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第3-7話 雷公の肉
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三刻は経ったころ、木を数本組んだだけの簡易な門がようやく見えた。村境だ。門をくぐると共同の広場があり、中央の井戸では数人の女性がおしゃべりしながら水を汲んでいた。
訪問者に気づいた年かさの女が声をかけてきた。
「あんたらが荷爺さんと出会った旅人かい?」
「そうだ。聞きたいことがあって──」
女たちがわっと集まってきた。
「じゃあ、これなんだね」「初めて見たわ」「うちの子より太ってるわ」
目を輝かせて話題にするのは熊猫のことばかりだ。荷老翁が話したのだろう。
「あの──」
「ねえ、ちょっと抱かせてちょうだい」
一人の女がするりと腕をさしいれ、三娘から熊猫を奪う。三娘は一瞬ぽかんとしたが、女たちの興奮がおさまらないと話ができないと思ったのだろう、文句は言わなかった。
「けっこうしっかり重いよ」「ねえよく見て。白毛と黒毛がこんなにはっきり分かれてるよ」「意外ときりりとした顔してるね」「そりゃ雷公さまだからさ」
雷公。聞き間違いかと首をかしげていると、
「食べられちゃうなんてかわいそうに」
信じられないことを言い出した。
「ふざけるな。こいつを食う気か」
案の定、三娘が怒って熊猫を奪い返す。
騒ぎを聞きつけたのか、村人が集まってきた。三娘を中心に人垣ができる。
「わっちらが食べるわけじゃないよ。知事さんがよこせっていってるんだよ」
「知事だと。飛蝗顔のあいつか。飛蝗が猫を食うとかふざけたことぬかしてやがんのか」
三娘は爆発寸前だ。
「まあまあ、話を聞いてくれんかね」
人垣を割って入ってきたのは荷老翁だった。三娘は言葉を飲んだ。恩人を罵倒するわけにはいかない。
さっそく村役の家に招かれることになった。
「ようこんな鄙びた村にいらしてくださった。荷阿一から話はすべて聞いております。もう一人はどうなされた。……ほ、吊り橋が怖いと、それは難儀なことじゃ」
円の村役は荷老翁よりも小柄でずっと年配に見えた。三娘と照勇に煎り豆茶をすすめて、彼自身もゆっくりと茶をすする。
「この村は山の奥にあるといっても、外に行く道はけっこうあってな、荷阿一のように竹製品を商いに行ったり、出稼ぎに出たりするんで、細々とではあるがつながっているんじゃよ」
邪気のない笑みでゆったりと語る村役を前にして、三娘の腰が少し浮いた。イライラしているのが伝わってくる。照勇も黙っていられなかった。
「さっきこの熊猫を食べるみたいな話があったんですけど、どういうことですか」
「ああ、うむ。雷公の肉は美味いそうだ」
「雷公の肉ですって。これは雷公ではなくて……」
部屋の隅に臨席している荷老翁を一瞥する。荷老翁は無表情だった。
雷公の肉は世の中で一番美味い。そういう伝承がある。照勇も書物で読んで知っている。たしかに「食べた」という人の記録はいくつか残っているが、その姿形は同じではない。
雷公が空にいるときは人間に似た姿で雷電太鼓を叩いているとも言われている。だが雲の上のことだから見た者はいない。うっかりと空から落ちたのが落雷なのだ。
雷公は別名、雷獣ともいう。
だから雷落した竹のそばにいた熊猫は、うっかり落ちちゃった雷公ということになるらしい。この短い前足では、太鼓は叩けまい。
「荷老翁に聞いたならご存じでしょう。この熊猫は滅多に人里におりてこないだけの珍しい動物です。雷公ではありませんよ。げんに荷老翁だってこれまでに数度目撃していると言ってましたし、もっと山奥にはきっと群れが──」
「だまらっしゃい。これは雷公。それでいいのです」
村役は人が変わったように、ぴしゃりとさえぎった。
「その熊猫をこちらに引き渡しなさい。お互いのためです」
「よしんばこれが雷公だとしても、どうして引き渡しましょうか。諦めてください」
「話にならんな。もう行くぞ、五娘」
照勇と三娘は席を立とうとした。すると村役の背後から数人の男が現れた。三娘と照勇の後ろにも。腕づくでも熊猫を手に入れる気なのだろう。
「待ってくれ。理由があるんじゃ。聞き入れてくれ。この村のために」
荷阿一は地面に伏して懇願した。
「話だけは聞きましょう」
荷老翁を支え起こす。
ともかく事情を聞こうと、三娘に目配せをした。三娘が村人を血祭りにあげるのは避けたい。
「この村は数十人程度の人間が暮らす小さな村でな」
荷老翁はつらそうな声を出した。
「小さな、貧乏な村じゃ。だがさきほど村役が言ったように、外とは細い糸でつながっている。おまえさんらと別れて先に村に戻ったわしは落雷の話を面白おかしく伝えてしまったんじゃ。それを他の村や町に伝えた者がいてな。けして悪気があったわけじゃない」
そこまでは理解できる。照勇はうなずいた。
訪問者に気づいた年かさの女が声をかけてきた。
「あんたらが荷爺さんと出会った旅人かい?」
「そうだ。聞きたいことがあって──」
女たちがわっと集まってきた。
「じゃあ、これなんだね」「初めて見たわ」「うちの子より太ってるわ」
目を輝かせて話題にするのは熊猫のことばかりだ。荷老翁が話したのだろう。
「あの──」
「ねえ、ちょっと抱かせてちょうだい」
一人の女がするりと腕をさしいれ、三娘から熊猫を奪う。三娘は一瞬ぽかんとしたが、女たちの興奮がおさまらないと話ができないと思ったのだろう、文句は言わなかった。
「けっこうしっかり重いよ」「ねえよく見て。白毛と黒毛がこんなにはっきり分かれてるよ」「意外ときりりとした顔してるね」「そりゃ雷公さまだからさ」
雷公。聞き間違いかと首をかしげていると、
「食べられちゃうなんてかわいそうに」
信じられないことを言い出した。
「ふざけるな。こいつを食う気か」
案の定、三娘が怒って熊猫を奪い返す。
騒ぎを聞きつけたのか、村人が集まってきた。三娘を中心に人垣ができる。
「わっちらが食べるわけじゃないよ。知事さんがよこせっていってるんだよ」
「知事だと。飛蝗顔のあいつか。飛蝗が猫を食うとかふざけたことぬかしてやがんのか」
三娘は爆発寸前だ。
「まあまあ、話を聞いてくれんかね」
人垣を割って入ってきたのは荷老翁だった。三娘は言葉を飲んだ。恩人を罵倒するわけにはいかない。
さっそく村役の家に招かれることになった。
「ようこんな鄙びた村にいらしてくださった。荷阿一から話はすべて聞いております。もう一人はどうなされた。……ほ、吊り橋が怖いと、それは難儀なことじゃ」
円の村役は荷老翁よりも小柄でずっと年配に見えた。三娘と照勇に煎り豆茶をすすめて、彼自身もゆっくりと茶をすする。
「この村は山の奥にあるといっても、外に行く道はけっこうあってな、荷阿一のように竹製品を商いに行ったり、出稼ぎに出たりするんで、細々とではあるがつながっているんじゃよ」
邪気のない笑みでゆったりと語る村役を前にして、三娘の腰が少し浮いた。イライラしているのが伝わってくる。照勇も黙っていられなかった。
「さっきこの熊猫を食べるみたいな話があったんですけど、どういうことですか」
「ああ、うむ。雷公の肉は美味いそうだ」
「雷公の肉ですって。これは雷公ではなくて……」
部屋の隅に臨席している荷老翁を一瞥する。荷老翁は無表情だった。
雷公の肉は世の中で一番美味い。そういう伝承がある。照勇も書物で読んで知っている。たしかに「食べた」という人の記録はいくつか残っているが、その姿形は同じではない。
雷公が空にいるときは人間に似た姿で雷電太鼓を叩いているとも言われている。だが雲の上のことだから見た者はいない。うっかりと空から落ちたのが落雷なのだ。
雷公は別名、雷獣ともいう。
だから雷落した竹のそばにいた熊猫は、うっかり落ちちゃった雷公ということになるらしい。この短い前足では、太鼓は叩けまい。
「荷老翁に聞いたならご存じでしょう。この熊猫は滅多に人里におりてこないだけの珍しい動物です。雷公ではありませんよ。げんに荷老翁だってこれまでに数度目撃していると言ってましたし、もっと山奥にはきっと群れが──」
「だまらっしゃい。これは雷公。それでいいのです」
村役は人が変わったように、ぴしゃりとさえぎった。
「その熊猫をこちらに引き渡しなさい。お互いのためです」
「よしんばこれが雷公だとしても、どうして引き渡しましょうか。諦めてください」
「話にならんな。もう行くぞ、五娘」
照勇と三娘は席を立とうとした。すると村役の背後から数人の男が現れた。三娘と照勇の後ろにも。腕づくでも熊猫を手に入れる気なのだろう。
「待ってくれ。理由があるんじゃ。聞き入れてくれ。この村のために」
荷阿一は地面に伏して懇願した。
「話だけは聞きましょう」
荷老翁を支え起こす。
ともかく事情を聞こうと、三娘に目配せをした。三娘が村人を血祭りにあげるのは避けたい。
「この村は数十人程度の人間が暮らす小さな村でな」
荷老翁はつらそうな声を出した。
「小さな、貧乏な村じゃ。だがさきほど村役が言ったように、外とは細い糸でつながっている。おまえさんらと別れて先に村に戻ったわしは落雷の話を面白おかしく伝えてしまったんじゃ。それを他の村や町に伝えた者がいてな。けして悪気があったわけじゃない」
そこまでは理解できる。照勇はうなずいた。
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