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第1-10話 薬種商
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「姉さん、寝てるだけの人がいるね」
ござの上であぐらをかき、こっくりこっくりと船をこいでいる老人がいる。売り物を並べているようすはない。
「あれは、物乞いというんだ」
物乞いのござに通りすがりの野菜売りがしなびた人参を置いていった。売り物にならないが捨てるのも惜しいからだろうか。三娘はふいと目を背けた。
広場を抜け、また大路に入ると立派な構えの店舗が目立つようになった。気後れで足がすくむ。
「小さいが活気のある町、というのは控えめな表現だね、姉さん」
「あん? この程度の町なんて掃いて捨てるほどあるぞ。おい、ひっつくな」
「で、でも……」
「おまえ、人見知りか。人混みに酔うたちだったのか」
人生でこんなにたくさんの人を見たのが初めてなのだ。答えようがない。
三娘の裙から手を放すことはできなかった。彼女のそばにぴったりくっついていないと安心できない。
だが「怖い」などと口にできるわけもない。たとえ女の格好を強いられていても、小指の先くらいの自尊心が身体の芯でくすぶっている。
「まあよい。しなしなとしているほうが女らしく見えるからな」
「しなしななんてしていないよ」
「肩の力を抜いて、歩幅を小さく、風に揺らぐ花のように」
そういう三娘は胸を張って堂々と歩いていく。
照勇は自然と小走りになる。
「そこの凜々しいお兄さん、可愛いお嬢ちゃんにさんざし飴を買ってあげなよ。ひとつたったの十文さ」
道端の樹の下で簡易な屋台を前に飴売りが声をかけてきた。屋台には串を刺す穴が開いていて、目に鮮やか飴がけの串がたくさん突き立っている。
「あれがさんざし飴というものか……」
陽射しを浴びて、飴がけのさんざしの実がきらきらと輝いている。
……お腹が空いた。
「凜々しいお兄さん、だと」
三娘の声は重々しい。
「ありゃ、凜々しいお姉さんだったか。そっちの可愛いのは妹さんかね?」
「似てなくて悪かったな。片方だけ可愛い姉妹など、世間にたくさんいるぞ!」
三娘が腰の剣に手をかけた。飴売りは明らかに怯えている。
似ていないなどとは飴売りは言っていないのに、これじゃ言いがかりだ。
「姉さんはもう少し肩の力を抜いて、歩幅を小さく、風に揺らぐ花のように歩きましょうよ」
「そんな気持ち悪いことできるか」
理不尽だ。
飴売りは三娘の沸点の低さに戸惑っている。
下手なことを言って無心に斬られては可哀想だ。
「姉さん、さんざし飴、食べたい」
「覚えとけ、人間ってのは水さえ飲んでいれば十日くらい死なないんだぞ」
「じゃあ、あと九日なにも食べれないの?」
「まずは石栄だ。石栄に会えたらなんでも奢ってやる。薬種商に行こう。石栄の情報を探るんだ」
心臓がぎゅっと縮こまった。二度と石栄に会えないと知ったら三娘は無心になってしまうんじゃないだろうか。
俗世で腹を満たすには金がいる。だが自分は金銭の類はいっさい持っていない。
気がついたら薬種商の前についていた。間口は狭いが天井が高い。一歩中に入るとさまざまな匂いに包まれる。『五石散』『玄清中和散』『丹薬』などの文字が書かれた紙が壁に貼られている。
秘中の秘と言われる丹薬が町中で売られていることに驚いた。
「何かお探しで」
毛織物の帽子をかぶった皺深い顔の店主は、薬研の手を止めて三娘を上から下まで眺めた。客に値するか値踏みしているのだろうか。子供には用はないとみえて、こちらには目もくれない。
店主の後ろには引き出しがずらりと並んでいる。薬を保管する百味箪笥だ。百味どころか、引き出しの数は倍以上だろう。
「この町唯一の薬種商というのはこちらですか。夜尿症に効く薬を求めたいのですが」
三娘はそう言ってこちらを顎でしゃくる。打ち合わせもないままにおねしょぐせのある妹役をふられて、頬がかっと熱くなった。
「あることはあるが、薬ってのは概して安くはないもんだよ」
店主は身の程知らずの客だと踏んだようだ。
「じつは他の町で良く効くという茸を聞いたのだ。雲よりも高い山頂にしか生じない幻の茸だとか。それほど高い値ではなかったんだが。この店は置いてないのかな。後ろにたくさんある引き出しには空気が詰まってるのかい」
「これのことかい」
不愉快そうに顔をしかめ、店主は引き出しの一つを取り出して勘定台に置いた。
三娘が目で「見ろ」と合図をしてくる。見覚えがある茸が数個、引き出しの中に転がっている。石栄たちが山を下りるとき、背負っているのはこれで間違いない。
三娘と視線を交わし、うなずいた。
ござの上であぐらをかき、こっくりこっくりと船をこいでいる老人がいる。売り物を並べているようすはない。
「あれは、物乞いというんだ」
物乞いのござに通りすがりの野菜売りがしなびた人参を置いていった。売り物にならないが捨てるのも惜しいからだろうか。三娘はふいと目を背けた。
広場を抜け、また大路に入ると立派な構えの店舗が目立つようになった。気後れで足がすくむ。
「小さいが活気のある町、というのは控えめな表現だね、姉さん」
「あん? この程度の町なんて掃いて捨てるほどあるぞ。おい、ひっつくな」
「で、でも……」
「おまえ、人見知りか。人混みに酔うたちだったのか」
人生でこんなにたくさんの人を見たのが初めてなのだ。答えようがない。
三娘の裙から手を放すことはできなかった。彼女のそばにぴったりくっついていないと安心できない。
だが「怖い」などと口にできるわけもない。たとえ女の格好を強いられていても、小指の先くらいの自尊心が身体の芯でくすぶっている。
「まあよい。しなしなとしているほうが女らしく見えるからな」
「しなしななんてしていないよ」
「肩の力を抜いて、歩幅を小さく、風に揺らぐ花のように」
そういう三娘は胸を張って堂々と歩いていく。
照勇は自然と小走りになる。
「そこの凜々しいお兄さん、可愛いお嬢ちゃんにさんざし飴を買ってあげなよ。ひとつたったの十文さ」
道端の樹の下で簡易な屋台を前に飴売りが声をかけてきた。屋台には串を刺す穴が開いていて、目に鮮やか飴がけの串がたくさん突き立っている。
「あれがさんざし飴というものか……」
陽射しを浴びて、飴がけのさんざしの実がきらきらと輝いている。
……お腹が空いた。
「凜々しいお兄さん、だと」
三娘の声は重々しい。
「ありゃ、凜々しいお姉さんだったか。そっちの可愛いのは妹さんかね?」
「似てなくて悪かったな。片方だけ可愛い姉妹など、世間にたくさんいるぞ!」
三娘が腰の剣に手をかけた。飴売りは明らかに怯えている。
似ていないなどとは飴売りは言っていないのに、これじゃ言いがかりだ。
「姉さんはもう少し肩の力を抜いて、歩幅を小さく、風に揺らぐ花のように歩きましょうよ」
「そんな気持ち悪いことできるか」
理不尽だ。
飴売りは三娘の沸点の低さに戸惑っている。
下手なことを言って無心に斬られては可哀想だ。
「姉さん、さんざし飴、食べたい」
「覚えとけ、人間ってのは水さえ飲んでいれば十日くらい死なないんだぞ」
「じゃあ、あと九日なにも食べれないの?」
「まずは石栄だ。石栄に会えたらなんでも奢ってやる。薬種商に行こう。石栄の情報を探るんだ」
心臓がぎゅっと縮こまった。二度と石栄に会えないと知ったら三娘は無心になってしまうんじゃないだろうか。
俗世で腹を満たすには金がいる。だが自分は金銭の類はいっさい持っていない。
気がついたら薬種商の前についていた。間口は狭いが天井が高い。一歩中に入るとさまざまな匂いに包まれる。『五石散』『玄清中和散』『丹薬』などの文字が書かれた紙が壁に貼られている。
秘中の秘と言われる丹薬が町中で売られていることに驚いた。
「何かお探しで」
毛織物の帽子をかぶった皺深い顔の店主は、薬研の手を止めて三娘を上から下まで眺めた。客に値するか値踏みしているのだろうか。子供には用はないとみえて、こちらには目もくれない。
店主の後ろには引き出しがずらりと並んでいる。薬を保管する百味箪笥だ。百味どころか、引き出しの数は倍以上だろう。
「この町唯一の薬種商というのはこちらですか。夜尿症に効く薬を求めたいのですが」
三娘はそう言ってこちらを顎でしゃくる。打ち合わせもないままにおねしょぐせのある妹役をふられて、頬がかっと熱くなった。
「あることはあるが、薬ってのは概して安くはないもんだよ」
店主は身の程知らずの客だと踏んだようだ。
「じつは他の町で良く効くという茸を聞いたのだ。雲よりも高い山頂にしか生じない幻の茸だとか。それほど高い値ではなかったんだが。この店は置いてないのかな。後ろにたくさんある引き出しには空気が詰まってるのかい」
「これのことかい」
不愉快そうに顔をしかめ、店主は引き出しの一つを取り出して勘定台に置いた。
三娘が目で「見ろ」と合図をしてくる。見覚えがある茸が数個、引き出しの中に転がっている。石栄たちが山を下りるとき、背負っているのはこれで間違いない。
三娘と視線を交わし、うなずいた。
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