后狩り

音羽夏生

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蠢動

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 身分の上下なく、誰に対しても感情を見せないのが常態となっているこの男は、しかし一度たりとも隠したことがない。限りなく殺意に近い、エーヴェルトに対する敵意と警戒だけは。
 退出の挨拶を述べ、イリスは粛々と御前を辞した。
 冷たく張り詰めた空気の中で交わされた、厳かではあるが陰険な応酬にさすがに気疲れし、エーヴェルトは椅子の背もたれに身を預けた。
 こんな時、シェルが側にいれば、先に気を回して温かな飲み物を用意し、あとは壁に溶け込むように存在を消して、声が掛かるまでそのまま待機することだろう。すらりと姿勢の良い立ち姿は高価な陶器人形のようで、積み上げられた書類を決済する合間の目の保養に、密かに愛でたものだ。
 目にも麗しい侍従姿を二度と見られないのは、つくづく惜しい。皇后は外交の場にも立ち、非常の時には摂政として国政を見る立場にあり、後宮から出られない妃とはその日常がまったく異なるが、侍従のように四六時中皇帝の側に侍る者ではない。
 シェルを側に置き、あらゆる策謀から守り愛情を注ぐには、皇后に立てるのが最善とわかっていても、あの小柄で気配りの行き届いた侍従に存分に甘やかされた日々の記憶が、物足りないと駄々を捏ねる。
 ため息を一つ、気持ちを切り替えようとしたところで、予定にない来客を告げる侍従の声が響いた。先約なく皇帝の執務室に現れる人間は限られている。
 追い返す方が面倒な相手の登場に、エーヴェルトは渋々入室を許した。

「陛下におかれましては、随分腑抜けた顔をなさっておいでだこと」

 第一声から斬り付けてくるのはいつものことだ。
 優雅な足取りで皇帝の執務机の前に進むのは、リンネ大公妃ハルディス。終身の名誉称号『第一皇女』を所持する、先帝の長子──現在皇家で最高の格を持つ女性であり、エーヴェルトの異母姉である。
 母親同士の仲が良く、またハルディスは母妃唯一の子供だったため、三つ年下のエーヴェルトとは実の姉弟のように育った。ベルトルドとスティナが生まれた時は、同母の弟妹が生まれたかのように喜び、彼らが亡くなった時、エーヴェルトの側にいたのは、ハルディスとその母だった。
 皇后を持たなかった父帝が、その代わりに第一皇女を公式の場に伴ったことで、宮廷における彼女の地位と影響力は高まった。リンネ大公に嫁しても、異母弟が即位しても、第一皇女の立場は変わらず、聡明だがお節介な姉という力関係も変わらない。
 この皇宮で、エーヴェルトが唯一頭が上がらないとは言わないまでも、上げにくい相手がハルディスである。表には出さないがイリスを嫌い、密かにその嫡子嫡女を気遣う点でも、この異母姉は気の置けない相手だった。

「廊下でユングリング大公とすれ違いましたが、后狩りは決着しましたか」
「ミレニオとの結びつきをより深めるために、皇后を出すユングリングの承諾は、新大公より得ると伝えたところです」
「あの嵐の夜からもう十日、随分焦らすものだと感心しておりましたのに、この上さらに焦らすおつもりとは。さすが陛下、お人が悪いこと」
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