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「うううう……」
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「ご馳走様でした。じゃあ、さくさく片づけちゃいましょうか」
エネルギー充填完了。甘いものはイライラをなだめる効果もあるようだ。
「疲れたねー。猫ちゃん、どこかにいないかしら」
体の奥で熾火のようにくすぶっている高揚感をなだめきれないまま、仕事を再開した。その日は集荷の依頼も多く、二人がかりでなんとか忙しい時間を乗り越えた。あとは最後の時間帯配達を残すのみだ。
下村に二軒先の配達をまかせ、野田は橋本氏の家を訪れた。昨日の今日だが、少し緊張した。
「……ああ、妻の服だね。時間指定は私が変更しておいたんだよ。受け取ってあげたかったからね。彼女は洋服が好きだったから。私は無頓着でね。骨が帰ってきたら納骨まではこれに包んであげたいと思ってるんだ」
橋本氏は沈痛な面持ちで荷物を受け取った。心労のせいだろうか、顔色はますます沈んでいた。一日しか経っていないにもかかわらず、いっそう干からびていた。何と言葉をかけたらいいか、
橋本氏の両手はラテックスの手袋をつけていた。トイレ掃除でもしていたのだろうか。
「時間がないだろうが、焼香だけでもしていってもらえないか。仏壇に遺影と位牌を用意してあるんだ」
「すいません。まだ配達中なもので」野田は頭を下げた。
「仕事中に失礼なことを言った。でも妻が不憫でね。生前に妻と顔見知りだった人には頼んでいるんだよ。たくさんの人に焼香してもらえば妻も寂しくないと思うんだ」
「あ、では、ちょっとだけ……」
数分ですむならかまわないだろう、と思い直した。たまには下村を待たせてもいい。靴を脱ごうと前かがみになったとき、肩に衝撃が走った。バチッという激しい音。筋肉が硬直して、その場にくずおれた。
「……なに、が……」
「抵抗すると、顔に当てる」
目の前に放電するスタンガンが見えた。野田の身体は本能的な恐怖で動けなくなる。
橋本は野田の手を後ろ手にして結束バンドのようなもので素早く拘束した。
「ある人から、きみが亡き妻の愛人だったときいてね。詳しく聞きたいと思っていたんだ」
「う、嘘ですよ……ぼくは奥様と関係をもったことはありません。誤解です……」
橋本は野田の背に全体重をかけた。見下ろす目は真っ赤に充血している。
誤解を解かなければ。警察がうっかり口を滑らせて、橋本に予断を与えてしまったのだろうか。
「落ち着いてください。ぼくは奥さんを殺していませ──う……っ!」
布テープで口をふさがれた。ポケットをさぐられ、仕事用のスマホを取り上げられる。そういえばぼくの個人携帯はまだ返してもらってなかった。そんなどうでもいいことが脳裏に過る。一日で二回も危険な目に合うなんてガチャがバグっている。理不尽だ。
「暴れるなよ。暴れたら心臓の上から放電するからな。電圧を最大にしてあるから、死ぬぞ」
「うううう……」
橋本は玄関の戸を開けた。「行くぞ」と言って背後から首に腕を巻きつける。もう一つの腕にはスタンガンが握られ背中に当てられた。
怖いという感情がじわじわと皮膚を這いあがってきた。状況は似ている。だがストーカー男と橋本氏はまったく違う。神社ではほとんど恐怖を感じていなかった。丹野のへたくそなダーツ以外には。
「ううう……」
「うるさい」
鋭い痛みが脇腹を刺す。橋本の言動にはためらいがない。
「よし、進め。お前の車に乗るんだ。助手席のほうにな」
外に人影がないことを確認して、橋本がこづく。
ぼくはされるがままだった。だが楽観していた。車には下村先輩が乗っているはずだ。二軒先に配達に行った先輩は、どんなに仕事が遅くても、その時点では戻ってきている充分な時間が経っている。
「よし入れ」
中を覗く。誰もいない。助手席は空いていた。
左右を見回した。人影がない。先輩、まさか野良猫を追っかけているんじゃないだろうな。
「早くしろ」
橋本は細い体のどこにそんな力があるのかという強さでぼくの尻を蹴り上げた。痛みをこらえ助手席に座る。口のテープさえとってくれたら、いくらでも弁明できるのに。
「うう、うう」
「うるさいって言ってるだろう」
橋本は布テープで助手席ごとぼくの身体をテープでぐるぐる巻きにし始めた。身動きが取れない。
途中でテープが不足すると、舌打ちをして出て行った。
荷台を回って何か物色する音が聞こえてくる。時間稼ぎをしなければ。橋本は、もう一人配達員がいることを知らないだろう。アカブタ運送はほとんどはワンマン体制で配達をしているからだ。
ぼくは一人じゃない。そう考えると心強いが、何も知らない先輩がうかうか戻ってきたら、かえって危険かもしれない。異常事態に気づいて警察に知らせてもらったほうがいい。
身体を激しく振るが座席がきしむだけだった。収納スペースを足で蹴っても、ボコボコとこもった音がするだけ。突っ張ってもテープは千切れない。がたがた動かしていたら下村先輩の食べかけのバナナがダッシュボードから落ちて制服にべったりついた。気持ち悪い。
橋本が荷台を閉める音がして運転席から乗り込んできた。手には赤い布テープを持っている。アカブタ運送の布テープだ。
「うーうー」
「足がうるさいな」
腿と足首をテープで巻かれた。まるで芋虫だ。
「現場につくまでおとなしくしていろ」
現場。現場ってどこのことだ。
橋本はエンジンをかけた。配達車両はゆっくりと発車した。
「配達車両を借りるぞ」
「う、ううー」
下村先輩、助けてください。どこにいるかわからないけど、可愛い後輩を助けてください。
祈りは虚しく、車は戸惑うことなく順調に夜道を進んだ。やがて停車した。
エネルギー充填完了。甘いものはイライラをなだめる効果もあるようだ。
「疲れたねー。猫ちゃん、どこかにいないかしら」
体の奥で熾火のようにくすぶっている高揚感をなだめきれないまま、仕事を再開した。その日は集荷の依頼も多く、二人がかりでなんとか忙しい時間を乗り越えた。あとは最後の時間帯配達を残すのみだ。
下村に二軒先の配達をまかせ、野田は橋本氏の家を訪れた。昨日の今日だが、少し緊張した。
「……ああ、妻の服だね。時間指定は私が変更しておいたんだよ。受け取ってあげたかったからね。彼女は洋服が好きだったから。私は無頓着でね。骨が帰ってきたら納骨まではこれに包んであげたいと思ってるんだ」
橋本氏は沈痛な面持ちで荷物を受け取った。心労のせいだろうか、顔色はますます沈んでいた。一日しか経っていないにもかかわらず、いっそう干からびていた。何と言葉をかけたらいいか、
橋本氏の両手はラテックスの手袋をつけていた。トイレ掃除でもしていたのだろうか。
「時間がないだろうが、焼香だけでもしていってもらえないか。仏壇に遺影と位牌を用意してあるんだ」
「すいません。まだ配達中なもので」野田は頭を下げた。
「仕事中に失礼なことを言った。でも妻が不憫でね。生前に妻と顔見知りだった人には頼んでいるんだよ。たくさんの人に焼香してもらえば妻も寂しくないと思うんだ」
「あ、では、ちょっとだけ……」
数分ですむならかまわないだろう、と思い直した。たまには下村を待たせてもいい。靴を脱ごうと前かがみになったとき、肩に衝撃が走った。バチッという激しい音。筋肉が硬直して、その場にくずおれた。
「……なに、が……」
「抵抗すると、顔に当てる」
目の前に放電するスタンガンが見えた。野田の身体は本能的な恐怖で動けなくなる。
橋本は野田の手を後ろ手にして結束バンドのようなもので素早く拘束した。
「ある人から、きみが亡き妻の愛人だったときいてね。詳しく聞きたいと思っていたんだ」
「う、嘘ですよ……ぼくは奥様と関係をもったことはありません。誤解です……」
橋本は野田の背に全体重をかけた。見下ろす目は真っ赤に充血している。
誤解を解かなければ。警察がうっかり口を滑らせて、橋本に予断を与えてしまったのだろうか。
「落ち着いてください。ぼくは奥さんを殺していませ──う……っ!」
布テープで口をふさがれた。ポケットをさぐられ、仕事用のスマホを取り上げられる。そういえばぼくの個人携帯はまだ返してもらってなかった。そんなどうでもいいことが脳裏に過る。一日で二回も危険な目に合うなんてガチャがバグっている。理不尽だ。
「暴れるなよ。暴れたら心臓の上から放電するからな。電圧を最大にしてあるから、死ぬぞ」
「うううう……」
橋本は玄関の戸を開けた。「行くぞ」と言って背後から首に腕を巻きつける。もう一つの腕にはスタンガンが握られ背中に当てられた。
怖いという感情がじわじわと皮膚を這いあがってきた。状況は似ている。だがストーカー男と橋本氏はまったく違う。神社ではほとんど恐怖を感じていなかった。丹野のへたくそなダーツ以外には。
「ううう……」
「うるさい」
鋭い痛みが脇腹を刺す。橋本の言動にはためらいがない。
「よし、進め。お前の車に乗るんだ。助手席のほうにな」
外に人影がないことを確認して、橋本がこづく。
ぼくはされるがままだった。だが楽観していた。車には下村先輩が乗っているはずだ。二軒先に配達に行った先輩は、どんなに仕事が遅くても、その時点では戻ってきている充分な時間が経っている。
「よし入れ」
中を覗く。誰もいない。助手席は空いていた。
左右を見回した。人影がない。先輩、まさか野良猫を追っかけているんじゃないだろうな。
「早くしろ」
橋本は細い体のどこにそんな力があるのかという強さでぼくの尻を蹴り上げた。痛みをこらえ助手席に座る。口のテープさえとってくれたら、いくらでも弁明できるのに。
「うう、うう」
「うるさいって言ってるだろう」
橋本は布テープで助手席ごとぼくの身体をテープでぐるぐる巻きにし始めた。身動きが取れない。
途中でテープが不足すると、舌打ちをして出て行った。
荷台を回って何か物色する音が聞こえてくる。時間稼ぎをしなければ。橋本は、もう一人配達員がいることを知らないだろう。アカブタ運送はほとんどはワンマン体制で配達をしているからだ。
ぼくは一人じゃない。そう考えると心強いが、何も知らない先輩がうかうか戻ってきたら、かえって危険かもしれない。異常事態に気づいて警察に知らせてもらったほうがいい。
身体を激しく振るが座席がきしむだけだった。収納スペースを足で蹴っても、ボコボコとこもった音がするだけ。突っ張ってもテープは千切れない。がたがた動かしていたら下村先輩の食べかけのバナナがダッシュボードから落ちて制服にべったりついた。気持ち悪い。
橋本が荷台を閉める音がして運転席から乗り込んできた。手には赤い布テープを持っている。アカブタ運送の布テープだ。
「うーうー」
「足がうるさいな」
腿と足首をテープで巻かれた。まるで芋虫だ。
「現場につくまでおとなしくしていろ」
現場。現場ってどこのことだ。
橋本はエンジンをかけた。配達車両はゆっくりと発車した。
「配達車両を借りるぞ」
「う、ううー」
下村先輩、助けてください。どこにいるかわからないけど、可愛い後輩を助けてください。
祈りは虚しく、車は戸惑うことなく順調に夜道を進んだ。やがて停車した。
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