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第3-12話 山賊にあった李高
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親切なことに知事は、女性の山歩きは難儀だろうと言って、驢馬の手配をしてくれた。
驢馬を追い立てるのは熊猫を連行した役人だった。ご丁寧にも知事の命令で村まで送ってくれるという。
彼は長いこと知事の随員をしているのだそうだ。気まずい顔をしたのは最初だけで、話しかけると気さくな性格だと知れた。
「おまえたち、無事でなによりだったな。なに、陛下のこと? さあな、うわさで聞いたところでは、賄賂や貢ぎ物で取り入ろうとする者を陛下は許さないらしい。公明正大な理想の天子らしいぞ。だから河知事は心酔しておられるのだ。出世に必要な手柄を欲して叶わず、別の欲に走るのは人間の誰もがもつ弱さだ。よいか、覚えておけ。おまえたち女子の身を守るのはわれわれ男の役割ではあるがな、代わりに、男の心を守るのがおまえたち女子の役割であるのだぞ」
上司のことをよく理解している部下に恵まれて、知事は幸せだと思う。知事の心遣いに感謝せよ、男を追い詰める女になるな、と言いたいらしい。
照勇は曖昧に頷いた。
三娘はくだらないと言わんばかりにそっぽを向いている。与姉妹は世間の男女の枠にはおさまらない。
「あんたたち、よく無事で……」
村役をはじめ、荷阿一たち村人は三娘と熊猫が無事に戻ってきたことに仰天していた。とくにお咎めはないと役人から聞かされて心底ほっとした顔をした。
「ずいぶん時間を無駄にしたが、例の件、村役に訊いてみないとな」
この村を訪れた本来の目的を三娘は忘れていなかった。
「では、与三娘、与五娘、わたしは失礼する」
一仕事終えた役人が馬首をめぐらして官衙に戻ろうとしたそのとき、
「助けてくれえ」
弱々しい声がした。見ると、息を切らして駆け込んでくる男がいた。李高だ。
「李高さん、ずいぶん早かったですね」
「そっちから来たってことは吊り橋渡ったか。やればできるじゃないか」
迂回路をまわると村に到着するのは三日は遅れるはずだった。もう二度と会うことはないかもしれないと思っていたので、照勇と三娘があげた声は歓声に近かった。
「吊り橋どころじゃない。山賊だ、山賊がでた! そこのあんたは役人だろ。なんとかしてくれ」
李高は役人に手を伸ばしたまま前のめりに倒れた。
「ああ、やっぱりな」
三娘は目を細めて、ぽそりと呟いた。
村役の家で休ませてもらい、井戸から汲んだばかりの冷水を飲ませてもらった李高は、勢い込んで話しだした。
「急いであの三叉路まで駆け戻ったら、ちょうど宿場から出立した隊商が左の道に進もうとしていたんだ。驢馬を二頭連れた親子四人の異国の商人だ。隊商は道の途中でさらに左にそれて砂漠っていう砂の海を越えていくと言ってた。疲れ切っていたおれは、その手前まででいいから驢馬に乗せてくれって頼んで金を払った。しばらくは快適だった。異国の話を聞くのも面白かったし、目鼻立ちのくっきりした子供たちも可愛かったからな。山裾をぐるっと半分くらいまで進んだころかな、枯れ木立の後ろから出たんだ、山賊が」
「どんな山賊だ」
役人は神妙な顔を李高に近づけた。
「男ばかりで六、七人。歳は若いのから中年まで。毛皮を仕立てた服を着てた。ありゃあ山賊を生業にしてる連中だ。『動くんじゃねえ。金目の物をいただく。おっといい女じゃねえか。女子供は残して男は殺せ』って声がしたかと思ったら、山賊の一人がなれたようすで隊商頭の父親を匕首で刺した。おれの目の前でだぜ」
役者らしく声色を変えて、李高は迫真の場面を再現した。
これはまぎれもない事件だ。しかも強盗と殺人と人さらいという凶悪事件である。
「そ、それでどうしたんですか、李高さん」
「驢馬の腹を蹴って一目散に逃げた。驢馬は途中で乗り捨てた。で、また右の獣道を登ってきたんだ。いやあ、怖かった」
「え、だって、隊商には母親と子供もいたんでしょう。どうなったんです」
「きっとつかまったんじゃないかな。おれ一人逃げ出すんでせいいっぱいだった。なあ役人さん、軍兵を派遣してとっ捕まえてくださいよ」
役人は李高の話を聞いて眉を寄せた。
「どうしたんです。奥歯が痛むんですかい」
「山賊の被害はしばしば報告されているのだ。現場は長い街道のどこかでな、そのたびに捕吏を出したり軍兵に出動依頼をしたりしているのだが、現地に到着するまでのあいだに山賊どもは広大な山の中に隠れてしまう。山にねぐらがあるんだろう。手に負えない」
照勇は首を傾げた。
「山間地と街道は道夢県の管理下なのですか」
「そこも難しいところだ。ちょうど県境にあたる」
街道で捕まえるなら問題はない。だが隣県の山に逃げ込まれたら、隣県の許可を取るか、共同で探索しなければならない。役人は難しい顔をして顎を撫でた。
隣県の知事は丁禹だ。丁知事に相談すれば良い知恵を授けてくれるだろう。
だがそれでは──
「山賊を一網打尽にできたら、出世したいという河知事の願いが叶うかも……」
「一網打尽にするには悪事を働くちょうどそのときを狙うしかない。無理なのだ」
役人は悔しそうに溜息をついた。
驢馬を追い立てるのは熊猫を連行した役人だった。ご丁寧にも知事の命令で村まで送ってくれるという。
彼は長いこと知事の随員をしているのだそうだ。気まずい顔をしたのは最初だけで、話しかけると気さくな性格だと知れた。
「おまえたち、無事でなによりだったな。なに、陛下のこと? さあな、うわさで聞いたところでは、賄賂や貢ぎ物で取り入ろうとする者を陛下は許さないらしい。公明正大な理想の天子らしいぞ。だから河知事は心酔しておられるのだ。出世に必要な手柄を欲して叶わず、別の欲に走るのは人間の誰もがもつ弱さだ。よいか、覚えておけ。おまえたち女子の身を守るのはわれわれ男の役割ではあるがな、代わりに、男の心を守るのがおまえたち女子の役割であるのだぞ」
上司のことをよく理解している部下に恵まれて、知事は幸せだと思う。知事の心遣いに感謝せよ、男を追い詰める女になるな、と言いたいらしい。
照勇は曖昧に頷いた。
三娘はくだらないと言わんばかりにそっぽを向いている。与姉妹は世間の男女の枠にはおさまらない。
「あんたたち、よく無事で……」
村役をはじめ、荷阿一たち村人は三娘と熊猫が無事に戻ってきたことに仰天していた。とくにお咎めはないと役人から聞かされて心底ほっとした顔をした。
「ずいぶん時間を無駄にしたが、例の件、村役に訊いてみないとな」
この村を訪れた本来の目的を三娘は忘れていなかった。
「では、与三娘、与五娘、わたしは失礼する」
一仕事終えた役人が馬首をめぐらして官衙に戻ろうとしたそのとき、
「助けてくれえ」
弱々しい声がした。見ると、息を切らして駆け込んでくる男がいた。李高だ。
「李高さん、ずいぶん早かったですね」
「そっちから来たってことは吊り橋渡ったか。やればできるじゃないか」
迂回路をまわると村に到着するのは三日は遅れるはずだった。もう二度と会うことはないかもしれないと思っていたので、照勇と三娘があげた声は歓声に近かった。
「吊り橋どころじゃない。山賊だ、山賊がでた! そこのあんたは役人だろ。なんとかしてくれ」
李高は役人に手を伸ばしたまま前のめりに倒れた。
「ああ、やっぱりな」
三娘は目を細めて、ぽそりと呟いた。
村役の家で休ませてもらい、井戸から汲んだばかりの冷水を飲ませてもらった李高は、勢い込んで話しだした。
「急いであの三叉路まで駆け戻ったら、ちょうど宿場から出立した隊商が左の道に進もうとしていたんだ。驢馬を二頭連れた親子四人の異国の商人だ。隊商は道の途中でさらに左にそれて砂漠っていう砂の海を越えていくと言ってた。疲れ切っていたおれは、その手前まででいいから驢馬に乗せてくれって頼んで金を払った。しばらくは快適だった。異国の話を聞くのも面白かったし、目鼻立ちのくっきりした子供たちも可愛かったからな。山裾をぐるっと半分くらいまで進んだころかな、枯れ木立の後ろから出たんだ、山賊が」
「どんな山賊だ」
役人は神妙な顔を李高に近づけた。
「男ばかりで六、七人。歳は若いのから中年まで。毛皮を仕立てた服を着てた。ありゃあ山賊を生業にしてる連中だ。『動くんじゃねえ。金目の物をいただく。おっといい女じゃねえか。女子供は残して男は殺せ』って声がしたかと思ったら、山賊の一人がなれたようすで隊商頭の父親を匕首で刺した。おれの目の前でだぜ」
役者らしく声色を変えて、李高は迫真の場面を再現した。
これはまぎれもない事件だ。しかも強盗と殺人と人さらいという凶悪事件である。
「そ、それでどうしたんですか、李高さん」
「驢馬の腹を蹴って一目散に逃げた。驢馬は途中で乗り捨てた。で、また右の獣道を登ってきたんだ。いやあ、怖かった」
「え、だって、隊商には母親と子供もいたんでしょう。どうなったんです」
「きっとつかまったんじゃないかな。おれ一人逃げ出すんでせいいっぱいだった。なあ役人さん、軍兵を派遣してとっ捕まえてくださいよ」
役人は李高の話を聞いて眉を寄せた。
「どうしたんです。奥歯が痛むんですかい」
「山賊の被害はしばしば報告されているのだ。現場は長い街道のどこかでな、そのたびに捕吏を出したり軍兵に出動依頼をしたりしているのだが、現地に到着するまでのあいだに山賊どもは広大な山の中に隠れてしまう。山にねぐらがあるんだろう。手に負えない」
照勇は首を傾げた。
「山間地と街道は道夢県の管理下なのですか」
「そこも難しいところだ。ちょうど県境にあたる」
街道で捕まえるなら問題はない。だが隣県の山に逃げ込まれたら、隣県の許可を取るか、共同で探索しなければならない。役人は難しい顔をして顎を撫でた。
隣県の知事は丁禹だ。丁知事に相談すれば良い知恵を授けてくれるだろう。
だがそれでは──
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