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後宮
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長いベールをかぶり、箝口布は透ける紗ではなく厚い布地のもの。与えられる衣服がゆったりとした女性用であることに、後宮で過ごすようになってからずっと自尊心を傷つけられていたシェルだったが、今日ばかりはそれがありがたい。人払いがされても、どこに人の目があるかわからない後宮で、皇帝の狩った后が男だと知られるわけにはいかない。女に見せかけなければならなかった。
「お足元、お気をつけください。裾の長いドレスは、歩くにもコツが必要となりますから」
付き随う武官が、シェルを気遣って声を掛けてくる。
後宮には警護を担当する女性部隊──女衛軍があり、シェル付きの武官となったウルリカは、その将軍である。そして『建国の五柱』の一柱、サンドベリ大公家の公女でもある。
幼少の頃から兄弟の誰よりも剣術に熱心で、手を焼いた両親に結婚を決められる前にユングリング大公妃に直訴し、その計らいで女衛軍に入隊し今に至る破天荒な公女。
彼女に関する貴族社会の評は、このようなものである。破天荒というだけで悪評となっていないのは、ウルリカの誠実な忠勤と実力、彼女の後押しをしたのが亡きユングリング大公妃、そしてその意を受けたハルディス第一皇女だったことが大きい。
「こうしてお側でお話しできることを楽しみにしておりました、シェル様」
「若輩の身です、どうぞシェルとお呼びください。サンドベリ大公閣下からお叱りを受けてしまいます」
「ご冗談を。本当なら、陛下とお呼びするところですのに」
「それは断じてなりません。ウルリカ様もご存知でしょう」
シェルの扱いについて、後宮では一悶着があった。
皇帝は自ら狩り入れた后を、自身と同様に「陛下」と呼ぶように通達し、それに真っ向から反対意見を述べたのがシェルだったのだ。
皇后冊立の儀で正式に立后し、皇統譜にその名が載って初めて、皇后は誕生する。皇帝と同じ敬称を奉られるのは皇后のみで、皇帝の母であっても妃であれば皇統譜には載らず、皇族とは見なされない。
皇太子であられた頃ならいざ知らず、治天の君となられた御方が、その礎となる皇統の秩序を乱すことがあってはなりません、と箝口布の下からシェルは静かに諫めた。──初夜の翌朝に。
翌朝といっても、二度目に目覚めた時には日はとうに高く、長い初夜と後朝のせいで消耗しきっていたシェルの声に力はなかったが、その主張は受け入れられた。
「勿論聞き及んでおりますよ。シェル様の威厳に、あの陛下がすごすご引き下がり前言撤回なさったと。あの、陛下が……っ。ああ、私もその場にいたかったな!」
「ウルリカ様……私が申し上げたいのは、皇統の重要性についてで……」
実に愉快そうに、品よく小声で爆笑するという至難の芸当をやってのけるウルリカを、シェルは茫然と眺めた。
「お足元、お気をつけください。裾の長いドレスは、歩くにもコツが必要となりますから」
付き随う武官が、シェルを気遣って声を掛けてくる。
後宮には警護を担当する女性部隊──女衛軍があり、シェル付きの武官となったウルリカは、その将軍である。そして『建国の五柱』の一柱、サンドベリ大公家の公女でもある。
幼少の頃から兄弟の誰よりも剣術に熱心で、手を焼いた両親に結婚を決められる前にユングリング大公妃に直訴し、その計らいで女衛軍に入隊し今に至る破天荒な公女。
彼女に関する貴族社会の評は、このようなものである。破天荒というだけで悪評となっていないのは、ウルリカの誠実な忠勤と実力、彼女の後押しをしたのが亡きユングリング大公妃、そしてその意を受けたハルディス第一皇女だったことが大きい。
「こうしてお側でお話しできることを楽しみにしておりました、シェル様」
「若輩の身です、どうぞシェルとお呼びください。サンドベリ大公閣下からお叱りを受けてしまいます」
「ご冗談を。本当なら、陛下とお呼びするところですのに」
「それは断じてなりません。ウルリカ様もご存知でしょう」
シェルの扱いについて、後宮では一悶着があった。
皇帝は自ら狩り入れた后を、自身と同様に「陛下」と呼ぶように通達し、それに真っ向から反対意見を述べたのがシェルだったのだ。
皇后冊立の儀で正式に立后し、皇統譜にその名が載って初めて、皇后は誕生する。皇帝と同じ敬称を奉られるのは皇后のみで、皇帝の母であっても妃であれば皇統譜には載らず、皇族とは見なされない。
皇太子であられた頃ならいざ知らず、治天の君となられた御方が、その礎となる皇統の秩序を乱すことがあってはなりません、と箝口布の下からシェルは静かに諫めた。──初夜の翌朝に。
翌朝といっても、二度目に目覚めた時には日はとうに高く、長い初夜と後朝のせいで消耗しきっていたシェルの声に力はなかったが、その主張は受け入れられた。
「勿論聞き及んでおりますよ。シェル様の威厳に、あの陛下がすごすご引き下がり前言撤回なさったと。あの、陛下が……っ。ああ、私もその場にいたかったな!」
「ウルリカ様……私が申し上げたいのは、皇統の重要性についてで……」
実に愉快そうに、品よく小声で爆笑するという至難の芸当をやってのけるウルリカを、シェルは茫然と眺めた。
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