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『ソヴァ皇太子殿下、だいぶ時間が空きましたこと、お許しください。
 殿下よりのねぎらいのお言葉、胸に染みいりました。
 昨日、夫と遠乗りに行きました。私の馬はター・メーですわ、もちろんのこと。夫と並んで崖の上から海の凪を眺めました。肌がべったりするので潮風は苦手だと思っておりましたが、そのときはなぜか爽やかに感じました。
 外国の帆船が沖合に航行しているのがよく見えました。いつか、あの船に乗って海外に行ってみたいね、などと冗談のようなことを語り合いました。最近、夫と語り合うことが多いのです。内容は些細なことです。今日などは、果樹についた害虫を大きなピンセットみたいな道具で取りながら、たくさん実ったら、町の市場に売りに行ってはどうか、などと笑い合いました。
 機をみて殿下の結婚の噂をたずねてみたのですが、夫は少し哀しそうな顔をしておりました。「皇太子という肩書きがあると自由に結婚できるわけじゃない、国の盛衰を背負う兄にはまったく頭が上がらない」と夫は申しておりました。本当にその通りだと思います。 でも少し変ですね。夫は自由恋愛をしたわけではありません。「この娘と結婚してはどうか」と殿下に勧められて結婚したはずです。殿下の言いつけに素直に従っただけのはずです。
 あのときは、なんて情けない男なのかしらと思わないでもありませんでした。彼は王子なのです。結婚相手はいくらでも選べたのです。皇太子殿下より自由なはずなのです。私の父は海軍士官だとはいえ、しょせん平民ですもの。
 夫は結婚に興味が無かったのかも知れません。だって誰でもかまわなかったといわんばかりではありませんか。
 でもいざ結婚してみたら、夫が上流階級の令嬢を望まなかったのはわかるような気がしました。夫の亡き母君が平民出身であるように、夫も平民の血が濃く現れているようなのです。
 先だっての手紙では、感情のコントロールが上手くいかずに恥ずかしいことを連ねてしまいました。お忘れください。
 ところで、「もう農作物は送ってこないでよろしい」ということですが、チーズは農作物には入りませんよね。良い出来なので、手紙に添えさせていただきます。私の手作りなんですよ。ソーキより』
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