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第4-13話 李高の謝罪
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「話し合いなど無意味だ。最後は暴力が世の中を支配するのだ!」
元帥は壁にかけてあった回旋鏢を掴むや役人に向けて投げた。回旋鏢は役人の剣に弾かれて方向を変え、土壁に突き刺さった。
照勇は目を瞠った。回旋鏢は武器の一種だったのだ。元帥は無謀にも狭い講堂で武器を投げた。さいわい役人がはじき飛ばしたおかげで誰にもあたらなかったからよかったものの、元帥のやっていることはやぶれかぶれだ。
もうなにも言うことがなかった。もうなにも頭に浮かんでこなかった。
黙りこくった照勇を指さして、元帥は悲鳴じみた声をあげた。
「わかったぞ、おまえらグルだなー!」
「え!?」
元帥は血走った目で照勇と役人を交互に見やり、こめかみの血管を波打たせた。
「怪しいと思ったのだ。子供の姿を利用して潜入しやがったな。やはり官は卑劣だ。わしらがそんなに怖いのか。だがな、偽符はおまえが勝手に書いたんだ。わしは知らんぞ!」
元帥は口角泡を飛ばした。
「謝罪と弁償だと。くだらん!! わしは絶対に頭など下げん! 頭を下げるのはわしらを馬鹿にするおまえらのほうだ。わしを誰だと思ってるんだ、たわけが!!」
「元帥……」
「恐怖の大王が降ってこなかったからといって、わしを責めるのはおかしいだろうが。国が滅ばなくてよかったと、なぜ喜ばないんだ。だいたい客でもないやつに文句言う資格なんかない」
パリンとなにかが割れる音がした。
美しい玉の器が割れて、中から汚物が出てきた幻想に、照勇は目眩を覚えた。
とどのつまり、照勇と李高以外の人間はすべて犯意ありとみなされた。
「おれたちは官衙にご招待を免れてよかったな、五娘」
「……」
「しかし驚いたなあ、山賊上がりの分際で皇帝の弟を僭称するなんて。まあ、詐欺師の手口ではあるけどな。でっかいウソは疑われにくいんだ」
「……」
「元帥の籍は先祖代々、農民だったそうだな。実力不足で科挙に落ちたくせに、まるで試験に不正があったかのように騒いだんだってな。それで故郷にいられなくなって辺鄙な廃寺院に流れ着いた」
「……」
夜明け前、桶を椅子にして、李高と照勇は並んで座っていた。
この桶で、聖母と糊を溶いたのが遠い昔のことのようだ。庭の輪郭は暗闇に溶けている。照勇はつかみ所のない闇をぼんやりと眺めた。
「そんなに落ち込むなよ。謝罪と弁償をすれば罪一等を減じるって、役人のおっさんが言ってたじゃないか。杖刑とか流刑ですむんじゃないかな、たぶん。元帥と公爵以外は軽い笞刑くらいで釈放されるよ。安心しろって。大言壮語が得意な大物気取りなんて掃いて捨てるほどいるんだから」
師匠と崇めた人はぶざまに墜落した。
李高は陽気に照勇の背を叩いた。
慰めようという思いやりが伝わってきて、そんな人を軽んじた自分が恥ずかしくなった。どうしても言い訳のような言葉が口をついてしまう。
「元帥は本物の師匠とはなりえなかったけど……でも言ってたことは間違ってなかったと思うんだ」
「五娘……」
「正義とはなにか、まだわからないんだ。ついこのあいだまではわかっていたはずなのに、ううん、わかっていたと思い込んでいただけの、頭でっかちの生意気なガキだったんだ。世の中にはたくさんの人がいて、たくさんの考え方があり、自分が考える正義は他の人から見れば正義などではないと知って、ひどく悔しかったんだ」
「おれが悪かったよ」
李高は髪を掻きむしった。
「? なんで李高さんが謝るの」
「伝説の青竜刀の件でむしゃくしゃして、五娘にあたっただろ、おれ」
「……そうだったの?」
でもあれは自分が至らなかったせいだ。
「おまえはまだ十歳だ。賢いけどやっぱ幼いところがある。手本となる大人がそばにいないとだめだ。信用できて甘えることができる大人がな。五娘が元帥に惹かれたのはわかる気がするよ」
李高は両手で顔をがしがしとこすった。
そばにいる大人といったら、いまは李高か三娘ということになるだろう。理想のお手本にはなりえない。言外にそう言っていた。
「李高さんの目には元帥はどう映ったの?」
「狭い世界で偉くなったと勘違いしてるやつ。序列作って遊んでる取巻きがいて幸せそうだなあと思ったよ。贔屓ってのはありがたいもんだ」
ずっと同じ場所にいると自分が価値のある人間だと思い違いすることがある。だから場所をかえて自身を見直すのは悪いことじゃない。おれも経験がある。李高は夜空を見上げ、ため息まじりにそう言った。
もしや、李高はかつては名だたる役者だったのではないか。調子に乗りすぎて居場所を失ったことがあるのではないかと考えた。
ぼくは人を見る目がないのだろうか──こんな安っぽいことを口にしたら「まだ十歳なんだから気にするな」と慰められるだろう。子供扱いされるのは、実際子供だからしかたないけれど、気分が悪いのも事実だ。
「李高さんには元帥はそう見えたんだ。でも自分には……」
元帥は壁にかけてあった回旋鏢を掴むや役人に向けて投げた。回旋鏢は役人の剣に弾かれて方向を変え、土壁に突き刺さった。
照勇は目を瞠った。回旋鏢は武器の一種だったのだ。元帥は無謀にも狭い講堂で武器を投げた。さいわい役人がはじき飛ばしたおかげで誰にもあたらなかったからよかったものの、元帥のやっていることはやぶれかぶれだ。
もうなにも言うことがなかった。もうなにも頭に浮かんでこなかった。
黙りこくった照勇を指さして、元帥は悲鳴じみた声をあげた。
「わかったぞ、おまえらグルだなー!」
「え!?」
元帥は血走った目で照勇と役人を交互に見やり、こめかみの血管を波打たせた。
「怪しいと思ったのだ。子供の姿を利用して潜入しやがったな。やはり官は卑劣だ。わしらがそんなに怖いのか。だがな、偽符はおまえが勝手に書いたんだ。わしは知らんぞ!」
元帥は口角泡を飛ばした。
「謝罪と弁償だと。くだらん!! わしは絶対に頭など下げん! 頭を下げるのはわしらを馬鹿にするおまえらのほうだ。わしを誰だと思ってるんだ、たわけが!!」
「元帥……」
「恐怖の大王が降ってこなかったからといって、わしを責めるのはおかしいだろうが。国が滅ばなくてよかったと、なぜ喜ばないんだ。だいたい客でもないやつに文句言う資格なんかない」
パリンとなにかが割れる音がした。
美しい玉の器が割れて、中から汚物が出てきた幻想に、照勇は目眩を覚えた。
とどのつまり、照勇と李高以外の人間はすべて犯意ありとみなされた。
「おれたちは官衙にご招待を免れてよかったな、五娘」
「……」
「しかし驚いたなあ、山賊上がりの分際で皇帝の弟を僭称するなんて。まあ、詐欺師の手口ではあるけどな。でっかいウソは疑われにくいんだ」
「……」
「元帥の籍は先祖代々、農民だったそうだな。実力不足で科挙に落ちたくせに、まるで試験に不正があったかのように騒いだんだってな。それで故郷にいられなくなって辺鄙な廃寺院に流れ着いた」
「……」
夜明け前、桶を椅子にして、李高と照勇は並んで座っていた。
この桶で、聖母と糊を溶いたのが遠い昔のことのようだ。庭の輪郭は暗闇に溶けている。照勇はつかみ所のない闇をぼんやりと眺めた。
「そんなに落ち込むなよ。謝罪と弁償をすれば罪一等を減じるって、役人のおっさんが言ってたじゃないか。杖刑とか流刑ですむんじゃないかな、たぶん。元帥と公爵以外は軽い笞刑くらいで釈放されるよ。安心しろって。大言壮語が得意な大物気取りなんて掃いて捨てるほどいるんだから」
師匠と崇めた人はぶざまに墜落した。
李高は陽気に照勇の背を叩いた。
慰めようという思いやりが伝わってきて、そんな人を軽んじた自分が恥ずかしくなった。どうしても言い訳のような言葉が口をついてしまう。
「元帥は本物の師匠とはなりえなかったけど……でも言ってたことは間違ってなかったと思うんだ」
「五娘……」
「正義とはなにか、まだわからないんだ。ついこのあいだまではわかっていたはずなのに、ううん、わかっていたと思い込んでいただけの、頭でっかちの生意気なガキだったんだ。世の中にはたくさんの人がいて、たくさんの考え方があり、自分が考える正義は他の人から見れば正義などではないと知って、ひどく悔しかったんだ」
「おれが悪かったよ」
李高は髪を掻きむしった。
「? なんで李高さんが謝るの」
「伝説の青竜刀の件でむしゃくしゃして、五娘にあたっただろ、おれ」
「……そうだったの?」
でもあれは自分が至らなかったせいだ。
「おまえはまだ十歳だ。賢いけどやっぱ幼いところがある。手本となる大人がそばにいないとだめだ。信用できて甘えることができる大人がな。五娘が元帥に惹かれたのはわかる気がするよ」
李高は両手で顔をがしがしとこすった。
そばにいる大人といったら、いまは李高か三娘ということになるだろう。理想のお手本にはなりえない。言外にそう言っていた。
「李高さんの目には元帥はどう映ったの?」
「狭い世界で偉くなったと勘違いしてるやつ。序列作って遊んでる取巻きがいて幸せそうだなあと思ったよ。贔屓ってのはありがたいもんだ」
ずっと同じ場所にいると自分が価値のある人間だと思い違いすることがある。だから場所をかえて自身を見直すのは悪いことじゃない。おれも経験がある。李高は夜空を見上げ、ため息まじりにそう言った。
もしや、李高はかつては名だたる役者だったのではないか。調子に乗りすぎて居場所を失ったことがあるのではないかと考えた。
ぼくは人を見る目がないのだろうか──こんな安っぽいことを口にしたら「まだ十歳なんだから気にするな」と慰められるだろう。子供扱いされるのは、実際子供だからしかたないけれど、気分が悪いのも事実だ。
「李高さんには元帥はそう見えたんだ。でも自分には……」
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