26 / 74
第2-12話 死因は?
しおりを挟む
「事件があった部屋はここだな」
「はい、さようで」
朱太老婆は身をすくめて何度も頭を下げた。
戸口の隙間から、騒ぎを聞きつけた妓女や遊客らが好奇に満ちた顔をのぞかせる。まるで芝居の一幕を楽しんでいるようだ。
その後ろを通り過ぎたのは沢蓮至と殺し屋だ。蓮至だけはほんのわずかな憐憫の眼差しを照勇に投げかけたものの、殺し屋たちはまったく興味を示さずに人混みをすり抜けて階下に向かっていった。照勇の死体を探しにいくのだろう。
「なにがあったのか話しなさい。なぜ客の額に傷があったのか」
丁禹の声音は優しげだ。
朱老太婆は愛想笑いを浮かべ、猫なで声で弓月を促す。
「包み隠さずすべてお話しするんですよ。恐れることはないからね」
弓月は朱老太婆の脚本どおりに語った。
照勇の胸は緊張でどくどくと脈を打った。
「なるほど、この柱に頭を打ちつけたのか。食い違いはなさそうだな」
丁禹は柱を丹念に調べた。
「ところで心配はしなかったのか。すぐに医者を呼べば助かったかもしれないのに」
「絶対助けましたとも」
知事と同道した医者は大袈裟に嘆いてみせた。
「大事だとは思いませんでした。すぐに寝息を立ててしまわれたので……」
弓月の声は震え出した。
「酒をかなり飲んでいたようだな」
朱老太婆が首肯する。
「はい、よく食べてよく飲まれておいででしたねえ。あの方はうちが出すお酒をことのほか気に入っておられたのです。ぐっすり寝てしまっても当然だと思いますねえ」
「額を……ぶつけただけで、とくに痛がるようすもなかったものですから……」
弓月の声がどんどんか細くなる。
「それで放置したというのか」
丁禹は眉を寄せた。
このままでは弓月のせいにされかねない。そう思うと口を開かずにはいられなかった。
「知事さまにおかれましては、死因は頭をぶつけたことだとお考えですか?」
照勇が問うと、初めてそこの人が居ることに気づいたようすで丁禹は目を瞬かせた。
「死因の特定は難しいものだ」
丁禹に視線を向けられた医者は、あとを引き取る。
「頭部の怪我か蛇の毒か、あるいは複合的なものか、それ以外なのか。出血はこのわたしがなんとか食い止めることに成功しましたのに、本当に残念なことです」
しみじみとした医者の口調だが、有能さを加味することを怠らなかった。
死因が特定されていないとなると、追及はより一層厳しくなりそうだ。
案の定、丁禹が続ける。
「茶商の王氏は不運が重なったなど納得がいかないらしい。まあ、たしかに、足を滑らせて頭部を強打したところに、たまたま入りこんだ蛇に股間を噛みつかれたなど、滑稽だからな。誰かに仕組まれたと言ってはばからない」
かえすがえすも蛇に股間を噛ませてしまったのは大失敗だったと照勇は悔いた。
「死者の名誉を傷つけたくはない。だからといって頭部を強打した事故で死んだと決めつけるわけにもいかぬ。わざわざ現場に赴いたのは真実を見極めるためだ。そこの童女は弓月の朋輩か。意見があるなら申せ」
「め、めっそうもない。この子はあとできつく折檻いたします」
朱老太婆は照勇の頭をおさえて床に伏した。
丁禹はあごをさすりながら眉をしかめた。
「なぜ柱の傷は寝台の内側にあるのだ。傷の位置と角度を考えると、足を滑らせてぶつけたとは考えにくい。それとも寝台の上でぴょんぴょんと莫迦みたいに跳びはねていたのか。であれば自業自得だな。弓月とやら、そのときのようすを答えよ」
「あ、あの……申し訳ありません、ウソをつきました」
弓月は頭を垂れた。
朱老太婆が喉の奥で「ひ」と声をあげる。照勇も息を飲んだ。
「本当は、わたしが、突き飛ばしたのです」
弓月は声を詰まらせながら話した。
一方、丁禹はというと、とくに驚いたふうはない。むしろ、あっさりと告白した弓月が残念でしょうがないといった表情だ。
もしや、と照勇は考えた。『寝台の上でぴょんぴょんと莫迦みたいに跳びはねていました』と言って欲しかったのか。
だがうかつにのってしまったらウソを重ねてしまうことになる。知事の優しさなのか、意地の悪さなのか。この知事は得体がしれない。
「そのウソはおまえが考えたのか。それとも」
丁禹は朱老太婆を横目で見る。
「そう言えと教えられたのか」
「まあ驚いた! なんてたちの悪い子なんだろう。女将をあざむこうなんて。すっかり騙されちまったよあたしは!」
朱老太婆は弓月を見捨てることにしたらしい。
弓月は言い訳をせずにただ頭を下げた。
「強く押したつもりはありませんでした。まさか亡くなってしまうなんて、後悔で心がつぶれてしまいそうです」
「故意に殺したとは思っていない。だがウソをついたことで心証は悪い。それはわかるな」
「はい、わたしの弱さゆえの過ちです」
「弓月とやらの身柄はこちらで預かる。それでよいな」
照勇はとうとう黙って見ていられなくなった。朱老太婆におさえつけられた頭を満身の力でぐいと持ち上げた。
「丁禹さま、弓月が我が身可愛さでウソをついたことなど、とうにお見通しであったことでしょう。少しでも己が罪を軽くしたいと考えるのは弱き人間の性ですから」
「これ、五娘。図々しい」
朱老太婆が照勇の肩をつかんだが、照勇は身を捩って振り払った。
「はい、さようで」
朱太老婆は身をすくめて何度も頭を下げた。
戸口の隙間から、騒ぎを聞きつけた妓女や遊客らが好奇に満ちた顔をのぞかせる。まるで芝居の一幕を楽しんでいるようだ。
その後ろを通り過ぎたのは沢蓮至と殺し屋だ。蓮至だけはほんのわずかな憐憫の眼差しを照勇に投げかけたものの、殺し屋たちはまったく興味を示さずに人混みをすり抜けて階下に向かっていった。照勇の死体を探しにいくのだろう。
「なにがあったのか話しなさい。なぜ客の額に傷があったのか」
丁禹の声音は優しげだ。
朱老太婆は愛想笑いを浮かべ、猫なで声で弓月を促す。
「包み隠さずすべてお話しするんですよ。恐れることはないからね」
弓月は朱老太婆の脚本どおりに語った。
照勇の胸は緊張でどくどくと脈を打った。
「なるほど、この柱に頭を打ちつけたのか。食い違いはなさそうだな」
丁禹は柱を丹念に調べた。
「ところで心配はしなかったのか。すぐに医者を呼べば助かったかもしれないのに」
「絶対助けましたとも」
知事と同道した医者は大袈裟に嘆いてみせた。
「大事だとは思いませんでした。すぐに寝息を立ててしまわれたので……」
弓月の声は震え出した。
「酒をかなり飲んでいたようだな」
朱老太婆が首肯する。
「はい、よく食べてよく飲まれておいででしたねえ。あの方はうちが出すお酒をことのほか気に入っておられたのです。ぐっすり寝てしまっても当然だと思いますねえ」
「額を……ぶつけただけで、とくに痛がるようすもなかったものですから……」
弓月の声がどんどんか細くなる。
「それで放置したというのか」
丁禹は眉を寄せた。
このままでは弓月のせいにされかねない。そう思うと口を開かずにはいられなかった。
「知事さまにおかれましては、死因は頭をぶつけたことだとお考えですか?」
照勇が問うと、初めてそこの人が居ることに気づいたようすで丁禹は目を瞬かせた。
「死因の特定は難しいものだ」
丁禹に視線を向けられた医者は、あとを引き取る。
「頭部の怪我か蛇の毒か、あるいは複合的なものか、それ以外なのか。出血はこのわたしがなんとか食い止めることに成功しましたのに、本当に残念なことです」
しみじみとした医者の口調だが、有能さを加味することを怠らなかった。
死因が特定されていないとなると、追及はより一層厳しくなりそうだ。
案の定、丁禹が続ける。
「茶商の王氏は不運が重なったなど納得がいかないらしい。まあ、たしかに、足を滑らせて頭部を強打したところに、たまたま入りこんだ蛇に股間を噛みつかれたなど、滑稽だからな。誰かに仕組まれたと言ってはばからない」
かえすがえすも蛇に股間を噛ませてしまったのは大失敗だったと照勇は悔いた。
「死者の名誉を傷つけたくはない。だからといって頭部を強打した事故で死んだと決めつけるわけにもいかぬ。わざわざ現場に赴いたのは真実を見極めるためだ。そこの童女は弓月の朋輩か。意見があるなら申せ」
「め、めっそうもない。この子はあとできつく折檻いたします」
朱老太婆は照勇の頭をおさえて床に伏した。
丁禹はあごをさすりながら眉をしかめた。
「なぜ柱の傷は寝台の内側にあるのだ。傷の位置と角度を考えると、足を滑らせてぶつけたとは考えにくい。それとも寝台の上でぴょんぴょんと莫迦みたいに跳びはねていたのか。であれば自業自得だな。弓月とやら、そのときのようすを答えよ」
「あ、あの……申し訳ありません、ウソをつきました」
弓月は頭を垂れた。
朱老太婆が喉の奥で「ひ」と声をあげる。照勇も息を飲んだ。
「本当は、わたしが、突き飛ばしたのです」
弓月は声を詰まらせながら話した。
一方、丁禹はというと、とくに驚いたふうはない。むしろ、あっさりと告白した弓月が残念でしょうがないといった表情だ。
もしや、と照勇は考えた。『寝台の上でぴょんぴょんと莫迦みたいに跳びはねていました』と言って欲しかったのか。
だがうかつにのってしまったらウソを重ねてしまうことになる。知事の優しさなのか、意地の悪さなのか。この知事は得体がしれない。
「そのウソはおまえが考えたのか。それとも」
丁禹は朱老太婆を横目で見る。
「そう言えと教えられたのか」
「まあ驚いた! なんてたちの悪い子なんだろう。女将をあざむこうなんて。すっかり騙されちまったよあたしは!」
朱老太婆は弓月を見捨てることにしたらしい。
弓月は言い訳をせずにただ頭を下げた。
「強く押したつもりはありませんでした。まさか亡くなってしまうなんて、後悔で心がつぶれてしまいそうです」
「故意に殺したとは思っていない。だがウソをついたことで心証は悪い。それはわかるな」
「はい、わたしの弱さゆえの過ちです」
「弓月とやらの身柄はこちらで預かる。それでよいな」
照勇はとうとう黙って見ていられなくなった。朱老太婆におさえつけられた頭を満身の力でぐいと持ち上げた。
「丁禹さま、弓月が我が身可愛さでウソをついたことなど、とうにお見通しであったことでしょう。少しでも己が罪を軽くしたいと考えるのは弱き人間の性ですから」
「これ、五娘。図々しい」
朱老太婆が照勇の肩をつかんだが、照勇は身を捩って振り払った。
11
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
お兄ちゃんは今日からいもうと!
沼米 さくら
ライト文芸
大倉京介、十八歳、高卒。女子小学生始めました。
親の再婚で新しくできた妹。けれど、彼女のせいで僕は、体はそのまま、他者から「女子小学生」と認識されるようになってしまった。
トイレに行けないからおもらししちゃったり、おむつをさせられたり、友達を作ったり。
身の回りで少しずつ不可思議な出来事が巻き起こっていくなか、僕は少女に染まっていく。
果たして男に戻る日はやってくるのだろうか。
強制女児女装万歳。
毎週木曜と日曜更新です。
☆男女逆転パラレルワールド
みさお
恋愛
この世界は、ちょっとおかしい。いつのまにか、僕は男女が逆転した世界に来てしまったのだ。
でも今では、だいぶ慣れてきた。スカートだってスースーするのが、気になって仕方なかったのに、今ではズボンより落ち着く。服や下着も、カワイイものに目がいくようになった。
今では、女子の学ランや男子のセーラー服がむしろ自然に感じるようになった。
女子が学ランを着ているとカッコイイし、男子のセーラー服もカワイイ。
可愛いミニスカの男子なんか、同性でも見取れてしまう。
タイトスカートにハイヒール。
この世界での社会人男性の一般的な姿だが、これも最近では違和感を感じなくなってきた。
ミニスカや、ワンピース水着の男性アイドルも、カワイイ。
ドラマ やCM も、カッコイイ女子とカワイイ男子の組み合わせがほとんどだ。
僕は身も心も、この逆転世界になじんでいく・・・
男子中学生から女子校生になった僕
葵
大衆娯楽
僕はある日突然、母と姉に強制的に女の子として育てられる事になった。
普通に男の子として過ごしていた主人公がJKで過ごした高校3年間のお話し。
強制女装、女性と性行為、男性と性行為、羞恥、屈辱などが好きな方は是非読んでみてください!
AIアイドル活動日誌
ジャン・幸田
キャラ文芸
AIアイドル「めかぎゃるず」はレトロフューチャーなデザインの女の子型ロボットで構成されたアイドルグループである。だからメンバーは全てカスタマーされた機械人形である!
そういう設定であったが、実際は「中の人」が存在した。その「中の人」にされたある少女の体験談である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる