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第2-18話 知事を待つ
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「どうしたんだ、五娘。元気ないな。腹でもすいているのか?」
悄然と肩を落とす照勇の肩を三娘はバンバンと叩いた。
「ぼくが蘭音にさらわれたこと、どうしてわかったの」
政庁の執務室の片隅で丁知事が来るのを二人は待っている。照勇の調書はすぐに終わったが、蘭音たちの取り調べがすむまで待機せよと命じられたからだ。
広い部屋にふたりきり。だが念のために額を寄せて小声で話す。
「最初はわからなかったさ。てっきり道観に戻ったのかと思って飛んで見にいった。誰もいなかったから……そういや、死体はなくなっていたぞ。血痕ひとつない。殺し屋がきれいに片付けたようだ」
「ああ、飛んで……?」
三娘の説明はときに理解できないことがある。
「で、苑台に飛んで戻った。おまえが入り込んだ路地のあたりであやしい馬車が停まっていたから、ひょいと中を見たんだ。食いかけのさんざし飴が落ちていた。馬車の持ち主を問い詰めたら、さんざし飴の持ち主は妓楼に売ったと吐いた」
三娘は『問い詰めた』と語るが、蘭音はよっぽど怖かったにちがいない。最後に見た蘭音の顔からは血の気が失せていた。
「なんだ、そうだったのか。ぼくはてっきり殺し屋連中を追いかけて妓楼にたどり着いたのかと……」
三娘の優先事項は石栄なのだから、殺し屋を探すほう優先されると思ったのだ。
「あ……」
うっかり失言したと気づいたが、さすがに三娘も聞き逃しはしなかった。
「どういうことだ。妓楼に殺し屋がいたってことか?」
「いたけど……」
「まさか石英も一緒だったのではないだろうな」
「……えっと……」
三娘がすっくと立ち上がる。
「もういないよ。今朝出て行ったから」
袖を引いて座らせた。
「なぜもっと早く言わないんだ……!?」
「ごめん、ぼくも自分のことでいっぱいいっぱいで」
「石栄と殺し屋は一緒にいたんだな。なんで妓楼にいたんだ。まさか、やつは寝返ったのか。おまえがまだ生きているってことは気づかれなかっただろうな。出て行ったと言ったが、どこに向かうとか、誰かを訪ねるとか、やつらのその後の情報はないのか?」
「……」
沢蓮至が寝返ったのにはなにか理由があるはずだ。照勇の知らない事情が。
そう思ってしまうのは、どうしても蓮至を悪人だと思えないからだった。瀕死の客を見かねて助けてくれたのは彼が善人だという証明ではないか。十年間、照勇を育ててくれた慈父の姿そのままだった。
もし本当に彼が照勇を殺す側に転身したのならば、照勇こそが悪人側になったからなのではないかと、突拍子もないことまで考えてしまう。頭がおかしくなりそうだ。
「あの……少しだけ会話を聞いたよ。盗み聞きしたんだ」
「それで?」
三娘がじれったそうに先を促す。
「崖の下に渓谷あったでしょ。雪解け水が流れこんでいた川。人目を避けて逃げるはずだから、ぼくらは川を遡って山奥に逃げ込んだんじゃないかって話し合っていたよ」
本当は『川下に流れ着いているかも知れない遺体を探しに行く』だったから、ちょうど逆の方向になる。ウソをつくことになるが三娘と殺し屋を引き離したい。
「川上か。小村がいくつかあったな。順番に訪ねてみるか」
「三娘、ここらの地理に詳しいんだね」
「まあな。村に足を運んだことはないが、もう少し南に行くとわたしの第二の故郷があるんで、なんとなくわかる程度だけどな」
「第二の故郷?」
「武術の師匠がいる」
「ほんとに!? そこに行こうよ。ぼくも習いたい。強くなりたい」
一人で戦えるように強くなりたい。三娘を頼らないですむように。殺し屋と戦えるだけの武技を身につけたい。
三娘の無心剣は冷酷だが華麗だった。舞うような剣技、敵の目をつぶした飛び道具。他人を圧倒する力をなにかひとつでも身につけたい。
「残念なことに誰でも強くなれるわけではない」
「わかってるよ」
「察しろ。おまえには才能がないと言っているのだ」
「決めつけないでよ。これからの暮らし方を考えろって言ったのは三娘だよ。江湖の英雄に憧れてもいいだろ」
「危険なんだ、あいつは変態……いや、ちょっと変わっているから」
「ふうん」
いやなことを思い出したかのように、三娘の表情は曇ってしまった。せっかく俗世にいるのだから『変態』というものを見てみたいという気持ちもある。
「でも、ぼくの契約証文を無効にできないと、ぼくは先に進めない」
「心配するな。遣り手婆を脅して契約証文を破いてきてやるから」
「う……大丈夫だよ。いざとなれば自分でやるし……」
袖の中には厨房で盗んだ小刀を隠してある。これからはなるべく三娘に頼らずに自分で道を切り開くようにしたい。
「水臭いやつだな。まるでわたしを信用してないみたいじゃないか」
「そんなことは……」
「……まさかおまえ、わたしを遠ざけたいのか」
悄然と肩を落とす照勇の肩を三娘はバンバンと叩いた。
「ぼくが蘭音にさらわれたこと、どうしてわかったの」
政庁の執務室の片隅で丁知事が来るのを二人は待っている。照勇の調書はすぐに終わったが、蘭音たちの取り調べがすむまで待機せよと命じられたからだ。
広い部屋にふたりきり。だが念のために額を寄せて小声で話す。
「最初はわからなかったさ。てっきり道観に戻ったのかと思って飛んで見にいった。誰もいなかったから……そういや、死体はなくなっていたぞ。血痕ひとつない。殺し屋がきれいに片付けたようだ」
「ああ、飛んで……?」
三娘の説明はときに理解できないことがある。
「で、苑台に飛んで戻った。おまえが入り込んだ路地のあたりであやしい馬車が停まっていたから、ひょいと中を見たんだ。食いかけのさんざし飴が落ちていた。馬車の持ち主を問い詰めたら、さんざし飴の持ち主は妓楼に売ったと吐いた」
三娘は『問い詰めた』と語るが、蘭音はよっぽど怖かったにちがいない。最後に見た蘭音の顔からは血の気が失せていた。
「なんだ、そうだったのか。ぼくはてっきり殺し屋連中を追いかけて妓楼にたどり着いたのかと……」
三娘の優先事項は石栄なのだから、殺し屋を探すほう優先されると思ったのだ。
「あ……」
うっかり失言したと気づいたが、さすがに三娘も聞き逃しはしなかった。
「どういうことだ。妓楼に殺し屋がいたってことか?」
「いたけど……」
「まさか石英も一緒だったのではないだろうな」
「……えっと……」
三娘がすっくと立ち上がる。
「もういないよ。今朝出て行ったから」
袖を引いて座らせた。
「なぜもっと早く言わないんだ……!?」
「ごめん、ぼくも自分のことでいっぱいいっぱいで」
「石栄と殺し屋は一緒にいたんだな。なんで妓楼にいたんだ。まさか、やつは寝返ったのか。おまえがまだ生きているってことは気づかれなかっただろうな。出て行ったと言ったが、どこに向かうとか、誰かを訪ねるとか、やつらのその後の情報はないのか?」
「……」
沢蓮至が寝返ったのにはなにか理由があるはずだ。照勇の知らない事情が。
そう思ってしまうのは、どうしても蓮至を悪人だと思えないからだった。瀕死の客を見かねて助けてくれたのは彼が善人だという証明ではないか。十年間、照勇を育ててくれた慈父の姿そのままだった。
もし本当に彼が照勇を殺す側に転身したのならば、照勇こそが悪人側になったからなのではないかと、突拍子もないことまで考えてしまう。頭がおかしくなりそうだ。
「あの……少しだけ会話を聞いたよ。盗み聞きしたんだ」
「それで?」
三娘がじれったそうに先を促す。
「崖の下に渓谷あったでしょ。雪解け水が流れこんでいた川。人目を避けて逃げるはずだから、ぼくらは川を遡って山奥に逃げ込んだんじゃないかって話し合っていたよ」
本当は『川下に流れ着いているかも知れない遺体を探しに行く』だったから、ちょうど逆の方向になる。ウソをつくことになるが三娘と殺し屋を引き離したい。
「川上か。小村がいくつかあったな。順番に訪ねてみるか」
「三娘、ここらの地理に詳しいんだね」
「まあな。村に足を運んだことはないが、もう少し南に行くとわたしの第二の故郷があるんで、なんとなくわかる程度だけどな」
「第二の故郷?」
「武術の師匠がいる」
「ほんとに!? そこに行こうよ。ぼくも習いたい。強くなりたい」
一人で戦えるように強くなりたい。三娘を頼らないですむように。殺し屋と戦えるだけの武技を身につけたい。
三娘の無心剣は冷酷だが華麗だった。舞うような剣技、敵の目をつぶした飛び道具。他人を圧倒する力をなにかひとつでも身につけたい。
「残念なことに誰でも強くなれるわけではない」
「わかってるよ」
「察しろ。おまえには才能がないと言っているのだ」
「決めつけないでよ。これからの暮らし方を考えろって言ったのは三娘だよ。江湖の英雄に憧れてもいいだろ」
「危険なんだ、あいつは変態……いや、ちょっと変わっているから」
「ふうん」
いやなことを思い出したかのように、三娘の表情は曇ってしまった。せっかく俗世にいるのだから『変態』というものを見てみたいという気持ちもある。
「でも、ぼくの契約証文を無効にできないと、ぼくは先に進めない」
「心配するな。遣り手婆を脅して契約証文を破いてきてやるから」
「う……大丈夫だよ。いざとなれば自分でやるし……」
袖の中には厨房で盗んだ小刀を隠してある。これからはなるべく三娘に頼らずに自分で道を切り開くようにしたい。
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