后狩り

音羽夏生

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蜜月

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 こうして愛撫に耐えきれず唇が離れたなら、それは挨拶を終わってよいという合図だ。シェルは作法に従い、目の前の濡れた唇を舌先で拭うと、氷青の瞳を見つめた。
 その目が、やさしげな笑みの形にたわむ。

「──よく眠っていたな、具合はよくなったか」
「はい、おかげさまで。ご配慮に感謝いたします、陛下……っ、エーヴ」

 軽く睨まれ、シェルは慌てて言い直した。
 目覚めてすぐに性感をかき立てられる挨拶を交わしたせいで、ぼうっとした頭から注意が抜け落ちてしまった。
 二人きりの時は、望まれた通りに御名でお呼びする。皇族への敬意を表す最高敬語も使わない。
 その約束さえ守れば、人目のあるところでは、これまで通り「陛下」とお呼びする許しを得ている。
 臣下ではなく対等な皇后として扱おうとする皇帝に、その権威を保つために畏れながら申し入れたのはシェルだった。
 自らの意思を変える必要などない至高の存在である皇帝に、渋々ではあったものの受け入れられ、シェルは内心ほっとした。しかし結果的に御名は、畏れ多いことに閨の睦言の一部となってしまっている。──おそらく、皇帝の望み通りに。
 二人で共に過ごす夜と朝が日常となりしばらくして、この名で呼べと許されたのは、敬称なしの愛称だったのだ。
 この上なく不敬なことと青ざめ、翻意を願っても無駄だった。毎夜こんこんと体に言い聞かせられ、とうとう陥落して、どうにかつかえずにお呼びできるようになったのは、ごく最近のことである。

「確かに、すっかり元気なようだ」
「あっ……」

 閉じた太腿の間に脚を割り入れ、皇帝がはしたないシェルの欲望を擦り上げてくる。
 からかう仕草に、俯きながら「お許しを……」と呟いてみるが、褥でその願いが聞き入れられたことはない。

「俺が可愛がらずに、この哀れなものをどうするというのだ」
「……時間が経てば、治まります」
「それを待つほど、お前の夫は暇でも薄情でもない。夫に任せるか、それが嫌なら自分で慰めるか?」

「ならば最後まで見ていてやろう」と楽しげに言われても、自慰など誰かに見せるものではない。
 困り果て、ついチロリと目線だけで見上げると、皇帝は無言のままシェルを見つめ、額に額をすり寄せてきた。

「それが答えか?」
「は、い?」

 何のことかと聞き返したシェルに、皇帝が小さくため息をつく。

「なかなか懐かぬ様も、そのくせこうして甘えてくるところも、まったく俺の黒猫は主を惑わせることに余念がない。そろそろ仕置きが必要なようだ。──猫は風呂を嫌うものだな?」

 惑わせるなどとまったく心当たりのないことを言われ、焦りながらもご下問には答えなければならない。一般に猫は濡れるのを嫌うというから、風呂など論外だろう。
「おそらく」と答えると、皇帝は満足気に鼻の頂に軽く口づけてから寝台を下り、すくうようにシェルを抱き上げた。
 不意を突かれ、また不安定な姿勢に、シェルは無意識に逞しい首にしがみついてしまう。飼い主の腕から下りたくない猫のような仕草に、皇帝がしたりとほくそ笑んだ。
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