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第3-13話 危機感
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照勇は三娘にこっそりと耳打ちした。
「なにか、知ってるよね」
三娘はふんと鼻息を吐き出した。
「知らん。知っていても、熊猫を檻に入れた奴と食おうとした奴に協力する気はない」
「どうしていつも知らないとか言うの。いままさに酷い目に遭ってる母子がいるのに、助けてあげたいとは思わないの」
思い返せば、照勇の両親のことだって教えてくれなかった。石栄や沢蓮至の容姿についても、おおまかな印象をなぜか知っていた。隠していることが多すぎる。このまま三娘と一緒にいて大丈夫なのかと、一度はしぼんだ不安がまたふくらんでくる。胸の中で黒いもやが拡がっていく。
これはよくない考えだ。
照勇は頭がもげるほど首を振った。
三娘はいまこの場にいる誰よりも信用ができる。人間より動物に情が移りやすい性質なだけだ。
「河知事の気が変わったらどうするの。熊猫を食べたいとまた言い出すかも。出世させてさっさと中央に戻しちゃおうよ」
はっと顔を上げた三娘は、照勇を見つめ、点目をしばたたいた。
村役が家に泊めてくれるという。返金請求をしない三娘への返礼のつもりなのだろう。
「そんなことがあったのか、よくやり遂げたなあ」
食事を提供されたあと、酒を飲みながらあてがわれた一室でゆっくりくつろいでいたときだ。
李高は照勇の頭を撫でた。
褒められるのはうれしいが、少し複雑な心境でもある。
ウソをつくこと、人を騙すことに痛みを感じなくなってきた。だから心の中で題目のように繰り返す。ぼくは詐欺師ではないのだと。
「でも役者の李高さんがあの場にいたら、もっとうまく切り抜けたでしょうね」
「いや、それはどうかなあ。五娘だから成功したのかもしれないぞ」
「どういうことです?」
「子供相手にいい歳したおっさんがむきになれないだろ。しかも孫くらいの童女が懸命に知恵を絞ってるとなりゃ、正面衝突したら損をするのは知事のほうさ。あえて負けたことにしたほうが、寛容で偉大な知事という評判を得られるからな。だけどおれみたいな若くていい男が……そこそこ若くて、が正確だな、ともかくおれなんかが『論理的帰結です』なんつっても、知事は見逃してくんねえ。虚仮にされたと思うだろう。男ってのは自尊心の守護獣だからな」
面白い意見だと思った。対等に接してもらえていなかったのなら悔しくはあるけれど。
照勇は感心して李高を見上げた。
「童女だから赦してくれた、ということですか。童女であることが利になったと」
「そうさ。やつは言い負かされて悔しかったんだ。でも引き下がった。勝ちを譲るふりをしてな。体面を保ちたかったからだ」
「それは考えかた次第だろう」
三娘が酒杯をあおった。やけ酒である。さきほど、三娘は村役に一番聞きたかったことを訊ねていた。屈強な男四人が少年を探しに来ただろうと。
村役は首を横に振った。
では村人全員に訊ねてもいいかと重ねて訊ねた。
すると村役は『愚問だ』と苦笑したのだ。
『娯楽のない辺鄙な村だ。見知らぬ人間が訪ねてきたら三ヶ月は村人の口端に上る』
はっきりと否定された。しかも、おまえさんらのおかげで一年は話題に困らない、と笑われた。
三娘は一晩世話になったら明日出発すると言った。もっと奥の村に行くと決めた。ついでに適当な場所で熊猫を手放すことも約束してもらった。
三娘は酒のつまみにと供された山鳥の串焼きにかぶりついた。動物が好きなくせに山鳥は食べるのか、とじっと見つめていたら「割り切れるもんじゃない」と不機嫌な声を返された。
三娘は『屈強な男』と婉曲な言い回しをしたが殺し屋連中のことである。
殺し屋が川上に向かったという照勇のウソを三娘は信じている。いまごろ彼らは川下で苦労していることだろう。予期せぬ大雨で水量が増し、木の枝や土砂が大量に流されたからだ。
照勇の死体はもっとずっと下流に押し流されたのだと勘違いしてくれたらいい。
「童女が相手だからむきにならなかったというのは事実だろう。かっこわるいからな」三娘は酒杯を傾けながら李高に問う。「反面、尊大な考え違いがすけて見えないか。しょせんは女子供、士大夫ともあろうものがまともに相手をしては時間の無駄だとでも言いたげじゃないか」
「ああ、そう思ってるだろうな」
「おかしいだろ!」
三娘は酒杯を床に叩きつけた。顔が真っ赤だ。
「もしかしてお酒に弱い……?」
三娘のあぐらの上で寝ていた熊猫がびくんと身じろいで、三娘の袖をかじった。
腹が減ったのかもしれないと思い、照勇が笹を取りに寸刻席を外していたら──
「子供はまだわかる。未完成だからな。だが女が女だというだけで莫迦にされてたまるかっての」
「考えすぎだって。上手く利用するのが賢いんだよ」
「腹を探るようなやりかたが賢い女のすることなのか」
「生まれ持った属性は変えようがない。男と女は役割が違う。対等ではないし平等でもないんだ」
「おまえもか。おまえもそんなことを言うのか。そうだな、おまえは好き好んで詐欺師をやるクズだ。女を型にはめてしか扱えないんだろう」
「男は女を守ってあげたいもんなんだ。それが本能ってもんで──」
「女だって自分で自分を守れる強さはあるんだ。それを男が認めないだけで──」
三娘と李高の言い合いが白熱していた。
照勇は今回のことで学んだ。相手からどう見えているかを上手く利用するのは効果があるということを。
「愚直さと賢さ、ぼくにはどちらも必要だ」
「なにか、知ってるよね」
三娘はふんと鼻息を吐き出した。
「知らん。知っていても、熊猫を檻に入れた奴と食おうとした奴に協力する気はない」
「どうしていつも知らないとか言うの。いままさに酷い目に遭ってる母子がいるのに、助けてあげたいとは思わないの」
思い返せば、照勇の両親のことだって教えてくれなかった。石栄や沢蓮至の容姿についても、おおまかな印象をなぜか知っていた。隠していることが多すぎる。このまま三娘と一緒にいて大丈夫なのかと、一度はしぼんだ不安がまたふくらんでくる。胸の中で黒いもやが拡がっていく。
これはよくない考えだ。
照勇は頭がもげるほど首を振った。
三娘はいまこの場にいる誰よりも信用ができる。人間より動物に情が移りやすい性質なだけだ。
「河知事の気が変わったらどうするの。熊猫を食べたいとまた言い出すかも。出世させてさっさと中央に戻しちゃおうよ」
はっと顔を上げた三娘は、照勇を見つめ、点目をしばたたいた。
村役が家に泊めてくれるという。返金請求をしない三娘への返礼のつもりなのだろう。
「そんなことがあったのか、よくやり遂げたなあ」
食事を提供されたあと、酒を飲みながらあてがわれた一室でゆっくりくつろいでいたときだ。
李高は照勇の頭を撫でた。
褒められるのはうれしいが、少し複雑な心境でもある。
ウソをつくこと、人を騙すことに痛みを感じなくなってきた。だから心の中で題目のように繰り返す。ぼくは詐欺師ではないのだと。
「でも役者の李高さんがあの場にいたら、もっとうまく切り抜けたでしょうね」
「いや、それはどうかなあ。五娘だから成功したのかもしれないぞ」
「どういうことです?」
「子供相手にいい歳したおっさんがむきになれないだろ。しかも孫くらいの童女が懸命に知恵を絞ってるとなりゃ、正面衝突したら損をするのは知事のほうさ。あえて負けたことにしたほうが、寛容で偉大な知事という評判を得られるからな。だけどおれみたいな若くていい男が……そこそこ若くて、が正確だな、ともかくおれなんかが『論理的帰結です』なんつっても、知事は見逃してくんねえ。虚仮にされたと思うだろう。男ってのは自尊心の守護獣だからな」
面白い意見だと思った。対等に接してもらえていなかったのなら悔しくはあるけれど。
照勇は感心して李高を見上げた。
「童女だから赦してくれた、ということですか。童女であることが利になったと」
「そうさ。やつは言い負かされて悔しかったんだ。でも引き下がった。勝ちを譲るふりをしてな。体面を保ちたかったからだ」
「それは考えかた次第だろう」
三娘が酒杯をあおった。やけ酒である。さきほど、三娘は村役に一番聞きたかったことを訊ねていた。屈強な男四人が少年を探しに来ただろうと。
村役は首を横に振った。
では村人全員に訊ねてもいいかと重ねて訊ねた。
すると村役は『愚問だ』と苦笑したのだ。
『娯楽のない辺鄙な村だ。見知らぬ人間が訪ねてきたら三ヶ月は村人の口端に上る』
はっきりと否定された。しかも、おまえさんらのおかげで一年は話題に困らない、と笑われた。
三娘は一晩世話になったら明日出発すると言った。もっと奥の村に行くと決めた。ついでに適当な場所で熊猫を手放すことも約束してもらった。
三娘は酒のつまみにと供された山鳥の串焼きにかぶりついた。動物が好きなくせに山鳥は食べるのか、とじっと見つめていたら「割り切れるもんじゃない」と不機嫌な声を返された。
三娘は『屈強な男』と婉曲な言い回しをしたが殺し屋連中のことである。
殺し屋が川上に向かったという照勇のウソを三娘は信じている。いまごろ彼らは川下で苦労していることだろう。予期せぬ大雨で水量が増し、木の枝や土砂が大量に流されたからだ。
照勇の死体はもっとずっと下流に押し流されたのだと勘違いしてくれたらいい。
「童女が相手だからむきにならなかったというのは事実だろう。かっこわるいからな」三娘は酒杯を傾けながら李高に問う。「反面、尊大な考え違いがすけて見えないか。しょせんは女子供、士大夫ともあろうものがまともに相手をしては時間の無駄だとでも言いたげじゃないか」
「ああ、そう思ってるだろうな」
「おかしいだろ!」
三娘は酒杯を床に叩きつけた。顔が真っ赤だ。
「もしかしてお酒に弱い……?」
三娘のあぐらの上で寝ていた熊猫がびくんと身じろいで、三娘の袖をかじった。
腹が減ったのかもしれないと思い、照勇が笹を取りに寸刻席を外していたら──
「子供はまだわかる。未完成だからな。だが女が女だというだけで莫迦にされてたまるかっての」
「考えすぎだって。上手く利用するのが賢いんだよ」
「腹を探るようなやりかたが賢い女のすることなのか」
「生まれ持った属性は変えようがない。男と女は役割が違う。対等ではないし平等でもないんだ」
「おまえもか。おまえもそんなことを言うのか。そうだな、おまえは好き好んで詐欺師をやるクズだ。女を型にはめてしか扱えないんだろう」
「男は女を守ってあげたいもんなんだ。それが本能ってもんで──」
「女だって自分で自分を守れる強さはあるんだ。それを男が認めないだけで──」
三娘と李高の言い合いが白熱していた。
照勇は今回のことで学んだ。相手からどう見えているかを上手く利用するのは効果があるということを。
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