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「最有力容疑者」
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「セクシーダイナマイトだね」
乾燥機の熱風で丹野のスラックスは二割ほど縮小していた。眼前の尻や腿はパツパツになっていて、弾けそうだ。
「野田……」
「いやいや、いまはスリムタイプが流行ってるから大丈夫だよ……!」
セクシーを通り越した猥褻な膨らみが心配だったが無事に収納できているようだ。
丹野に言わせれば、よい収納方法があるらしい。尻側に向けてモノを足の間に挟むようにするのだとか。
「女装するときにも有効だ、上手に挟めるようになれば女性用下着を身に着けても気づかれにくい」と不要な情報を熱心にどや顔で語ってくるのはうっとうしい。
丹野は脱衣所から手帳を取ってくるとスマホと一緒に尻ポケットにいれようとしたが入らなかった。もちろんパツパツのせいだ。
ウエストポーチを貸そうとしたが、彼は曇った顔で首を振り、クローゼットを勝手に漁ったあげくに大きな溜息をこれみよがしに吐いて、最後はウエストポーチでしぶしぶ妥協した。
向かう先は都心から少しはずれた街である。若いデザイナーが開いた店や古着屋、アクセサリーショップなど個性的な店舗が集う、若者に人気の新興の繁華街だ。駅前には韓国屋台メシや紙カップに入ったカラフルなドーナツなどがピンク色の幟を翻して客を寄びこんでいる。にぎやかで楽し気な雰囲気はアラサーの心まで浮き立たせてくれる。
「裏通りに入ったところにあるショップだ」
スマホをかざして改札を出ると、丹野は真っ先に件のショップを目指した。キャッシュレス決済を利用する人は少なくないが、使い慣れたスマートな仕草は、とてもホームレスには見えない。ホームレスどころか、まるでアイドルに遭遇したかのように、熱いまなざしを向けてくる通りすがりの女性もいる。なんとも腹立たしい。
表通りから一本離れたが店舗の開店時間にあたるせいだろう、やはりにぎわっていた。
道路わきの駐車場に車が停まっていた。サラリーマンらしき男性が車中からふらりと出てきて食べ歩き中のカップルとぶつかった。野田の目の前にサラリーマンが抱えていたパンフレットがちらばる。
「大丈夫ですか」
「ありがとう、ご親切に」
野田がパンフを集めて手渡すと、サラリーマンはぺこぺこと頭をさげた。パンフレットは不動産関係だった。上昇気運の街に相応しく、野田には手が届かない高級物件の特集だ。
「橋本孝さんですか?」
「え?」
丹野が、サラリーマンに声をかけた。
「そうですが……あなたは……?」
「一度お会いしています。会社のほうで。奥様の事件の捜査を担当している探偵の丹野です」
「え、え、え。あのときの汚い……いや、失礼。お世話になってます」
野田は目を瞠った。線が細く手足が長い、アメンボを連想するこの男性が、殺された橋本さゆりの夫。彼女との世間話が頭をよぎる。『夫は不動産売買をしていて成約ごとに歩合が入る、収入は悪くない』と聞いていたことを思い出した。忙しすぎて不在がちだ、とも。
「お仕事ですか」
「ええ、まあ。そちらは……捜査ですか?」
「今日は息抜きです。警察は容疑者を絞り込み始めたようですよ。早く犯人が逮捕されるといいですね」
「ええ、心からそう願っています。というと、警察は犯人の目星がついてるんでしょうかね。何度訊いても彼らは教えてくれないんですが、犯人はいったい誰なんですかね。どうして遺族に教えてくれないんでしょうか。……愛人がいたってのは本当なんでしょうか」
「まだ、わかりません。ちなみにおれも容疑者の一人です。彼も」と言って探偵は野田を見る。「宅配便の配達員をしていて接触が多かったので、最有力の容疑者と目されていて──」
「なんてことを……!」ぼくは慌てて遮った。「あの、ぼくは奥様にはとても親切にしていただきました。感謝しこそすれ、命を奪うなんてこと、絶対に──」
「あなたが最有力容疑者……?」
「嘘です誤解です信じないでください! 大袈裟に言ってるだけです」
橋本は両目を眇めた。探るような目つき。困惑の表情。
大袈裟に言っている、は余計な一言だった。容疑者であることは肯定したようなものだ。妻を失って一週間しか経っていない人間の目の前でふざけたやり取りをしている。最低だ。
「お仕事を続けられているようですが無理をなさいませんように」と丹野。
「法要だけ休ませてもらって、あとは上に頼んで働かせてもらってるんです。家内のことを考えると悔しくて悲しくて。だから忙しくしているほうが気が楽なんです。情けない夫です」と橋本はまた何度も頭をさげた。
そのあと二言三言、当たり障りのない会話をして橋本孝と別れた。姿が見えなくなったところで、丹野を肘でつついた。
「おい、ひどいぞ丹野。ぼくを最有力だなんて。容疑者の絞り込みどころか、昨夜の田西刑事の口ぶりではまだ増えそうな雰囲気だったんだぞ。適当なことばかり言って、結局悲しませることになったらどうするんだ」
乾燥機の熱風で丹野のスラックスは二割ほど縮小していた。眼前の尻や腿はパツパツになっていて、弾けそうだ。
「野田……」
「いやいや、いまはスリムタイプが流行ってるから大丈夫だよ……!」
セクシーを通り越した猥褻な膨らみが心配だったが無事に収納できているようだ。
丹野に言わせれば、よい収納方法があるらしい。尻側に向けてモノを足の間に挟むようにするのだとか。
「女装するときにも有効だ、上手に挟めるようになれば女性用下着を身に着けても気づかれにくい」と不要な情報を熱心にどや顔で語ってくるのはうっとうしい。
丹野は脱衣所から手帳を取ってくるとスマホと一緒に尻ポケットにいれようとしたが入らなかった。もちろんパツパツのせいだ。
ウエストポーチを貸そうとしたが、彼は曇った顔で首を振り、クローゼットを勝手に漁ったあげくに大きな溜息をこれみよがしに吐いて、最後はウエストポーチでしぶしぶ妥協した。
向かう先は都心から少しはずれた街である。若いデザイナーが開いた店や古着屋、アクセサリーショップなど個性的な店舗が集う、若者に人気の新興の繁華街だ。駅前には韓国屋台メシや紙カップに入ったカラフルなドーナツなどがピンク色の幟を翻して客を寄びこんでいる。にぎやかで楽し気な雰囲気はアラサーの心まで浮き立たせてくれる。
「裏通りに入ったところにあるショップだ」
スマホをかざして改札を出ると、丹野は真っ先に件のショップを目指した。キャッシュレス決済を利用する人は少なくないが、使い慣れたスマートな仕草は、とてもホームレスには見えない。ホームレスどころか、まるでアイドルに遭遇したかのように、熱いまなざしを向けてくる通りすがりの女性もいる。なんとも腹立たしい。
表通りから一本離れたが店舗の開店時間にあたるせいだろう、やはりにぎわっていた。
道路わきの駐車場に車が停まっていた。サラリーマンらしき男性が車中からふらりと出てきて食べ歩き中のカップルとぶつかった。野田の目の前にサラリーマンが抱えていたパンフレットがちらばる。
「大丈夫ですか」
「ありがとう、ご親切に」
野田がパンフを集めて手渡すと、サラリーマンはぺこぺこと頭をさげた。パンフレットは不動産関係だった。上昇気運の街に相応しく、野田には手が届かない高級物件の特集だ。
「橋本孝さんですか?」
「え?」
丹野が、サラリーマンに声をかけた。
「そうですが……あなたは……?」
「一度お会いしています。会社のほうで。奥様の事件の捜査を担当している探偵の丹野です」
「え、え、え。あのときの汚い……いや、失礼。お世話になってます」
野田は目を瞠った。線が細く手足が長い、アメンボを連想するこの男性が、殺された橋本さゆりの夫。彼女との世間話が頭をよぎる。『夫は不動産売買をしていて成約ごとに歩合が入る、収入は悪くない』と聞いていたことを思い出した。忙しすぎて不在がちだ、とも。
「お仕事ですか」
「ええ、まあ。そちらは……捜査ですか?」
「今日は息抜きです。警察は容疑者を絞り込み始めたようですよ。早く犯人が逮捕されるといいですね」
「ええ、心からそう願っています。というと、警察は犯人の目星がついてるんでしょうかね。何度訊いても彼らは教えてくれないんですが、犯人はいったい誰なんですかね。どうして遺族に教えてくれないんでしょうか。……愛人がいたってのは本当なんでしょうか」
「まだ、わかりません。ちなみにおれも容疑者の一人です。彼も」と言って探偵は野田を見る。「宅配便の配達員をしていて接触が多かったので、最有力の容疑者と目されていて──」
「なんてことを……!」ぼくは慌てて遮った。「あの、ぼくは奥様にはとても親切にしていただきました。感謝しこそすれ、命を奪うなんてこと、絶対に──」
「あなたが最有力容疑者……?」
「嘘です誤解です信じないでください! 大袈裟に言ってるだけです」
橋本は両目を眇めた。探るような目つき。困惑の表情。
大袈裟に言っている、は余計な一言だった。容疑者であることは肯定したようなものだ。妻を失って一週間しか経っていない人間の目の前でふざけたやり取りをしている。最低だ。
「お仕事を続けられているようですが無理をなさいませんように」と丹野。
「法要だけ休ませてもらって、あとは上に頼んで働かせてもらってるんです。家内のことを考えると悔しくて悲しくて。だから忙しくしているほうが気が楽なんです。情けない夫です」と橋本はまた何度も頭をさげた。
そのあと二言三言、当たり障りのない会話をして橋本孝と別れた。姿が見えなくなったところで、丹野を肘でつついた。
「おい、ひどいぞ丹野。ぼくを最有力だなんて。容疑者の絞り込みどころか、昨夜の田西刑事の口ぶりではまだ増えそうな雰囲気だったんだぞ。適当なことばかり言って、結局悲しませることになったらどうするんだ」
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