9 / 46
9 屋上
しおりを挟む
なんでここから落ちたんだろう。わざわざ金網のフェンスを越えて。
相応の理由がないとおかしいのにそれらしいことが浮かばない。首をひねる。
「なにか思い出した?」
「いやなにも」
こっそりと忍び込んだ校舎は当然だが人の気配がなくて、殺風景な屋上はより広く感じた。
「どこから落ちたか、わかる?」
「うーん。なんとなく、ここら辺かな」
「ここ?」
美羽は金網をよじ登った。
「おい、危ないぞ」
「ほんとにここ? だって真下には樹木や植栽がたくさん生えてるよ。室外機の載ってる庇も邪魔じゃない? あ、木の枝が折れてる。植栽がつぶれてる」
眼下は暗く鬱蒼としていたが、目を凝らしてみると地面に乱れたあとがあった。さいわい血痕などではなく、たくさんの人が立ち入ったことによる靴あとの密集といったところだ。
樹木と植栽のクッションのおかげで骨折もしなかったのだ。我ながらなんという強運だろう。
「ここで間違いいなさそうだね。よいしょっと」
「おい、何やってんだ」
美羽はフェンスの向こう側におりた。立ち上がりとフェンスの間には人が余裕で立てるだけの幅がある。
「弓弦は自分でフェンスを越えたんでしょ」
「だろうけど……」
「記憶はよみがえらない?」
「残念ながら。よせ、身を乗りだすな。また落ちたら困る」
美羽は立ち上がりの部分に手をついて、下を覗き込んでいる。
「ねえ、こっちに来てみない。どうせ霊体なんだから落ちても大丈夫だよ」
「……やめとく。気分が悪い」
「また死にたくなっちゃうから?」
「俺は飛び降りたりしない」
だが、それならば、なぜここから落ちたのだろうか。誰かに突き落とされたのだろうか。フェンスの高さは2メートルほどある。
「二人がかりで抱え上げればギリ落とせるかな。暴れないように薬を盛れば。不可能とは言い切れないよね」
美羽は名探偵気取りで顎に手を当てて考えている。薬を盛って屋上から投げ捨てられたという想像は恐ろしすぎる。
「誰かに恨まれていた?」
「ないよ」
実際に心当たりはないし、考えたくもない。
「じゃあ、なんだろう、うーん……」
美羽はもう一度体を乗りだして下を覗く。そのまま落ちてしまうのではないかとハラハラする。
「クラスメートや友人に訊けば事情がわかるかもね」
「俺のことはいいから、もう戻って来いよ」
「きっとフェンスを越えなきゃならないことがあったのよね」
美羽はきょろきょろと周囲を見回す。つられて俺も見たが、とくに何もない。
「例えば、例えばだけど。うっかりと手を滑らせてスマホを金網の外側に落としたとしたら、フェンスを越えないと拾えないよね」
フェンスを構成しているひし形の金網は横の対角線が長く、水平にすればたしかにスマホは通りそうだ。
「真下なら取れるけどパラペット近くだと金網越しでは腕が届かないでしょ」
「パラペット?」
「外周部にある手すりみたいなこれよ」
美羽は立ち上がり部分をとんとんと叩く。フェンスからパラペットまでは腕を伸ばしてギリギリの長さ。だが金網のひし形は腕を通せるほど大きくはない。
「そうだな。フェンスを乗り越えるしかないな。フェンスにもたれてスマホでも弄っていたのかなあ。それで手が滑って?」
「スマホは例えよ。ワイヤレスイヤホンでもなんでもいい。フェンスを越えて取りに行こうと思うほどの物があったとしたら」
「それでうっかりバランスを崩して……か。面白い推理だな。でも何も落ちてないぞ」
「だから拾ったんじゃない? 拾えたけどバランスを崩して一緒に落下したのかも。なにか思い出した?」
「いや、ちっとも」
肩をすくめると、美羽はつまらなそうに唇を尖らせた。
「不安にならないの? ここから落ちたんだよ」
「美羽の説でいいよ。それを信じる」
「……思い出したくないんじゃないの」
「なんで?」
美羽はわずかに逡巡してから、思い切ったように口を開いた。
「いじめられてなかった? 靴やかばんをいじめっこに盗まれて、このパラペットの上に放置されてたんじゃない? 弓弦はきっと泣きながらフェンスを越えたのよ」
美羽は次々と憶測を出してくる。それも残酷な妄想をいくぶん楽しそうに頬を上気させながら。
腹立ちをなんとかおさえて記憶を辿る。
ない。いじめられた記憶はまったくない。きっぱりさっぱり欠片もない。
「脳に損傷があるのかなあ」
美羽は頭部をこんこんと叩く。失礼な奴だ。
「おまえだって死に際を憶えてないんだろ。どうせなら自分を掘り起こせよ」
「弓弦のほうが謎めいてるもん」
美羽はそう言って、だがひとつ推論ができたことで気が済んだように、夜空に向かって大きく伸びをした。
「実体があるって最高だね。もう返したくないなあ」
フェンスの内側に戻ってきた美羽は、さらりと恐ろしいことを言った。
「いいかげんにしてくれ」
「安心してくれていいよ。そんなに長くはないから。幽霊ってね、現世に長くはとどまれないの。死んでから四十九日以内に成仏できないと最悪、悪霊になるから」
「おまえ、死んだのは」
「6月12日」
「今日は7月3日──」
「7月30日までに清水先輩を誘惑しないと」
悪霊になるの。薄く微笑んだ美羽は唇だけで笑った。むりやり作った笑顔だ。
「悪霊って……」
相応の理由がないとおかしいのにそれらしいことが浮かばない。首をひねる。
「なにか思い出した?」
「いやなにも」
こっそりと忍び込んだ校舎は当然だが人の気配がなくて、殺風景な屋上はより広く感じた。
「どこから落ちたか、わかる?」
「うーん。なんとなく、ここら辺かな」
「ここ?」
美羽は金網をよじ登った。
「おい、危ないぞ」
「ほんとにここ? だって真下には樹木や植栽がたくさん生えてるよ。室外機の載ってる庇も邪魔じゃない? あ、木の枝が折れてる。植栽がつぶれてる」
眼下は暗く鬱蒼としていたが、目を凝らしてみると地面に乱れたあとがあった。さいわい血痕などではなく、たくさんの人が立ち入ったことによる靴あとの密集といったところだ。
樹木と植栽のクッションのおかげで骨折もしなかったのだ。我ながらなんという強運だろう。
「ここで間違いいなさそうだね。よいしょっと」
「おい、何やってんだ」
美羽はフェンスの向こう側におりた。立ち上がりとフェンスの間には人が余裕で立てるだけの幅がある。
「弓弦は自分でフェンスを越えたんでしょ」
「だろうけど……」
「記憶はよみがえらない?」
「残念ながら。よせ、身を乗りだすな。また落ちたら困る」
美羽は立ち上がりの部分に手をついて、下を覗き込んでいる。
「ねえ、こっちに来てみない。どうせ霊体なんだから落ちても大丈夫だよ」
「……やめとく。気分が悪い」
「また死にたくなっちゃうから?」
「俺は飛び降りたりしない」
だが、それならば、なぜここから落ちたのだろうか。誰かに突き落とされたのだろうか。フェンスの高さは2メートルほどある。
「二人がかりで抱え上げればギリ落とせるかな。暴れないように薬を盛れば。不可能とは言い切れないよね」
美羽は名探偵気取りで顎に手を当てて考えている。薬を盛って屋上から投げ捨てられたという想像は恐ろしすぎる。
「誰かに恨まれていた?」
「ないよ」
実際に心当たりはないし、考えたくもない。
「じゃあ、なんだろう、うーん……」
美羽はもう一度体を乗りだして下を覗く。そのまま落ちてしまうのではないかとハラハラする。
「クラスメートや友人に訊けば事情がわかるかもね」
「俺のことはいいから、もう戻って来いよ」
「きっとフェンスを越えなきゃならないことがあったのよね」
美羽はきょろきょろと周囲を見回す。つられて俺も見たが、とくに何もない。
「例えば、例えばだけど。うっかりと手を滑らせてスマホを金網の外側に落としたとしたら、フェンスを越えないと拾えないよね」
フェンスを構成しているひし形の金網は横の対角線が長く、水平にすればたしかにスマホは通りそうだ。
「真下なら取れるけどパラペット近くだと金網越しでは腕が届かないでしょ」
「パラペット?」
「外周部にある手すりみたいなこれよ」
美羽は立ち上がり部分をとんとんと叩く。フェンスからパラペットまでは腕を伸ばしてギリギリの長さ。だが金網のひし形は腕を通せるほど大きくはない。
「そうだな。フェンスを乗り越えるしかないな。フェンスにもたれてスマホでも弄っていたのかなあ。それで手が滑って?」
「スマホは例えよ。ワイヤレスイヤホンでもなんでもいい。フェンスを越えて取りに行こうと思うほどの物があったとしたら」
「それでうっかりバランスを崩して……か。面白い推理だな。でも何も落ちてないぞ」
「だから拾ったんじゃない? 拾えたけどバランスを崩して一緒に落下したのかも。なにか思い出した?」
「いや、ちっとも」
肩をすくめると、美羽はつまらなそうに唇を尖らせた。
「不安にならないの? ここから落ちたんだよ」
「美羽の説でいいよ。それを信じる」
「……思い出したくないんじゃないの」
「なんで?」
美羽はわずかに逡巡してから、思い切ったように口を開いた。
「いじめられてなかった? 靴やかばんをいじめっこに盗まれて、このパラペットの上に放置されてたんじゃない? 弓弦はきっと泣きながらフェンスを越えたのよ」
美羽は次々と憶測を出してくる。それも残酷な妄想をいくぶん楽しそうに頬を上気させながら。
腹立ちをなんとかおさえて記憶を辿る。
ない。いじめられた記憶はまったくない。きっぱりさっぱり欠片もない。
「脳に損傷があるのかなあ」
美羽は頭部をこんこんと叩く。失礼な奴だ。
「おまえだって死に際を憶えてないんだろ。どうせなら自分を掘り起こせよ」
「弓弦のほうが謎めいてるもん」
美羽はそう言って、だがひとつ推論ができたことで気が済んだように、夜空に向かって大きく伸びをした。
「実体があるって最高だね。もう返したくないなあ」
フェンスの内側に戻ってきた美羽は、さらりと恐ろしいことを言った。
「いいかげんにしてくれ」
「安心してくれていいよ。そんなに長くはないから。幽霊ってね、現世に長くはとどまれないの。死んでから四十九日以内に成仏できないと最悪、悪霊になるから」
「おまえ、死んだのは」
「6月12日」
「今日は7月3日──」
「7月30日までに清水先輩を誘惑しないと」
悪霊になるの。薄く微笑んだ美羽は唇だけで笑った。むりやり作った笑顔だ。
「悪霊って……」
10
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜
瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。
大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。
そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。
椿の国の後宮のはなし
犬噛 クロ
キャラ文芸
※毎日18時更新です。よろしくお願いします!
架空の国の後宮物語。
若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。
有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。
しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。
幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……?
あまり暗くなり過ぎない後宮物語。
雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。
※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
敏感リーマンは大型ワンコをうちの子にしたい
おもちDX
BL
社畜のサラリーマン柊(ひいらぎ)はある日、ヘッドマッサージの勧誘にあう。怪しいマッサージかと疑いながらもついて行くと、待っていたのは――極上の癒し体験だった。柊は担当であるイケメンセラピスト夕里(ゆり)の技術に惚れ込むが、彼はもう店を辞めるという。柊はなんとか夕里を引き止めたいが、通ううちに自分の痴態を知ってしまった。ただのマッサージなのに敏感体質で喘ぐ柊に、夕里の様子がおかしくなってきて……?
敏感すぎるリーマンが、大型犬属性のセラピストを癒し、癒され、懐かれ、蕩かされるお話。
心に傷を抱えたセラピスト(27)×疲れてボロボロのサラリーマン(30)
現代物。年下攻め。ノンケ受け。
※表紙のイラスト(攻め)はPicrewの「人間(男)メーカー(仮)」で作成しました。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる