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第2-12話 死因は?
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「事件があった部屋はここだな」
「はい、さようで」
朱太老婆は身をすくめて何度も頭を下げた。
戸口の隙間から、騒ぎを聞きつけた妓女や遊客らが好奇に満ちた顔をのぞかせる。まるで芝居の一幕を楽しんでいるようだ。
その後ろを通り過ぎたのは沢蓮至と殺し屋だ。蓮至だけはほんのわずかな憐憫の眼差しを照勇に投げかけたものの、殺し屋たちはまったく興味を示さずに人混みをすり抜けて階下に向かっていった。照勇の死体を探しにいくのだろう。
「なにがあったのか話しなさい。なぜ客の額に傷があったのか」
丁禹の声音は優しげだ。
朱老太婆は愛想笑いを浮かべ、猫なで声で弓月を促す。
「包み隠さずすべてお話しするんですよ。恐れることはないからね」
弓月は朱老太婆の脚本どおりに語った。
照勇の胸は緊張でどくどくと脈を打った。
「なるほど、この柱に頭を打ちつけたのか。食い違いはなさそうだな」
丁禹は柱を丹念に調べた。
「ところで心配はしなかったのか。すぐに医者を呼べば助かったかもしれないのに」
「絶対助けましたとも」
知事と同道した医者は大袈裟に嘆いてみせた。
「大事だとは思いませんでした。すぐに寝息を立ててしまわれたので……」
弓月の声は震え出した。
「酒をかなり飲んでいたようだな」
朱老太婆が首肯する。
「はい、よく食べてよく飲まれておいででしたねえ。あの方はうちが出すお酒をことのほか気に入っておられたのです。ぐっすり寝てしまっても当然だと思いますねえ」
「額を……ぶつけただけで、とくに痛がるようすもなかったものですから……」
弓月の声がどんどんか細くなる。
「それで放置したというのか」
丁禹は眉を寄せた。
このままでは弓月のせいにされかねない。そう思うと口を開かずにはいられなかった。
「知事さまにおかれましては、死因は頭をぶつけたことだとお考えですか?」
照勇が問うと、初めてそこの人が居ることに気づいたようすで丁禹は目を瞬かせた。
「死因の特定は難しいものだ」
丁禹に視線を向けられた医者は、あとを引き取る。
「頭部の怪我か蛇の毒か、あるいは複合的なものか、それ以外なのか。出血はこのわたしがなんとか食い止めることに成功しましたのに、本当に残念なことです」
しみじみとした医者の口調だが、有能さを加味することを怠らなかった。
死因が特定されていないとなると、追及はより一層厳しくなりそうだ。
案の定、丁禹が続ける。
「茶商の王氏は不運が重なったなど納得がいかないらしい。まあ、たしかに、足を滑らせて頭部を強打したところに、たまたま入りこんだ蛇に股間を噛みつかれたなど、滑稽だからな。誰かに仕組まれたと言ってはばからない」
かえすがえすも蛇に股間を噛ませてしまったのは大失敗だったと照勇は悔いた。
「死者の名誉を傷つけたくはない。だからといって頭部を強打した事故で死んだと決めつけるわけにもいかぬ。わざわざ現場に赴いたのは真実を見極めるためだ。そこの童女は弓月の朋輩か。意見があるなら申せ」
「め、めっそうもない。この子はあとできつく折檻いたします」
朱老太婆は照勇の頭をおさえて床に伏した。
丁禹はあごをさすりながら眉をしかめた。
「なぜ柱の傷は寝台の内側にあるのだ。傷の位置と角度を考えると、足を滑らせてぶつけたとは考えにくい。それとも寝台の上でぴょんぴょんと莫迦みたいに跳びはねていたのか。であれば自業自得だな。弓月とやら、そのときのようすを答えよ」
「あ、あの……申し訳ありません、ウソをつきました」
弓月は頭を垂れた。
朱老太婆が喉の奥で「ひ」と声をあげる。照勇も息を飲んだ。
「本当は、わたしが、突き飛ばしたのです」
弓月は声を詰まらせながら話した。
一方、丁禹はというと、とくに驚いたふうはない。むしろ、あっさりと告白した弓月が残念でしょうがないといった表情だ。
もしや、と照勇は考えた。『寝台の上でぴょんぴょんと莫迦みたいに跳びはねていました』と言って欲しかったのか。
だがうかつにのってしまったらウソを重ねてしまうことになる。知事の優しさなのか、意地の悪さなのか。この知事は得体がしれない。
「そのウソはおまえが考えたのか。それとも」
丁禹は朱老太婆を横目で見る。
「そう言えと教えられたのか」
「まあ驚いた! なんてたちの悪い子なんだろう。女将をあざむこうなんて。すっかり騙されちまったよあたしは!」
朱老太婆は弓月を見捨てることにしたらしい。
弓月は言い訳をせずにただ頭を下げた。
「強く押したつもりはありませんでした。まさか亡くなってしまうなんて、後悔で心がつぶれてしまいそうです」
「故意に殺したとは思っていない。だがウソをついたことで心証は悪い。それはわかるな」
「はい、わたしの弱さゆえの過ちです」
「弓月とやらの身柄はこちらで預かる。それでよいな」
照勇はとうとう黙って見ていられなくなった。朱老太婆におさえつけられた頭を満身の力でぐいと持ち上げた。
「丁禹さま、弓月が我が身可愛さでウソをついたことなど、とうにお見通しであったことでしょう。少しでも己が罪を軽くしたいと考えるのは弱き人間の性ですから」
「これ、五娘。図々しい」
朱老太婆が照勇の肩をつかんだが、照勇は身を捩って振り払った。
「はい、さようで」
朱太老婆は身をすくめて何度も頭を下げた。
戸口の隙間から、騒ぎを聞きつけた妓女や遊客らが好奇に満ちた顔をのぞかせる。まるで芝居の一幕を楽しんでいるようだ。
その後ろを通り過ぎたのは沢蓮至と殺し屋だ。蓮至だけはほんのわずかな憐憫の眼差しを照勇に投げかけたものの、殺し屋たちはまったく興味を示さずに人混みをすり抜けて階下に向かっていった。照勇の死体を探しにいくのだろう。
「なにがあったのか話しなさい。なぜ客の額に傷があったのか」
丁禹の声音は優しげだ。
朱老太婆は愛想笑いを浮かべ、猫なで声で弓月を促す。
「包み隠さずすべてお話しするんですよ。恐れることはないからね」
弓月は朱老太婆の脚本どおりに語った。
照勇の胸は緊張でどくどくと脈を打った。
「なるほど、この柱に頭を打ちつけたのか。食い違いはなさそうだな」
丁禹は柱を丹念に調べた。
「ところで心配はしなかったのか。すぐに医者を呼べば助かったかもしれないのに」
「絶対助けましたとも」
知事と同道した医者は大袈裟に嘆いてみせた。
「大事だとは思いませんでした。すぐに寝息を立ててしまわれたので……」
弓月の声は震え出した。
「酒をかなり飲んでいたようだな」
朱老太婆が首肯する。
「はい、よく食べてよく飲まれておいででしたねえ。あの方はうちが出すお酒をことのほか気に入っておられたのです。ぐっすり寝てしまっても当然だと思いますねえ」
「額を……ぶつけただけで、とくに痛がるようすもなかったものですから……」
弓月の声がどんどんか細くなる。
「それで放置したというのか」
丁禹は眉を寄せた。
このままでは弓月のせいにされかねない。そう思うと口を開かずにはいられなかった。
「知事さまにおかれましては、死因は頭をぶつけたことだとお考えですか?」
照勇が問うと、初めてそこの人が居ることに気づいたようすで丁禹は目を瞬かせた。
「死因の特定は難しいものだ」
丁禹に視線を向けられた医者は、あとを引き取る。
「頭部の怪我か蛇の毒か、あるいは複合的なものか、それ以外なのか。出血はこのわたしがなんとか食い止めることに成功しましたのに、本当に残念なことです」
しみじみとした医者の口調だが、有能さを加味することを怠らなかった。
死因が特定されていないとなると、追及はより一層厳しくなりそうだ。
案の定、丁禹が続ける。
「茶商の王氏は不運が重なったなど納得がいかないらしい。まあ、たしかに、足を滑らせて頭部を強打したところに、たまたま入りこんだ蛇に股間を噛みつかれたなど、滑稽だからな。誰かに仕組まれたと言ってはばからない」
かえすがえすも蛇に股間を噛ませてしまったのは大失敗だったと照勇は悔いた。
「死者の名誉を傷つけたくはない。だからといって頭部を強打した事故で死んだと決めつけるわけにもいかぬ。わざわざ現場に赴いたのは真実を見極めるためだ。そこの童女は弓月の朋輩か。意見があるなら申せ」
「め、めっそうもない。この子はあとできつく折檻いたします」
朱老太婆は照勇の頭をおさえて床に伏した。
丁禹はあごをさすりながら眉をしかめた。
「なぜ柱の傷は寝台の内側にあるのだ。傷の位置と角度を考えると、足を滑らせてぶつけたとは考えにくい。それとも寝台の上でぴょんぴょんと莫迦みたいに跳びはねていたのか。であれば自業自得だな。弓月とやら、そのときのようすを答えよ」
「あ、あの……申し訳ありません、ウソをつきました」
弓月は頭を垂れた。
朱老太婆が喉の奥で「ひ」と声をあげる。照勇も息を飲んだ。
「本当は、わたしが、突き飛ばしたのです」
弓月は声を詰まらせながら話した。
一方、丁禹はというと、とくに驚いたふうはない。むしろ、あっさりと告白した弓月が残念でしょうがないといった表情だ。
もしや、と照勇は考えた。『寝台の上でぴょんぴょんと莫迦みたいに跳びはねていました』と言って欲しかったのか。
だがうかつにのってしまったらウソを重ねてしまうことになる。知事の優しさなのか、意地の悪さなのか。この知事は得体がしれない。
「そのウソはおまえが考えたのか。それとも」
丁禹は朱老太婆を横目で見る。
「そう言えと教えられたのか」
「まあ驚いた! なんてたちの悪い子なんだろう。女将をあざむこうなんて。すっかり騙されちまったよあたしは!」
朱老太婆は弓月を見捨てることにしたらしい。
弓月は言い訳をせずにただ頭を下げた。
「強く押したつもりはありませんでした。まさか亡くなってしまうなんて、後悔で心がつぶれてしまいそうです」
「故意に殺したとは思っていない。だがウソをついたことで心証は悪い。それはわかるな」
「はい、わたしの弱さゆえの過ちです」
「弓月とやらの身柄はこちらで預かる。それでよいな」
照勇はとうとう黙って見ていられなくなった。朱老太婆におさえつけられた頭を満身の力でぐいと持ち上げた。
「丁禹さま、弓月が我が身可愛さでウソをついたことなど、とうにお見通しであったことでしょう。少しでも己が罪を軽くしたいと考えるのは弱き人間の性ですから」
「これ、五娘。図々しい」
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