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第3-4話 落雷
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板を渡しただけの簡便な橋だったのだろう。基礎の杭だけが残っていた。
「だが川幅はたいしたことない。水かさと勢いが落ちれば泳いで渡れる。ここで少し休もう」
「こ、ここで?」
李高はふらふらしながら腰をおろした。
「のんきなことを……。いまにも雨が降ってきそうだ」
空を見上げ、ぶると震える李高。ますます具合が悪くなっているようだ。
「姉さん、川沿いに移動しながら雨宿りできる場所を探そうよ」
そう言っている間にも、ぽつぽつと降り始めた。竹藪は雨宿りにはむかない。かといって渓谷におりるのは危険だ。
思案していると、カーンという小気味よい音が響いた。
「なんだ?」
音は何度か繰り返された。遠目に背を丸めた小さな人影がみえる。竹を取りにきた近在の老翁だろう。
三娘はぬかるんだ斜面を器用に駆け上がり、老翁に声をかけた。
「そこのご老人、訊ねたいことがある。このあたりで──」
「危ない!」
老翁が叫んだ。
驚いた三娘は足を滑らせた。倒れた三娘の上に竹が倒れる。照勇は思わず目をつぶった。
だが脳天を割る音は聞こえてこない。
そっと目を開くと、傾いだ竹を手でおさえた李高の背中が視界に入った。いつのまに飛び出したのか。へろへろだったはずなのに。
「すまんすまん、人がいるのに気づかなかった」
老翁は李高の手から竹を奪い、肩にひょいと担いだ。すごい膂力だ。
「近くに襤褸小屋がある。ついてきなさい」
老翁は荷阿一と名乗った。円という名の集落から加工用の竹を刈りにきたのだという。三娘が目指していた村のひとつのようだ。
「ふにゃん」
変な声を出して、とうとう李高はその場で失神した。
小屋の屋根を容赦なく雨が叩く。粗末な小屋はかろうじて雨風をしのげる程度の造りでしかない。
濡らした布をしぼって李高の額に載せる照勇。三娘は荷阿一昨日今日で村を訪ねた人間のことを訊いている。
「知らんなあ。なんせわしは何日かここにおるからのう。娯楽もない小さな集落だから、おまえさんらが立ち寄ってくれたら歓迎するぞい」
三娘の関心の炎は消滅した。
むっつり黙ってしまった三娘の代わりに、興味の芽がむくむくと伸びたのは照勇のほうだ。
阿一は鉈でていねいに笹を掻き落としている。
「竹をどうするんですか?」
「酒を飲む器などの加工品を作って売るんじゃ。硬くて丈夫だからな。編んだ籠はよく売れる」
「器用なんですね」
「わしの村は貧乏でな。加工品を売るのが唯一の稼ぎなんじゃ。わしらが器用なのではなく竹が恵みをくれるんだよ」
「ああ、雪滑板にもなりますね」
「す……き、なんだって……?」
「あ、いえ。笹のほうは捨ててしまうんですか。もったいないですね」
「ほしけりゃやるぞ。好きなだけもってけ」
作業小屋を見回したが、水を湧かす道具はなかった。
「なにを探しているんじゃ」
「笹は薬になるんですよ。熱を下げる効果があるんだけど、ここで煎じるのは無理そうですね」
「物知りだのう」
解熱薬になるといっても、どの竹が適しているのか、どう煎じるかまでは覚えていない。もっとちゃんと本を読んでおけばよかったと後悔する。
会話を聞いていたのか、三娘は笹を鷲掴みにして李高の口に押し当てた。
「食べろ」
「うぐ、うぐ」
「姉さん、それじゃお腹壊しちゃうよ」
「腹下しがなんだ。死ぬよりましだろうが」
李高は震える手を照勇にむかって伸ばした。三娘の蛮行をとめてくれと言いたいのだろう。
「姉さん、彼はずいぶんと汗をかいているし、さきに水を飲ませたほうがいいと思いますよ。汲んできますね」
「ほれ」
荷老翁は一節の竹を切ってくれた。竹の器だ。中に水を入れることができる。
「すまんなあ。竹の油抜きは村でやるんで、ここには煮炊きできるもんはないんじゃ」
「いえ、こちらこそお気遣いありがとうございます。ではちょっと外に出てきますね」
外は横殴りの雨になっていた。竹林がぶるんぶるんとしなっている。
「ひゃあ」
墨をぶちまけたような雲が天空で渦を巻いている。雨粒はまるで小石だ。容赦なく照勇を襲ってくる。これならすぐに水が溜まるだろう。
竹の器を空に掲げたそのとき、
「うわっ!」
視界が真っ白になり、大岩が転がるような音が続いた。落雷だ。
真っ白になってから音がするまでのわずかな間合い。すぐ近くに雷が落ちたのだ。
怖くなって、天に掲げた手を引っ込めた。空を見上げる。真っ黒で大きな龍がうねっている。うろこの隙間から火花が散る。咆吼が頭の真上から聞こえてくる。
小屋に戻らなければ。ここにいては危ない。
踵を返した直後、背に衝撃があった。閃光。そして熱気と風圧。振り返ると、数丈ほどしか離れていないところにあった太い竹から煙が出ている。バリバリと音がして、竹は上から下まで真っ二つに割れた。
大型の獣が獲物を骨ごと噛み砕いている。そんな凶暴な妄想が照勇の心を支配した。
怖い。人間を相手にする恐怖とは、怖さの質が違う。
存在しないものが見えてしまう。
「照勇!」
「だが川幅はたいしたことない。水かさと勢いが落ちれば泳いで渡れる。ここで少し休もう」
「こ、ここで?」
李高はふらふらしながら腰をおろした。
「のんきなことを……。いまにも雨が降ってきそうだ」
空を見上げ、ぶると震える李高。ますます具合が悪くなっているようだ。
「姉さん、川沿いに移動しながら雨宿りできる場所を探そうよ」
そう言っている間にも、ぽつぽつと降り始めた。竹藪は雨宿りにはむかない。かといって渓谷におりるのは危険だ。
思案していると、カーンという小気味よい音が響いた。
「なんだ?」
音は何度か繰り返された。遠目に背を丸めた小さな人影がみえる。竹を取りにきた近在の老翁だろう。
三娘はぬかるんだ斜面を器用に駆け上がり、老翁に声をかけた。
「そこのご老人、訊ねたいことがある。このあたりで──」
「危ない!」
老翁が叫んだ。
驚いた三娘は足を滑らせた。倒れた三娘の上に竹が倒れる。照勇は思わず目をつぶった。
だが脳天を割る音は聞こえてこない。
そっと目を開くと、傾いだ竹を手でおさえた李高の背中が視界に入った。いつのまに飛び出したのか。へろへろだったはずなのに。
「すまんすまん、人がいるのに気づかなかった」
老翁は李高の手から竹を奪い、肩にひょいと担いだ。すごい膂力だ。
「近くに襤褸小屋がある。ついてきなさい」
老翁は荷阿一と名乗った。円という名の集落から加工用の竹を刈りにきたのだという。三娘が目指していた村のひとつのようだ。
「ふにゃん」
変な声を出して、とうとう李高はその場で失神した。
小屋の屋根を容赦なく雨が叩く。粗末な小屋はかろうじて雨風をしのげる程度の造りでしかない。
濡らした布をしぼって李高の額に載せる照勇。三娘は荷阿一昨日今日で村を訪ねた人間のことを訊いている。
「知らんなあ。なんせわしは何日かここにおるからのう。娯楽もない小さな集落だから、おまえさんらが立ち寄ってくれたら歓迎するぞい」
三娘の関心の炎は消滅した。
むっつり黙ってしまった三娘の代わりに、興味の芽がむくむくと伸びたのは照勇のほうだ。
阿一は鉈でていねいに笹を掻き落としている。
「竹をどうするんですか?」
「酒を飲む器などの加工品を作って売るんじゃ。硬くて丈夫だからな。編んだ籠はよく売れる」
「器用なんですね」
「わしの村は貧乏でな。加工品を売るのが唯一の稼ぎなんじゃ。わしらが器用なのではなく竹が恵みをくれるんだよ」
「ああ、雪滑板にもなりますね」
「す……き、なんだって……?」
「あ、いえ。笹のほうは捨ててしまうんですか。もったいないですね」
「ほしけりゃやるぞ。好きなだけもってけ」
作業小屋を見回したが、水を湧かす道具はなかった。
「なにを探しているんじゃ」
「笹は薬になるんですよ。熱を下げる効果があるんだけど、ここで煎じるのは無理そうですね」
「物知りだのう」
解熱薬になるといっても、どの竹が適しているのか、どう煎じるかまでは覚えていない。もっとちゃんと本を読んでおけばよかったと後悔する。
会話を聞いていたのか、三娘は笹を鷲掴みにして李高の口に押し当てた。
「食べろ」
「うぐ、うぐ」
「姉さん、それじゃお腹壊しちゃうよ」
「腹下しがなんだ。死ぬよりましだろうが」
李高は震える手を照勇にむかって伸ばした。三娘の蛮行をとめてくれと言いたいのだろう。
「姉さん、彼はずいぶんと汗をかいているし、さきに水を飲ませたほうがいいと思いますよ。汲んできますね」
「ほれ」
荷老翁は一節の竹を切ってくれた。竹の器だ。中に水を入れることができる。
「すまんなあ。竹の油抜きは村でやるんで、ここには煮炊きできるもんはないんじゃ」
「いえ、こちらこそお気遣いありがとうございます。ではちょっと外に出てきますね」
外は横殴りの雨になっていた。竹林がぶるんぶるんとしなっている。
「ひゃあ」
墨をぶちまけたような雲が天空で渦を巻いている。雨粒はまるで小石だ。容赦なく照勇を襲ってくる。これならすぐに水が溜まるだろう。
竹の器を空に掲げたそのとき、
「うわっ!」
視界が真っ白になり、大岩が転がるような音が続いた。落雷だ。
真っ白になってから音がするまでのわずかな間合い。すぐ近くに雷が落ちたのだ。
怖くなって、天に掲げた手を引っ込めた。空を見上げる。真っ黒で大きな龍がうねっている。うろこの隙間から火花が散る。咆吼が頭の真上から聞こえてくる。
小屋に戻らなければ。ここにいては危ない。
踵を返した直後、背に衝撃があった。閃光。そして熱気と風圧。振り返ると、数丈ほどしか離れていないところにあった太い竹から煙が出ている。バリバリと音がして、竹は上から下まで真っ二つに割れた。
大型の獣が獲物を骨ごと噛み砕いている。そんな凶暴な妄想が照勇の心を支配した。
怖い。人間を相手にする恐怖とは、怖さの質が違う。
存在しないものが見えてしまう。
「照勇!」
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