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10 幽霊の実家
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「びっくりさせてごめん。悪霊っていっても生きてる人間に悪さはしないの。ただのエネルギーの残滓。黒い泥のようなもの。だから記憶や意識はない。数年、数十年、または数百年意味もわからずに苦しんで、いずれは乾いて消えてしまう」
生きている人間に悪影響を及ぼす存在ではないと聞いてほっとした。だが美羽はぶると体を震わせる。
「幽霊は悪霊になることを恐れるの。現世への未練と煩悩だけがエネルギーと化して、意思も目的もなく、意識も記憶も何もかも失って、枯死するまで地べたを這いまわるのよ」
「なんでそんなことがわかるんだ」
「あ、自分は死ぬんだなってわかったとき、瞬時にインストールされたの。死んだあとのスケジュールも。最後は光の粒になって昇華するんだってことも。弓弦も死ぬときがきたらわかるよ」
先輩面されてもリアクションに困る。
「……いや、だって俺はまだ生きてるんだぜ」
すると美羽はにんまりと笑った。ぞくりと悪寒が走る。霊体は肉体から離れるといずれは死ぬ。このまま美羽に貸したままだと、美羽が成仏するより先に俺が干上がる可能性があるのだ。
「おい、返せ、俺の身体!」
「返してほしかったら成仏に協力してよ。心配しなくても弓弦はすぐには死なないから。まだ元気がみなぎってるもん」
「あ! そうだ!」場所のせいか、俺は嫌なことを思い出した。「体を返してもらわなきゃ困るんだった!」
美羽はだるそうに首を傾げた。
「なによ?」
「真面目に聞いてくれ。今日は月曜だろ。明後日の水曜から期末試験なんだ。勉強しなくちゃ、赤点とっちまう。しくじったら今後の俺の人生に大きな影響が出るのは間違いない。な、試験が終わったらまた貸してやるから。だから、お願いだ、いったん俺に返してくれよ」
両手を合わせて頭を下げる。切実そうに見せるのがポイントだ。いかに困っているか、迫真の演技で良心の呵責に訴える。
返してもらったらもう二度と貸す気などない。へつらうのもいまだけだ。美羽には気の毒だが人間って生き物は可愛いのは自分だけなんだ。
あ、俺の場合は自分と家族だけだ。
「あら、だったら私が対処するから大丈夫よ」
美羽はこともなげに言い放った。
「どういう意味だ?」
「試験は私が受ける」
「おまえ、高1だろ。俺は高2だぜ」
「偏差値20の差はだてじゃないよ」
「うぐ」
「期末試験はサボらずにまじめに受けたげるよ。安心おし」
年下のくせに年上気取りときた。腹立ちをおさえ、話題を変えることにした。
「そろそろ美羽の家に行こうぜ。おまえの親の顔がますます見たくなったぜ」
高校の裏手に美羽の家はあった。近すぎて拍子抜けした。目と鼻の先にある俺の高校に進学しなかった理由は学力レベルが妥協できなかったからだそうだ。理由を聞いた俺は本当にバカだった。
美羽の家は少し古いだけのごく普通の一軒家。石川という表札の下に四人分の名前、一番下に美羽の名があった。
「さっきみたいにピンポン押せよ」
「いいよ。見たいなら一人で行ってきてよ」
美羽は膝を抱えて道路にうずくまった。本能的な守りの姿勢だ。
なぜこうも頑迷なのだろう。病院で死んだあと家族と会ってないだろうに。俺にはちっともわからないが気恥ずかしさでも感じているのだろうか。
見に行っていいと言われても他人の家に勝手に上がり込むのは気が引ける。
「意味ないだろ。あ、そうか。俺の身体で会うのがいやなのか」
「……」
「じゃあ、入れ替わろうぜ。霊体に戻って、すっと入って、家族にさよならしてこい」
それで成仏してくれたら万々歳だ。
「いい」美羽はそっぽを向いたままだ。
「ああ、くっそ! じゃあ俺が見てくるからな、ここで待ってろ」
玄関の扉を通り抜けるとき、頭の中でずぼっという擬音が聞こえた気がしたが特に抵抗は感じなかった。テレビの音がやけに大きく、笑い声が重なっている。
居間と思しき部屋に寿司桶を囲んだ中年の男女がいた。他人の家に侵入しているという背徳感は、すぐに枯れた。
「保険証券見つかったって?」
「美羽ちゃんは親孝行だねえ。香典のおかげで美味しい寿司が食える」
「でもさ、四十九日にまた金がかかるだろ。うんざりだよ」
両親と親戚のおじさんだろうか、全員がくたびれた格好をしている。陰鬱で生気に乏しい。だが娘の死に慣れたせいとは思えなかった。
「保険も入るし、まあいいだろ。美羽は役に立ってくれたなあ」
「高校の学費も浮くもんな。なあ、その分を貸してくれよ」
「どうせパチンコですっちまうだろ。美羽は特待生で学費免除だったんだよ」
「あーはは、そりゃそうか。頭のいい子だったもんな」
「香典返しどうする。法律で決まってるわけでもないなら忘れたふりするか」
「そういや、市役所にクレームいれたか。見舞金くらい出るかもしれんからな」
変な会話だ。俺は居間をあとにして、奥にあった仏間を覗いた。
古い大きな仏壇に白木の位牌が横倒しで乗っている。本尊はなく、代わりに生命保険の証券が真ん中に立てかけられている。黒い仏壇なので埃が目立つ。
美羽の部屋はどこだろう。
生きている人間に悪影響を及ぼす存在ではないと聞いてほっとした。だが美羽はぶると体を震わせる。
「幽霊は悪霊になることを恐れるの。現世への未練と煩悩だけがエネルギーと化して、意思も目的もなく、意識も記憶も何もかも失って、枯死するまで地べたを這いまわるのよ」
「なんでそんなことがわかるんだ」
「あ、自分は死ぬんだなってわかったとき、瞬時にインストールされたの。死んだあとのスケジュールも。最後は光の粒になって昇華するんだってことも。弓弦も死ぬときがきたらわかるよ」
先輩面されてもリアクションに困る。
「……いや、だって俺はまだ生きてるんだぜ」
すると美羽はにんまりと笑った。ぞくりと悪寒が走る。霊体は肉体から離れるといずれは死ぬ。このまま美羽に貸したままだと、美羽が成仏するより先に俺が干上がる可能性があるのだ。
「おい、返せ、俺の身体!」
「返してほしかったら成仏に協力してよ。心配しなくても弓弦はすぐには死なないから。まだ元気がみなぎってるもん」
「あ! そうだ!」場所のせいか、俺は嫌なことを思い出した。「体を返してもらわなきゃ困るんだった!」
美羽はだるそうに首を傾げた。
「なによ?」
「真面目に聞いてくれ。今日は月曜だろ。明後日の水曜から期末試験なんだ。勉強しなくちゃ、赤点とっちまう。しくじったら今後の俺の人生に大きな影響が出るのは間違いない。な、試験が終わったらまた貸してやるから。だから、お願いだ、いったん俺に返してくれよ」
両手を合わせて頭を下げる。切実そうに見せるのがポイントだ。いかに困っているか、迫真の演技で良心の呵責に訴える。
返してもらったらもう二度と貸す気などない。へつらうのもいまだけだ。美羽には気の毒だが人間って生き物は可愛いのは自分だけなんだ。
あ、俺の場合は自分と家族だけだ。
「あら、だったら私が対処するから大丈夫よ」
美羽はこともなげに言い放った。
「どういう意味だ?」
「試験は私が受ける」
「おまえ、高1だろ。俺は高2だぜ」
「偏差値20の差はだてじゃないよ」
「うぐ」
「期末試験はサボらずにまじめに受けたげるよ。安心おし」
年下のくせに年上気取りときた。腹立ちをおさえ、話題を変えることにした。
「そろそろ美羽の家に行こうぜ。おまえの親の顔がますます見たくなったぜ」
高校の裏手に美羽の家はあった。近すぎて拍子抜けした。目と鼻の先にある俺の高校に進学しなかった理由は学力レベルが妥協できなかったからだそうだ。理由を聞いた俺は本当にバカだった。
美羽の家は少し古いだけのごく普通の一軒家。石川という表札の下に四人分の名前、一番下に美羽の名があった。
「さっきみたいにピンポン押せよ」
「いいよ。見たいなら一人で行ってきてよ」
美羽は膝を抱えて道路にうずくまった。本能的な守りの姿勢だ。
なぜこうも頑迷なのだろう。病院で死んだあと家族と会ってないだろうに。俺にはちっともわからないが気恥ずかしさでも感じているのだろうか。
見に行っていいと言われても他人の家に勝手に上がり込むのは気が引ける。
「意味ないだろ。あ、そうか。俺の身体で会うのがいやなのか」
「……」
「じゃあ、入れ替わろうぜ。霊体に戻って、すっと入って、家族にさよならしてこい」
それで成仏してくれたら万々歳だ。
「いい」美羽はそっぽを向いたままだ。
「ああ、くっそ! じゃあ俺が見てくるからな、ここで待ってろ」
玄関の扉を通り抜けるとき、頭の中でずぼっという擬音が聞こえた気がしたが特に抵抗は感じなかった。テレビの音がやけに大きく、笑い声が重なっている。
居間と思しき部屋に寿司桶を囲んだ中年の男女がいた。他人の家に侵入しているという背徳感は、すぐに枯れた。
「保険証券見つかったって?」
「美羽ちゃんは親孝行だねえ。香典のおかげで美味しい寿司が食える」
「でもさ、四十九日にまた金がかかるだろ。うんざりだよ」
両親と親戚のおじさんだろうか、全員がくたびれた格好をしている。陰鬱で生気に乏しい。だが娘の死に慣れたせいとは思えなかった。
「保険も入るし、まあいいだろ。美羽は役に立ってくれたなあ」
「高校の学費も浮くもんな。なあ、その分を貸してくれよ」
「どうせパチンコですっちまうだろ。美羽は特待生で学費免除だったんだよ」
「あーはは、そりゃそうか。頭のいい子だったもんな」
「香典返しどうする。法律で決まってるわけでもないなら忘れたふりするか」
「そういや、市役所にクレームいれたか。見舞金くらい出るかもしれんからな」
変な会話だ。俺は居間をあとにして、奥にあった仏間を覗いた。
古い大きな仏壇に白木の位牌が横倒しで乗っている。本尊はなく、代わりに生命保険の証券が真ん中に立てかけられている。黒い仏壇なので埃が目立つ。
美羽の部屋はどこだろう。
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