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序章 家

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 ふとなにかに呼ばれた気がして、一階の一番奥にある仏間に向かった。
 仏壇には娘の写真と位牌いはいがある。

「帰ってきたよ。あの子達が」

 幸太郎と穂乃果の母親に話しかけた。もちろん返事があるわけではない。小さな写真の中で娘はうっすらと微笑んでいるだけだ。
 都会に出て行った娘は、わたしの知らない間に結婚し、子供を二人授かってから離婚した。食い詰めてこの家に帰ってきたとき、馬鹿な娘だと思ったし、親孝行な娘だとも思った。孫が可愛かったからだ。
 つれあいを心不全で亡くしていたわたしは口では気楽な一人暮らしもいいものだとうそぶいていたものだが、大勢で賑やかに暮らしてみれば存外に楽しく毎日が幸福だったのだ。

 しばらくは地元で働いていた娘だったが、ある日唐突に東京に戻ると言い出した。正社員として採用されたのだ。働きながら難しい資格を取得していたらしい。
 幸太郎が中学三年生になった春のことだったか。子供たちにとっても都会は希望の象徴だったのだろう。宝くじが当たったかのように喜んでいた。
 一緒に来ないかと誘われたが、わたしは田舎にとどまった。
 築百年近い古い家だが、修繕しながら大切にしてきたつもりだ。愛着がある。わたしはここで生まれ、ここで育ち、ここで死ぬと決めていたから「ぜんぜんさびしくなんかないよ」と笑いかえした。半分は強がりだったけれど。
 たまに顔を見せてくれるだけで充分だと思っていた。

 幸太郎が一流企業に就職したころ、娘は海外出張中に交通事故に遭ってあっけなく死んだ。
 就職していた幸太郎は働きながら妹を見守ってくれた。そのおかげで、穂乃果も大学を卒業できた。就職はうまくいかなかったが、趣味で始めたイラストでご飯を食べられるまでに成長したのだからたいしたものだ。

「穂乃果、どこ行った?」
「おばあちゃんにちゃんと挨拶してくる。そういえば、おばあちゃんから母さんの遺品を整理しろって言われてたの、すっかり忘れていた」

 穂乃果の声が襖ごしに聞こえてきた。遠慮がちな足音が聞こえ、穂乃果が顔を見せる。どこか浮かない顔をしている。
 仏壇の前で穂乃果は大きな息をついた。

「ちゃんと挨拶しなきゃね。ただいま戻りました、しばらく厄介になります」
「はい」
「母さんにも報告あります。えーと、このたび戻ってきた理由は──」

 穂乃果は帰郷の理由を淡々と語った。
 幸太郎の社内不倫がばれた。さらに病気が見つかり、それを理由に会社を辞めたのだという。三十そこそこの若さで肺がんの手術をしなければならなかった幸太郎は気の毒だし、つきあわされている穂乃果も運が悪かったと思う。
 ここでしばらく養生するために、二人は来たのだ。
 戻ってきたのではない。療養がすめばまた出て行くのだ。
 寂しいことだが、幸太郎の身体が治ることが一番だと思い直す。

「法事以来、かな。ここに来るの。兄さんには口が裂けても言えないけど、あんな兄さんでも、もし死んじゃったらって考えたら、胸が苦しくなって辛かった。すぐにここを思い出したよ。やっぱり……ここはいい思い出しかないし」

 広いだけが取り柄の古い家を思い出してくれたなんて嬉しいこと。
 嬉しいなんて言っては不謹慎だと怒られそうだから口には出さない。

「こんにちわ~」

 あの声は隣家のヤスさんだ。

「はーい」

 穂乃果が飛んでいった。身のこなしが軽快で羨ましい。

「あら~ひさしぶりね、ホノちゃん。綺麗になっちゃって」
「ヤスさんこそ美に磨きがかかってますね」
「あらやだ、ほんとのことだからお世辞になってないわよ。うちで取れた野菜持ってきたの。よかったら今夜はうちで夕飯食べない。コウくんも戻ってるんでしょ。ビールも用意するから」
「あ~、ありがたいんですけど……」

 ヤスさんの相手は穂乃果にまかせて、幸太郎のようすを見にいってみよう。

 幸太郎は縁側に腰掛けてこちらに背を向けていた。
 術後まもないせいだろう。背を丸めてうつむいているようすは、どこか色あせていて、亡くなる直前の夫を彷彿ほうふつとさせる。声をかけるのが躊躇ためらわれた。

「はあ」

 幸太郎は虚空こくうに息を吐く。

「ねえねえ」

 ばたばたと足音が聞こえて、つい部屋の影に隠れた。振り返った幸太郎が、背後でじっとたたずんでいた祖母をみつけたらどう思うかと考えたら勝手に身体が動いたのだ。別にうしろぐらいことをしていたわけではないけれど、本人からしたら見られたくない姿かもしれないではないか。

「この家に座敷童子ざしきわらしがいるって」
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