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第1-1 襲撃
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普丹国、第十三代皇帝の時代、十歳の少年が仲間と旅をする物語。
++++++++
ぽっかりとあいた黒い穴から氷混じりの風が吹きあがる。
目に見えない千本の針が、英照勇の肌を刺した。
「ううう、寒い」
おまるにしておけばよかったと後悔し、だがすぐに恥ずかしくなって頭を振った。十歳にもなって甘えぐせが抜けない。両の手のひらで腿を殴った。
いまの自分は英雄豪傑とはほど遠いが、その距離を近づけるためには行動あるのみ。
寒風を押し戻す勢いで漆黒の穴に放尿した。
早く寝室に戻って、語の続きが読みたい。江湖の英雄が悪党を成敗して、公主を助ける話に没頭したい。
寝る前の読書は欠かせない日課だった。夢の中で続きを見れたら幸せだ。自分が主人公になって縦横無尽に活躍できる。
照勇は目に見えない剣を天井に振り上げ、目に見えない悪漢を斬る真似をした。
脇廊を小走りで寝殿に向かう。左には経巻や書物を収蔵する経堂がある。経堂には火事を防ぐため常夜灯がないので脇廊は薄暗い。
「ん?」
布靴の下でぺちゃっと嫌な感触がした。水にしては粘り気のあるそれは、目を凝らしてよく見ると赤い色をしていた。
鉄の匂い。赤い水を辿った先におまるが転がっていた。
転がっていたのはおまるだけではない。男が床に伏していた。
従者の石栄だ。背中が斜めに斬り裂かれている。
「石栄!」
身体を揺さぶると、口がだらりと開いて喉の奥が見えた。
死んでいる。
転んだときに運悪く刃物で傷つけたのか、と思ったが、肝心の刃物が見当たらない。
誰かが殺意を抱いて石英を殺したのだ。
「蓮至、助けて」
照勇はおもわず、もう一人の従者の名を呼んだ。
だが沢蓮至は食料の買い出しに行って今夜は帰ってこないことを思い出した。
いま道観にいて息をしているのは自分と、石栄を殺した人間しかいない。
その事実は、照勇の心臓を凍らせた。
「ど、どうしよう」
「おい、そっちにいたか」
複数の足音と胴間声がした。いそいで物陰に隠れる。
「思っていたより立派な道観だな。部屋数が多い」
「手間をかけさせやがる」
「崖上の廟も見てこい。見つけ次第、ガキを殺せ」
遠ざかる物音。叫びそうになる口を押さえて、おそるおそる通廊を覗く。人影がないことを確認すると這うようにして厠に逃げ戻った。
「あいつら、何者だろう」
男、だった。大人の男が数人。
照勇はこれまで従者以外の人間を見たことがなかった。どころか山を降りたことさえない。
下山は禁止されていた。いずれ道観の観主になる身と決まっているので、高望みはせず、 俗世とは距離をとることが肝要だと教え込まれ、素直に従ってきた。
静かで平穏な道観でぬくぬくするのは性に合っていた。
「なのに……」
暴虐な力がぼくの世界を壊そうとしているのか。
ごろつきが暴れるのは創作の中だけで充分だ。ぼくにとって石英は家族のような存在だった。なのに彼の死体に触れたとたん、吐き気さえおぼえた。石英は異質な何かに変わってしまったような気がした。
死を生まれて初めて意識したのだ。恐怖に喉を絞められたのだ。
連中は『ガキ』を殺そうと探している。そのガキはぼく以外にありえないではないか。
「ううう」
大勢の大人が捜し回ればいずれ見つかる。厠に隠れても無意味だ、逃げ場はない。
さっき排泄したばかりなのに、胴がぶると震えた。
「おや?」
「うひゃあ」
見つかった。
排泄用の穴から白い仮面をつけた頭部が現れた。
「英照勇だな」
疑問ではなく確信をこめた声音だった。不気味な仮面がこちらを見上げている。
理由もわからず殺されるのはいやだ。
「なんでぼくを殺そうとするの? せめて理由だけは教えて」
素早く周囲に視線をめぐらせたが、武器になりそうなものはない。素手で戦うしかない。物語の中の英雄のように、内功を溜めて、全力で反撃するしかない。
型を決めると、それを見た白仮面は軽快な笑い声をあげた。
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ぽっかりとあいた黒い穴から氷混じりの風が吹きあがる。
目に見えない千本の針が、英照勇の肌を刺した。
「ううう、寒い」
おまるにしておけばよかったと後悔し、だがすぐに恥ずかしくなって頭を振った。十歳にもなって甘えぐせが抜けない。両の手のひらで腿を殴った。
いまの自分は英雄豪傑とはほど遠いが、その距離を近づけるためには行動あるのみ。
寒風を押し戻す勢いで漆黒の穴に放尿した。
早く寝室に戻って、語の続きが読みたい。江湖の英雄が悪党を成敗して、公主を助ける話に没頭したい。
寝る前の読書は欠かせない日課だった。夢の中で続きを見れたら幸せだ。自分が主人公になって縦横無尽に活躍できる。
照勇は目に見えない剣を天井に振り上げ、目に見えない悪漢を斬る真似をした。
脇廊を小走りで寝殿に向かう。左には経巻や書物を収蔵する経堂がある。経堂には火事を防ぐため常夜灯がないので脇廊は薄暗い。
「ん?」
布靴の下でぺちゃっと嫌な感触がした。水にしては粘り気のあるそれは、目を凝らしてよく見ると赤い色をしていた。
鉄の匂い。赤い水を辿った先におまるが転がっていた。
転がっていたのはおまるだけではない。男が床に伏していた。
従者の石栄だ。背中が斜めに斬り裂かれている。
「石栄!」
身体を揺さぶると、口がだらりと開いて喉の奥が見えた。
死んでいる。
転んだときに運悪く刃物で傷つけたのか、と思ったが、肝心の刃物が見当たらない。
誰かが殺意を抱いて石英を殺したのだ。
「蓮至、助けて」
照勇はおもわず、もう一人の従者の名を呼んだ。
だが沢蓮至は食料の買い出しに行って今夜は帰ってこないことを思い出した。
いま道観にいて息をしているのは自分と、石栄を殺した人間しかいない。
その事実は、照勇の心臓を凍らせた。
「ど、どうしよう」
「おい、そっちにいたか」
複数の足音と胴間声がした。いそいで物陰に隠れる。
「思っていたより立派な道観だな。部屋数が多い」
「手間をかけさせやがる」
「崖上の廟も見てこい。見つけ次第、ガキを殺せ」
遠ざかる物音。叫びそうになる口を押さえて、おそるおそる通廊を覗く。人影がないことを確認すると這うようにして厠に逃げ戻った。
「あいつら、何者だろう」
男、だった。大人の男が数人。
照勇はこれまで従者以外の人間を見たことがなかった。どころか山を降りたことさえない。
下山は禁止されていた。いずれ道観の観主になる身と決まっているので、高望みはせず、 俗世とは距離をとることが肝要だと教え込まれ、素直に従ってきた。
静かで平穏な道観でぬくぬくするのは性に合っていた。
「なのに……」
暴虐な力がぼくの世界を壊そうとしているのか。
ごろつきが暴れるのは創作の中だけで充分だ。ぼくにとって石英は家族のような存在だった。なのに彼の死体に触れたとたん、吐き気さえおぼえた。石英は異質な何かに変わってしまったような気がした。
死を生まれて初めて意識したのだ。恐怖に喉を絞められたのだ。
連中は『ガキ』を殺そうと探している。そのガキはぼく以外にありえないではないか。
「ううう」
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さっき排泄したばかりなのに、胴がぶると震えた。
「おや?」
「うひゃあ」
見つかった。
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「英照勇だな」
疑問ではなく確信をこめた声音だった。不気味な仮面がこちらを見上げている。
理由もわからず殺されるのはいやだ。
「なんでぼくを殺そうとするの? せめて理由だけは教えて」
素早く周囲に視線をめぐらせたが、武器になりそうなものはない。素手で戦うしかない。物語の中の英雄のように、内功を溜めて、全力で反撃するしかない。
型を決めると、それを見た白仮面は軽快な笑い声をあげた。
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