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後宮
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特例として箝口布越しなら会話してもよい、と許可をいただいた護衛は、后が男であることを知る数少ない最側近の一人である。
皇帝の腹心である女騎士は、冴え渡る剣術と美貌、そして必要最低限の人付き合いしかしないことで知られており、シェルは近づき難い方と認識していた。侍従時代に顔を合わせることがあっても、互いに折り目正しく挨拶を交わすだけの間柄だった。
亡き母の輿入れに際し、サンドベリ家とは因縁が生まれ、それはシェルとクリスティーナに引き継がれている。ゆえにサンドベリ家の人間には、可能な限り接触を避けられるものとシェルは思っていた。
「シェル様があの奔馬の手綱を握られるなら、帝国の未来も明るいというもの。大公である我が兄は器量が小さく、一門は微力でユングリングとは比べるべくもございませんが、サンドベリの忠誠は変わらず、シェル様に」
ウルリカは足を止め、その場に片膝を突き胸に手を当てる騎士の誓いを捧げる。流れるような所作の美しさに見惚れ、──我に返ったシェルは慌てて立つように女騎士を促した。
「古い口約束です。いつまでも縛られず、どうぞ自由におなりください」
「そう言われましても、この契約は天誓によるもの。受け取っていただかねば、我が一族は皆、手首から先を斬り落とされてしまいます」
婚姻による同盟の前提となった、古い契約だ。
大陸で最も古く高貴な血を持つミレニオの王女が、格下の大公国に嫁ぐ条件の一つに挙げた、罪人の処断──ミレニオ貴族である彼女の侍女を攫い奴隷とし、帝国の後宮に納めた盗人を、身分にかかわらず全員処罰すること。
王女の侍女を攫った者も買い入れた奴隷商も、その一族すべてが罪に問われ、帝国の法により手を落とされた。彼女を買い上げ皇帝に献上した貴族にも同様の処分が下されるはずだったが、王女とその子孫に永久絶対の忠誠を誓約することで辛うじて免れた。
そうして王女は、ミレニオ王家の権威と自身の矜持を帝国に示した。──シェルが生まれる何年も前の、古い話である。
「ルチア様──。あれほど強く美しい方を私は知りません。まさか落馬事故で亡くなられるとは……。シェル様も、乗馬は禁じられておいでなのでしたね」
「ええ、ミレニオの王族は乗馬を許されておりませんので、母の言いつけで。母が戯れで馬に乗り亡くなってからは、父から厳禁されております」
「御身のお立場を考えると、過保護とはとても申せませんね」
ぽつぽつと他愛のない会話を交わしながらの散歩は思いがけず楽しく、シェルはこの冷淡な見た目と豪快な中身の落差が激しい女騎士に好感を抱いた。
ウルリカが皇帝に気安いのは、幼い頃から剣術の稽古で切磋琢磨してきた仲であり、第一皇女も交えた幼馴染であるからだという。
外殿に戻りながら、
「思えば、シェル様が馬にお乗りにならないことで、陛下は色々空回りしていたわけです。ああ、なんて愉快! おかげさまで、今夜は美酒に酔えそうです」
と肩を震わせていたのは気になったが、ウルリカがあまりに楽しそうなので、邪魔をするのは憚られた。
皇帝の腹心である女騎士は、冴え渡る剣術と美貌、そして必要最低限の人付き合いしかしないことで知られており、シェルは近づき難い方と認識していた。侍従時代に顔を合わせることがあっても、互いに折り目正しく挨拶を交わすだけの間柄だった。
亡き母の輿入れに際し、サンドベリ家とは因縁が生まれ、それはシェルとクリスティーナに引き継がれている。ゆえにサンドベリ家の人間には、可能な限り接触を避けられるものとシェルは思っていた。
「シェル様があの奔馬の手綱を握られるなら、帝国の未来も明るいというもの。大公である我が兄は器量が小さく、一門は微力でユングリングとは比べるべくもございませんが、サンドベリの忠誠は変わらず、シェル様に」
ウルリカは足を止め、その場に片膝を突き胸に手を当てる騎士の誓いを捧げる。流れるような所作の美しさに見惚れ、──我に返ったシェルは慌てて立つように女騎士を促した。
「古い口約束です。いつまでも縛られず、どうぞ自由におなりください」
「そう言われましても、この契約は天誓によるもの。受け取っていただかねば、我が一族は皆、手首から先を斬り落とされてしまいます」
婚姻による同盟の前提となった、古い契約だ。
大陸で最も古く高貴な血を持つミレニオの王女が、格下の大公国に嫁ぐ条件の一つに挙げた、罪人の処断──ミレニオ貴族である彼女の侍女を攫い奴隷とし、帝国の後宮に納めた盗人を、身分にかかわらず全員処罰すること。
王女の侍女を攫った者も買い入れた奴隷商も、その一族すべてが罪に問われ、帝国の法により手を落とされた。彼女を買い上げ皇帝に献上した貴族にも同様の処分が下されるはずだったが、王女とその子孫に永久絶対の忠誠を誓約することで辛うじて免れた。
そうして王女は、ミレニオ王家の権威と自身の矜持を帝国に示した。──シェルが生まれる何年も前の、古い話である。
「ルチア様──。あれほど強く美しい方を私は知りません。まさか落馬事故で亡くなられるとは……。シェル様も、乗馬は禁じられておいでなのでしたね」
「ええ、ミレニオの王族は乗馬を許されておりませんので、母の言いつけで。母が戯れで馬に乗り亡くなってからは、父から厳禁されております」
「御身のお立場を考えると、過保護とはとても申せませんね」
ぽつぽつと他愛のない会話を交わしながらの散歩は思いがけず楽しく、シェルはこの冷淡な見た目と豪快な中身の落差が激しい女騎士に好感を抱いた。
ウルリカが皇帝に気安いのは、幼い頃から剣術の稽古で切磋琢磨してきた仲であり、第一皇女も交えた幼馴染であるからだという。
外殿に戻りながら、
「思えば、シェル様が馬にお乗りにならないことで、陛下は色々空回りしていたわけです。ああ、なんて愉快! おかげさまで、今夜は美酒に酔えそうです」
と肩を震わせていたのは気になったが、ウルリカがあまりに楽しそうなので、邪魔をするのは憚られた。
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