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「脱いだ服はそこに入れろ」
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「被害者は普段からファッションに関心が高かったのだろう。だが遺体の服装は違う。外出着には見えない」
「……そうかな。近所のスーパーに行くくらいなら、気にしなかったかもしれないよ」
「では彼女は近所のスーパーに行って殺されたのだと思うか」
「いや、思わない」
毎週一回、冷凍と冷蔵のダンボールが二箱を届けた。無農薬や国産ににこだわった高級食材だったと記憶する。近所のスーパーのラインナップでは満足できなかったろう。
「生前の外出時の写真をもう一度見てみろ。1枚目、ベルトは黒でエナメル、靴も黒でエナメルだ。背景が牧場なのにスニーカーではなくエナメル靴を選ぶ。なによりおしゃれを優先する傾向が表れている。2枚目は質感まではわからないが、腕時計のベルトの色はボルドー、靴はボルドーのスエード。ベルトや靴や時計やバッグなど、小物の色と質感を合わせている」
画面を見つめて息を飲んだ。まさにその通りだったからだ。
「殺された時の服装を見てみろ。ワンピースは流行おくれ。クロコ型押しのブラウンのバングル。ハイヒールはハラコの牛模様。ウエストの細ベルトもおかしい。厳密にいえばワンピースの色目からしたらブラウンよりはシルバーかゴールドのアクセサリーを選ぶだろう。スカーフがテイストの異なる柄で、ひときわおかしい。これらは本当に彼女の持ち物なのか。だとしたら誰が選んだのか」
「つまり彼女は外出していない。外出したとしたら、彼女の意志に反した服装だと? おしゃれな人はたいへんなんだなあ」
「ネイルも放っておかないはずだ。傷んでいた爪のようすは?」
「右手の人差し指の爪先に小さな割れがあったかな。ネイルは剥がれかけてた。唐揚げみたいな色」
「ほう」
手からスマホを奪い返した熊男は、素早くスワイプして画像を拡大した。
「ほら、被害者の右手の人差し指は綺麗だ。色はピンクとグレーのグラデーション。修復されてる上に、どの指も塗りなおしたばかりとみえる。ネイルはプロに頼むと言っていたのが本当なら、どこぞのネイルサロンで整えてもらったのだろう。とすれば最後に会った人物はネイリストになる。この情報は、警察はまだ知らないだろう」
「え、じゃあ、早く連絡を」
「最後に会った人物がきみかネイリストかで犯人が決まるわけではない。せいぜい容疑者がひとり増えるだけだ。それにたとえ近所のネイルサロンだとしても、あの格好では出かけないだろうし。ああ、そうか、なるほど……」
「なにかわかったのか」
「おれの優秀さはもう充分示したと思う。さて、どうする。推理を続けるならお代が必要なんだが」
熊男は腹を撫でるような仕草のあと、両掌を合わせて顔の横にそえ、眠る真似をした。だがすぐにコートの下の身体をぼりぼりと掻きむしり始めた。得体のしれない黒いカスがぼろぼろとカーペットに落ちる。
「ああ、ああ、わかったよ。食わせてやるよ。泊めてやるよ。ただし、その汚い格好は禁止だ。まずは風呂に入れ」
風呂場の扉を指さした。脱衣所、洗濯機スペース、その奥に風呂場がある。1LDKの狭い室内に図体どころか態度まででかい男を泊めるのは苦痛だ。だが今は選択の余地はない。
「ドラム式洗濯機の上にあるのが洗濯かご。脱いだ服はそこに入れろ」
「ふむ」
「風呂場に置いてあるシャンプーとかあかすりとかひげ剃りとかもろもろ、好きに使ってくれていいから。むしろ使え。使い倒してくれ。垢や汚れや細菌やばい菌を綺麗に洗い流してから出て来いよ。あと、髭とか髪の毛とかのゴミは備えつけのゴミ箱に捨てること。絶対に流すな、詰まらせるな。洗濯機の上にバスタオルと替えの衣類を用意しておく、風呂から上がったらそれを着ること」
「洗ってくれないのか」
「洗濯はあとでしてやるよ。とりあえず着れそうな服と新しい下着を用意しておくから」
オーバーサイズが流行ったときに買っておいた服でとりあえず間に合うだろう、と野田は見当をつけた。下着は新品があったはずだ。サイズが合うかは不安だけど。
「いや、おれを洗ってくれないのか」
「はあ?」
「頭とか背中とか。自分では洗いにくいところを。かゆい」
「幼児か。甘えんな!」
「風呂場が狭そうだから今日はいいか。またの機会にしよう」
「またの機会なんかあってたまるか!」
熊の背中を押して脱衣所に導く。
「食い物はテーブルに置いておく。風呂から出たら食べろ。あ、ちょっと待て。お前、どうやってぼくの住所を見つけた。所長がもらしたのか。あと、どうやって鍵を開けた」
「おれは探偵だ」
熊男は一言だけ言って脱衣所の中に消えた。
肩透かしを食ったような気分になり、一瞬鼻白んだ。
熊男に訊ねた質問は、だが、ぼくなりに答えの予想ができた。所長がもらしたのかととっさに思ったが警察に情報を渡しているだろうから、それはひとつの可能性だ。ただその情報がなくても推測は可能だろう。
駅から商店街を抜けて公園を突っ切った先にこのマンションがある。マンションの住人が近道としてよく公園を利用していることは、探偵なら昨夜すぐに気づいたろう。集合ポストに名前を出していないが、郵便物をしばらく放置している。きっとダイレクトメールが入ったままなのだろう。探偵でなくても特定は容易だ。
マンションの鍵は何の変哲もない一般的な安いやつだ。ピッキングしやすい。
その程度の推理ならぼくにだってできる。おそらく大きく外れてはいないだろう。
でももし熊男の回答が全く同じだとしたら少しがっかりするかもしれない。手品を見たいという自分勝手な欲がわいてきている。
探偵の思考の真似事をしただけで少しだけ気分があがった。
もう少しだけ真似事をしてみようかという気になって、ぼくは自分のスマホを開いた。
「……そうかな。近所のスーパーに行くくらいなら、気にしなかったかもしれないよ」
「では彼女は近所のスーパーに行って殺されたのだと思うか」
「いや、思わない」
毎週一回、冷凍と冷蔵のダンボールが二箱を届けた。無農薬や国産ににこだわった高級食材だったと記憶する。近所のスーパーのラインナップでは満足できなかったろう。
「生前の外出時の写真をもう一度見てみろ。1枚目、ベルトは黒でエナメル、靴も黒でエナメルだ。背景が牧場なのにスニーカーではなくエナメル靴を選ぶ。なによりおしゃれを優先する傾向が表れている。2枚目は質感まではわからないが、腕時計のベルトの色はボルドー、靴はボルドーのスエード。ベルトや靴や時計やバッグなど、小物の色と質感を合わせている」
画面を見つめて息を飲んだ。まさにその通りだったからだ。
「殺された時の服装を見てみろ。ワンピースは流行おくれ。クロコ型押しのブラウンのバングル。ハイヒールはハラコの牛模様。ウエストの細ベルトもおかしい。厳密にいえばワンピースの色目からしたらブラウンよりはシルバーかゴールドのアクセサリーを選ぶだろう。スカーフがテイストの異なる柄で、ひときわおかしい。これらは本当に彼女の持ち物なのか。だとしたら誰が選んだのか」
「つまり彼女は外出していない。外出したとしたら、彼女の意志に反した服装だと? おしゃれな人はたいへんなんだなあ」
「ネイルも放っておかないはずだ。傷んでいた爪のようすは?」
「右手の人差し指の爪先に小さな割れがあったかな。ネイルは剥がれかけてた。唐揚げみたいな色」
「ほう」
手からスマホを奪い返した熊男は、素早くスワイプして画像を拡大した。
「ほら、被害者の右手の人差し指は綺麗だ。色はピンクとグレーのグラデーション。修復されてる上に、どの指も塗りなおしたばかりとみえる。ネイルはプロに頼むと言っていたのが本当なら、どこぞのネイルサロンで整えてもらったのだろう。とすれば最後に会った人物はネイリストになる。この情報は、警察はまだ知らないだろう」
「え、じゃあ、早く連絡を」
「最後に会った人物がきみかネイリストかで犯人が決まるわけではない。せいぜい容疑者がひとり増えるだけだ。それにたとえ近所のネイルサロンだとしても、あの格好では出かけないだろうし。ああ、そうか、なるほど……」
「なにかわかったのか」
「おれの優秀さはもう充分示したと思う。さて、どうする。推理を続けるならお代が必要なんだが」
熊男は腹を撫でるような仕草のあと、両掌を合わせて顔の横にそえ、眠る真似をした。だがすぐにコートの下の身体をぼりぼりと掻きむしり始めた。得体のしれない黒いカスがぼろぼろとカーペットに落ちる。
「ああ、ああ、わかったよ。食わせてやるよ。泊めてやるよ。ただし、その汚い格好は禁止だ。まずは風呂に入れ」
風呂場の扉を指さした。脱衣所、洗濯機スペース、その奥に風呂場がある。1LDKの狭い室内に図体どころか態度まででかい男を泊めるのは苦痛だ。だが今は選択の余地はない。
「ドラム式洗濯機の上にあるのが洗濯かご。脱いだ服はそこに入れろ」
「ふむ」
「風呂場に置いてあるシャンプーとかあかすりとかひげ剃りとかもろもろ、好きに使ってくれていいから。むしろ使え。使い倒してくれ。垢や汚れや細菌やばい菌を綺麗に洗い流してから出て来いよ。あと、髭とか髪の毛とかのゴミは備えつけのゴミ箱に捨てること。絶対に流すな、詰まらせるな。洗濯機の上にバスタオルと替えの衣類を用意しておく、風呂から上がったらそれを着ること」
「洗ってくれないのか」
「洗濯はあとでしてやるよ。とりあえず着れそうな服と新しい下着を用意しておくから」
オーバーサイズが流行ったときに買っておいた服でとりあえず間に合うだろう、と野田は見当をつけた。下着は新品があったはずだ。サイズが合うかは不安だけど。
「いや、おれを洗ってくれないのか」
「はあ?」
「頭とか背中とか。自分では洗いにくいところを。かゆい」
「幼児か。甘えんな!」
「風呂場が狭そうだから今日はいいか。またの機会にしよう」
「またの機会なんかあってたまるか!」
熊の背中を押して脱衣所に導く。
「食い物はテーブルに置いておく。風呂から出たら食べろ。あ、ちょっと待て。お前、どうやってぼくの住所を見つけた。所長がもらしたのか。あと、どうやって鍵を開けた」
「おれは探偵だ」
熊男は一言だけ言って脱衣所の中に消えた。
肩透かしを食ったような気分になり、一瞬鼻白んだ。
熊男に訊ねた質問は、だが、ぼくなりに答えの予想ができた。所長がもらしたのかととっさに思ったが警察に情報を渡しているだろうから、それはひとつの可能性だ。ただその情報がなくても推測は可能だろう。
駅から商店街を抜けて公園を突っ切った先にこのマンションがある。マンションの住人が近道としてよく公園を利用していることは、探偵なら昨夜すぐに気づいたろう。集合ポストに名前を出していないが、郵便物をしばらく放置している。きっとダイレクトメールが入ったままなのだろう。探偵でなくても特定は容易だ。
マンションの鍵は何の変哲もない一般的な安いやつだ。ピッキングしやすい。
その程度の推理ならぼくにだってできる。おそらく大きく外れてはいないだろう。
でももし熊男の回答が全く同じだとしたら少しがっかりするかもしれない。手品を見たいという自分勝手な欲がわいてきている。
探偵の思考の真似事をしただけで少しだけ気分があがった。
もう少しだけ真似事をしてみようかという気になって、ぼくは自分のスマホを開いた。
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