3 / 53
序章 家
3
しおりを挟む
「はあ? 座敷童子?」
「ヤスさんが、あ、ほら畑の向こうにある家、ヤスさんっておばさん、覚えてる?」
「ああ、いたなあ」
「ヤスさんがね、この家の窓とかに子供の姿を見たことがあるんだって」
うっかりと盗み聞きする形になってしまったが、ヤスさんがそんなことを言うなんて信じられない。座敷童子など見たことも聞いたこともない。ヤスさんの口から聞くのも初めてだ。
長年のつきあいだが、裏表のない穏やかな人だと思っていた。久しぶりに戻ってきた子供には怖い話を聞かせてやることがサービスだとでも勘違いしているのだろうか。わたしにはなんと言い訳する気だろう。
きゃっきゃとはしゃぐ穂乃果は、狙いどおりに喜んでいるようだ。
ところが幸太郎は、
「やっぱ東京にいたほうがよかったんじゃないかな……?」
怯えたようすで、きょろきょろとあたりに視線を飛ばしている。
「座敷童子ならいいじゃない。見たら幸運が舞い込むとか、金持ちになれるとか聞くし」
「い、いや、物の怪だろ、見たくないよ」幸太郎はぶるぶると身体を震わせている。「もしかしたら子供の幽霊かも知れないじゃないか」
「……でもこの家で子供が死んだことはないでしょ。幽霊とかじゃないと思うんだよね。あ、浮遊霊ならありうるのかな」
「ひ、よせよ……!」
幸太郎は怖い話が苦手だ。年相応の落ち着きがない。笑い飛ばすのはかんたんだが、本人はいたって真剣だ。
「あっれ、兄さん、そんなに怪談嫌いだったっけ。まあ、でもさ、ヤスさんも老眼で見間違えたのかもしれないよね」
空気を読んだのか、穂乃果が強引に話を終わらせた。
「なあ、やっぱりなんかいる気配がするんだ……東京に戻……」
幸太郎が言い出す前に、いま通りかかったふうを装って、明るく声をかけた。
「若いくせに爺むさく縮こまってなにしてんだい、幸太郎。ほら、立ち上がって、スキップでもしてごらんよ」
穂乃果が腕組みをして動かない幸太郎を見下ろす。
「あせらず静養しろって主治医の先生もおっしゃってたじゃない、兄さん。絶好の場所だよ、ここは」
穂乃果の声に苛立ちが滲む。
「それにマンションの契約、解除しちゃったし。戻るとこ、もうないよ」
「探せばいい。ネットでも見つかる」
「かんたんに言うけどさあ、探すのはいいけど、費用はどうすんの」
「どうすんのって、おまえ……」
「おばあちゃんちなら家賃タダじゃん。ちょっと古いけど、広いんだから、文句言わないでよ。いまは贅沢言っていられないことくらいわかってるでしょ」
幸太郎は言葉に詰まって、目を伏せた。
「……おまえはいいよ。場所を選ばない仕事だし、霊感がないんだから」
「幸太郎は幽霊を見ちゃうほど繊細だったかしら」
わたしは小さく嘆息をついた。言い訳にしても呆れるほど幼い。
「絶対いるよ、ここ」
「霊感なんて兄さんもなかったじゃない。病気になると視えるようになるの? そんなのきいたことないよ」
「ちぇ」
「東京に戻りたいという兄さんの気持ちもわからなくはないけど、わたしも引き払って来たんだよ。なにも一生ここで暮らせと言ってるわけじゃないし」
「そうよ。元気な体になるまでは我慢しなさいね」
「わたしたちには金銭的余裕がないんだから。手始めにルンバでも売る?」
二人がかりでせめられて、幸太郎はしゅんとなった。
ルンバとは幸太郎がお気に入りのロボット掃除機というものらしい。処分する勇気が出なかったと携えてきたのだ。
口論は小さな頃からいつも穂乃果が勝つ。思いつきのわがままを振りかざす兄と、何事にも慎重で現実的な妹。
穂乃果はまだ言い足りないようだ。
「古い家だからお化けとか座敷童子とかいてもおかしくないけど、だとしても、別にいいじゃん。わたしとちがって、兄さんは誰とでもすぐ仲よくなれる特技があるんだもん。お金ももったいないし。わたしは零細個人事業主だし、兄さんは無職だし」
「ぐ」
わたしは苦笑をこらえた。
「ヤスさんに野菜もらったよ。これから仲よくしてさ、畑手伝いにいこうよ。静養するってのは寝て過ごせってことじゃないんだからね。無理のないていどに身体を動かそう。余計なこと考えると落ち込むだけだよ」
職も貯金も健康も失った兄に比べて、頼りになる妹だ。
「おまえがいてくれて……よかったよ」
「ヤスさんが、あ、ほら畑の向こうにある家、ヤスさんっておばさん、覚えてる?」
「ああ、いたなあ」
「ヤスさんがね、この家の窓とかに子供の姿を見たことがあるんだって」
うっかりと盗み聞きする形になってしまったが、ヤスさんがそんなことを言うなんて信じられない。座敷童子など見たことも聞いたこともない。ヤスさんの口から聞くのも初めてだ。
長年のつきあいだが、裏表のない穏やかな人だと思っていた。久しぶりに戻ってきた子供には怖い話を聞かせてやることがサービスだとでも勘違いしているのだろうか。わたしにはなんと言い訳する気だろう。
きゃっきゃとはしゃぐ穂乃果は、狙いどおりに喜んでいるようだ。
ところが幸太郎は、
「やっぱ東京にいたほうがよかったんじゃないかな……?」
怯えたようすで、きょろきょろとあたりに視線を飛ばしている。
「座敷童子ならいいじゃない。見たら幸運が舞い込むとか、金持ちになれるとか聞くし」
「い、いや、物の怪だろ、見たくないよ」幸太郎はぶるぶると身体を震わせている。「もしかしたら子供の幽霊かも知れないじゃないか」
「……でもこの家で子供が死んだことはないでしょ。幽霊とかじゃないと思うんだよね。あ、浮遊霊ならありうるのかな」
「ひ、よせよ……!」
幸太郎は怖い話が苦手だ。年相応の落ち着きがない。笑い飛ばすのはかんたんだが、本人はいたって真剣だ。
「あっれ、兄さん、そんなに怪談嫌いだったっけ。まあ、でもさ、ヤスさんも老眼で見間違えたのかもしれないよね」
空気を読んだのか、穂乃果が強引に話を終わらせた。
「なあ、やっぱりなんかいる気配がするんだ……東京に戻……」
幸太郎が言い出す前に、いま通りかかったふうを装って、明るく声をかけた。
「若いくせに爺むさく縮こまってなにしてんだい、幸太郎。ほら、立ち上がって、スキップでもしてごらんよ」
穂乃果が腕組みをして動かない幸太郎を見下ろす。
「あせらず静養しろって主治医の先生もおっしゃってたじゃない、兄さん。絶好の場所だよ、ここは」
穂乃果の声に苛立ちが滲む。
「それにマンションの契約、解除しちゃったし。戻るとこ、もうないよ」
「探せばいい。ネットでも見つかる」
「かんたんに言うけどさあ、探すのはいいけど、費用はどうすんの」
「どうすんのって、おまえ……」
「おばあちゃんちなら家賃タダじゃん。ちょっと古いけど、広いんだから、文句言わないでよ。いまは贅沢言っていられないことくらいわかってるでしょ」
幸太郎は言葉に詰まって、目を伏せた。
「……おまえはいいよ。場所を選ばない仕事だし、霊感がないんだから」
「幸太郎は幽霊を見ちゃうほど繊細だったかしら」
わたしは小さく嘆息をついた。言い訳にしても呆れるほど幼い。
「絶対いるよ、ここ」
「霊感なんて兄さんもなかったじゃない。病気になると視えるようになるの? そんなのきいたことないよ」
「ちぇ」
「東京に戻りたいという兄さんの気持ちもわからなくはないけど、わたしも引き払って来たんだよ。なにも一生ここで暮らせと言ってるわけじゃないし」
「そうよ。元気な体になるまでは我慢しなさいね」
「わたしたちには金銭的余裕がないんだから。手始めにルンバでも売る?」
二人がかりでせめられて、幸太郎はしゅんとなった。
ルンバとは幸太郎がお気に入りのロボット掃除機というものらしい。処分する勇気が出なかったと携えてきたのだ。
口論は小さな頃からいつも穂乃果が勝つ。思いつきのわがままを振りかざす兄と、何事にも慎重で現実的な妹。
穂乃果はまだ言い足りないようだ。
「古い家だからお化けとか座敷童子とかいてもおかしくないけど、だとしても、別にいいじゃん。わたしとちがって、兄さんは誰とでもすぐ仲よくなれる特技があるんだもん。お金ももったいないし。わたしは零細個人事業主だし、兄さんは無職だし」
「ぐ」
わたしは苦笑をこらえた。
「ヤスさんに野菜もらったよ。これから仲よくしてさ、畑手伝いにいこうよ。静養するってのは寝て過ごせってことじゃないんだからね。無理のないていどに身体を動かそう。余計なこと考えると落ち込むだけだよ」
職も貯金も健康も失った兄に比べて、頼りになる妹だ。
「おまえがいてくれて……よかったよ」
12
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

女難の男、アメリカを行く
灰色 猫
ライト文芸
本人の気持ちとは裏腹に「女にモテる男」Amato Kashiragiの青春を描く。
幼なじみの佐倉舞美を日本に残して、アメリカに留学した海人は周りの女性に振り回されながら成長していきます。
過激な性表現を含みますので、不快に思われる方は退出下さい。
背景のほとんどをアメリカの大学で描いていますが、留学生から聞いた話がベースとなっています。
取材に基づいておりますが、ご都合主義はご容赦ください。
実際の大学資料を参考にした部分はありますが、描かれている大学は作者の想像物になっております。
大学名に特別な意図は、ございません。
扉絵はAI画像サイトで作成したものです。
命の灯火 〜赤と青〜
文月・F・アキオ
ライト文芸
交通事故で亡くなったツキコは、転生してユキコという名前の人生を歩んでいた。前世の記憶を持ちながらも普通の小学生として暮らしていたユキコは、5年生になったある日、担任である園田先生が前世の恋人〝ユキヤ〟であると気付いてしまう。思いがけない再会に戸惑いながらも次第にツキコとして恋に落ちていくユキコ。
6年生になったある日、ついに秘密を打ち明けて、再びユキヤと恋人同士になったユキコ。
だけど運命は残酷で、幸せは長くは続かない。
再び出会えた奇跡に感謝して、最期まで懸命に生き抜くツキコとユキコの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる