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第3-11話 熊猫を取りもどす

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「……?」

「この世でもっとも美味なる肉、それは河知事、貴方あなたさまでございます」

 いったいなんの冗談かと戸惑った厨師は河知事をうかがった。ところが河知事が眉間に深い皺を刻んでいたものだから厨師は喉の奥で悲鳴をあげた。

「説明せよ!!」

 河知事は激昂し、照勇をめつけた。

「はい、かしこまりました」

 照勇は平然とした態度を取り続けた。

「河知事は美味なものばかりを召し上がっておられるとうかがいました。長年の美食は、さて、どうなりましょう。知事の腹の中でぎゅっと凝縮していると思いませんか。美味の蓄積でできあがったのが河知事の肉。不味かろうはずがございません。それどころか、この世でもっとも美味しい肉に違いありません」

 愛らしいイタチ顔の知事は、そこで、むむと唸った。

「それが五娘のいう論理的帰結か」

「はい、蟲毒を援用いたしました」

「ふうむ。では厨師よ。わしの肉を削ぎ落とせ。腿肉でも尻肉でもよいぞ」

 厨師は真っ青な顔で包丁を放り出し、その場に伏せた。

「そのような恐ろしいことはとてもとてもとても……」

「困ったものだ。それではわしの夢が叶わないではないか」

「お、おゆるしくださいっ」

 河知事は目を閉じてしばし考えにふけった。やがてかっと目を瞠り、ゆっくりと口を開いた。

「厨師を困らせるわけにはいかないな。諦めるしかない」

 河知事は知事の椅子にどさりと腰をおろし、ふうと大きく息を吐き出した。

「与五娘よ。そうまでして熊猫を助けたいのか。なぜだ。少し珍しいだけの動物ではないか」

「かわいいからだ」

 三娘が腕を組んだ。わかりきったことをを訊くなと言いたげだ。

「わしは五娘に訊いておる」

「三娘を……姉を悲しませたくないからです」

 照勇は素直に答えた。隣に座る三娘がこちらに視線を寄こしたのを気配で感じた。
 正直なことをいえば、三娘が命の危険をおかしてまで熊猫を助けるのはいきすぎだと思っている。道理を考えたら三娘を説得して諦めさせるのが一番だろう。熊猫の犠牲だけで済むのだから。世間の常識とはそういうものだ。

 だけど三娘の感情を無視できない。道理や常識よりも三娘を守りたい。
 河知事の命もできれば救いたいし、とまで考えたが、知事と熊猫の命を比べたら、熊猫のほうがやや重いかもしれないと思った。よくない傾向だ。偏っている。これでは三娘が河知事を殺して熊猫を奪って逃走しても、快哉かいさいを上げないとは言い切れない。
 それとも、これが情というものだろうか。

「……約束のとおりに熊猫は返そう。与姉妹は不問に付す」

 ほっと胸を撫で下ろした。河知事の命も助かった。

「よし、いま出してやるぞ!」

 三娘により手刀を叩きつけられた鍵はあっけなく壊れた。驚いた厨師が尻餅をついたまま後退る。
 熊猫を抱き上げた三娘は、子を抱えた母、というよりは古の名将のような迫力があった。
 だが、母であろうと名将であろうと、一生熊猫を守ることは不可能だ。

「姉さん、熊猫は山に返そう」

「……わかった」

 三娘はごねることなく素直に同意した。

「あ、最後にひとつ」照勇は知事に向き直る。「ひとつだけ質問してよろしいですか」

「なんだね」

「知事さまはいまの職位につかれて何年になられますか」

「嫌なことを訊いてくれるな。二十年だ。ほら、わしの髪は白いものが目立つだろう。二十年かけて国中を転々として、貧しい辺境の、つまらない僻地の、誰もやりたがらない県知事にしがみついておるよ。ここは大事件が起きないかわりに解決する機会もない。つまり出世の足がかりはないからな。皇帝陛下に認められさえすればとっくに朝廷の重職についている年齢なんだが……」

 河知事は鬱屈を吐き出した。だがすぐに気を取り直して笑みを作った。

「せんもない愚痴を言った。忘れてくれ」

 人生の終盤にさしかかってもはや出世の見込みはなく、貧しい県では賄賂で私腹を肥やすのもままならない。唯一の刺激が『美食』なのではないか。照勇はそう思った。

「事件を解決することが出世の早道なのですか。事件は起きないにこしたことはないのでは、と思うのですが……」

「それはそうだが」

「不思議なものですね。大事件が起きないよう差配さはいすることこそ、民が官に求めることでしょうに。その点で河知事の差配は成功しているのです。天子は重要な評価の軸をひとつ見落とされているのですね」

 照勇の言葉はなんの根拠もない世辞に過ぎない。こちらの浅はかな考えなどお見通しだろう。

「はは。それ以上は口にするなよ。同意しにくいからな。わしはまだ陛下のおそばで働くことを諦めたわけではない」

 そう言って、河知事は相好そうごうを崩した。
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