えみりちゃんのいぬ

ぬえもと

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後日談

えみりちゃんといぬ(じゅうさん)

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 静寂の中、長くて重い口付けが終わる。

 くろの体にすがりつき、ゆっくりと震える瞼を持ち上げた時、最初に咲里の目に飛び込んできたのはスーツではなく、白地のTシャツに黒いカーディガンを纏う、今となっては見なれた普段着姿のくろだった。
 視線を自身の胸元に向ければ、咲里の服も白いドレスからここに来るまでに纏っていたデニム地のワンピースに戻っている。

 古びた教会も、一面に広がるひまわり畑も消え失せ、ただ深緑だけが地面に倒れこむ咲里とくろを包み込んでいる。
 静寂をかき乱す蝉の声に、それまで虚空を彷徨っていた咲里の意識は徐々に現実へと引き戻されていった。
 
 ――魔法が、終わる。

 くろの胸の上に倒れこんだまま、咲里はしばし静止していた。
 まじまじとくろの顔を見つめ、向けられる熱いまなざし、頬に触れたままの手のひらの感触に困惑する。
 一瞬本当に夢でも見ていたのかと思ったが、倒れこんだままの体勢、そして他ならぬくろの情熱的なまなざしが、頑なにそれを否定する。
 咲里が一人あたふたとしている間に、くろは頬から手を離すと、咲里の体を片手で抱きしめたまま、ゆっくりと体を起こしていく。
 くろと向き合うようにして座る形となった咲里は、困惑し、動揺する心を誤魔化すようにして、咄嗟に口を開いた。

「――あの」

 瞬間場違いにも、ぐぅと、音を立てて咲里の腹が鳴る。

「いや、あの、これは違――」

 何も、こんなタイミングで鳴らなくても。
 顔を赤らめ、必死に言い訳を口にする咲里の耳をついたのは、気の抜けた笑い声だった。
 木漏れ日の中、小さく目を見開く咲里の頭を撫で、くろは柔らかな微笑みを浮かべる。

「近くに、美味い蕎麦屋があるらしい。……食いに行くか」

「……うん」

 そんなくろの微笑みに、釣られるようにして。
 小さく返事を返し、咲里はゆっくりと立ち上がった。

 ――魔法が終わったとしても、薄汚れた少女を運命の相手だと見抜いた、おとぎ話の王子様のように。
 くろならばきっと、どんな姿だろうと咲里を見つけ出してくれる。

 ――だから、もう何も恐れない。

 飼い主と犬ではなく、これからは対等な関係として。

 夢ではないと訴えるようにして、きつく繋がれた手のひらから伝わる熱に暖かくなる胸を自覚しながら、二人はゆっくりと来た道を戻っていった。
 

*****

 観光を済ませ、菓子類などの土産が入った紙袋を両手で抱きしめながら、咲里はくろと横並びで薄暗い旅館の廊下を歩いていく。
 手早く客室の引き戸を開けたくろに促されるままに、咲里は室内に足を踏み入れる。咲里が中に入るのを確認して、くろもそのあとに続いた。
 カチャリと、鍵の閉まる音がする。
 瞬間、咲里は背後からくろに抱きすくめられていた。

 咲里の腕から紙袋を奪い、乱雑に式台の上に置くと、くろは服の上から咲里の胸を揉む。掬い上げるような、わざとらしく官能を煽るかのようなよこしまな手つきからなんとか逃れようと、咲里はくろの腕の中で身をよじった。
 だが、くろの束縛は益々強まるばかりで、一向に解放される兆しはない。
 むしろより興奮したかのように耳裏を舐めあげ、ワンピースのボタンを外し、くろは執拗に咲里の体を弄っていった。

「ま、まだ外、ちょっと明るい、し」

「ああ」

「……き、昨日も、その、したし」

「そうだな」

 穏やかな声で同意を示しながらも、くろの腕が止まることはない。
 片方の腕で強く腰を抱いたまま、もう片方の腕が二つ、三つと開け放たれたワンピースのボタンの隙間を抜い、直接咲里の肌に触れる。
 ブラジャーを押し上げるようにして露わにされた控えめな胸を、節くれだった指が揉みしだく光景を目に留めた瞬間、咲里の顔は爆発してしまいそうなほどに真っ赤になった。
 つぷりと耳の穴に差し込まれた舌に、ゾクゾクとした震えが背を駆け抜けていく。

「っ、ぁ……っ」

 水音が、咲里の意識を犯す。

 いっそのこと、昼間のように腹が鳴ってくれれば雰囲気も壊れるのにと思いはすれど、昼間散々蕎麦だ、饅頭だ、温泉卵だと軽食を挟んだ咲里の腹は、そう都合よく空腹になってくれるほど単純には出来ていないらしい。
 昨日は自分から風呂に誘う潔さがあったくせに、いざくろの側から迫られると怖気付いてしまうのは、咲里の臆病さゆえの悪い癖だった。

「ひ、昼間歩いて、汗……掻いたし、っ、ぁ、あの、だからせめて、お風呂……、っ」

「気にしない」

 むしろ興奮するとでも言いたげに、すんすんと体臭を味わうようにして耳裏を嗅ぎながら、咲里の往生際の悪さを咎めるようにして、それまでやんわりと胸を弄っていた指先が、きつく咲里の胸の先端を摘む。
 ぐりぐりと押しつぶすようにして何度も乳首への刺激を繰り返すくろから逃れるようにしてきつく目を閉ざせば、一層感覚が敏感になった気がした。
 無意識に、その先を求めて腰が揺れる。

「ぃ……っ、んっ、あ……っ」

「あんたが言ったんだろう。……もう、我慢しなくていいと」

 確かに言った。
 くろの胸にすがりつき、自分から淫らに強請った。

「あ、れは……」

 そこまで言って、咲里は言葉に詰まった。

 自分から割れ目を竿にこすりつけ、欲望に突き動かされるままに腰を振る。
 その淫靡な情景をまざまざと思い返し、咲里は一人羞恥にうち震えた。

 くろが、一向に手を出してこなかったから。
 中途半端に熱を高めるだけで、焦らすような真似をするから。

 そんな言い訳を並べてみたところで、結局は先を求めて縋ったという事実に変わりはない。昨日くろに煽られて、これではまるで変態ではないかという感想を抱いたが、あながち間違いではなかったのかもしれない。
 むしろ、思い返せば返すほど、変態の所業以外の何物ではなかったと確信できる。

「咲里、……あんたが、欲しい」

 もうこれ以上、我慢出来ないとばかりに。
 嗜虐的な色を帯びるくろの声に、背を震えが駆け抜けていった。
 はぁはぁと荒い息を吐き出しながら臀部に押し当てられた男のものが、順調に硬さを増していく。
 散々渋っておきながらも、挿入を思い起こさせるようにして布越しに押し当てられたものに、咲里は精を搾り取るようにしてきつく膣が収縮を繰り返すのを感じていた。ぬちぬちという微かな粘着音が、静かな室内をかき乱していく。

「だが」

 回答を渋る咲里に、はたと、くろの攻勢が止んだ。咲里の体を捕らえるくろの腕から、力が抜ける。
 それこそ、本気で拒もうと思えば容易く跳ね除けてしまえるほどに。

「あんたが嫌なら、無理にはしない」

 くろの手のひらが、服の上からゆるやかに咲里の腹を撫でた。

「……なあ、咲里。嫌、なのか」

 ゆっくりと頭を動かし、咲里は背後に立つくろの表情を顧みる。
 嫌なら抱かないと言いながらも、獲物を前にした肉食獣のように、興奮し切った顔で口角を釣り上げる男に、咲里は瞬間ずるいという感想を抱いた。

 散々言い訳を並び立てたところで、嫌なわけがない。
 くろが咲里を求めてくれているように、咲里だってもっと深いところで、くろの熱を感じたい。散々熱を高められれば、なおさら断る余地がなくなってしまう。

「……嫌、じゃない」

 漏れ出た声は、蚊の囁きのように脆く、小さい。
 けれどしっかりと咲里の答えを聞き届けたらしい男は、喉の奥を震わせ、喜色の籠った低い笑い声を漏らした。

「そうか」

 瞬間、咲里の体は空中に浮いていた。
 突然の浮遊感に突発的にくろの首に腕を回せば、体を持ち上げる腕に力が増す。
 咲里の体を両手でしっかりと横抱きにし、乱雑に靴を脱ぎ捨てると、くろはずかずかと室内を闊歩していく。
 服越しに触れた肌から伝わる心臓の鼓動が、頭の片隅にこびりついて離れなかった。

 襖を開け、綺麗に整えられた布団の上に咲里を横たえさせると、くろはその上に躊躇なく覆い被さった。部屋の明かりが、ゆっくりと落ちていく。
 それと同時に、くろのものが咲里の唇を塞いだ。
 そこに昨日風呂場で一瞬見せた躊躇いの色は、一切残されてはいない。
 言葉はなく、ただお互いの快楽を追い求めるがままに、奪い、貪る。

 くろは中途半端に脱がせていた咲里のワンピースに手をかけると、啄ばむような口付けを何度も繰り返しながら、残されていたボタンを外していく。
 ブラジャーのホックを外し、完全にワンピースの前をくつろげると、くろは胸の先端を口に含みながら、咲里の内腿に腕を這わせた。
 軽く痙攣を起こした咲里に気を良くしたのか、そのままショーツ越しに咲里の秘所に触れる。手のひら全体を使って確かめるようにして触れる男の執拗な動きに、咲里は小さく声をあげた。

「咲里、濡れてる」

「だって、ぁ、くろが、……っ、触る、から」

「ああ」

 言い含めるようにして、くろはゆっくりと言葉を紡いでいく。
 心底喜ばしいとばかりに歪に口角を吊り上げ、男はよこしまに嗤(わら)った。

「俺が、あんたを、こうしたんだ」

「まっ……!? ぁ……っ」

 手早く咲里のショーツを引き摺り下ろし、くろの指が割れ目を開いていく。
 「こうした」という部分を強調し、教え込むようにゆっくりと中に入り込んでくる指の感触に、咲里はたまらず悶絶した。膣壁を引っ掻くようにして慎重に挿入を繰り返されるたび、しとどに濡れそぼった秘所は、じゅぶ、ぬち、という淫靡な水音を立て、喜んで男の指を咥え込む。
 くろの動作を咎めるようにして反射的に男の二の腕を掴めば、ますます動きの激しさが増した。
 
「ぁ、動かさ、な……っ」

「どうして」

 一際奥まで、男の指が埋め込まれていく。
 首筋に舌を這わせ、意図的に中をまさぐり、咲里の感じる場所を責め立てては、うっとりとした笑みを浮かべてみせる。
 それでも再奥までは到達せず、もどかしい快楽だけを蓄積させていく曖昧な動きに、咲里の腰は無意識に揺れ動いていた。

「昨日は自分から、挿れたいと言ったくせに」 

「あ、れは、ぁ……っ!?」

「はぁ、……っ、咲里、かわいい、咲里、えみ、り……っ」

 ぐりんと、中に埋め込まれたものが、円を描くようにして咲里の感じる場所を責め立てた。びくんと大きく跳ねた腰を、くろの腕が抑える。
 埋め込む指の数を増やし、くろは執拗なまでに丁寧に咲里の中を解していった。
 ずぶずぶと浅い挿入を繰り返し、時折戯れに蕾を刺激したかと思えば、肉棒での挿入を思い起こさせるようにして奥深くへと埋め込んでいく。
 行為を続けられるたび、子宮の奥が男の精を求めて疼きを増していく。

 初めて体を繋げた時は恐怖しかなかったはずなのに、今ではもっともっとと先を求めて、一層奥深い場所へとくろを誘おうとする。

 高めるだけ高められ、何度も中途半端な絶頂を迎え、咲里の頭は次第におかしくなっていった。理性は蒸発し、ただがむしゃらに快楽だけを求めて貪欲になっていく。
 くろが指を引き抜く頃には、咲里の秘所はこれ以上ないというほどに蜜でぐちょぐちょに蕩けていた。栓を失った秘所が、虚しく収縮を繰り返す。

 口の端から唾液を零し、呆然と天井を見上げていた咲里の視界に、指に付着した咲里の蜜を熱に浮かされた目で嚥下するくろの姿が飛び込んでくる。
 纏っていた服を乱雑に脱ぎ捨てながら、見せつけるようにして蠱惑的に動かされる舌に、ますます咲里の体は熱を帯びていった。

 そんな咲里の期待に応えるようにして、くろの腕が咲里の膝裏を持ち上げる。
 身を乗り出したくろが、あからさまに挑発的な笑みを浮かべた。

「咲里」
 
 痛いほどに張り詰めた怒張の先端が、ゆっくりと蜜口へと押し込まれていく。
 
「あんたの望み通り。……今日は、加減しない」

 宣言するや否や勢い良く再奥まで穿たれた肉棒に、咲里ははくはくと無様に口を動かし、声にならない悲鳴を上げた。頭の中が、真っ白になる。

「ひっ、ぅ、あっ、ん、ぁ……っ!」

 奥深くまで埋め込まれたかと思えば、次の瞬間には一気に引き抜かれていく。
 熱が、全身を駆け巡る。

 昨晩の交わりが熱を分け与えるかのような優しい情交だったからこそ、余計に行為の激しさに飲み込まれていく。
 一度果てを知ってしまった体はこの激しさを求めていたのだと、淫らにも悦びを露わにする。
 反射的に覆いかぶさるくろの首に腕を回し、きつく抱きつけば、一層抽送が激しさを増していった。
 押しつぶすようにして抱きしめられ、挿入を繰り返されるたび、ばちゅん、ずちゃ、ぐぽ、という激しい体液の混ざり合う音が咲里の耳を犯す。
 過ぎた快楽に、頭がおかしくなっていく。
 
「気持ちいい?」

 何も考えずガクガクと無心で首を縦に振れば、くろはうっとりと満足気に瞳を細めた。咲里の唇を塞ぎ、舌を執拗に絡めながら行われる、理性の欠片もない動物的な情交。

 怖かった、はずなのだ。
 ――今だって、正直恐ろしい。
 けれどそれ以上の熱が、咲里を駆り立てていく。
 全身が愛おしいという感情に支配されていき、それ以外何も考えられなくなる。

「ふ……っ、んっ」

「咲里、声、ぁ、聞きたい」

「え、っ? やっ、んあっ、は、ずか、ぁ……っ、んっ、ふぁっ、あっ、んぁ……っ!?」

 口付けによって強制的に開かされた口から、淫らな嬌声が漏れ出る。
 互いの境界が不鮮明になる心地の良い狂気の中で、激しい情交に流されまいと、咲里は必死にくろの体にしがみ付いていた。
 挿入を繰り返されるたび、膣がくろの精を搾り取ろうと、食い千切らんばかりに肉棒を締め上げていく。その度くろの喉元からは、堪えるような吐息が漏れ出していた。

「は、ぁ……っ、咲里、えみ、り」

 口付けを中断し、やがてくろは律動へと意識を集中させていく。
 圧し潰すようにして咲里の体に覆い被さり、本能のままに腰を振る。
 宣言通り加減のない、どこまでも動物的なまぐわい。
 鈴口が子宮口を貫くたび、小刻みに腰が震えを覚えた。
 体液の混ざり合う音が、次第に激しさを増していく。

「っ、は――」

 肌と肌を密着させ、食い千切らんばかりに咲里の首筋に噛みつき、くろは一際奥へと肉棒を埋め込んだ。瞬間ドクドクと脈打ちながら中に吐き出されていく暖かな精の感触に、咲里は何度も全身を小刻みに痙攣させる。
 内側から穢され、支配されていく感覚に溺れていく。驚異的な中毒性でもって、咲里の体を作り変えていく。

「……悪い」

 それまで無遠慮に咲里を嬲っていた男は、しばしの沈黙のあと、そんな小さな囁き声とともに、ゆっくりと体を起こしていった。
 中に埋め込まれていたものが、名残惜しげに引き抜かれていく。瞬間、注ぎ込まれていたものがごぽり、という音を立て、蜜口からこぼれ落ちていった。

「ぁ……」

 瞬間首をもたげたのは、「もったいない」という感情だった。
 惜しむように精を注がれた腹に手を当て撫でれば、くろの喉元が物欲しそうに蠢く。

「……また俺は、あんたに無茶を」 

 気まずそうに咳払いをし、視線を逸らしたかと思えば、くろはそんな見当違いの気遣いを見せた。最初の勢いはどうしたのかと、咲里は布団に横たわったまま力ない笑みをこぼす。
 気怠い体を動かしくろの顔に腕を伸ばせば、男の背がそっと屈められた。

「別に、気にしなくて、いいのに」

 いつもは思うだけだった言葉を、素直に口にする。
 咲里はくろの首に腕を回し、そのまま男の顔を引き寄せた。
 どこか不服気な口が、反論を吐き出すその前に。

「くろになら、何をされてもいい」

 見上げた先の黒い目が、面白いほどに見開かれていく。
 ついで、くろは熱を宿した目で、どこか諦めたように力なく口角を吊り上げた。

「……恐ろしい女だよ、あんたは」

 自虐的に笑みながら、くろは咲里の頬に口付けを落とす。
 そのまま首筋を舌でなぞり、再び暴力的なまでに硬くなった楔を誘惑するように濡れた蜜口に当てがうと、ゆっくりと割り開いていく。

「んっ……」

 亀頭が隘路へと入り込んだ瞬間、咲里は小さく身震いを起こした。

「咲里」

 ゆっくりと、顔を上げる。
 情欲を孕んだ黒い目と視線がかち合った瞬間、ずぼりと一息に肉棒が再奥へと埋め込まれていった。再び隘路を満たす怒張の感触に、咲里は艶やかな吐息を零す。

「……煽ったのは、あんただ」

「う、ん」

 息を荒げながら挿入を深めていくくろの手に、自身の指を絡めながら。

「くろの、好きにして」

 その手でぐちゃぐちゃに犯されたいと、どこまでも情けなく笑う。
 瞬間もたらされた暴力的な情交に、咲里は全てを委ねていった。


************


 食事を済ませ、一度は風呂に入り身を清めたはずなのに、気が付けば咲里の体は再び、どちらのものとも知れない体液でドロドロになっていた。
 月の光さえ届かない暗闇の中で、穿ち、引き抜き、精を吐き出したかと思えば、何度も体位を変え、情交を繰り返す。互いが求めるがままに貪り、奪い、溺れていく。
 回数を数えるのも億劫になり始めた頃、咲里は知らぬ間に気を失っていた。

 次に意識を取り戻した時、咲里が最初に感じたのは腰を抱く暖かな腕の感触だった。
 ついで、長い髪を誰かが梳いている感触に、咲里はゆっくりと瞼を押し上げていく。

「……悪い。起こしたか」

 ふるふると、咲里は首を横に振った。
 心地よい微睡みに誘われるようにして、くろの胸に体を預ける。
 窓の外はまだ薄暗く、周囲は冷たいほどの静寂に満ちていた。
 くろの胸から聞こえるゆったりとした心臓の鼓動だけが、咲里の耳に飛び込んでくる。

「……あのね、くろ」

「どうした」

「……実はずっと、聞いてみたかったことが、……あって」

 情事の余韻で蕩けた頭が、衝動に突き動かされるままに言葉を吐き出していく。

「……その、……子供って、出来たり、するの?」

 瞬間、くろの腕が止まった。
 訪れた沈黙に、咲里は咄嗟に問いかけをなかったことにしようとする。
 だが。

「あんたは、どうしたい」

 咲里の言葉を、遮るようにして。

 先ほどまで髪を梳いていた腕で咲里の頬を撫で、顔を上げさせると、くろは咲里の瞳を真正面から見つめた。
 出来るとも出来ないとも言わず、くろは黙って咲里の答えを待っている。
 ――それこそが、くろの答えのような気がした。
 感情を読ませない無表情に、咲里はごくりと息を呑む。

「今は……、まだ、いい」

 長い長い沈黙ののち、咲里は掻き消えそうな声でそんな言葉を吐き出した。
 そこまでの覚悟は、まだない。
 けれど、心身ともにもう少し大人になって、覚悟が出来たのならば。
 その時は――

「わかった」

 咲里の緊張を緩めるようにして、くろが微かに口角を吊り上げる。
 額に落とされた唇のくすぐったさに、咲里は小さく肩をすくめた。
 抱きしめるくろの力が、強くなる。安心感からか、一時は遠ざかっていたはずの眠気が一気に咲里を夢の淵へと誘っていく。

 どこまでも心地の良い、深い深い暗闇の中で。

「おやすみ、咲里」

 咲里は一人、くろに促されるままにそっと目を閉じていった。






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