絵師にも憧れるなあ。好きなことができたらいいよね。書物をたくさん扱う書肆の店主になれたら最高かも」
口に出しているうちにだんだんと気分が高揚してきた。未来を夢想できることは幸せなことなのだ。
「道士や寺僧になったら人を救えるのかな……あ、そうだ。丁知事に言われた『代言師』という職はどうだろう」
代言師は裁判において容疑者の代わりに弁護できる。さっきも弁明はしたけれど身びいきの域でしかなかったと思う。もっと法律の知識を身につけなきゃいけない。そしてもっと人間を知らないといけない。もっともっと大人にならないといけない。
官から見れば厄介ものだが民から見たら強い味方になれるのが代言師だ。代言師になれれば自分には価値があると自信が持てるはずだ。
「おい、まさか、元帥の裁判にしゃしゃり出てあいつを弁護しようなんて考えてないだろうな。やめておけ。あいつのことだ、嘘八百を並べ立てておまえに罪をなすりつけることだってやりかねないぞ」
「そこまでひどい人じゃないよ」
元帥は根っからの悪人じゃない。世の中に不信感を抱いているだけだ。
この世には善意や良心を持つ人間なんかいない、そう見えていたとしても偽善者にすぎない。本当の正邪善悪は自分が暴かねばならない。元帥とその仲間は、そう思い込んでいる。人間不信に陥っている。どこにでもいる傷ついた人たちなのだ。
ぼくは違う。善意や良心の力を信じている。
「信じていられるのはきっと李高さんや三娘のおかげだ」
元帥を弁護したいという気持ちはある。だが元帥は快く思わないだろう。ぼくのことを未熟な子供だと見下していた。ぼくが善意や良心を説いたら、より彼を傷つける気がする。
「だからできない」
「ふうん。ま、元帥に取って代わろうなんて思わなきゃなんでもいいさ」
「ぼくは……江湖の英雄になりたい!」
「そりゃいい。江湖の英雄なら国中が待ち望んでいる」
李高は手を叩いて笑った。
軽妙な仕草で装っているが李高の気遣いや励ましは十分伝わってきた。
夢幻の未来を夢見ることができるのは幸せなことだと思う。
自分はいま幸せなのか。
ふわりと頬が緩んだのは、ようやく感情が思考に追いついたせいだろう。こぼれる笑みを自覚すると、今度は目頭が熱くなってきた。
「そうだ、笑え。笑い飛ばしちまえ」
笑声でごまかそうとしたそのとき、パキと小枝を踏み折る音が耳に届いた。枯れ草を踏む音が続き、金属の煌めく光が視野を侵した。
「誰だ」
三娘が帰ってきたのかと思った。だが黒い人影は、三娘より背が高く肩幅もあった。
「見つけた」
その声は男にしてはやや高い。木立からうっそりと現れたのは、全身黒装束、右手には抜き身の剣を持つ男。その男の顔が星明かりであらわになった。
一瞬にして心臓が凍りつく。
なぜ沢蓮至がここにいるのか。
「抵抗はするな。苦しめたくはない」
身じろぎひとつできぬ間に、沢蓮至は目の前に立ちはだかった。
「おい、おまえ誰だ。物騒なもんを持って近づくな」
李高は立ち上がって蓮至を遠ざけようとしたが、
「うっ……」
腹部を蹴られてくずおれた。
「なぜ……」
なぜぼくを殺すの。
照勇は立ち上がって沢蓮至を至近で見上げた。
「妓楼で会ったのは運命の導きだったのでしょう。この国のために、死んでください」
淀みのない澄んだ目。髭の剃りあとがないきれいな肌。感情をおさえた声。
記憶にあるとおりの慈父のごとき沢蓮至だった。ぼくを殺すことが蓮至の正義なのだ。
蓮至は剣を照勇の首筋にあてた。
「いやだよ」
照勇は身をかがめ、さっきまで座っていた木桶を手に取り、蓮至に叩きつけた。蓮至は一瞬怯んだものの、すぐに左手で照勇の首をつかみ、力をこめた。
蓮至の正義と照勇の正義は、相容れないのだ。
屈してなるものか。暴力でねじ伏せようとする蓮至に、照勇は生まれて初めて憎悪を抱いた。
「怖い思いをさせて申し訳ない。だがあなたが死ねば丸く収まるのです」
気道が塞がれ視界が狭くなった。
「なぜ……蓮……至……?」
わけもわからずに殺されてたまるか。
「! どうしてわたしの名を……!?」
手の力がわずかに弱まったのを好機に手を振り払ったが、今度は胸元をつかまれた。その握りこぶしに思いきり噛みついてやった。
「いっ……!」
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