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どうしてこうなった

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「ねえ!」

 彼女を初めて見たとき、痛感した。
 ああ、これが本物のヒロインというやつなのだ、と。
 明るいブラウンの髪が、桜の木の下で艶やかに揺れた。
 人混みに揉まれ、無様にも講堂の前で転んでしまった哀れな脇役に対して、「彼女」はわざわざもがき、引き返し、微笑みながら手を差し伸べている。
 その微笑みの、なんと美しいことか。

「怪我はない……?」

「あ、うん。大丈夫」

「そう。なら、よかった」

 差し伸ばされた手にあえて無視を決め込み立ち上がるも、眼前の少女は嫌な顔一つしない。
 胸の前で愛らしく両の手の指を合わせ小首を傾ける様は、まさに天使そのものだ。同性でありながらも、その笑顔に惹かれずにはいられない。

「わたし、春川さくら。あなたの名前は?」

 悪い夢を、見ているようだった。
 その名を聞いた瞬間、急激に見覚えのない様々な記憶が体の中を駆け巡っていく。心拍数が、上がる。

「雪乃」

 風にたなびく長い髪を押さえるさくらの細く白い指が、やけに記憶にこびりついて離れなかった。
 下ろしたての制服、講堂へ入ることを促す教師の声、桜の中で微笑む天使。

「森、雪乃」

 震える声で紡ぎ出された名を、さくらは噛みしめるようにして呟いたのち、はにかむ。
 それこそ、ヒロインにふさわしい顔をして。


*****

 この世界は、乙女ゲームである。

 高校の入学式の朝、初めて春川さくらという少女と出会ったあの瞬間、雪乃の脳裏には覚えのない記憶が一気にフラッシュバックしてきた。
 断片的ではあるが、流れ込んできたそれは所謂前世の記憶、というやつで。
 これまで生きてきた16年の世界は、まるきり雪乃の前世で流行っていた学園モノ乙女ゲーム「ときめき☆すくーるらいふっ!」の世界観と同じものであり、その主人公の名前が「春川さくら」。
 雪乃が入学式に出会った、絶世の美少女その人である。

 そしてゲームの中の「森雪乃」は彼女の友人、所謂サブキャラというやつだ。
 自分が今生きている世界が乙女ゲームと酷似しているだなんて、普通はもう少し動揺すべきなのかもしれないが、前世の知識が蘇ってきても別段雪乃が驚くことはなかった。
 というのも、「ときめき☆すくーるらいふっ!」は別段変わったところがない、いたって普通の学園もの乙女ゲームだったからである。
 18歳未満プレイ禁止ではなく、変なバッドエンドもなく、主人公の友人が裏切り、闇落ちするということもない。
 せいぜい主人公が誰とも恋人関係にならなかったノーマルエンドで出番がある程度の、ごくごく普通のサポートキャラ。
 それが、「森雪乃」という平凡なキャラクターの設定であった。

 そんなわけで、雪乃はあの日、断片的な前世の知識が蘇っても特にショックを受けることもなく、まあ、そんなこともあるか、という程度の軽い気持ちで現実を受け止めていた。
 自分が酷い目に合うことがないのなら、死に物狂いで慌てる必要もない。
 そんなことよりも、と雪乃はおもむろに隣の席へと視線を移した。

「は、ははは春川先輩! ぜひ僕と付き合ってください!」

「えぇ……っ!? どうしようかなぁ」

 新入生の男子生徒に告白され、わざとらしいまでに頬を赤らめてみせる桃色の目をした少女。
 発せられる声は砂糖菓子のように甘く、伏せられた目は微かに潤み、男女問わず庇護欲を掻き立てられる。

「ねえ、ゆきちゃん」

 そんな彼女は、自身に対して深々と頭を下げている男子生徒に背を向け、隣の席に腰掛ける雪乃へと微笑みかける。

「ゆきちゃんは、どう思う?」

「どう思うって……。別に、さくらがいいと思うなら付き合えばいいんじゃないの?」

「もう! ゆきちゃんってば冷たい! わたしはゆきちゃん一筋って知ってるくせに! ゆきちゃんのおに! あくま! ……でも、そんなところも好き!」

 言いながら、さくらは席から勢い良く立ち上がる。
 そのまま座る雪乃へと背後から覆いかぶさるさくらに、告白していたはずの生徒はぎょっと目を見開き、その場に立ち尽くしていた。
 その様を、周囲のクラスメイトは冷めた目で見守っている。
 耳を澄ませば、「またか」「またもなにも、いつものことだろ」「やっぱりあの二人できてるんじゃ」「かわいそうに、あの一年生」「早く結婚しろ」「式はまだですか?」だの、耳の痛くなる言葉の数々が雪乃の耳を刺した。

「……頭が痛い」

 こんなはずじゃなかった。

 予定では、雪乃はこの美少女の横で、さくらが誰かと恋に落ちるさまを微笑ましく眺め、応援するはずだった。
 そのはずだったのだ。少なくとも、雪乃が生前友達から借りたゲームの中ではそうだったし、雪乃もそうあることを望んでいた。
 そも、こんな美少女を近くで見られて喜ばない人間はいない。
 だから、雪乃はさくらの恋を本当に心の底から応援しようと思っていたし、今でもそうありたいと思っている。
 ところが、である。

「大丈夫? また夜更かししてたの? ……もう、ちゃんと寝なきゃだめなんだかね?」

「……う、うん」

「本当に分かってる?」

「わ、わかってます」

 あまりの気迫に思わず敬語になってしまう。
 納得のいく答えを返した雪乃に対し、よしよしと、背後から抱きついたままさくらは雪乃の黒髪を撫でる。
 一方告白しに来た一年生は、その顔に困惑をあらわにしていた。
 ドン引き立ち尽くしている男子生徒を、雪乃はされるがままになりながら遠い目で見守ることしかできない。

(私がこいつの立場でも、間違いなく引いてる)

 それはそうだろう。
 学園のマドンナに告白しに来たら、告白を完全無視され、その上告白した相手は隣の席に座っていた女生徒に親しげに抱きつき、デレデレに頬を緩ませているのだ。

「あの」

「悪いことは言わん。諦めろ」

 どもる一回生の肩に手を乗せ、一人の男子生徒がそんな言葉を発した。
 一回生が振り返り目が合った瞬間、男子生徒は黙って首を横に振る。

「は、はい。……ソウシマス」

 とぼとぼと、少年はげっそりとした表情で教室を後にした。
 本当に、ご愁傷さまである。
 何かさくらに言ってやろうとするのだが、雪乃が言葉を発するより二人の前に残った男子生徒の方が早かった。

「さくら」

「なに? まさか祐樹、わたしとゆきちゃんの仲を引き裂きにでも来たの?」

 星野祐樹。
 春川さくらの幼馴染であるらしい彼は、さくらが下の名前で呼ぶ、数少ない男子生徒の一人である。
 そして、本来ならさくらの攻略対象の一人であるのだが、現実は非情、ご覧の有様である。

「ちげぇよ! てか、いい加減解放してやれよ。森がかわいそうだろ」

「かわいそう!? どうしてそんなひどいこと言うの!? ……わたしは、ゆきちゃんをかわいがっているだけなのに」

「だからそれだよ!」

(だからそれだよ!)

 祐樹と雪乃の内なる声が、見事にシンクロする。
 おかしい、と雪乃は思う。
 こんなのはゲームではなかったはずだ。
 というか、あったらジャンルが変わってしまう。

「ね、ゆきちゃん」

 雪乃の体から手を離し、さくらはそっと雪乃の横にしゃがみこむ。

「ゆきちゃんは、いや?」

 目線を合わせ、雪乃の両手をぎゅっと握りしめ、うるうるとわざとらしいまで潤んだ目つきで雪乃を見つめるその姿の、なんと絵になることか。

「騙されるなよ、そいつのそれは150パーセント演技だ」

 首の裏を掻きながら、祐樹が呆れがちに忠告する。
 だがしかし。攻撃の方法がわかっていても必ずしも防御できるのではないように、わざとだろうが演技だろうがなんだろうが、かわいいものはかわいいのである。

「ゆきちゃんっ」

 うるうる、きらきら。まっすぐに己を見つめる視線は、まさに小動物。
 どうしてここまで好かれているのか。
 雪乃には、さくらが何を考えているのか時折分からなくなる時がある。
 だが、打算だろうがなんだろうが、この目を前にするとそんなことはどうでもよくなってしまう。
 ああ、これが真のヒロイン力なのかと雪乃は半ば諦めの眼差しでさくらを見る。彼女は主人公で、自分は脇役。
 さくらは攻略対象を落とすために作られた存在であり、その時点で絶対的なまでの彼女の魅力に、脇役である雪乃なんぞが抗えるはずはないのである。

「い、いやじゃない……です」

「本当!? ゆきちゃん大好き!」

 立ち上がり、先ほどまでのしおらしさが嘘のように勢い良く抱きついてくるさくらをなだめながら、雪乃は思う。

 本当に、どうしてこうなった。

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