公爵夫人(55歳)はタダでは死なない

あかいかかぽ

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 トールの声は次第にかすれた。料理人と執事しかいないことを思い出したのだろう。

「だとしても、日記帳と違って、一晩や二晩で作り上げるのは無理でしょう。僕はそう思いますよ」レインはサラに向き直った。「でもなんで手間のかかる方法を? 紙に書き残したほうが楽だったでしょうに」

「トール弁護士がおっしゃったように」

 サラは一拍をおいた。トールを見習ってドラマチックな演出を試みたのだ。

「時間だけはありあまってましたもの。35年もの結婚生活で、わたくしがやっていた主なことといえば、ミルクティーを飲むことと、バラ園の手入れと、ピーちゃんの世話をすること、たまに刺繍をする以外にやることがなかったものですから。いいひまつぶしになったのですわ。ええ、本当に、トール弁護士のおっしゃるとおりですわ」

「う……ぐ……」

「しかし、そうなると」公爵が難しい顔をしてトールに訊ねた。「サラの過失がなくなってしまうことになるぞ。それはまずい……いや、おかしい。財産が蒸発してしまったみたいではないか」

 刺繍に目をおとしたまま、ガイが唸った。

「余分な出費はなくとも、そもそも収入が少ない。年に二回の荘園の収穫頼りか。貴族といっても、しょせん内実はこんなもんか」

「贅沢を言わなければ充分暮らしていけますわ」

「短期的にも中長期的にも破綻のリスクを抱えている。素人の俺にだってわかる。ああ、だから使用人を最低人数にして、売れるものを売り、修理代金をけちったのか。だがそれも底をついたのではないか。もう絞れるものは絞り尽くしたろう。せめて流動資産があれば……」

「破綻だなんて。考えたこともないわ」

 今年の麦の収穫は期待できると農奴からの報告をサラは聞いている。それを借金返済に充てられれば、来年からはもっとゆとりのある生活が送れるだろうと夢想していたのだ。久しぶりにドレスを新調できるかもとわくわくしていた。

「農業は天候などに左右されるのでリスクが大きい。公爵は他になにか経営をされておられますか。ぶしつけな質問ですが、公爵の年収はいくらぐらいなんですか」

「え……あ、いや……」

 公爵はしどろもどろで目を泳がせる。公爵を見るアシュリーの目が次第に険しくなっていく。

「公爵は貴族院議員をされているのだ」トールがガイに言う。「知っていると思うが貴族院は名誉職で、無給だ」

「ああ、それは殊勝なことですね。では、公爵家の財産はなんですか。この大きいだけが取り柄の黴臭い屋敷と、麦が生る荘園だけですか」

 公爵は黙り込んだ。
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