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第4-7話 正義を求める人々
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最初から似顔絵を描いて渡せばよかったのに、なぜしなかったのか、と疑問が浮かんだが、すぐに理由を思い出した。石栄は三娘とつながっている唯一の糸だったからだ。
糸が切れても、代わりの寄る辺を見つけたことで自分は安心しているのだ。
三娘が戻ってきたら全てを話そう。嘘を詫びよう。感謝を伝えよう。
自分のずるさから目を背けないようにしよう。
「五娘、字が書けるのかね」
黒炎元帥が訊ねてきた。
「あ、はい、ほんの少しですが」
特徴を細かくびっしりと書いてあるので、ほんの少しというには無理がある。だが謙遜したのは理由があった。
元帥の反応が奇妙だったのだ。
紅眼公爵はというと、「才ある女性は大歓迎だ」と笑顔になってくれたし、ほかの兄姉弟子も好意的な眼差しを向けてくれたのだが、元帥は対照的にあきらかに動揺していた。忙しなく目を動かして、額にはうっすらと汗を浮かべている。まるで武器を取られて焦っているちんぴらのような。
いや、なんて下品で失礼な連想だろうか、元帥は尊敬する師匠であって、ちんぴらなどではない。
「ここで文字の読み書きを不自由なくできるのは元帥と公爵くらいなんだ」
そんな声が聞こえた。だから画しかない本を使うのか、と合点がいった。
「読み書きができるだけなら町の代書屋と変わらない。それだけでは無意味なのだ」
元帥が一同を慰めるような口調で言う。
「まずは各人が是非の心を鍛えねばならない。今夜は烈士の話をしてあげよう」
元帥は歴史上の偉人の逸話を語った。世の中に嘘と不正があふれ、誰も彼もが利己的な金儲けに走るようになった時代、皇帝に変革を具申した純烈な士がいた。だが聞き入れられることなく、彼は理想に殉じた。
照勇も知っている話だった。元帥はみずからを烈士に仮託しているようだった。
烈士の話のあと、元帥は琵琶を弾いてくれた。教養人は楽器にも精通している。気が向いたときに心のおもむくままに奏でるのだそうだ。
静かで単調な律動はやがて落雷のような激しい音色に変わっていく。世の中の不正を糾弾するように力強く響く。
ふと気になって李高を振り返ると、彼はすっかり寝入っていた。壁際に丸まって気持ちよさそうに寝ている姿は大きな猫のようだ。
「反故紙も捨てちゃだめよ」
翌朝、照勇は白雪聖母の仕事の手伝いを買ってでた。
白雪聖母が反故紙を水につけて柔らかくほぐす。そこに叩いて細かくした繊維質の楮やはぎれを入れ、糊を加えて漉く。質のよい紙を作るには手間暇がかかる。
「再生紙だからごわごわして色が悪かったんですね」
「わたしたち、あまり余裕がなくてねえ」
「でもこうして自分たちで紙を漉くのは楽しいですね。手間をかけて作ると愛着がわいてきて大切にしそうですし」
「五娘ちゃんは歳はいくつ~。わたしには娘がいてねえ。あなたくらいの女の子を見ると思い出すわあ~」
にこにこと微笑む白雪聖母のようすから、死に別れたわけではなさそうだと見当をつけた。
「白雪聖母のご家族はここにはいないんですか」
「里に置いてきちゃったのよ。あんまりにも話が通じない夫がいてね、我慢できなくて飛び出して来ちゃって~、娘とも会えずじまい」
「それはさみしいですね」
「ここには元帥や公爵や五娘ちゃんがいるから、全然さみしくなんかないわ~。そうそう、紅眼公爵は元は軍人だったのよ。国境警備についていたんですって」
「誠実で真面目そうな公爵らしいですね。どうして辞めて元帥塾に……?」
「誠実で真面目だからこそ軍隊の不正や上司の無能さが許せなかったのよ~。努力しても我慢しても報われなかったひとたちが、正義を求めて黒炎元帥のもとに集まってるの。腐った蜜柑がひとつあると周りの蜜柑も腐っていくでしょう~。腐ってたまるかという気概を持つのは大事よ。心の持ちようが一番大事。五娘ちゃんも元帥塾でしっかり勉強してまっとうな良き大人になるのよ~」
「はい、修身いたします!」
女装していること、名を偽っていることは棚上げしておく。
元帥塾にいる者は腐敗した世の中に落胆した義の人たちなのだという聖母の説明には納得がいった。これはよいことだ。正義を求める人が照勇以外にもたくさんいるということだからだ。
「俗世の泥水には浸からないこと、いいわね」
糸が切れても、代わりの寄る辺を見つけたことで自分は安心しているのだ。
三娘が戻ってきたら全てを話そう。嘘を詫びよう。感謝を伝えよう。
自分のずるさから目を背けないようにしよう。
「五娘、字が書けるのかね」
黒炎元帥が訊ねてきた。
「あ、はい、ほんの少しですが」
特徴を細かくびっしりと書いてあるので、ほんの少しというには無理がある。だが謙遜したのは理由があった。
元帥の反応が奇妙だったのだ。
紅眼公爵はというと、「才ある女性は大歓迎だ」と笑顔になってくれたし、ほかの兄姉弟子も好意的な眼差しを向けてくれたのだが、元帥は対照的にあきらかに動揺していた。忙しなく目を動かして、額にはうっすらと汗を浮かべている。まるで武器を取られて焦っているちんぴらのような。
いや、なんて下品で失礼な連想だろうか、元帥は尊敬する師匠であって、ちんぴらなどではない。
「ここで文字の読み書きを不自由なくできるのは元帥と公爵くらいなんだ」
そんな声が聞こえた。だから画しかない本を使うのか、と合点がいった。
「読み書きができるだけなら町の代書屋と変わらない。それだけでは無意味なのだ」
元帥が一同を慰めるような口調で言う。
「まずは各人が是非の心を鍛えねばならない。今夜は烈士の話をしてあげよう」
元帥は歴史上の偉人の逸話を語った。世の中に嘘と不正があふれ、誰も彼もが利己的な金儲けに走るようになった時代、皇帝に変革を具申した純烈な士がいた。だが聞き入れられることなく、彼は理想に殉じた。
照勇も知っている話だった。元帥はみずからを烈士に仮託しているようだった。
烈士の話のあと、元帥は琵琶を弾いてくれた。教養人は楽器にも精通している。気が向いたときに心のおもむくままに奏でるのだそうだ。
静かで単調な律動はやがて落雷のような激しい音色に変わっていく。世の中の不正を糾弾するように力強く響く。
ふと気になって李高を振り返ると、彼はすっかり寝入っていた。壁際に丸まって気持ちよさそうに寝ている姿は大きな猫のようだ。
「反故紙も捨てちゃだめよ」
翌朝、照勇は白雪聖母の仕事の手伝いを買ってでた。
白雪聖母が反故紙を水につけて柔らかくほぐす。そこに叩いて細かくした繊維質の楮やはぎれを入れ、糊を加えて漉く。質のよい紙を作るには手間暇がかかる。
「再生紙だからごわごわして色が悪かったんですね」
「わたしたち、あまり余裕がなくてねえ」
「でもこうして自分たちで紙を漉くのは楽しいですね。手間をかけて作ると愛着がわいてきて大切にしそうですし」
「五娘ちゃんは歳はいくつ~。わたしには娘がいてねえ。あなたくらいの女の子を見ると思い出すわあ~」
にこにこと微笑む白雪聖母のようすから、死に別れたわけではなさそうだと見当をつけた。
「白雪聖母のご家族はここにはいないんですか」
「里に置いてきちゃったのよ。あんまりにも話が通じない夫がいてね、我慢できなくて飛び出して来ちゃって~、娘とも会えずじまい」
「それはさみしいですね」
「ここには元帥や公爵や五娘ちゃんがいるから、全然さみしくなんかないわ~。そうそう、紅眼公爵は元は軍人だったのよ。国境警備についていたんですって」
「誠実で真面目そうな公爵らしいですね。どうして辞めて元帥塾に……?」
「誠実で真面目だからこそ軍隊の不正や上司の無能さが許せなかったのよ~。努力しても我慢しても報われなかったひとたちが、正義を求めて黒炎元帥のもとに集まってるの。腐った蜜柑がひとつあると周りの蜜柑も腐っていくでしょう~。腐ってたまるかという気概を持つのは大事よ。心の持ちようが一番大事。五娘ちゃんも元帥塾でしっかり勉強してまっとうな良き大人になるのよ~」
「はい、修身いたします!」
女装していること、名を偽っていることは棚上げしておく。
元帥塾にいる者は腐敗した世の中に落胆した義の人たちなのだという聖母の説明には納得がいった。これはよいことだ。正義を求める人が照勇以外にもたくさんいるということだからだ。
「俗世の泥水には浸からないこと、いいわね」
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