后狩り

音羽夏生

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後朝

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 さして眠りを貪ることなく訪れた二度目の目覚めは、わずかな違和感によってもたらされた。
 傍らに感じていたぬくもりから完全さが損なわれ、不快な消失がエーヴェルトの神経に爪を立てたのだ。違和感の根源──シェルに目を落とすと、じわじわと自身を囲う腕から退こうとしている。
 エーヴェルトはわざと大きなため息をついた。
 すると思った通り、敏いシェルは目線だけを上げて様子を窺ってくる。身動ぎもしないのは、主の眠りを妨げないようにとの配慮に違いない。
 眼差しを絡めてやると、慌てて睫毛を伏せ、またじわりと離れようとする。皇帝の腕に頭を乗せている状況が、落ち着かなくて仕方ないのだろう。よく知る、不敬なことと畏っている顔である。
 シェルらしい身のわきまえ方ではあるが、彼はもう侍従ではない。后狩りから八夜が過ぎ、こうして床入りも済ませたのに、皇帝とともに帝国の頂点に並び立つ存在になったことを、まだ呑み込めていないようだ。
 育った環境のせいで、シェルは自らへの評価が著しく低い。そして主を盲目的に敬愛している──と思い込んでいる。後嗣を得るのが目的ではない唯一の妻、公私ともに皇帝を支える伴侶に自分は到底釣り合わないと、新たな立場を受け入れられずにいるのだ。
 臆病な黒猫の棲み処として、確かにこの後宮は居心地が悪いかもしれない。先は長そうだ、と今度は本気のため息が洩れた。

「──それが後朝の、目覚めた夫に対する態度か」

 懐かない猫に手を焼くのは今に始まったことではないが、口調が少々拗ねたものになるのは仕方がない。
 叱責とは異なる主の心の機微を敏感に汲む、有能な元侍従は、それゆえに困ったように、今度は控えめながら目を合わせてきた。それでようやくエーヴェルトは、シェルの訴えていることを理解する。
 箝口布がないのに、そして閨事の最中で堪えられないわけでもないのに、口を開いていいものかとためらっているのだ。
 こうして後宮に囚われ、身も心も差し出して皇帝のものとなったというのに、いまだそのような些末事を気にしているあたり、実にシェルらしい生真面目さである。何事も儀礼第一の宮廷で、謹厳な大人たちに囲まれて少年期を過ごした弊害とも言える。
 穏やかな無表情を殆ど変えることのない常と比べれば、褥に横たわるシェルは固まったり困ったりと表情豊かだが、期待した新妻の初々しさとは程遠い。

「夜通しあれほど愛らしく鳴いていた黒猫が、今更箝口布もあるまい」

 つい洩らした意地悪な物言いに、シェルのあたたかな肌色に見る見るうちに朱が広がる。
 その艶やかな様を、エーヴェルトは満足気に眺める。しかし、身も世もないような風情で俯かれ、急いで付け足した。
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