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 サラは扉をノックした。

「アシュリー、大丈夫なの?」

「だめ、気持ち悪い……」

「入るわよ」

 トイレの中は思いのほか空間があり、膨らんだスカートの貴婦人が使用するにも困らない広さがあった。奥におまる型便器があり、アシュリーは手前の洗面台に手をついていた。サラが背中をさすってあげると、アシュリーは涙を流した。

「まあ、そんなに辛いの」

「私に優しくなんかしないで」

 アシュリーの声には険があった。

「これからのことを考えたら労わりたくなるわ」

「のんきなこと言っていていいの。全てが奪われようとしているのに」

「そうね。でもあえて言わせてもらうわ。貴女は若い。将来を決めるには若すぎるくらいよ。ノースに残りの人生を捧げられるの? あるいは、ずっと嘘をつきとおす覚悟はあるの?」

「……なんですって?」

「本当にノースを愛しているなら、耐えられるとは思うけど……」

 妊娠している年若い女の子を敵にはしたくない。華奢な身体が痛ましい。
 そのとき、サラは気づいた。アシュリーが着ているドレスは、サラが邸に残してきたものだ。サラのサイズは、アシュリーには少し大きい。

「ふ、気がついた? 貴女の古いドレスよ」アシュリーは挑むようにサラを睨みあげた。「古臭いドレスばかりでみっともないわ。今の貴女よりはマシだけど」

 アシュリーはまるでハリネズミだ。触れられたくないと言わんばかりに、身をよじってサラの手を拒絶する。仕方ないことだとサラは思う。一番に守らねばならないものを、彼女は必死で守っているだけなのだから。

「クローゼットの中にはお腹を締め付けないデザインのドレスもあったはずよ。新しいドレスが欲しかったら、古いものをまとめて古着屋に売りなさいね。今の貴女は、ノースのことよりも、離婚調停のことよりも、自分の身体を一番に考えていいのよ」

「そんなこといって、油断させる気でしょう!」

 アシュリーは悲鳴じみた声を上げた。ドアの外で待機していた公爵は待ちきれなかったらしく、心配そうな顔で入ってきた。

「アシュリー大丈夫か」公爵はアシュリーを抱きしめた。「よしよし、怖かったな。恐ろしいオークはわしが懲らしめてやるから安心しなさい」

(誰がオークよ!)

「アシュリーの体調が悪いのなら、彼女だけ先に帰らせて休ませたらどうかしら」

「けっこうよ!」サラの心遣いをアシュリーは一蹴した。「成り行きをちゃんと見届けたいわ。次期公爵夫人としての意地よ!」

 三人が部屋に戻ってきて、ようやく再開するかと思われたとき、扉の外から物音が聞こえてきた。花瓶のようなものが割れる音。事務の女性の悲鳴。興奮したダチョウの喉声。

(いけない。ピーちゃんが暴れているわ)


***作者注***
このストーリーは、19世紀のヨーロッパ風のどこかの国、という設定ですが、19世紀当時のリアルでは、まだトイレは一般家庭に常備されてはいませんでした。水洗トイレありません。基本はおまるです。が、汚物だらけの道路など描写したくなかったため、グイグイねじ曲げております。トイレ存在したという架空設定のご都合主義に甘えています。どうかご寛恕ください。
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