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第2-8話 起きない客
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夕飯は客の食べ残しだった。
酒肆の灯りを落とし、後片付けを終えたころは深夜といってもいい時間で、寝場所として与えられたのは物置のような雑魚寝部屋だった。寝藁に布を被せてあるだけで布団はない。
下働きの女の子三人と一緒にひとつきりの火鉢を囲んで暖を取る。風呂はあっても見習いは使わせてもらえない。厠の近くで冷たい水を浴びるだけだ。
「これで八百文の生活費をとるなんて」
ぼったくりきわまれりだ。照勇がぼやくと、みなが溜息をついた。
なにげなく身の上を聞いてみた。親に売られた者、さらわれた者、拐かされた者。存在しない借金を負わされているのも、みな一緒だった。字が読めないので契約証文になにが書かれているかわからなかったのだという。
「もう一人、今日入った子がいたよね。さっそく客がついたの?」
弓月について訊ねられた。照勇は曖昧にうなづく。
「相手は茶商の息子でしょ。姐さんをとっかえひっかえする、いやな男よ」
「でも旦那になってくれたら手堅いわよ」
彼女たちが客をよく観察しているとわかって、照勇は身を乗り出した。
「黒革の眼帯をつけた男と一緒にいた、ひょろりとした書生風、見た?」
「四人組の一人ね。あの人たち、衝立で囲んじゃって、なんか陰気だったよね」
「官符持ちだそうだから厄介よ」
「どこの房室にあがったか、わかる?」
「さあ。朱老太婆が知ってると思うわ」
見習いの少女たちは厄介者には興味がないようだ。
「明日も朝からこきつかわれるんだから、もう寝よう。五娘、おやすみ」
少女たちは横になるとすぐに寝息を立てた。
照勇も目をつむったが神経が高ぶって眠れない。天井を見上げる。この上のどこかに自分の命を狙っている殺し屋がいるのだ。目を背けるように二度三度と身体を転がした。
「眠れないの?」
隣で横になっていた少女が、気遣って話しかけてくれた。
「ごめん、起こしちゃったね。……どうやったら外に出られるか考えてた。酒肆の入口と庭の門以外に外に出られるところ、あるかな」
「やめたほうがいいよ。以前抜け出した子は用心棒に連れ戻されたから」
別の少女がむくりと身体を起こした。
「その子、天井の梁につるされて棒で打たれて死んじゃった……」
「殺されたの!?」
妓女と見習いの全員を集め、目の前で拷問をしたのだという。見せしめというやつだろう。
「なんとかして逃げ出したい」
「……無理だよ。誰も助けてくれない」
「おとなしくしているほうが身のためだよ」
「そうよ。従順でいれば、姐さんからお菓子をいただけたり、おさがりの服をもらえるから、悪いことばかりではないよ」
「逆らうより慣れたほうがいい」
見せしめの効果は絶大だ。
照勇はもうなにも言えなかった。
まわりから規則正しい寝息が聞こえ始めたころ、照勇はそっと部屋を出た。
案の定、店の入り口にはしっかりと錠がかかっていた。あきらめて二階に向かった。
階段はさらに上に通じている。こっそりと三階にあがってみたが二階と同様に、廊下には窓がない。部屋の中をのぞけそうな隙間も、当然だが、ない。部屋数が多すぎて、どこに沢蓮至がいるか見当もつかない。
拷問されるのはいやだが、理由もわからずに殺し屋の手に掛かるのはもっと嫌だ。
照勇は袖の中に小刀を隠し持っている。厨房から盗んだものだ。沢蓮至の首に突きつけてでも問い詰めたい。
彼だけをどこかに呼び出す方法はないだろうか。
廊下の燈火が揺らいだ。見ると、炎のまわりを蛾が舞っている。火に近づきすぎた蛾は翅を焦がしてはたりと落ちた。
小火を起こして「火事だ」と叫んでみたらどうだろうか。
燈火に手を伸ばしたとき、背後から肩をつかまれた。
「ひっ……!」
「五娘……怖い……」
振り返ると、弓月が青い顔をして立っていた。
「弓月……?」
「どうしよう……どうしたらいいのか……」
「お客さんとなにかあったの?」
弓月が客と部屋に上がってから、ずいぶんと経っている。
「来て、五娘」
あてがわれたという部屋にいくと、寝台の上で客が大いびきをかいていた。
「声をかけても揺すっても、目を覚まさないの」
「酔いつぶれちゃったんじゃないの?」
酒臭い。だが弓月は頭を振った。
「部屋に入るやいなや押し倒されたの。乱暴でびっくりしちゃって、思わず押し退けたのよ。そしたらよろめいて寝台の柱に頭をぶつけて、ぱたりと動かなくなって……。でも息はしているから眠っちゃったのかと安心したんだけど、今度はいくら待っても目を覚まさないし。そのうちいびきが大きくなってきて……ねえ、この人、生きてると思う?」
いびきをかいているのだから生きてるにきまっている。
だが照勇が叩いても、まぶたを指でこじ開けても、耳元で大声を出しても、目を覚ます気配がない。さすがに照勇も怖くなった。
「朱老太婆に相談してくる。弓月はここで待ってて」
慌てて飛び出した照勇は、誰かとぶつかってその場で尻餅をついた。
「おや、すまん。教えておくれ。厠は一階だったかな」
「……!」
照勇の手を取って立たせてくれたのは沢蓮至だった。
酒肆の灯りを落とし、後片付けを終えたころは深夜といってもいい時間で、寝場所として与えられたのは物置のような雑魚寝部屋だった。寝藁に布を被せてあるだけで布団はない。
下働きの女の子三人と一緒にひとつきりの火鉢を囲んで暖を取る。風呂はあっても見習いは使わせてもらえない。厠の近くで冷たい水を浴びるだけだ。
「これで八百文の生活費をとるなんて」
ぼったくりきわまれりだ。照勇がぼやくと、みなが溜息をついた。
なにげなく身の上を聞いてみた。親に売られた者、さらわれた者、拐かされた者。存在しない借金を負わされているのも、みな一緒だった。字が読めないので契約証文になにが書かれているかわからなかったのだという。
「もう一人、今日入った子がいたよね。さっそく客がついたの?」
弓月について訊ねられた。照勇は曖昧にうなづく。
「相手は茶商の息子でしょ。姐さんをとっかえひっかえする、いやな男よ」
「でも旦那になってくれたら手堅いわよ」
彼女たちが客をよく観察しているとわかって、照勇は身を乗り出した。
「黒革の眼帯をつけた男と一緒にいた、ひょろりとした書生風、見た?」
「四人組の一人ね。あの人たち、衝立で囲んじゃって、なんか陰気だったよね」
「官符持ちだそうだから厄介よ」
「どこの房室にあがったか、わかる?」
「さあ。朱老太婆が知ってると思うわ」
見習いの少女たちは厄介者には興味がないようだ。
「明日も朝からこきつかわれるんだから、もう寝よう。五娘、おやすみ」
少女たちは横になるとすぐに寝息を立てた。
照勇も目をつむったが神経が高ぶって眠れない。天井を見上げる。この上のどこかに自分の命を狙っている殺し屋がいるのだ。目を背けるように二度三度と身体を転がした。
「眠れないの?」
隣で横になっていた少女が、気遣って話しかけてくれた。
「ごめん、起こしちゃったね。……どうやったら外に出られるか考えてた。酒肆の入口と庭の門以外に外に出られるところ、あるかな」
「やめたほうがいいよ。以前抜け出した子は用心棒に連れ戻されたから」
別の少女がむくりと身体を起こした。
「その子、天井の梁につるされて棒で打たれて死んじゃった……」
「殺されたの!?」
妓女と見習いの全員を集め、目の前で拷問をしたのだという。見せしめというやつだろう。
「なんとかして逃げ出したい」
「……無理だよ。誰も助けてくれない」
「おとなしくしているほうが身のためだよ」
「そうよ。従順でいれば、姐さんからお菓子をいただけたり、おさがりの服をもらえるから、悪いことばかりではないよ」
「逆らうより慣れたほうがいい」
見せしめの効果は絶大だ。
照勇はもうなにも言えなかった。
まわりから規則正しい寝息が聞こえ始めたころ、照勇はそっと部屋を出た。
案の定、店の入り口にはしっかりと錠がかかっていた。あきらめて二階に向かった。
階段はさらに上に通じている。こっそりと三階にあがってみたが二階と同様に、廊下には窓がない。部屋の中をのぞけそうな隙間も、当然だが、ない。部屋数が多すぎて、どこに沢蓮至がいるか見当もつかない。
拷問されるのはいやだが、理由もわからずに殺し屋の手に掛かるのはもっと嫌だ。
照勇は袖の中に小刀を隠し持っている。厨房から盗んだものだ。沢蓮至の首に突きつけてでも問い詰めたい。
彼だけをどこかに呼び出す方法はないだろうか。
廊下の燈火が揺らいだ。見ると、炎のまわりを蛾が舞っている。火に近づきすぎた蛾は翅を焦がしてはたりと落ちた。
小火を起こして「火事だ」と叫んでみたらどうだろうか。
燈火に手を伸ばしたとき、背後から肩をつかまれた。
「ひっ……!」
「五娘……怖い……」
振り返ると、弓月が青い顔をして立っていた。
「弓月……?」
「どうしよう……どうしたらいいのか……」
「お客さんとなにかあったの?」
弓月が客と部屋に上がってから、ずいぶんと経っている。
「来て、五娘」
あてがわれたという部屋にいくと、寝台の上で客が大いびきをかいていた。
「声をかけても揺すっても、目を覚まさないの」
「酔いつぶれちゃったんじゃないの?」
酒臭い。だが弓月は頭を振った。
「部屋に入るやいなや押し倒されたの。乱暴でびっくりしちゃって、思わず押し退けたのよ。そしたらよろめいて寝台の柱に頭をぶつけて、ぱたりと動かなくなって……。でも息はしているから眠っちゃったのかと安心したんだけど、今度はいくら待っても目を覚まさないし。そのうちいびきが大きくなってきて……ねえ、この人、生きてると思う?」
いびきをかいているのだから生きてるにきまっている。
だが照勇が叩いても、まぶたを指でこじ開けても、耳元で大声を出しても、目を覚ます気配がない。さすがに照勇も怖くなった。
「朱老太婆に相談してくる。弓月はここで待ってて」
慌てて飛び出した照勇は、誰かとぶつかってその場で尻餅をついた。
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